第24話 「ホームレス」 妖怪「ここじゃないどこか」登場



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     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



「なにも、俺だって最初からホームレスだったわけじゃないさ」

 その男は、アルミ缶を集める大八車に座り、身の上話をはじめた。


 肌は垢で汚れ、重ねて着た服はぼろぼろで黒い染みが酷く、髪も髭も伸び放題で白髪が混じり、三十代とは思えないほど老けている。皮膚はひび割れ、もはや老人のようだ。当然のことながら、すえた臭いが漂う。

「会社を辞めて転職したんだ。そこがはじまりだったのかな」

 シンイチははじめからその話を聞くことにした。そのホームレスの肩には、妖怪「ここじゃないどこか」が巣食っていた。空色の体をしていて、シンイチも宿主も見ず、ただ遠くの空を見つめていた。


 その男、空知そらち隅也すみやはもともと会社員だった。毎日つまらない仕事を押し付けられ、誰でも代わりの利く仕事で、将来も不透明なまま日々疑問を抱えていた。

「俺のいるべき場所は、本当にここだろうか?」が、新入社員のときからの空知の口癖だった。

 勿論、新入社員の頃は雑用でも何でもするべきだという心構えは普通に持っていたし、三年ぐらい下積みが続くだろうことは社会の常識として知ってはいた。だが五年経っても、この疑問は空知の頭から離れなかった。

 仕事はそれなりにこなせたし、人から感謝されることも覚えた。それなりに会社のシステムの中で自由に泳いでいるような気はしていた。ただし「その枠で」という限定つきの話だ。空知は毎日思っていた。「俺が本当にいるべき場所は、ここじゃない」と。

 昔からその違和感は感じていた。故郷の新潟を出て、東京の大学に入学し、その頃にバイクで日本を一周した。ここじゃないどこかに、自分の居場所があるかも知れないと思ったからだ。しかし全部の県を見て回っても、ここだと思える場所は見つからなかった。どの場所も、常に違和感がつきまとっていた。

 大学を休学し、ユーラシア大陸をバイクで横断した。シルクロードを逆に辿ってみる冒険だ。半年以上かかった。荒野、谷、辺境の村、都市、田舎、色々な国の色々な文化を見た。色々な飯を食い、色々な人と出会った。どの土地でも自分は異邦人だった。落ち着く場所はひとつもなかった。旅先で仲良くなった人もいて、その後手紙のやり取りもしたが、彼らの地に永住したいと思ったことはない。つまり、ここは俺のいるべき場所じゃない。


 たとえば人には、デ・ジャ・ヴというものがあるという。一度も行った事のない、全く知らない筈の土地なのに、何故だか涙が止まらず、ものすごく懐かしく、通りや建物に全て愛着が溢れるという。それは前世でその場所に住んでいたからだ、という説がある。空知は、そんな土地がどこかにあると信じている。俺の本来いるべき場所は、そこなのだと。

 「人類は火星から移住してきたのだ。何故なら人の体内時計は二十五時間周期で、それは火星の一日に等しいからである」というSF的な説を聞いて、NASAの宇宙飛行士になろうともした。オランダの民間会社が募集した「マーズワン」(百人規模の火星移住計画。ただし片道切符で地球には帰って来れない)にも応募した。俺がいるべき場所が地球じゃなく火星で、その土地に降り立った瞬間にデ・ジャ・ヴで涙が溢れるのなら、地球に戻る必要はないとすら考えた。


「遊牧民の血でも入ってるんじゃないの?」と、シンイチは話を聞きながら冗談交じりに言ってみた。

「ははは。俺が会社を辞めて次に入った会社の働き方が、その遊牧民ノマドスタイルって奴でさ」

「ノマド?」


 最初の会社を辞め、次に入った会社はIT系で、プログラムコードをつくればOKの仕事だった。フリーアドレスといって、会社に自席はなく、大きな机の「どこに座って仕事をしてもよい」というスタイルだった。たしかにノートパソコン一台あれば、どこでも仕事は出来る。「遊牧民ノマド族」といって、カフェでノートパソコンを広げている人たちが、東京には必ずいる。


