第25話 「町工場」 妖怪「キックバック」登場



    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 それは、薄暗い事務所の奥にずっと置いてある。

 埃をかぶらないよう、ずっとビニールシートに覆われたままである。鉄塚てづかは、その埃を丁寧に払いシートをはがした。

 一抱えもある鋼鉄の直方体から、半分だけ部品が削り出されたままの、鉄の塊。削り出しの途中で断念した試作品である。まるでさなぎから羽化しようとした生き物が、途中で時を止められてしまったかのようだった。鉄塚は何年かぶりに、直接その部品に触ってみたかった。冷たかった。金属特有の冷やりとした感触だ。しかし鉄塚にとっては、それが熱く感じさせるのだ。かつて情熱を傾け、不可能と言われながらも本気でこれをつくろうとしていた、無謀で未熟な若き技術者としての熱さを、この金属から感じるのである。

 その時から三十年経った。鉄塚は時々、事務所の一角に封印されたように眠っている、この埃の下の冷たい部品を一人で見に来ることがある。


 二階の事務所から一階に下りた鉄塚は、鉄塚てづか部品ぶひん工業こうぎょうの社長の顔にすっかり戻っていた。

「やあおはよう」

「おはようございます社長」

 忙しくプレス機や旋盤を動かし始めた社員たちが、次々と鉄塚社長に挨拶した。

 鉄塚部品は、東京都大田区の町工場だ。ここは大コンビナート川崎から多摩川を挟んだ向かいで、戦争の頃から町工場のメッカとなった場所である。鉄塚部品は金属加工がメインで、航空エンジンからバイクから、機械をつくる機械まで、その元になるパーツを作るのが主な仕事だ。エンジンと限らず、メカのパーツになるならなんでも作る。ねじ一本とて馬鹿には出来ない。大阪の下町の町工場には、「ハードロックナット」という三十八年絞め直さなくても緩まないナットを発明した男がいる。ボルトを締めるナットは、時々締めなおさなければ振動で必ず緩む運命にある部品だ。それをメンテナンス不要にした革命的発明が、大企業ではなく町工場から出た。日本のものづくりの技術は、そのような小さな町工場が支えており、それは町工場の誇りだった。

 ところが、錦の御旗「コストダウン」の下、工場の海外移転が続いて久しい。メイドインチャイナ、メイドインベトナム、メイドインコリア、メイドインシンガポール。海外に技術を教え、現地の安い工員を雇えば船賃以上にペイする。科学技術とは、そもそも誰でも使えることがその良さだ。技術指導さえすれば、誰にでも工業は興せるのだ。問題は、それにより鉄塚部品や周囲の工場への受注が海外に流れ、大田区全体が冷えこんで、腕がありながら次々と閉めていく工場があとを絶たないことである。つまり、この辺りは少し錆びの目立つ町になってしまった。


「では出かけてくるよ。納期は十八日でいいんだよな?」と、鉄塚社長は工作部の部長、刃山はやまに聞いた。

「ウス! なんなら十六日まででもいけそうッスよ? 納期二日前までに、仕上げてみせますよ!」

「ふふ。言うねえ。入ったばっかの頃は曲がったネジしか作れなかった癖に」

「いつの話スか!」

 部長とはいえ、刃山はまだ二十二歳である。この工場の人的な新陳代謝は上手くいっていない。鉄塚のような昔ながらの職人的技術者と、刃山のような若手のみで、中堅はごっそりいない。それはそのまま、この産業の危うさを象徴しているようだ。

 目の前には常に暗雲が広がっている、それは人生において当然のことだ、そう思い直し、鉄塚部品工業社長、鉄塚継務つぐむは、忙しく働く家族同然の工員たち十六名を背に、今日も得意先に頭を下げに行く。


