中道に迷う
あどのあこう
第1話 紫煙の中に
雪が降ると人は叙情的になるらしい。蛍光灯の白い灯りに照らされて、粉雪がぱっと光を弾きながら黒いアスファルトに染みていく。
それをマンションの屋上から見下ろす、影二人。片方は立っていて、もう片方は座っている。
立っている方、銀色の長い髪を背に流す黒服の女がそっとつぶやく。
「東風吹かば、鐘が鳴るなり、ほととぎす」
いかにもな風に呟いたその銀髪の女が、隣の影にこれみよがしにちらちらと視線を送る。
「どう?サエク」
送られた方は明らかにイラついた様に返した。
「馬鹿丸出しですよ。あと、せめて雪の歌を詠みましょうよ」
「雪は嫌いさ」
茶髪のボブカットが呆れ顔を向ける。
「だって冷たいし」
「そうですか」
「君みたいに」
「そうですか」
銀髪の女は気にした風もなくポケットから直方体を取り出した。黒地に輝く青色で『Nihlheimr』と書かれた、いわゆる煙草の様な物だった。しかし銀髪はその『煙草』を抜き取って咥えても、火を点けない。白く細い指を伸ばし、『煙草』の先端に近づけた。
指先に青白い光がぽっと灯ったかと思うと、『煙草』の先端がいつの間にか滲むように光っていた。だがその光は氷のように冷たく、サファイア色だった。煙の代わりにサファイア色をした粒子が散っていく。
「そんな高級品、いま使わなくても」
と、サエクが眉を寄せる。さっきからサエクはずっと退屈そうにスマホめいた板をつついている。それはどこか浮世離れしたデザインをしており、よく見ると透き通っていて画面越しに指が見える。
「やること無いし。この銘柄好きだし。冷たくて」
「はっ?」
さっき冷たい雪が嫌いと言ってただろう、とサエクが口を開けた。
「ミェリ様、一歩間違えればあなた病院行きってくらいとんちんかんですよ」
ミェリ『様』と呼ばれた銀髪は、一息大きく光を味わうとふっと笑って頷く。
「この仕事はね、狂うと楽しくなるんだよ?」
「・・・・・・」
彼女達はずっとここにいるようだ。何かを見張っているのか、先程から銀髪の女は辺りをそれとなく見渡している。
「まだ来ない?」
「来て欲しいんですか?」
「・・・・・・さあね」
ミェリも立つのをやめ、腰を下ろす。マンションのへりからサエクに習って足を垂らした。そうやって並んで座っていると、全くの同年代にも見える。ミェリは妖しい雰囲気の中にどこか無垢な輝きを持ち、サエクは無邪気な様でいて少し饐えた影を抱えていた。
「できることなら、助けたいさ」
白い息も出さず女はつぶやく。氷点下の中だと言うのに。
「でも、それはわたしの仕事じゃない。わたしの仕事は・・・・・・」
やおらに少女の持つ端末が鳴った。光の柱が伸び、どこかを指し示す。
「来た。行こう、サエク」
「やれやれですね、ミェリ様」
「全くだよ。閑古鳥が鳴くのを私は聞いたことが無い。弔鐘は聞き慣れたのにね」
言い終えると同時に、少女の端末から厳かな、なのにおどろおどろしい鐘の音が響いた。
二人の影が宙に浮いて、柱の方向へと夜空を駆ける。
「どうしてこの仕事をしてるんだろうな、わたしは」
「いまさらですか。自称狂ったヤツのくせに?」
「時々思い出すのさ。初心をね」
「なるほど、なら次は目標を立てたらどうです?」
「それはいいな。試してみるよ」
しばらくすると、光の柱が真下を向いた。二人は地上に降りる。そこには人が倒れていた。長い黒髪をひとつくくりにした少女だ。ぼんやりと白く光るモヤの塊が浮いている。
「ああ、まだ若いな」
平坦な調子でミェリが言った。
「好都合です。若い、それも少女の霊なら上もお気に召すでしょう。まあ、戦力ではありませんが」
同じような調子でサエクが言う。どこかわざとらしく。
ミェリは何も言わず、ただそのモヤに手を当てた。その瞬間、頭の中に映像が広がった。それをミェリは追体験するように、傍観するように、ただ感じていく。
しばらくミェリは目を閉じて、かなり時間が経ってから目を開けた。ため息をひとつつく。うっすら薄青の瞳に雫がたまっている。
「消去」
サエクは少し目を見開いたが、何も言わず、端末をいじり耳に当てた。
