第49話 「黙っているべきか」 妖怪「雇われ」登場



    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 釘は大工持ちである。このことはあまり知られていない。

 大工は釘を自腹で買う。いい釘を買い、それは消耗品で必要経費である。しかし景気が悪くなってくると、ギャラは削られ、釘代ばかりが出てゆく。

 釘打ちは大工仕事の要だ。しかしなるべく安く家を建てたい人たちが増え、その御用聞きの工務店が増え、安さを競い合い、それがいつしか相応の値段を割り込んだとき、二本に一本釘を打たない大工が増えてくる。釘を細いものにごまかす大工も増えてくる。

 手抜き工事のはじまりだ。


 繁田しげたいわおは、流れの大工である。かつて棟梁を務めていたが、職人に弟子入りする若者が減り、角材で殴ったり朝まで酒につき合わせたりする厳しい育て方についてくる若者は減り、「流れ」、つまり雇われ大工になるしか道はなかった。

 繁田は他の大工が二本に一本の手抜きをしているのを見て、ひどく怒った。それでも職人かと。どんなに安く叩かれようが、一生ものの家をちゃんと建てるのが職人の仕事だろうと。

 しかしそれは直接の雇い主である、工務店の心証をひどく悪くした。工務店はなるべく安く仕事をあげることが至上命題だからだ。余計な口を利かず粛々と仕事を進めている手抜き現場に、頑固職人が一人入ったら、「全体の士気が下がる」。

 こうして繁田は次第に現場を外され、日雇いの仕事しか頼まれなくなった。一日で終わる、誰でもできる単純作業をやり、一日の仕事を終え家に帰る。文句を言うまでもない。手抜きもなにもない。繁田は怒ることをあきらめた。日銭を稼ぎ、釘を打たない大工たちを遠くに眺めるだけだ。

 繁田の釘は、二本に一本打たないどころか、もうずいぶん空気にすら触れていない。そしてそんな繁田の肩には、妖怪「雇われ」が、いつの頃からか取り憑いたままだ。



「肺に、影が見えますね」

 市の実施する六十歳の癌検診を繁田は受けた。大の煙草好きを、長年連れ添った妻が心配したからである。宵越しの金は持たねえぞべらんぼうめえ、の世界で育ってきた繁田は、煙草と酒と女は欠かしたことがない。

「先生それは何かい。……癌かい」

「精密検査をしてみる必要があります。この検査法は早期発見優先ですから、癌じゃないものが引っかかることもあります」

「仮に癌だとして、オイラはあとどれくらい持つ」

「個人差があります。治る方もいますし、今なら手術も発達している。第一、癌かどうかまだはっきりしていませんし」

「オイラは鳶でさ。体が動かなくなったら終わりでさあ」

「もうお年ですし、ご隠居をお考えになっては。まずは精密検査を」

「ふん。そうやって、医者は無限に金を取りやがるんだよ」

 繁田は精密検査を受けるつもりはなかった。死ぬなら死ぬまでだ。鳶が死ぬときは、落ちるときだ。


 煙草を吸いたくなった。そういえば、棟梁をやっていた時はいつも屋根のてっぺんで吸った。最近は地べたの、物の陰でしか吸えなかった。

 公園のジャングルジムに登って煙草を吸ってみた。ジャングルジムは、大工が素組みした柱と棟に似ている。繁田は肺一杯に紫煙を満たした。空が広かった。

「あなた、妖怪に取り憑かれていますよ」

 繁田の隣に、いつの間にか天狗面の少年と太った猫が座っていた。

「その心の闇は……妖怪『雇われ』」

「なんだって?」

「きっと、雇われ根性の心の闇だ」

「オイラが雇われ大工だからって、バカにしてるのか!」

 怒ってくる人ははじめてで、シンイチとネムカケは少々面食らった。


    2


 妖怪「雇われ」は、暗い緑色を湛えた三角形の顔だった。渋い顔をして何かを我慢しているようにも見える。

「オイラはもう『雇われ』の身であることにウンザリなんだ! なんでずっと黙ってなきゃいけねえんだ! クビにおびえて生きるのは真っ平だ! 今日こそ金城かねしろ工務店のヤロウの手抜き工事を、白日の下に晒してやる!」