「納期が無期限延期、ってどういうことですか」

 得意先のひとつ、サイナスエンジニアリングサービスの応接室で、出されたお茶も飲まずに鉄塚は驚いた。向かいの席の野田のだ第二部品部部長は、申し訳なさそうに答える。

「済まない。ウチもコストダウンせざるを得ないんだよ」

「じゃあなんですか。また質の悪い中国製、増やすんですか」

 鉄塚は自分より半分しか人生を生きていない、目の前の浅はかな男にも敬語を使う。得意先だからである。

「売り上げが下がって、コストを減らすことしか出来んのだよ。分かってくれよ」

「それで質が下がって、ますますダメになるスパイラルじゃないですか」

「それは正論だけどさ。第一、今の客が質を求めてる?」

「……いつの時代も求めてると思ってます」

「ぼくはそうは思わない。とにかく、コスト削減は社の方針なので。これはもう決定事項なんだ」

「……それじゃウチ、潰れちゃいます」

「先代からの長い付き合いなのは、承知してるつもりだけど」

「……サイナスさんの分がないと、ウチは倒産ですよ。こないだ会ってもらった、刃山いるでしょ。あいつ来月、子供生まれるんですよ。父親になるんです。ウチの社員を路頭に迷わす訳にはいかない。なんとかなりませんか」

 野田は冷めた茶を飲み、窓の外を見た。

「チャンさんの所はさ、こないだ我々を上海旅行に招待してくれてね。上海蟹美味かったなあ。チャイナドレスのモデル並のお姉さんも良かった。良い所だった」

「……キックバックなら、いくらかそちらに渡してますよね? それでウチの儲けがぎりぎりで、回転するだけで精一杯なのも分かって言ってますよね?」

「ぼくは、チャンさんと行った旅行は楽しかった、という旅行の話をしただけ」

「……出直してきます。少し、考えさせてください」


 鉄塚は、挨拶回りのルートにしたがって二番目の得意先、梶エレクトロニクスへ顔を出した。そこでもコストダウンの話をされ、キックバックの額を上げるよう匂わされた。

「ウチは赤字になっちゃいます」

「まあ、そこをなんとかグロス受けで長期的にさ」

 次のフラム総合サービス、ロマナマーケティング&クラフトでも同様だった。

「儲けなんて殆ど出てないんです。これじゃ私ら、首括らなきゃならんです」

「……どこもカツカツなのは同じですよ。我々に得になるように、我々も動かざるを得ないので」

「品質を下げろと言うんですか」

「下げられるのは困ります。下げるのはコストです。乾いた雑巾を絞る、どこかの大手みたいな下品なことは言ってないでしょ」

「もうスリキリ一杯です」

「我々も人間だ。色をちょっとつける、という手段もありますよ」

 どこかの大手より下品じゃないか。鉄塚は、それを表情に出さないように答えた。

「……出直してきます。少し、考えさせてください」


 要するに、仕事を出す分賄賂を寄こせと言うのである。既にそれぞれの会社や担当個人には、昔からいくばくかの賄賂を渡して仕事を貰っている。営業費という名目である。それすら値上げされ、仕事は値下げされ。あるならまだいい。失おうとしているのだ。銀行への返済はたまっている。本当にこのままでは鉄塚部品は潰れ、あいつらを路頭に迷わせることになる。

 大きな橋の上を歩きながら鉄塚は考えていた。夕暮れの寂しい雰囲気が、鉄塚の何かに触れたのかも知れない。

「俺の生命保険がおりれば、来月の皆の分は払えるか」

 鉄塚はふと、橋の欄干の上に登ってみた。

 風は強く、下に落ちたら痛そうだ。

 技術者らしく、自分の自由落下のシミュレーションをしてみた。橋の高さを十メートル、重力加速度十の概算で、落下時間はルート二秒。約一・四秒後の、一瞬の痛みを我慢するだけで、あいつらは一ヶ月助かるのか。その間に次の職を探すチャンスも生まれるかも知れない。技術は叩き込んだから、どこへ流れても食っていけるだろう。

 そうだ、こういう時は靴を脱いで揃えるんだった。技術馬鹿は、世間の常識を知らなくて困る。鉄塚は苦笑いし、靴を揃え、手を合わせて目を瞑り、自由落下をはじめた。

「不動金縛りの術!」

 と叫んだ声が聞こえるや否や、時がゆっくり進むような感覚に陥った。走馬灯ってあるんだな、と鉄塚は思ったが、目を開けると、本当に自分の落下にブレーキがかかっているようだった。

 天狗が飛んできた。いや、近くに来るとそれは天狗の面をつけた少年だということが分かった。その少年は鉄塚の身体を空中で抱きかかえ、水面を蹴って跳ぶと、元の橋の上に着地してみせた。