「ええー。学校行って自分の席がなかったりしたら、ちょっと不安だよ」とシンイチは素直に感想をのべた。

「人は場所に縛られすぎている、と考えるのさ。ネットの発達でそれが可能になった。でもそれは逆に、常に『ここじゃないどこか』を心の中に抱えるってことじゃないかなあ。つまり、安住の地がないってことなんだから」

「学校の席がオレの安住の地?」

「少なくとも俺にとっての安住の地は、会社の席じゃなかったってこと」


 遊牧民ノマドスタイルを続けるうちに、別に会社員である必要もないと空知は思った。自然と、フリーランスを考える。仕事単位契約で業界の海を泳ぐ傭兵。仕事があればどこかから集められ、仕事が終われば解散してどこかへ消える。そうやって流れていれば安住の地がみつかるだろう、と彼は思っていた。どうせ、ここじゃないどこかへ行くのだから。

 ある日アパートの契約更新の書類が来た。二年ごと更新だ。更新しなかったらどうなるのだろう、と空知はふと思った。

「どうなるの?」

「住む家が無くなるってことさ。つまり、ホームレス。ここじゃないんなら、どこに居ても同じだなって思ったのさ。かつて俳優の天本英世が、『思想的ホームレス』人生を選んだって話を聞いてさ。そうなろうと思ったんだ。場所に依存しない、真の遊牧民ノマド。楽しそうじゃないか。ノートパソコン一台あればなんとかなるって思って、全財産まとめて、俺はほんとうの遊牧民ノマドになったんだ」

「なんかカッコイイ。小此木おこのぎさんってピエロの人がね、そうやってヨーロッパを放浪してたんだって!」

「でもなあ。ホームレスの世界は、真の自由世界でもなんでもなかったのさ」

「どういうこと?」


 最初の数日は、空知は真の自由を味わった。好きな所で仕事をし、好きな所で飯を食い、好きな所で寝て、好きな所へ移った。全財産はカードだし、どこででも仕事は出来るから金の心配もない。

 だがそれは、晴れていたから良かったのだ。

 四日目の夜、雨が降った。


「屋根のある場所は、先輩ホームレスのものなんだ」と空知は解説した。

「先輩?」

「ホームレスの世界には、ホームレス同士の先輩後輩の関係がある。その公園で一番長い人が、一番いい屋根のある寝床を使える。その次の人が次にいい寝床だ。新入りの俺が、いい寝床を使える筈がないんだ。俺はそのしきたりを知らなかったんだな」

「それでどうしたの?」

「その日は濡れたまま夜を明かした。パソコン濡らす訳にいかないし、パソコン守ってずっと起きてた。ところが次の日も、次の日も雨でね。三日目に我慢できなくなって、勝手に屋根のあるところ先に取って、早いもん勝ちって言おうと思ったのさ。ところが」

「ところが?」

「それまで満足に寝てなかったから、ついウトウトと寝ちまったんだ。起きたときは、パソコンもカードもケータイも、全財産が無くなってた」

「盗まれたの? 先輩ホームレスの仕業?」

「ボスか、先輩全員か。だって全員その日から消えたからね。……ホームレスにはホームレスの社会とルールがある。自由で、なんでもありなんかじゃないんだ。その日から俺は手に何も持たないまま、一からホームレス社会に少しずつ馴染んで、ようやくアルミ缶回収の仕事を任される地位にのぼりつめたのさ」

「友達とか前の会社に頼んで、お金とか貸してもらえば良かったのに!」

「その頃すっかり俺はノマドで、誰も友達なんていなくてねえ。……友達ってのは、いつも同じ場所にいるから出来るのかも知れないね」

 空知の肩で遠くを見たままの心の闇「ここじゃないどこか」は、鮮やかな青空の色だ。希望の色、とでも言えば良いのか。真っ黒に汚れた空知とは、対照的な色合いだった。彼は「ここじゃないどこか」の理想郷を心に持つことで、彼の矜持を保ってきたのだろうか。