 繁田はブチ切れたまま、足早に歩きはじめた。シンイチは慌ててついていった。建築中の家がその先に見えた。繁田の「現場」である。

「オイラはもうじき死ぬ。肺癌だってさ。恐いものなんてもうねえよ。手抜きを暴露するんだ!」

「肺癌?」

「肺に影があるんだってよ!」


 繁田はこの現場を請け負っている金城工務店の社長、金城広治こうじにつかつかと歩み寄っていった。彼はこの家の持ち主、施工主である年寄りの富士本ふじもと夫婦と談笑していたところだった。

「な、なんだい繁田さん。今日の現場は検診で休みだって」

「もう我慢ならねえんだ! 丁度富士本さんもいるし! ここらでこの現場の手抜きをバラしてやる!」

「は?」

「まず釘! 二本に一本しか打ってねえよな! 三本に一本のところもあるよな! 家が立ってることが不思議だぜ! それから天井裏に断熱材入れてねえよな! 天井は開けることもねえもんな! このままじゃ夏場はガンガンクーラー利かせても足りねえし、冬場はめちゃめちゃ寒くなる! あと外壁! 乾燥させずに上塗りしてるよな! 充分縮ませて乾燥させてからヒビに塗りこむ手間を、適当に塗りこめてやがる! 強度が足りてねえ! 下のコンクリだって乾燥二日しかしてねえし、ボルト見てみなよ! 床下チェックしねえと思って、ボルト頭だけ出してるけど、床下でナット嵌めてねえぞ!」

 黙って聞く大工たちは、全員手が止まった。

「あの……すいません……それはつまり、手抜き工事ってことですか?」

 恐る恐る、施工主の富士本氏が聞いた。

「手抜きも手抜き! この家何年持つ? 二十年持つかね?」

「それは、どうして……」

「あんたたちが値切るからですよ!」

 勢いのまま、憤りを繁田はぶつけた。

「ちょっと! お客様に暴言は許さん!」と、金城社長が割って入った。

 が、体と口の動きが止まった。シンイチが密かに九字を切って不動金縛りをかけたのだ。

「暴言でもなんでもねえ! 本当のことだろうが! 嘘をついてる訳じゃねえんだ! 壁もつけた、外も塗った、もう中はどうなってるか見れねえ! 確かめようもねえからよ!」

「……続けてください」と富士本氏は言った。

「大工ってのは、日当が一日四万の仕事なんです。高いですかい? 違う。専門家にそれだけ払うのは当たり前だ。家は一生住むもんだ。一生持つ家を建てる技術が、安いわけないでしょう? だけどこういう工務店が、安くしますよってサービスしはじめたんだ。あぶく銭貰ってるのを絞めるなら分かるぜ? しかしよ、俺たちに三万しか寄越さず、おまけに工期を半分にしろって言う。日払いの日数を減らすためだ。ついでに雇う大工も減らすのさ。最初は無理してやったよ。夜中に集まって、間に合わない分をちゃんと埋め合わせした。しかしそれが何年も続き、それしか知らない若い大工が増えてくる。素晴らしい家を建てるんじゃなくて、金だけ貰う仕事になっちまう。そりゃあ手抜きでもしない限り、割りに合わん。むしろこれがスタンダードだって思っちまう」

「……私たちは、安いほうがいいと思ったので」

「そりゃそうでしょう。でも限度ってえのがある。この家は限度以下だ。次大きい地震が来たら倒れるぜ。ちなみにこの金城社長の口癖教えてやろうか。『家を二軒建てる奴はいない』さ。学習する暇がねえんだ。なんとなら、この家より、あんたたちが先にあの世へ行くからだ」