「ダメだよ自殺なんかしちゃ!」と天狗の面の少年は叫んだ。

「……俺は、助かったのか」

 鉄塚は辺りを見回して理解した。

 天狗の面を外した下から出てきたのは、まだあどけない小学生の顔だった。てんぐ探偵、我らが高畑シンイチである。


    2


「キックバックって何?」

 シンイチは、鉄塚の話の分からない言葉について尋ねた。鉄塚は少し考え、小学生にも分かるようにたとえ話をはじめた。

「焼きそばパン好き?」

「好き!」

「キミが百円出して、俺に焼きそばパン買って来いって言うとするよね。俺は色々と工夫して、八十円でおいしい焼きそばパンを作ってキミに渡す。キミ大喜び、俺二十円の小遣い。これが商売だ」

「うん」

「ところが、他の奴が七十円で焼きそばパンを作って、九十円でいい、と言ってくるとする」

「どっちがウマイの?」

「いい質問だ。九十円のほうが、やっぱちょっとマズイ」

「じゃ百円の方がいいじゃん!」

「でも十円キミが得をするよ?」

「うーん、でもウマイほうがいいかな」

「でもお母さんは十円でも安いほうにしなさいって言うよね?」

「うーん、でもでも、ウマイほうがいいかな!」

「だから我々は、十円を焼きそばパンにつけて、キミにあげることにする。九十円で、しかもウマイ」

「え、じゃおじさん十円損じゃん!」

「そうなんだ。でもないよりましだ。十円はこちらに残るからね。今までは十円キミにあげればOKだった。それが十五円になり、十八円になり、今日言われたのは二十五円だ」

「それじゃおじさんが損だよ!」

「そうなんだ。二十五円キックバックを寄こせ、って言われたのさ」

「せこい。ていうかいじめじゃん」

「うん。でも、それが商売さ」

「でも、安い焼きそばパンはマズイんでしょ?」

「そうなんだ」

「マズイ焼きそばパンでいいって言ってる奴の顔が見たいよ。焼きそばパンは、ウマイほうがいいよ!」

「そこまでウマくなくていいって、大分前から言われててね。だからもう俺たちは、ウマイ焼きそばパンの作り方を忘れたのかも知れないね」

「なんか腹立ってきた! そのおっさんの顔見てみたい! きっとこーんな顔してるんだ!」

 シンイチは変顔をして見せた。鉄塚は少し気が楽になり、同じ顔を少年につくってみた。


 最初にキックバック増額を申し渡されたサイナス社まで二人は戻った。その悪代官の顔が見たいとシンイチが言ったからだ。

「……いたよ。悪代官」

「野田さんのことかい?」

「ううん。あの人の肩にいる、妖怪『キックバック』のこと!」

「……妖怪『キックバック』?」

 その妖怪は、足の形をしていた。ペールグリーンの足の裏に、紫色の顔がへばりつき、ニヤニヤと笑っている。「肩から足が生えてて変」とシンイチは解説して見せた。

「肩から足?」

「そっか、今回は宿主じゃないから、鏡じゃ見えないんだ! ちょっと待って、ポラロイドカメラ、たしか入ってたよな!」

 シンイチは腰のひょうたんからポラロイドを出した。妖怪はアナログカメラに写ることがある。その知識から、内村先生に中古品を買ってもらったのである。

 二人で協力し、「会社見学をしたい孫」という設定で写真を撮ることにした。もちろん、後ろに野田を写すつもりで。

「ハイチーズ」

 ぱしゃり。じー、と出てきたフィルムに、徐々に像が浮かび上がってくる。

「これ、暖めると反応が早く進んで像が早く浮き出るよ」

 と鉄塚はフィルムを両手で包んで温めてくれた。

 野田の肩から、もやのようなものが出ている写真が出来上がった。

「これか」

「うん。これが足で、これが顔。こいつが、キックバックを寄こせって言わせてるんだ。悪いのは野田さんじゃない。妖怪『心の闇』だ」

「心霊写真? あるんだなこういうの。どういう感光現象だろう。放射線感光と同じかな」

 鉄塚の興味は、妖怪の存在よりも、妖怪が感光定着する科学的仕組みのほうにあるようだ。愛すべき技術馬鹿とは、いつの世もそのようなものだ。シンイチは自分の推理を言った。