「俺はいつから妖怪に取り憑かれたのかね。会社を辞めたとき? 学生のとき? 東京に出てきたとき? それともずっと前からかね。でも、人間って常に『ここじゃないどこか』を目指すことで、世界を開拓してきたんじゃないのか?」

「そうかも知れないけどさ……今、幸せ?」

 空知は考えた。公園を見渡し、アルミ缶を乗せた大八車を見た。

「ここじゃないと思うよ。俺の居るべき場所は」


 東京にいるホームレスの大半は、地方出身者なのだそうだ。彼らは「一旗あげるまで地元に帰る訳にいかない」と思うがゆえにホームレスとなって、東京から出られなくなるのだという。ネムカケと見たテレビで、そんなことをシンイチは知っていた。

 そんなさまよえる人々は、みんなサーカス団をやればいいのに、とシンイチは先日の火吹き男をはじめとする芸術村の人々を思い出す。

「実家に電話してみなよ。お母さんに電話した?」

「ずっと音信普通の親不孝者だし、縁は切られたよ」

「どうして?」

「俺の実家は、小さな羊羹屋なんだ。その跡を継ぐのが嫌で、俺は東京に出てきたんだ。その時に親父に縁は切られた」

「でも、生きてるか死んでるかぐらい電話したほうがいいと思うよ。十円貸すから、生きてるって電話ぐらいしなよ」

 シンイチはポケットから十円玉を出した。空知はしぶしぶ、どんづまりからの希望にすがった。

「……金貸してくれ、とでも電話してみるか」

 空知は新潟の実家、空知羊羹店に電話をした。久しぶりに聞いた母の声は、意外なことを言い始めた。

「うちの羊羹屋を、閉めようと思う」と。


    2


「……新潟までの旅費は持ってないよな? 子供にこんなこと聞くのもあれだけど」

「持ってないけど、銭湯代とコインランドリー代くらいは持ってるよ! あとは天狗の術で飛べるし!」

「天狗の術?」

 シンイチは腰のひょうたんから天狗の面と、一本高下駄を取り出し身に着けた。

「こんな感じ!」

 ぐいっと溜めて、びよんと飛んだ。小天狗はたちまち空の高さまで飛び上がった。白い雲をつきぬけた。飛行機の乗客は「天狗が飛んでる!」と指差した。天狗面のシンイチは、途中でくるっと回り、すとんと着地を華麗に決めた。

「えええっ何今の!」

「新潟は行った事ないけど、地図見ながらなら行けると思うよ!」

 シンイチは天狗の面を外して笑った。


 空知はコインランドリーで服を洗い、銭湯で体を奇麗にした。服はよれよれだが、石鹸の香りは匂い立つ。

「……まあ、よれよれの方が同情は引きやすいか」

 シンイチは天狗の面を被り、住所不定職業アルミ缶回収の空知を連れて、「跳梁ちょうりょうの力」で新潟の空知羊羹店まで飛んだ。


 休耕田ばかりの片田舎の街道沿いに、何軒かの小さな店が、お互い寄りかかるように佇んでいる。瓦屋根はたわみ、柱も棟も少しずつ傾いて、垂直水平がどこにもないような長屋と化している。「創業文久二年」(一八六二)の江戸時代のはげた文字の看板を掲げる空知羊羹店は、その二軒目だ。