「こちら姫長補佐官サエク、当該死者に『使者』の適正無し。還元の処置を行う」
返答を聞くだけの間が空いて、サエクが端末を耳から離した。そして右手をモヤにかざす。崩れるように、雪に混ざってモヤは散り散りになり、消えた。死体はそのままだった。
「良かったんですか、ミェリ様。あれは戦えないまでも、それなりに使えましたよ。顔も良かったし」
「やめろ」
ミェリが死体のそばに跪き、そっと頬を撫でた。ミェリの細い指に雫が乗った。ミェリの物では無かった。この己自身を殺した、涙と血を流す少女が次に生まれる時は一体何の姿だろうか。還元された魂は、いつ次の命として生まれるだろう。ミェリは知らない。
「この子は自分の為に死んだんだ。もういい、これ以上疲れさせなくても」
「理解できませんね。どうでもいいでしょう。それと、いつまで経っても終わりませんよ?この仕事」
「いいさ」
ミェリは立ち上がる。すらりと背が高い彼女が、見下ろすようにサエクと向かい合う。
「わたしは『普通』を知りたいんだ。そのためには終わっちゃいけない。それがわたしの初心だ」
サエクはため息をつく。
「結局興味本位ですか?」
「かもね。でも、わざわざ死んでまで神に仕えなくてはならないとは思えないし。悪いことはしてないと思うけど」
「呆れた。何も悩んでないじゃないですか。やりたいことをやっているだけだ、貴方は」
ミェリは笑った。
「そうでもなけりゃ、やってられないのさ。ヴァルキリーなんてね」
「だから、狂うと楽しい、ですか」
そう。とミェリは微笑んだ。死者の魂を集め、天界の人材として主神に送る。それが彼女の仕事だった。気がついたらこの仕事をやっていた。何のモチベーションもない。むしろ嫌いだった。虚しくて。
「だからといって、天送しない訳にもいかないでしょう。そろそろ決戦も近いんですよ?」
「知ったことじゃないね」
ミェリが歩き出す。サエクが追いかける。
「わたしの仕事が終わる時は、誰もいなくなった時さ。わたしもふくめてね。頑張る方が馬鹿らしいだろ?」
「なるほど、なら、普通を知りたいというのは何なんです?」
ミェリはポケットからまた小さな箱を取り出した。今度は白地に金のラインが引かれた箱で、黄緑の輝く文字で『valholl』と書いてある。一つ白いスティックを取り出し、指で光を点け、咥える。今度は神々しく暖かな金色の光だった。
「魔香はやめた方がいいと前も言いませんでした?」
「線香を上げてるんだよ」
ふう、と味わい深そうに金色の粒子を口から吐き出し、質問に答える。
「普通を知りたいってのはね、みんな自分は特別だと自分では思ってるだろ?だけどみんな自分が当たり前だと思っている。不思議じゃない?」
「はあ」
「だから、その謎を知りたいの。それだけだよ。それは死んだ時にわかるのさ」
サエクは頭を振った。
「意味あるんですか?」
「別にないよ。いいのさ、そういうもんで」
好きなように生きて好きなように死ねばいい。それが人の特権だ。定めに従って生きるしかない、草木や獣や神とは違う。命という夢の中で彼らは生きられる。死ねばもう、一本道だ。
ミェリは呟いた。
「夢に死すとも悔いは無し。咲くも夢見ず枯れたるは、現に根ざ
したる華も無し」
今度はサエクも何も言わなかった。ただ手を差し伸べ、魔香をせびっただけだった。
「目標、決まったよ」
突然ミェリが言う。何の事か一瞬戸惑い、サエクが魔香を咥えて固まった。
「君を感動で泣かせる事さ」
「なんだ、そんな事。簡単ですよ」
「あれ?意地でも泣かなさそうなのに」
気を取り直したサエクが魔香に光を点け、ふっと光の粒子を吹いて皮肉っぽく笑う。
「死なせてやるって言われたら、大泣きして崇め奉ってあげます」
ミェリはぽかんとし、笑った。
「ああ。そりゃ無理だ。申し訳ないけど」
ミェリがそうなりたいくらいだ。死は貴重だった。彼女達の魂は囚われたままだった。死んだこの少女には次があるかもしれない。自分達には、まだ巡ってこない権利だった。
しばらく二人は、死者の骸を前にして香をあげ続けるのだった。
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