「多分さ、他の会社の人たちにも『キックバック』が取り憑いてるんじゃないかな?」


 二人は鉄塚が回った得意先を、もう一度一周した。

「思った通りだ!」

 担当のことごとくに、妖怪「キックバック」が取り憑いていた。「キックバック」が全社員に蔓延している会社もあった。

「うーん。キリがないなあ。一人一人説得して回るとかの量じゃないね」

 シンイチは困った。

「……対症療法だけど」

 シンイチは不動金縛りで時を止め、火の剣・小鴉で「キックバック」を、とりあえず肩に取り憑いたまま斬った。

「でもね、キックバックが欲しいって思う心がある限り、彼らの心に張った根っこから妖怪『キックバック』は永遠に生えてくるんだよね」

「むう。……それでは確かにきりがない」

 鉄塚はため息をひとつついた。

「とりあえずウチの工場に戻ろう。焼きそばパンは出せないが、まんじゅうくらいは食べさせてやるぞ」

「オレ、工場見るの結構好きだよ!」

 と、シンイチはまんじゅうより工場に喰らいついた。


 鉄塚部品の小さなあばらやには、昭和の機械が現役で動いている。部品を適時交換して、整備さえ怠らなければ永遠に動く。それが機械というものだ。戦艦大和の主砲を削り出した巨大旋盤は、兵庫県の船舶加工会社でいまだ現役で動いているそうだ。

 モノが作られてゆく瞬間を見るのは、男子にとってはプラモ工場のように、蕎麦打ちを眺めるように楽しいものだ。シンイチは目を丸くしたり、操作してるおじさんに質問したりした。

「みんな、集まってくれ。鉄塚部品にとって重要な話がある」

 いつになく真剣な顔をした鉄塚は、社員十六名を集めた。

「なんですか社長」

 刃山が聞いた。まだ納品は十六日だと思っている顔である。このあといつもの立ち飲み屋でビールを引っ掛けたいが、臨月の奥さんに怒られるので我慢するつもりの顔つきだ。

「実はな、……さっき俺、自殺未遂をしたんだ」

「ええっ!」

「どういうことですか」と社員は口々に言う。

「この子に助けられてな。お礼しようにも、ねじぐらいしか上げるものがなくて」

「オレ、このねじがいい!」とシンイチは一番大きいねじを持ってきた。

「ははは。そのねじはこの刃山がつくったんだよ。あげる」

「やった!」

「みんな、大事な話というのはな、今月一杯で鉄塚部品を閉めようと思うってことなんだ」

 社員一同、その言葉の意味が分からず、ぽかんとした顔をしていた。


    3


 鉄塚は正直にすべてを話した。納期の無期限延期。キックバックの要求額。海外の粗悪品でもコストダウンする、世の中の大きな流れのこと。今のやり方では、その流れに逆らえないこと。妖怪「キックバック」の話は流石に出来なかったが、銀行からの借金を自分の保険金で賄おうとして自殺し、それをシンイチに助けられたこと。

「皆の次の就職先の世話はする。つてが無い訳じゃない。技術は持ってるだろお前ら。今月の給料は問題ない。……それを月末に払って、解散だ」

 刃山が噛みついた。

「社長は、どうするんですか!」

「……俺?」

「ここの負債抱えて、社長はどうするんですか!」

「ここにある工作機械と土地と全部売れば、マンション作りたいって言ってた業者が喜ぶだろ。それでも足りないなら、そうだな。パン屋に就職して、焼きそばパン作るとするかな」