「……」

「お客さんのその無知に、こいつはつけこんで安さで釣る。しわ寄せはどこだ? 俺ら大工さ。そして、この家自身だ」

 シンイチは不動金縛りを解いた。金城はもう何も言えなかった。

「クビになるから普段このネタバラシは出来ねえ。今日は特別だ」

 繁田は啖呵をしめた。

「……金城さん。話を詳しく聞かせてくださいませんか」

 富士本氏は言った。金城は脂汗を流し、観念したようだった。


    3


 奇妙なことに、これだけの啖呵を切っても、繁田の「雇われ」は、外れなかったのである。

 ラーメンの屋台で勝利のビールをあおって、シンイチとネムカケにラーメンを奢った繁田は、それが解せなかった。

「もう雇われ人生はどうでもいい。二度とお呼びがかからねえし、ご破算だ、って思ったんだけどなあ」

「まだ何か、深い所の何かがあると思うんだ。繁田さん、心の奥に隠してる、本当の心とかあるんじゃないの?」

「……ふむ」

 繁田はグラスのビールをあおった。

「オイラは、ちゃんとした家が建てたい」

「どういうこと?」

「今、ほとんどの家が手抜きだ。手抜きしてねえ家なんてねえ位だ。俺たち大工の技術は、元々素晴らしい。きちんと手を抜かずに家を建てたら、百年持つ家をつくれるんだ。釘も普通に全部打って、壁も一週間ちゃんと乾燥させて」

「そうすりゃいいじゃん!」

「それやったら、金城工務店の二倍とか三倍かかるんだよ」

「そんなに違うの? じゃ半分とか、三分の一に手抜いてるってこと?」

「……そういうことだ」

 繁田はビールをグラスに継いだ。

「そもそもさ、オイラが若い頃には、師匠に『手を抜くな』って怒られたんだ。人間は放っといたら手を抜く、だらしない生き物だってな。カンナはなるべく薄く、釘は斜めにせずにまっすぐに、そしてめり込ませるな。それが出来るまで現場じゃ道具に触らせてもくれなかった。人間は手を抜くけど、自然は手を抜かない。雨、風、地震と百年手を抜かない自然に対抗できるように、人が、家が手を抜いちゃいかんのさ」

「……それがいつから手を抜くようになったの?」

 繁田は考え込んだ。

「間に仲介屋が入ってからかな」

「仲介屋?」

「昔は地元の繋がりがしっかりしてたからな。大工に直接頼んだもんだ。仲介屋がどこからかやってきて、もっと安く請け負いますよって言い始めてからだな。暇な大工を安い手間賃で雇って、早く安く家を建てることをアピールしたんだ。最初は俺たち大工も、あんな素人の寄せ集めって高をくくってた。だがいつの間にか質より安さが取られ始めた。ウチの若いのもそういう時代じゃねえって、食いっぱぐれない安い仕事に逃げてった。じゃあどういう時代になった? 安くて早くて、百年持たない手抜きの時代さ」

