第48話 「二匹いた」 妖怪「やすうけあい」登場
1
心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる
天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う
てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る
「
「あ、いいッスよ! お安い御用で!」
「平田くん、蛍光灯替えるの手伝って」
「あ、いいッスよ! お安い御用で!」
「平田くん、コンビニ行くならさ……」
「あ、いいッスよ! セブンのシュークリームでしょ? お安い御用で!」
上司の無茶ぶりにも、庶務課の雑用でも、同僚の女の子たちのお使いも、平田は嫌な顔ひとつせず請け負う。
「お安い御用で!」の笑顔を必ず返す。
「悪いね」「ありがとう」「ごめんね」
「いえいえ! 何でも言って下さいよ! 頼られるってのはヒーローの証じゃないですか!」
平田
「ヒーローの怪人退治じゃなくてごめんね。飲み会の幹事なんだけど」
「あ、いいッスよ! 僕やります! お安い御用で!」
平田は皆の嫌がる雑用を、笑顔で何でも引き受ける。「平田は断らない」、そんな噂は徐々に社内に広まり、無限の雑用が平田の所へ集まってきた。コピー取り。自販機前でコーヒーをこぼした。社内報の写真撮って。ティッシュ取って。
平田は断らない。不細工な女の子たちが告白し、平田は付き合った。何人とでも。
平田は断らない。失敗すると分かっているが、やらなければならないクライアントの仕事。皆が避ける変人との仕事。ドブ掃除を押しつけられて、そのドブを笑顔でさらう。
平田は断らない。きっと部屋に難民でも受け入れるだろう。
平田は断らない。
だから忙しい。
だから、ひとつの仕事の質が低い。
平田が幹事で仕切る飲み会が金曜の夜にはじまった。だが開始十分で、平田はその場から抜ける準備をはじめていた。
「平田くん、どうしたの?」
「ごめんなさい! 隣の部の飲み会の幹事も頼まれちゃって、ダブルブッキングなんですよ! その飲み会にも行かなきゃいけないんで!」
平田は次の場所へ走った。実はそのあとにも、さらにもうひとつ飲み会の幹事も引き受けていた。つまりトリプルブッキングだったのだ。
「忙しい俺、カッケー!」
平田はマウンテンバイクにまたがり、笑顔で走る。
平田の笑顔は底が浅く、インスタントだ。それは、彼の心の闇の深さと反比例するかのようである。
平田勝之には、彼と同じように笑う心の闇「やすうけあい」が取り憑いている。
平田の会社は「SSコミュニケーション」という小さな会社で、様々な会社同士を繋げる代理店業をしている。人脈が肝になる会社だ。
首都圏再開発の流れで、埼玉県川口市に郊外型の大型ショッピングモールがつくられることになった。そこに入るテナント五十社分のブッキングが、平田の担当に回ってきた。
「僕がやっていいんですか!」
大仕事だ。平田はいつもの安い仕事ではない、本格的な仕事を前に目を輝かせた。
「いつも汚れ仕事ばかりだろ。たまにはちゃんと仕事を回してやろうかと」
部長の
「ハイ! お安い御用で!」
仮に妖怪「やすうけあい」に取り憑かれていなかったとしても、平田は笑顔で臨んだことだろう。やっと認められる日が来たと、平田は本気で思ったからだ。その心からの笑顔を見て、菅原部長はこの仕事を彼に任せ本当に良かったと思った。
ところが一週間後、大問題が発生することになる。
平田は、五十社の枠しかない所に、百社をブッキングしたことが発覚したのだ。
2
「これは一体なんて言うんだ?
菅原部長は、あまりの酷さにそれを表現する術を知らなかった。
「すいません……。かけもちし過ぎて、訳分からなくなってました」
「……一から説明してもらおうか」
この時点で、平田は十人の女と同時に付き合っていた。普通は誰が誰か分からなくなって、頭が混乱してしまう。しかし平田は丁寧に自分を使い分けた。自分では器用に「こなして」いたつもりだった。
だが自分は、「何を」こなしていたつもりなのだろう。こなすこと、ただ回転させることが、平田の望んだことなのだろうか。それは、「忙しい俺」だけが目的だったのだろうか。
平田は一人になりたくて、会社から離れた公園で、缶コーヒー片手に落ち込んでいた。
自分のようにさぼっているサラリーマンなど一人もいない。小さな女の子が風船を母親に買ってもらって喜んでいたり、おばさんが大型犬を散歩させたりしているだけである。
平田はブランコを漕いだ。体をスイングさせると、自分の中の嫌なものが振り落とされるような気がして、しばらく漕いだ。五十ブッキングの責任を自分は取らなければならない。その重圧を振り落としたい感覚で、平田は無心にブランコを漕いだ。
と、隣に天狗の面をした少年が、平田と同じタイミングでブランコを漕いでいた。
「あなた、妖怪に取り憑かれていますよ」
「はい?」
ネムカケが膝の上であくびをした。
我らがてんぐ探偵、シンイチである。
平田は、シンイチに鏡を見せてもらい、自分の肩に取り憑いた「やすうけあい」を見ていた。カナリアイエローの体にピンクの目で、IQの低そうな笑顔でへらへらと笑ってやがる。
「俺の笑顔って、こんな安っぽく見えてるのかな」
平田は「お安い御用で!」と、鏡に笑顔を作ってみた。言葉通りの、安い笑顔だった。妖怪「やすうけあい」とまるでうりふたつだ。
「つまり何かい。俺が何でもかんでも引き受けるのは、妖怪『やすうけあい』のせいだと」
「そうだよ! まずはそれを自覚しなきゃ!」
妖怪「心の闇」に取り憑かれた人は、シンイチの説明を聞いて理解しようとする。それは思い当たる節があるからだろう、とシンイチは考えている。自分が「弱気」に取り憑かれたときも、誰かが説明してくれてたら大分楽だったろうに。そういう思いで、シンイチはなるべく丁寧に説明する。
「そうか。……もう、『やすうけあい』はやめるよ」
その瞬間、平田の「やすうけあい」は、いとも簡単に彼の肩から外れ宙に浮いた。
「アレ? 簡単すぎね?」
とりあえずシンイチは不動金縛りを周囲にかけ、腰のひょうたんから天狗の面と火の剣を出した。シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。
「一刀両断! ドントハレ!」
妖怪「やすうけあい」は、た易く真っ二つになり、清めの塩になり四散した。
「じゃ俺、会社に戻るわ」
平田は歩いた。一歩。二歩。三歩。
と、どこからか磁石に引き寄せられるように、再び妖怪「やすうけあい」が平田の肩に飛んできて、ぴたりとへばりついた。
「ちょっと待ってちょっと待って! また『やすうけあい』が取り憑いた!」
シンイチは慌てて叫んだ。
「え?」と平田は振り返る。
「また取り憑いたんだよ!」
「そうか。もう『やすうけあい』はしないよ。絶対」
再び「やすうけあい」は平田から外れ、シンイチは再び火の剣で斬った。
平田は会社へ向かう。一歩。二歩。三歩。
三歩目でやはり妖怪「やすうけあい」が磁石に引かれるようにどこからか吸い寄せられ、彼の背中に貼りつく。
「ちょっと待ってよ! 三歩歩いたらもう誓いを忘れるのかよ!」
「え? スマンスマン」
また外れ、また斬る。
「『やすうけあいをしない、やすうけあい』じゃん!」
平田が一歩、二歩歩くのに合わせ、シンイチは火の剣、小鴉を構えた。
三歩。どこからかまた妖怪「やすうけあい」が飛んでくる。
「てい!」
今度は平田に取り憑く前に、シンイチは小鴉で「やすうけあい」を一刀両断にする。
「オカシイよ! アンタ『やすうけあい』集め装置かよ!」
シンイチは辺りをくまなく探した。建物の陰。ベンチの下。樹木の枝。あらゆる「陰」に心の闇は隠れているものだ。今は姿が見えなくても、また吸い寄せられるようにやって来るだろう。
「まさか……」
シンイチは再び天狗の面を被り、平田の胸に掌を向けて突き出して、ぐるりとねじった。
「ねじる力!」
シンイチの掌から螺旋状の「矢印」が出た。シンイチがねじったのは平田の胸だ。胸にぐにょりと穴があき、向こうの景色が見えた。
「なに? ……なに?」
穴は拡大し、胸の全部が穴になった。
「もう一匹、体内に隠れてたな!」
胸の中に、妖怪「心の闇」が根を張っていた。鮮やかな緑色の、歯ぎしりした顔がシンイチを睨んだ。
「どういうこと?」と、事態の掴めない平田は尋ねた。シンイチは再び鏡を見せ、平田に言った。
「二匹いたんだ! 『やすうけあい』を引き寄せるのは、こいつが原因だ!」
「はい?」
「こっちが本体だ! こいつは妖怪『認めて』!」
3
「そうか……。俺は……認めて欲しかったのか……」
見積りも、蛍光灯もシュークリームも。幹事も十人の女も、五十ブッキングも。
「そうだよ! 認めてほしい心の闇が、妖怪を引き寄せたんだ!」
と、その時。妖怪「認めて」が、急激に膨れ上がった。
「え?」
シンイチは何が起こったか、一瞬分らなかった。
平田はシンイチでなく、公園の向こうを見ていたのだ。
視線の先には、赤い風船を何かの拍子で手放してしまった女の子。平田は走り始めた。風船を捕まえるつもりだろう。女の子に「ありがとうと認めて欲しい」のだとシンイチは理解した。
と、大型犬が突然暴走し、散歩するおばさんがリードを手放してしまった。
風船か。犬か。走りながら平田は迷った。
「不動金縛り!」
シンイチは九字を切り、この場に不動金縛りをかけた。空へ飛んでいきそうな風船も、それを放してしまった女の子も、走り出した犬も、リードを放してしまったおばさんも、かちりと時を止めた。
「な、なんだ?」
平田は周囲の時間が停止したことに戸惑った。
「あなたの心の闇は、『人に認めて欲しい』ことが根本なんだ。たぶん自信がなくて、だから認めて欲しいんだ。ちょっとでも認められたくて、安心したくてしょうがない。自信がないのは不安だからね。……ちがう?」
平田は自分の胸に問うた。
「……図星、だな。今俺は風船を取ろうとした。あの子に認めて欲しいから?」
「うん。だって『認めて』が凄く膨らんだもん」
「しかも、犬もつかまえようとした。あのおばさんにも、認めて欲しいって思ったから?」
「そう」
「なるほど、『やすうけあい』は『認めて』ほしいから、ってことだな。今無意識にダブルブッキングが起ってた」
「うん。人は誰もが、人に認めて欲しいと思う。それは自然だよ。でもそれが異常化することが、心の闇にやられたってことさ」
「……俺は、異常か」
「うん。認められないか認められるか、びくびくしてるんじゃないかな」
「……たしかに、五十ブッキングは異常だな」
「最終的に、どう認められたいの?」
シンイチは一歩進んで、心の闇の奥底に切り込んだ。
「スゴイ人だ、って褒められたいの?」
「……いや、たぶん違う」
「誰か目標にする人がいて、その人みたいになりたいの?」
「違う。俺は……要するに……ヒーローになりたいんだ」
「どんな?」
「どんな? ……褒められて、みんなから拍手されて、胸を張って……」
「それは結果だよね? どういうヒーローだからそうなるの?」
「どういうヒーロー? ……やすうけあいをして認められたいヒーロー……?」
平田は心の底に、たどり着いたようだった。
「俺さ、……多分、人に否定されるのが恐いんだよ。だから何でも引き受けちまうんだ。拒絶されるのが恐いんだ」
「だから、認めて欲しいんだね?」
「そうだな。それは表裏一体の感情だな」
「あ、演出家の
「?」
「自分の奥底では、なんて思ってるのさ」
「俺を拒否するな。……いや、違うな。俺を尊重しろ、だな」
「それを叫んでみて?」
「俺を尊重しろ!」
「もっと!」
「俺を尊重しろ!」
「もっと!」
「俺を尊重しろおお!」
「いいよ!」
「俺を尊重しろお! 俺を尊重しろおお! 俺を尊重しろおおおおおおおお!」
不動金縛りで静止した公園で、平田は何度も何度も、息が切れるまで叫んだ。
「はあ……はあ……。俺、馬鹿だな」
平田は笑った。
「俺を尊重しろおおおおって叫んでる人を、誰も本気で尊重する訳ないじゃんね」
平田の体内に侵入していた妖怪「認めて」は、この一言で、平田の口から自然排出されるようにぬるりと出てきた。しかし足はまだ肩に食い込んだままだ。意識の奥底から、心の闇が見えるほど表面に浮き出て来ただけだ。
「キミさ、この時間停止、解いてくれよ」
と平田は頼んだ。
「?」
「いいから」
「じゃあ解くよ。エイ!」
犬が走り始めた。風船が空へ飛び立つ。
平田は走った。犬のほうへ。
助けてくれると期待した女の子は、失望のまなざしに変わった。平田は大型犬を体を張って止め、リードを確保した。赤い風船は空の彼方へ消えた。
犬を抱きとめたまま、平田は女の子に言った。
「ごめん。この犬が誰かを噛んだりしたほうが大変だ。飼い主は責任を問われ、下手したらこの犬は保健所に連れてかれて薬殺処分。つまり、殺されちゃうんだ」
「……」
「風船はまた買える。この犬は死んだら終わり。だから俺は犬を助けた」
女の子は状況を理解すると、涙目でうなづいた。犬の主人のおばさんは平田と女の子に謝った。女の子は、犬の頭を何度も撫でた。
「ありがとう」
平田はシンイチにそう言い、菅原部長に電話をかけた。
「すいません。外で考え事をしていました。俺の責任だから、俺がケツを拭きます。五十社に直接謝りにいくのは、俺であるべきです。やらせてください。……それが筋だと思います」
その悲壮な決意をしても、まだ「認めて」は外れなかった。シンイチは平田の五十社土下座行脚に、付き合うことにした。
4
平田は五十社分の菓子折りを持って、普段電話やメールでしかやり取りしたことのない人たちに、直接謝罪しにいった。
怒りを露わにする人もいたし、社内の出店計画のずれについて訴訟する勢いの人もいた。しかし平田が平謝りする責任感にほだされ、直接訪ねてきてくれたことに感謝する人もいた。五十社土下座行脚しなければいけないと知ると、大変だねえと同情する人すらいて、相手は人間なのだと改めて知ることになった。
「話せば分かるってのは半分は本当だなあ。直接会って目を見る訳だもの」
最後の一社での土下座を終えた平田は、何日もかけた達成感で緊張が解けたのか、顔がほころんだ。メールでは分からなかった、各社や担当の人の個人的事情も分かることができた。
「どの五十社を残して、どの五十社を切るのか、ひとつしかルールを決めるな、って部長に事前に言われてさ。『早い者勝ちの五十』を残せって。付き合いや金額の多寡で選ぶと、恨みが残るからって」
「へえ」
シンイチはその智恵に感心した。
「断るってことは、残すことなんだな。何が大切なのかを吟味することなんだ。俺はそれを考えてないから断れなかったんだ。俺は、人に基準を預けてた」
平田は自虐的に笑った。
「次は、自分の基準で責任を取らなきゃ」
肩の荷が下り、ようやく平田の妖怪「認めて」は、彼の肩からするりと落ちた。
シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。
「一刀両断! ドントハレ!」
承認欲求は誰にでもある。この心の闇は、その意味でポピュラーなのかも知れないとシンイチは思った。天狗の炎が、心の闇を真っ二つにして焼き尽くした。それは、夕日よりも赤かった。
別れ際、平田のケータイが鳴った。菅原部長からだった。
「え? 大井町に? マジっすか!」
大井町の大規模再開発区画が決まり、ショッピングモール五十社のテナントを求めているというのだ。
「その五十社、直接知ってます」
平田は笑いをこらえながら答えた。
「もう一周してきます!」
電話を切った平田は、「やべっ! また菓子折り買ってかなきゃ!」と気がついた。シンイチは思い出して言った。
「新潟の、旨い羊羹屋知ってるよ! 最近主人が変わったんだ!」
「……明日までに間に合うかな」
一本下駄の小天狗は、元ホームレスの羊羹屋に会いに行くことにした。
「ちょっと飛んでくる!」
てんぐ探偵只今参上
次は何処の暗闇か
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