「……だいぶ、マジなんスね」

「まあ、死のうと思ったぐらいだからな。今でも保険金が足しになると思ってるし」

 一同は鉄塚の顔を見て黙りこんでしまった。鉄塚は冗談も下手だが、嘘も下手だとみんな知っている。

 鉄塚は、無意識に二階の事務所を見た。その壁の向こうにあるものは、見えないけれどずっと彼には見えている。

「あのさ。もし、で良かったらだけど」と、鉄塚は遠慮気味に付け加えた。

「何スか! 言ってくださいよ! 水臭いッスよ! あと、社長料理下手だから、パン屋はやめといた方がいいッスよ!」

「ふふ。言うねえ。……俺、どうせならアレ作ってから、ここを閉めたいんだよね」

 皆黙った。社長がずっと奥にしまってあるものを、知らない社員はいなかった。

「今、それを言い出すのかよ」

 経理部の錫木すずきが言った。鉄塚と同期で、ずっと二人で技術開発をしてきた男だ。

「俺はいつ言い出すのかと、三十年待ってたんだぞ?」

「……お前が止めたんだろうが」

「採算が割に合わないって言っただけだ」

 シンイチは話が見えず、思わず割って入った。

「ねえ、アレって?」

「そうか。キミには見る権利がある。二階へ行こう」


 事務所でビニールシートを外された、冷たい部品の前にみんなが集まった。シンイチが触りながら感想を言った。

「なんだろこれ。さなぎから孵る途中みたいだ」

「俺も、そう思う」と鉄塚もうなづいた。

「仏を彫る人ってさ、木の中に仏が埋まってるのが見えるんだって! これも鉄の塊になんか入ってるのが、社長には見えてるの?」

 とシンイチは鉄塚に聞く。

「見えてるよ。ずっと見えてる。俺はそれを削りだしてやりたい」

「ところでこれ、何?」

「『ピンチ』といわれてる、関節部になるところ」

「関節?」

「キャタピラとかあるでしょ。あの一個一個をこれで繋ぐんだ」

「こんなデカイの?」

「これは戦車クラスよりデカイ奴さ」

「戦車よりデカイのって、あるの?」

「あるかないかより、普通よりスゲエ強度を持った部品を俺たちは作れる、ってことを証明しようとしたんだよ」

 経理の錫木が説明した。

「それはコストがかかりすぎるし、そもそも需要がないって、俺が止めたんだ。三十年前にね」

 鉄塚は、冷たくて熱いその塊に触れた。

「一度死んだ命をこの子に助けられた。……俺は、こいつを羽化させたい。こんな常識外の部品を作れる所があるって分ったら、この工場を閉めずに済むかも知れない」

 皆は無言だった。

「ごめん。やっぱ俺の我儘だな。皆の就職先を考えなきゃ」

「まいったなあ」と、最初に錫木が頭をかいて言った。

「それ削り出すドリルがないじゃんよ。ドリル作るところからはじめなきゃいけないなあ」

 横にいたおのが言った。

「冷却はどうすんの? ドリルがすぐ熱でへたるだろ。今より大きい冷却システム作らなきゃ。こりゃまいったよ」

 その横の銅島どうじまが言った。

「まいったなあ。じゃ今のクレーンじゃ足りないじゃん。耐重量のこと考えてから言ってよね。大きいクレーンの仕組みから作らなきゃ」

 その横の鍬田くわたが言った。

「せん断応力とか、引っ張り応力とか計算してるんだろうね? まいったなあ。その計器、一から作らなきゃいけないじゃないか」

「なんだ、作るものが一杯あって、それじゃ無理じゃないか」と鉄塚はあきらめた。

 だが、社員の目は、「まいったなあ」と言う言葉とは裏腹に、きらきらしはじめていたのである。無言だったのは、技術者らしく頭の中で計算をしていたからだ。

「作ることが嫌いな奴が、ここにいる訳ないだろうが!」と錫木は鉄塚の肩を張った。

 皆が笑顔で言った。

「まいったなあ。一から作らなきゃ」

「お前ら、やめてくれよ。この会社は潰れるんだぞ」

錫木が笑顔の皆に釘をさす。

「お前ら、一ヶ月以内にやるんだぞ! それで潰れるんだからなこの会社!」

 刃山が胸を張って言い返す。

「納期二日前までに、仕上げてみせますよ」


    4


 それからの一ヶ月、鉄塚部品工業は、ほんとうの「工房」だった。皆の工夫で、皆の知恵で、ひとつのものに向けてひとつだった。みんなケンカして、みんな仲直りしてビールを飲んだ。

