第2話 忘れた頃に約束を
ヴァルキリーのミェリと、補佐官のサエクは、相も変わらず高層マンションの屋上のへりに座って、小雪の降る夜の中で魔香を散らしていた。月が金色に輝いている。ミェリは横に座るサエクを流し見た。ボブの少女は気だるげに魔香を咥えて、月を見ていた。光の魔力が強いサエクの目は金色だ。彼女を泣かせるのが目標だと言いはしたが、どうすれば彼女は泣いたりするだろう。
月を目掛けるようにサエクが粒子を吹く。巻き上がる光の金粉とすれ違う雪が、彼女達の体を通り抜けてコンクリートの床に溶ける。いま二人に物質の身体は無い。
心ここにあらず遠くを見つめるサエクに、ミェリが唐突に言う。
「そういえば、サエクが初めてニブルヘイム吸った時、泣いたよね」
「ごほっ」
吸い込んだ拍子に不意をつかれたサエクがむせ、盛大に金の粉を吹き出した。口で咥えていただけの魔香がマンションのはるか下へとすっ飛んでいく。キラキラと金色の光が尾を引いて、消えた。
「あー、もったいない」
睨むサエクに気付く風もなく、気の抜けた調子でミェリが呟く。
「あれは、ノーカンですッ」
「でも高いんだよ〜?わたしのしょっぱい給料ではね・・・」
神界にも当たり前だが経済はある。魔香は需要も少なく、その割に
製造が手間でしかもライセンスが必要な為、贅沢品の部類に入る値段をしている。名の売れた銘柄はそれだけで財を築ける程だ。
「違います。あたしが泣いたとか言ってた事です」
あー、とミェリが頷く。
「違うの?」
「違うでしょ」
間髪入れずにサエクが否定した。
「でも、こんなのムリですぅって」
泣き真似をするミェリにサエクが頬を真っ赤にする。神族だから物理的に寒い訳では無い。
「そんな言い方してません!あと涙が出ただけです。魔力が合わなかっただけですから」
「プライド高いねえ」
くすくす笑うミェリからサエクは目をそらした。ため息をつくと魔香の名残が微かに漏れた。口寂しい。
魔香は神界の高級嗜好品だ。ほんの少し魔力を与えてやると、魔香を構成する薬草や魔石、製法の魔術等その他諸々が連続的に反応を起こし、銘柄に応じた魔力を摂取し続けられる。そのため身体(というのが正しいかは置いといて)に合わない魔力を摂ると拒絶反応が出たりもする。そもそも高純度の魔力を取り込む行為は、魔力の少ない者には害であり、暴走の危険すらある。じっくり魔力を吸収できるよう作られた魔香といえども、用法には注意する必要があった。
本来なら身分の高い神族が戦いの前など、ここぞという時に使ったりしたという由緒正しい物であり、彼女達のようにスパスパと消費するような代物ではない。
サエクがせびるのはいつも光フレーバーの『valholl』だった。サエクの魔力形質は光であるらしい。光持ちは補佐官の職務には適性が高いらしかった。
「ニブルは闇味が濃いもんね。冷たくて旨いけど。深い所から甘みが染み付いて来るような味」
うっとりするミェリにサエクは苦い顔をする。闇と氷の魔力を秘めた、氷の神域をイメージした魔香の味。あれは強烈だった。吸った途端に全身が氷の冷たさに蝕まれ、頭が真っ暗に朦朧として足腰が立たなくなった。それほどにサエクには合わなかったのだ。数十分は身体がガクガク震えてろくに動かなかった。
「よくそれだけ色んなヤツを吸いますね・・・。普通ならぐちゃぐちゃに混ざった魔力で狂いますよ」
ミェリが咥えている魔香は黄緑に先端が光っている。『Yggdrasill』と言う銘柄で、風や水、光、様々なフレーバーの混ざった物だ。かなり魔力量が多く、一般には重いとされる。何故か彼女はどれだけの種類の銘柄を吸おうともびくともしない。ただ旨そうにしている。
「君もヴァルハラは大概よく吸うけどね。せびられてすぐ無くなっちゃう」
昔はそんなでもなかったのになー、とミェリが虚空を見上げた。夜空に立ち昇る光の粒に、サエクはふと、自分がミェリの補佐官に任命されたばかりの頃を見出していた。
※
「なんで私が『死体拾い』なんかに」
神界の『使者』、サエクは命令書を片手にぶつくさと廊下を歩いていた。
彼女はもともと書記だった。彼女達の住む『神界アースガルズ』で起こる様々な出来事や、神界業務についての書類の作成や管理をしていた。サエクの管轄は死者の魂を集めてくるヴァルキリー達の業務の掌握だ。それがなぜか、現場に送り込まれることになった。
サエクは現場仕事が嫌いだ。面倒くさい。興味無い。ただ決められた通りに書類だけ作って神界でのんびりやりたかった。出世とかもどうでもいいし、ましてや『死体拾い』なんて現場仕事の中でも一番気が滅入る。
上司となるヴァルキリー、ミェリという人物のオフィスへサエクは急ぐ。なまじヴァルキリーの階級は高いもんだからヘタは出来ない。しかもミェリとやらは自分のオフィスまであるのだから相当なものだとうかがえる。サエクは舌打ちをした。
指定された部屋のドアの前でサエクは深呼吸をした。両開きの大きなドアだ。ご立派なものだとうんざりする。どんな堅物がおわすのやら。
ノックを3回。返事が無い。もう一セット。返事は無い。サエクは勢いよくドアを開ける。やけくそだった。