「家はさ、出来上がってみないとどんなのが出来るか分かんないじゃん」

「見なくても任せる、そういう懐の深さが、建て主との間になくなったんだな」

 人の心と人の心は連結している。シンイチはそう思う。誰かの心の闇を生むのは、誰かの心の闇かも知れない。繁田はグラスを空にした。

「今日は疲れた。妖怪退治したかったら、明日にしてくんねえか」

「明日はどうするの?」

「現場に行くよ」

「どうして?」

「金城工務店はクビだ。しかし現場は残ってる」

「だから行くの?」

「それが大工さ。途中で終わらすわけにいかねえだろ」



 次の朝、シンイチはネムカケとともに、建築現場へと向かった。

「ハチカンさんも百年先だった。繁田さんも百年先。年寄りはそういうことを考えるのかな?」

「わしは三千歳の年寄りじゃが、一万年くらい先まで考えとるぞい」

「え、マジで!」

「うむ。一万年先も居眠りじゃな」

「なんだ。でも子供には、来年のことも想像できないよ」

「それはそうじゃろ。年の功とは、先を見る目のことかも知れぬぞ」


 現場では、繁田が富士本夫婦に渋い顔をしていた。彼らはライバルの、台場だいば工務店に依頼したようだった。

「これでも安すぎるんですか?」

 と富士本夫婦は繁田の暴露に驚いていた。

「そうさね。台場さんとこに見積もり頼んだのはどうしてだい?」

「金城工務店のライバルだと聞いたので」

「それじゃあ駄目だ」

「どうしてですか? この見積書は金城さんの所よりは幾分高い」

「バカだなあ。現場はそのままで、差額を台場が持ってくだけだよ。大工は叩かれっぱなしさ。それはちっとも変わらねえ」

「じゃあ、手抜き工事じゃない為にはどうすれば?」

 シンイチはその会話に割って入った。

「大工さんに直接頼めばいいじゃん!」

「え?」

「中抜きする人がいるんなら、その人飛ばして直接頼めばいいんだよ! 昔はそうだったんでしょ?」

「そんなこと、出来るんですか」

「ああ、そうか。家の頼み方から、もう知られてねえんだな」

 繁田は自分に依頼が来ない理由をあらためて知った。シンイチは言った。

「繁田さんがやりなよ! 昔は棟梁だったんでしょ!」

「それはそうだが」

「何が問題?」

 シンイチは、渋る繁田に素直に尋ねた。

「……朝から来て手抜きの具合を見てたんだがよ、一回全部壊したほうが早えんじゃねえかと思ってさ」

「ええ?」

「解体費、プラスちゃんとした家建てる代。結構いくんですぜ正直」

 と、富士本夫婦に繁田は正直に言った。富士本氏は考えた上、繁田に聞いた。

「その家は、百年持ちますか?」

「あたりめえじゃねえか」

「私たちが死んだあとも、あなたが死んだあとも、私たちの息子が死んだあとも、建っていますか?」

「もちろんだ」

「その保証は?」

「ねえ。しかし、嘘は言ってねえ。信じてくれとしか言えねえ。現場に毎日来てくれりゃ、オイラが何をしているかは見せられる。手抜きはしねえ」

 富士本氏は考えて、ゆっくりと言った。

「……私たちには息子夫婦がいます。孫も。孫の先まで持つ家を、お願いできますか?」

「……高いぜ?」

「かまいません。これが二十年しか持たないのなら、五倍のお金を出せばいいんですね?」

「それよりは安いよ」

「じゃあ話は決まった。お願いできますか」

「え、ほんとにオイラでいいのかよ」

「ここまで正直に話してくれる人に、私は出会っていなかった。その正直さを信用します」

「……」

 そこへ、金城工務店のトラックがやってきた。繁田の暴露を恨みに思い、復讐しに来たのだ。金城は大工たちに向かってこう言った。

「もし繁田に協力するんなら、二度とウチでは雇わんぞ。台場工務店にも声をかけてきた。繁田に協力しないなら、今後ずっと君たちに仕事を発注する」

 繁田本人にではなく、周囲にゆさぶりをかけてきたのだ。

「汚ねえ!」とシンイチは叫んだ。

「受注に賛同する者は、このトラックに乗りたまえ」と金城は大工たちに声をかける。

「……」

「だとしたら」

 繁田は反論した。

「ちゃんとした家を建てる仕事をしたいか、中抜きされて手抜きを続ける仕事をしたいか、選べばいいさ」

「…………」

 大工たちは即答できない。

「何の為に大工になったのか、思い出してくれ。いい家を建てたいからじゃねえか? お金は富士本さんが保証してくれる。いまどき珍しい満額だ。その代わり流れの大工は覚悟してくれ。金城サイドについてもお互い恨みっこなしだ。オイラとまっとうな仕事をしたい奴だけ、手を上げてくれ。鳶が死ぬときは落ちるとき。嘘つかずに飛ぼうや」

「……」

 一人残らず大工は手を上げた。金城は顔が真っ赤になり、空のトラックで去っていった。

「かっこわりー!」とシンイチは指差して笑った。

 繁田は建築途上の現場を見た。

「……最後の仕事になるかも知れねえな」

 繁田は武者震いをした。その反動で、体に張った「雇われ」の根が抜けた。


「不動金縛り!」

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「一刀両断! ドントハレ!」

 繁田の「雇われ」は、炎に包まれ清めの塩となった。



 解体工事が行われ、基礎から打ち直す工事が集まった。繁田は最後まで仕事を全うするために、精密検査を受けた。残りの寿命を知っておくべきと考えたからだ。

 不思議なことに、肺の影は消えていた。

「どういうこったい」と繁田は訝った。

 シンイチは答えた。

「妖怪はアナログ写真に写る。X線写真はアナログだもんね。その影、心に張った妖怪の根だったのかもよ!」

「ふん。……心の闇が、消えたってことか」


 こうして、繁田が久しぶりに自分の釘を打つ時がやってきた。富士本夫婦も、シンイチもネムカケも見に来ていた。

 繁田は釘を新調した。大工にとって釘は消耗品だ。しかし、消えてなくなってしまうものではない。大工の手から離れるだけで、百年先まで家の芯に残るものである。

 百年先に向けて、繁田は最初の釘を打った。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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