 前代未聞の大きさと強度を持つ、キャタピラの関節部の部品。それがどんな用途かは分からないけれど、他の誰にも作れないものだけは確かだった。

「俺の仕事はさ、こいつを売り込む先を見つけることでもあるからさ」

 鉄塚はツナギをスーツに着替え、知り合いの知り合いを一から手繰っていくことにした。

「科学は進歩の為にある。より大きく、より速く、より強く。最近、そういうこと忘れてたよね」

「進歩?」

「つまり、のびのびすることさ」



 ある朝新聞を読んでいた、父ハジメの、一面の記事を見てシンイチは飛びついた。

「鉄塚社長だ!」

 一面に鉄塚社長の写真が載っていたのだ。

「大田区の町工場に、NASAの受注」とそれは報じていた。

 ハジメは記事の写真をシンイチに見せた。

「すげえ。こんなキャタピラ、ホントにあるんだね!」

 ロケットやスペースシャトルの土台になる、巨大な発射台。その発射台の移動用に、ビル三階分もの巨大キャタピラがついていた。

「これかあ……」とシンイチはうっとりしたため息をついた。

「このデッカイキャタピラにふさわしい強度の部品を作れるのは、日本のものづくりの技術なんだってさ」とハジメは解説を加えた。

「良かった! 焼きそばパンのウマさを分かってくれる人がいたんだ!」

「?」

 ハジメは話がつかめないまま、次の記事を見ようと新聞のページをめくる。

「ちょっと待って!」とシンイチはそれを止めた。

 もうひとつ、知った名前を新聞に見つけたからだ。

「サイナスエンジニアリングサービス企業再生法申請の見通し、多発する欠陥部品が原因か」

「ちょっと行ってくる!」


 シンイチは鉄塚部品工業を訪ねた。マスコミ陣が取材に押し寄せ、鉄塚社長は対応で大忙しだ。

 その奥では、刃山が長男の名前を「奈砂ナサ」か「焼蕎麦やきそばパン」にすると譲らず、みんなが反対していた。

 シンイチは鉄塚社長とみんなに手を振り、一本高下駄でサイナス社に跳んだ。


 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

 サイナス社上空に、大量の妖怪「キックバック」が浮遊しているのを見つけた。倒産でキックバックどころではなくなったのだろう。その数、十や二十ではない。さながら桜の花びらが散るごとしだ。

「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 烈! 在! 前! 不動金縛りの術! エイ!」

 シンイチは火の剣を抜き、左手の掌を妖怪たちに向けた。

「ねじる力!」

 大量の「キックバック」を渦に巻き、逃げられなくする作戦だ。大量の「なかまはずれ」にも使ったやり方だ。いちいち「つらぬく力」で串刺しにする手間が省ける。

「火よ在れ!」

 これだけの数の妖怪を、全てまっすぐ斬れるだろうか。いや、迷っていてはダメだ。まっすぐ。ただまっすぐにだ。切先の欠けた黒い短剣から、天狗の炎が吹き上がる。

 だが、「なかまはずれ」や「別人格」と違ったのは、「キックバック」は足の形をしていたことだ。奴らはシンイチに向かって体当たりしてきた。つまり、蹴ってきた。

「いてっ! くそお! 数多すぎ!」

 蹴ってきた足をカウンターで斬り伏せる。一匹、二匹、三匹。炎がそれを包む。これは鉄塚社長たちの味わった心の痛みだと思えば、妖怪たちを一刀両断する剣にも力が入った。だが大量の蹴りがシンイチを襲う。脛。頸。腹。背中。

「ちきしょう、いてえよ!」

 特大のキックバックが蹴ってきた。当たれば骨も折れかねない。

「シンイチ! 天狗風じゃ!」とネムカケが叫んだ。

「そっか! 天狗風!」

 襲い来る「キックバック」たちを、葉団扇ではじき飛ばした。距離を作って、彼らの懐に飛び込む。

 二十、三十、五十、百。「キックバック」は次々と炎の柱になり、清めの塩になった。百、百五十、二百を超え、ついに最後の一匹となった。その一瞬の安心が、シンイチに油断を与えた。斬り続けて握力が信頼できなくなり、右手が強張ったせいもあるかも知れない。剣にやわらかく力を伝えることが、心でも、肉体でも、その刹那出来なかった。

「シンイチ!」

 わずかな異変を察知したネムカケが警告した。しかし太刀は既に走っていた。

 がきん。

 嫌な音がした。

「……!」

 心が乱れた。集中力が足りなかった。言い訳はあとからならいくらでも出来る。シンイチは、力の入らない右手を見た。

 小鴉の黒い刃が、根元からなかった。

 砕けた黒い刀身は、数メートル先に冷たく横たわっていた。

 キックバックの最後の一匹は燃え続け、ぼふうと音を立てて塩と崩れた。


 平和は戻った。折れた天狗の小太刀、小鴉を除いては。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る