「げほっ!?」
いきなり顔を包む高密度の魔力の粒子にサエクはむせ返った。キラキラと紺色の光が視界を遮る。
換気が進み、紺の光の霧が去った。調度品は瀟洒で高貴な雰囲気を部屋に湛えさせていた。そしてサエクは目を疑った。
客人用のソファでさぞ気持ちよさそうにうたた寝をする銀髪の女を発見したのだ。しかも女は白いカッターシャツ一枚を着ただけで、無防備極まりない。というかだらしない。黒いスーツがテーブルの上に脱ぎ散らかされている。唖然としていると、女のまぶたがぱちっと開いた。サエクがびくっとした。女がサエクに気付き、びくっとした。
「えっ、誰」
サエクは物も言わず、机を占領するスーツの上に命令書を置いた。女はのそのそと書類を取った。
「あー、君がサエクか」
そして言葉を続けるかと思いきや、机のスーツのポケットから何かを取り出した。まごうこと無き魔香であった。旨そうに吸い始める。箱はスーツの上に放り投げられた。かなり崩れた事しかしてないのに、なぜか動作のひとつひとつが優雅で、むしろサエクのカンに障った。いつかみた紺色の粒子が部屋に漂い始める。渋い顔で見つめるサエクにミェリは微笑んだ。
「魔香を吸う女はきらい?」
「そういう問題をかなり逸脱しています。なんですかその格好は」
うん?とミェリが自分の体を見回した。
「何も付いてないよ」
「服を身に着けてください」
「ああ、なるほど」
スーツをもそもそとミェリが着始める。スーツの上から魔香の箱が机に落ち、サエクはなんとなく手に取った。よくもまあこんな高級品を大量に吸う。金銭的にも魔力的にもかなりきついと思うのだが。
「魔香は好き?」
箱から目を上げると、スーツを着こなしたミェリが立っていた。自分よりいくらか背が高い。吸った事は無いが、サエクは力強く頷いた。いい御身分らしいから魔香くらいせびってやろうと思ったのだ。高濃度の魔力を直接取り込む魔香は身体に悪影響を及ぼす事もあると話には聞いていたが、この女性は部屋が霞むくらい吸っている。一本くらい平気だろう。
「嗜む程度に好きです。頂いても?」
「どうぞ。魔香を吸う女の子、わたしは好きだよ」
聞いてない。あとサエクは魔香を吸う奴は嫌いだった。あてつけのためにせびるまでだ。
一本箱から抜き出し、咥えて魔力を点けた。紺色の粒子を深く吸い込んで・・・。
「ごほっ!?」
サエクはむせ返った。肺から全身へ、頭のてっぺんから内臓の中心、手足のつま先まで、血に乗って氷の波が押し寄せた様だった。そして脳を染めていく闇色の光。神界に居ながらにしてあの世が見えた。腰が砕け、脚が震えた。膝を着く。身体ががくがくと痙攣を起こす。
「えっ、ちょっと!?」
ミェリが慌てて助け起こし、ソファに横たえさせてくれた。瞳孔が開いた目を向けるサエクにひらひらと手を振る。
「見える?意識はあるかい」
「なんですか、これ・・・。一服盛ったんです?」
一服だけに?とミェリが笑った。張り倒したいが力が出ない。サエクは呻いた。
「もしかして、吸ったの初めて?」
「・・・・・・」
「もー、そうならそうと言ってよー。そしたらいきなりニブルヘイムなんて渡さないのに」
黒地の箱に青く輝く文字の箱。側面に『Strong ice and heavy dark』の表記。どうやら闇の魔力が致命的に合わなかったらしい。サエクは悔やんだ。
ミェリが懐をがさごそ探り、新たな箱を出した。白地に金の文字で『valholl』と書いてある。
「金の目、て事は光なら合うかな。中和出来ればいいけど。吸える?」
サエクにヴァルハラとか言う魔香を咥えさせてくれたが、落ちた。唇すら制御できない。
「仕方ない、荒療治だ」
ミェリはヴァルハラを咥え、魔力を点けて大きく吸い込んだ。しかし吐き出さない。
「え。ちょっと・・・。ナニする気ですか」
息も絶え絶えにサエクが問う。息を止めているミェリがジェスチャーをする。自分の唇を指差し、そしてサエクの唇を・・・。
「やめろぉぉぉおおお」
振り絞るような叫びを無視し、ミェリの唇がサエクの唇を塞いだ。甘く、優しい暖かな魔力がサエクの中を満たしていった。代わりにサエクは心の中の大切なものを失った。
全てが終わった時、そこには泣きじゃくるサエクとやり遂げた表情のミェリが居た。
「いやー、よかった!危うく魔力汚染になる所だった・・・って、なんで泣いてるの?」
「なんでも、無いです・・・ッ」
それはミェリとのファーストコンタクトであり、そして、ファーストキスであった。
※
「あ、やっぱ泣いたよねあの時サエク」
「あああああああっ!!」
唐突に思い出した様に言うミェリの横からサエクの姿が消えた。どうやら飛び降りたらしい。彼女達は飛べるし、肉体は無いから死ぬことは無い。心は別だが。
「ウブだよね・・・」
そう呟いて、ミェリはユグドラシルの、色彩豊かな粒子を吐き出すのだった。次は感動させてあげよう。そう金の月と、月色の瞳の少女に誓って。
中道に迷う あどのあこう @pohezou0313
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます