第41話 「少年は知っていた」 妖怪「正論」登場



    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 その郊外の町には、巨大な楠の木がそびえていた。

 荒々しい岩肌のような表面に、しっとりと苔がむしている。逞しい男の脚より太い枝は四方にのび、懐には鳥の巣や着生植物も抱えこむ。近所の庭まで枝をのばし、夏は日陰をつくってくれる。大人が何人も手をつないで、ようやく幹の周囲を巡るほどの存在だ。


 いつから生えているかは分らない。町の守り神の御神木ということで、柵で囲まれ、小さな祠がある。由緒書きの札は朽ち、どのような謂れがあるのかも記憶に埋もれそうだ。人の時間とは関係なく、この木はこの木の時間で生きてきただけなのだけど。


 朝早く誰の姿もない時刻、この木の祠の水を替えに来る老人がいた。ペンキが浮いてぼろぼろになった祠と、苔むした地面を丁寧に掃き清め、最後に水を替えて柏手を打つ。もう町の誰もやっていないが、この老人だけはその習慣を欠かしたことがない。

「じいちゃん!」

 小学校にあがったばかりの孫が、走って探しに来た。

「もうすぐ病院で検査だってのに、出歩いちゃダメだろ!」

「おやマコトかい。これだけやっとかないとなあ」

 老人、武藤むとう新蔵しんぞうは祠についた落ち葉を取りながら言った。

「わしの入院の間、代わりに水を替えてくれるかい?」

「分ったよ! やるから! 父さんも母さんも心配するから家へ帰ろうよ!」

 新蔵は帰ろうとして気づいた。

 深い緑の葉が、上のほうの一部、茶色く変色していることに。

「……おかしいぞ」

「なに?」

 新蔵は、孫、マコトに梢を指さして示した。

「ホントだ! この木、枯れてるの?」

「こんなことは初めてじゃ。……何か起こるかも知れん」



 この木は、市役所の目と鼻の先に生えている。

 市役所の職員二人が、上役の紺野こんのまもるに呼び出され、この木の伐採について話し合っていた。

「祠もぼろぼろだし、もう誰も必要としてないだろうこの木は」と、紺野は事を急いだ。

 強い日差しで木陰が青い闇を作る。それを切り裂くまだらの光が、強いコントラストを彼の顔に作り上げていた。

「しかし、これまで何度もこの木を伐ろうとしたんですが、その度に業者が熱を出したり、ブルドーザーが壊れたりと、祟りがあったと聞きました」

「馬鹿馬鹿しい。今は二十一世紀だぞ? 合理の時代だよ。祟りなんて昭和かよ」

 県道を塞ぐかのように、道のど真ん中にこの木はあり、結果、県道は迂回してくねっている。

「この木のせいで、我が町の交通の便は最悪だよ。ここで渋滞が起こるのだからな。この木はこの町に不利益をもたらしている。道を曲がり切れない車が事故でも起こしたらどうするんだ」

「この町の者でここを知らない人はいないでしょう」

「だから発展しないんだよ! ここを通る車はここの者だけではないだろう」

 紺野の言うとおりになった。他県ナンバーのトラックがバイパス代わりにこの道を飛ばし、曲がり切れず横転事故を起こしたのである。


    2


 市の職員たちは、園芸業者を連れてきた。材木業者も来ていて、金になる木材かどうかを検討している。どれくらいのトラックを用意すれば運搬ができるか、メジャーで測り「ウチは八人でやれそうですけど」などと園芸業者と段取りを話していた。

 そこへ検査入院に向かう、新蔵と家族が通りかかった。新蔵は血相を変えて職員たちに詰め寄った。

「こ……この御神木をどうするつもりじゃ!」

「詳しくは、後日説明会を開きます」

「まさか……お前ら、御神木を……伐るつもりなのか?」

「だから、説明会で説明しますので」

「とんでもない罰当たりめ! この木はこの村よりも古い木だぞ! 代々この木はここを見守ってきた! 人はそれに感謝を捧げたのだ! 木は人より生きる! それを我々は神様と呼ぶのだ!」

「おっしゃることは分りますが……この木は死にかかってますし」

 職員は上の方の梢を指さした。

 昨日の朝よりも、茶色く変色した葉は増えていた。

「そんな。この木を救うことは出来んのか! 樹医さんのような人とか!」

 家族の人が新蔵を止める。

「おじいさん、血圧が上がります! 申し訳ありません、言って聞かせます」

「言って聞くとかじゃない! 村の一大事だろうが!」


 その騒ぎを遠巻きに見ている、天狗の面の少年とお供の太った猫がいた。我らがてんぐ探偵、シンイチとネムカケの名コンビである。

 二人はとんび野町を離れ、遠くパトロールに出かけていた。そこでこの騒ぎに出会ったのである。

「あの心の闇たちの名前は?」と、ネムカケは尋ねた。

「妖怪……『正論』だね。三人ともに取り憑いてる」

 市の職員三名に心の闇が取り憑いていた。これに気づいたシンイチが、声をかけるタイミングを見ていたのだ。

 職員たちは、血の上った新蔵に次々に説明をした。

「我々は、合理的な判断でものを言っているのです。この木に車がぶつかって事故が起きたのはご存知でしょう? 幸いお葬式は出さずに済みましたが、次どうなるか分りません。道路に標識を出す案もありましたが、それには費用がかかります。合理的な判断なのです」

「人々の心の寄り所とはいえ、この木は枯れかかっている。伐採が合理的です」

「市民の皆さんの全員の幸福の為の、合理的な判断です」

「合理的です」

「合理的です」

「合理的です」

 新蔵を囲んだ職員の肩に、三匹の妖怪「正論」が陣取っていた。それはスーツのような事務的な色に、四角四面の形だった。偉そうな髭を生やしたしかめっ面で、新蔵を睨んでいる。

「合理的とか、全員の幸福とか……知ったことか! お前ら自身の気持ちはどうなんだ! 儂はこの木が好きじゃから言っている! この木はあんたらが生まれるずっと前からいるんだぞ! この村の一員であり、神様じゃ!」

「今いる人々の幸福が大事でしょう」

「それは単なる正論だろうが! お前の意見を聞いてるんだ!」

 職員は肩をひそめ、開き直った。

「正論の、何が悪いんですか?」

「我々は、正義です」

「我々は、間違っていません」

「我々は正しい」

「我々は正しい」

「我々は正しい」

「……人として、間違っとる!」

 何かがぷつん、と切れ、新蔵はその場に倒れた。

「ヤバイ!」

 シンイチは慌てて手を貸そうとしたが、周りの人の支えが間に合った。「高血圧で今日から検査入院だったんです」と家族の人が言い、救急車を呼ぶことになった。


    3


 幸い新蔵は無事で、数日の静養を厳命され入院となった。

 病院の廊下から御神木を見ながら、シンイチはネムカケに言った。

「『正論』ってことは、自分のやってることを、正当化したがるってことだよね?」

「そうじゃな。一般的に、人は自分が間違ってることを認めたがらない。だから正論で『自分たちは正しい』と理論武装したがるものじゃ。だが、事故があったのも、御神木が枯れかかっておるのも事実じゃし」

 職員たちと業者の調査は続いている。病院の三階の廊下から見下ろすと、御神木の上の枯れ葉が良く見えた。

「……あの木、寿命なのかなあ」

 と、小さな少年が精一杯背伸びして、シンイチに抗議してきた。

「寿命なんかじゃないよ!」

 新蔵の孫、マコトだった。

「じいちゃんも気づいてない、秘密があるんだよ!」

「?」

「誰も気づいてないんだ! 俺が神社で見つけたんだ!」

「……神社?」


 マコトに連れられ、シンイチとネムカケはこの町全体を見下ろす山の麓の、八幡神社へやって来た。

「じいちゃんは昔ここの井戸の水を汲んで、御神木に供えてたんだ。でも足を悪くして、近所の古井戸で済ませるようになった。だからここの異変に気づいてないんだ!」

 マコトは神社の奥へ走る。その井戸へ案内しようというのだろう。

 シンイチはまだこの町の神社への挨拶を済ませていなかった。鳥居をくぐる時に、腰のひょうたんから小鴉を出し、柄に彫られた天狗の葉団扇紋を掲げた。

「遠野十天狗の者、通ります」

 もしその鳥居に天狗がいてこの山を支配していれば、他所の天狗の者が勝手に地元を荒らすことになる。遠野の名を出すことは、いるかも知れない天狗への挨拶だ。そう大天狗に教えて貰っていた。

 シンイチとネムカケは神域の境の鳥居をくぐり、八幡神社の奥宮へ入った。天狗はいるかどうか分らないが、いるのならシンイチを快く土地へ入れたということだ。


 問題の古井戸の傍に、マコトはいた。

「この井戸なんだ!」

「これがどうしたの?」

「枯れてるんだ!」

「?」

「昔は水がたっぷりあった。それが枯れてるんだ」

 シンイチは井戸をのぞきこんだ。たしかに水はなく、ただの地面が見えた。

「そのせいで御神木が枯れてるんだよ!」

 マコトは必死で説明した。

「なんで? ここの井戸とあの木は関係なくね?」

「関係あるよ! ここが枯れたら木が枯れたもん!」

「だって大分歩いたよここまで。この井戸と木は、関係ないでしょ」

「関係あるよ! この井戸のせいなんだ! じいちゃんが来ないから、誰も気づいてないんだ! それも全部、俺のせいなんだ!」

 マコトは涙目になって、真実を言った。

「俺がじいちゃんとケンカしたから、じいちゃんはここに来なくなったんだ!……」

「……どういうこと?」

「じいちゃんが足を悪くしてからは、俺が肩を貸したりして一緒に来てたけど、ある日友達と遊ぶ約束があったんだ。俺はそっちに行きたくて『めんどくさい、もうじいちゃんといるの、いやだ』ってケンカした。そしたら、じいちゃんはここまで来なくなったんだ」

「……そうだったのか」

「俺が面倒臭いって言わなきゃ、この井戸のせいだってすぐに分ったのに!」


 そこへ一人の男がやって来た。二人の話を聞いていたらしい。

「やはり住人は、その因果関係に気づいているんだな」

 シンイチ、ネムカケ、マコトはその男を見た。

「きみ、詳しく聞かせてくれないか。この神社の下には、地下水脈が通っているんだよ」

「地下水脈? ……あ、そうか!」

 マコトが男に事情を説明する間、シンイチは「つらぬく力」を地面に穿ち、地下水脈の航路を辿ってみた。深く深く、闇の中に流れる冷たい水に触れた。

「これか!」

 しかしその勢いは小さかった。その水脈は、山からのゆるやかな勾配に従って流れていて、たしかに御神木の真下に至っていた。「つらぬく力」の矢印を、地面に出してみた。あの小さな祠の下だった。

「あの木までつながる、地下水脈が枯れてるんだ!」

「僕は環境調査員の、黒木くろき惣一そういちといいます。八幡山宅地造成の悪い噂を、調査中でね」


    4


「環境調査員って何?」とシンイチは黒木に尋ねた。

「まあ何でも屋なんだけど、森の探偵みたいなとこかね」

 黒木は子供相手に格好つけてみせた。

「探偵カッケー!」

「実は、この山の上で宅地造成が行われてるんだけど、それがとんだ悪徳業者だって噂でさ」

 黒木は神社の背の八幡山の、造成地を指した。切り崩された山肌は、コンクリートで覆われ道が引かれている。何軒かの新築の屋根も見えた。

「コンクリートで広い範囲を埋めちゃうとさ、山に水がしみこまず、コンクリ沿いに水が走って鉄砲水になっちゃうんだよね」

 黒木は説明した。雨がふること。山にしみこみ、森が水をたくわえること。それはいずれ地下にしみこみ、地下の川、地下水脈となって海へそそぎこみ、海はまた蒸発して雨になること。

 全ては循環している。全てはつながっている。大昔からあるその循環が、山の森を埋めたことで断たれようとしている。下流の護岸はコンクリで固めてあるだけだから、下流は鉄砲水になる。宅地造成が下流を壊滅させる危険を、ここの町は誰も把握してないのだと。

「この井戸が枯れたのがその証拠になるね。ありがとう」

 と黒木はカメラで写真を撮った。

「あの」と、シンイチは黒木を呼び止めた。

「何?」

「この地下水脈は、市役所の近くの、古い御神木と繋がってるんだ」

「ほう」

「その木が、今枯れかかってるんだ」

「……市役所」

 黒木はニヤリと笑った。思い当たる節があるようだった。


 御神木の前では、園芸業者たち、材木屋たち、市の職員だけでなく、上役の紺野まで出て来て伐採の段取りを決めていた。中でもボスの紺野に、ひときわ大きな「正論」が取り憑いている。

 マコトは涙ながらに大人たちに訴えた。

「この木を伐らないでよ! じいちゃん、ショック死しちゃうよ!」

「この子は?」と、紺野が職員に聞いた。

「例のじいさんの、孫のようです」

「そうか」

 紺野はマコトに向かって言った。

「よく聞きなさい。残念だけど、この御神木は伐ることに決まったんだ」

「なんでだよ!」

「道を塞いでいるからだ。みんなの安全の為さ。それにホラ、枝をご覧。枯れているだろう? この木は死ぬ。生き返らないんだ」

 シンイチが割って入った。

「それはこの木のせいじゃない。地下水脈の水切れが原因なんだ」

 紺野は顔色を変えず対応する。

「子供なのに詳しいんだね。地下水脈の調査もせずに、何の証拠があるんだね?」

 さらに黒木が割って入った。

「証拠はありますよ。八幡山の造成地があるでしょう」

「……証拠だって?」

「大山建設が請け負っているんでしたっけ。八幡神社の井戸が枯れた時期と、工期が一致してるっぽいんですよねえ」

 市の職員たちは開き直った。

「それと何の関係が。言いがかりはやめたまえ」

「そうだ。我々は公共の福祉の為に働いているんです」

 黒木は鼻で笑った。

「正論で闘ってもいいんですが、ちょっと裏口からチクリといきましょうか」

「なに?」

「大山建設と市の癒着の件。あんた上役の紺野さんだね? 大山建設とズブズブらしいですが?」

 紺野はとぼけた顔をする。

「なんの話かね」

「コンクリでさっさと山肌を固めたのはなんでだ? その下に違法投棄があるって噂だ」

「聞いたこともない。言いがかりもいい加減にしたまえ」

「ちょっと待ってて!」

 シンイチは天狗の面を被り、一瞬で八幡山へ一本高下駄で飛んだ。「つらぬく力」でコンクリの下を探り、「ねじる力」で取り出して持ってきた。

「こんなのが埋まってたよ!」

「……!」

 紺野は青くなった。黄色と黒のマークが錆びついている。

「噂通りだ。このマーク、放射性廃棄物ですね?」

「……」

「色んな人が得する為の工事ってとこですかね」

「……」

 シンイチは尋ねた。

「じゃあこの人たちが正論を言ってたのは、嘘なの?」

「嘘は言ってないかも知れないが、自分の悪行を隠すために、正論を盾にしてたんだな」

「じゃあ天狗のかくれみのみたいだね!」

 紺野は脂汗を浮かべる。黒木は懐からICレコーダーを出した。

「実は僕、ジャーナリストでして、記事を書いて売ってるんですよ。今の内容は録音しながらネットで仲間に飛ばしました。あとは仲間が調査に来ます。真相は掘ればもっと出てくるでしょうね。あ、他県ナンバーの事故も、証拠隠滅の伐採の工期を早めるための、自演ですか? 正論のかくれみのは、ちょっと小さすぎやしませんかね?」

「…………」

 シンイチは笑った。

「頭隠して尻を隠さずってやつ? いや、御神木が枯れそうになって知らせたんだから、すべては御神木のおかげかもね!」

頭を垂れた職員たちの「正論」はしぼみ、肩から滑り落ちた。


「不動金縛り!」

 シンイチはその場に不動金縛りをかけ、火の剣、小鴉を抜いた。シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「つらぬく力!」

 計四体の妖怪「正論」を、シンイチは「矢印」で刺し、焼き鳥の串刺しのようにした。

「一刀両断! ドントハレ!」

 「正論」はガチガチに固かったが、うしろが案外柔らかかった。

「ほんとに尻隠さずだぜ!」

 小鴉の炎は彼らを真っ二つにし、業火の中へと消し去った。清めの塩は、バラバラと祠に撒かれた。



 その後、造成地は掘り返され悪事は天下に晒された。自然公園が整備され、八幡神社の井戸水は戻った。御神木の葉が緑を取り戻すころ、新蔵は退院した。

「俺、天狗見たんだよ! 天狗が御神木を助けてくれたんだ!」とマコトは新蔵に報告した。

「それは良いものを見たな。神様が使わしてくれたのかも知れんのう」

 マコトと一緒に、新蔵は久しぶりに神社の井戸で水を汲んだ。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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