 空知は物陰から、その小さな店を眺めた。

「ちっとも俺が出て行った頃から変わってねえや。むしろ経年劣化してやがる」

 と、店の中に意外な人影がいた。

「……誰だよあいつ?」

 金髪で青い目の白人が割烹着を着て、店子として座っていたのである。

「イラッシャイマセ」と、その外人は古いタイル地の棚を磨く手を止め、丁寧に空知にお辞儀した。

 空知は大声をあげ、奥の居間へ乗り込んだ。

「母さん! 誰だよあの外人!」

 ガラリと襖をあけると、寝たきりの父と、看病する母がいた。

「おかえり」と、父の隅之助すみのすけは弱々しく言った。

「誰だよ!」と、空知はその光景に怯むことなく質問を変えない。

「ジェイムスだよ。ジェイムス・クラツキーさんだよ」と隅之助は答えた。

「だから誰? 何でウチの店に?」

 母の元子もとこは説明する。

「ジェイムスはウチの店を継いでくれるというんだよ。だから空知の屋号も、父さんの代で終わりにしようかと」

「……なんだって?」

 隅之助が弱々しく言う。

「元々羊羹屋なんてそんな売れるもんじゃなし、地味な商売だよ。お前が出て行く時にわしに言った言葉は、正しかった。羊羹なんて流行んない、意味ないって言ったよな」

「……何あいつ? 羊羹つくれんの?」

「京都で三年、和菓子を修行したそうだ」

「……三年ぽっちじゃ、全然足りねえだろ」

 空知はつかつかと店先に戻り、ジェイムスに言った。

「味見させて」

 ジェイムスは笑って、試食用のものを爪楊枝にさしてくれた。

 空知の食べたそれは、コンビニの、保存料やら着色料やらたっぷりの、百円の羊羹よりも不味いものだった。

「これでいいのかよ」と空知は振り返って隅之助に詰問した。

「ここで誰も羊羹をつくる人がいなくなるより、いいじゃないか」と、隅之助は弱々しく笑う。

「それでウチを閉めて、この羊羹に譲るのかよ」

「……他に誰がいるんだ? いるだけ、有難いじゃあないか」

「……ちょっと厨房貸して」

 と空知は言い、腕まくりをした。


 子供の頃、この厨房を覗き見するのが好きだった。父が熱心に羊羹をつくる背中を、早起きしてずっと見ていた。母が笑顔で店先に立つのも、誇りに思っていた。作り方なんて習っていなくても、段取りはずっと見ていた。なにより、味を忘れるわけがない。

 小豆の仕込みからして間違ってる。材料の仕入先が同じでも、ふかし方からあの外人は間違ってる。砂糖や塩の配分だって全然違う。羊羹ってのは、鼻血が出そうに甘ったるい中に、ほんの少しの塩がいるもんだろうが。

「俺が毎日食べて飽き飽きしてた味は、もう嫌だと思ってた味は、これじゃなくて他の何かがいいと思ってた味は、こうだろうが」

 空知は、出来上がった羊羹を突き出した。

 隅之助は、一口食べて、涙を流し始めた。

「何でお前、出て行ったんだ。これだけウチの味をつくれるのに」

 空知は言葉に詰まった。ここじゃないどこか。ここじゃないどこか。どこからどう説明していいか分らなかった。

 軒先に吊るされた、金属製の風鈴がちりんと鳴った。空知は驚いて母に尋ねた。

「あれは、俺が子供の頃の祭りで、駄々こねまくって買って貰ったやつ。そんなの何でまだ置いてあるの?」

「お前があれだけ欲しいと言ったものを、捨てる理由はないでしょう」と母は答えた。

 エルドラド、ユートピア、桃源郷、約束の地カナン。空知はずっと探していた。自分が居るべき場所。日本中を見た。ユーラシア大陸も見た。NASAに行こうともしたし、火星にまで行こうとした。

 空知は古くて小さくて、少し傾いた店を見渡した。

「親父。ジェイムスには俺が教える。この店は、出来れば俺が継ぎたい。……俺が出てったのは、ここが一番だって知る為だったのかも知れない」

 そう言って、羊羹を齧った。

「ここが、俺のホームだった」

 こうして、空知の「ここじゃないどこか」は遊離した。


「不動金縛り!」

 行く末を見守っていたシンイチは、腰のひょうたんから火の剣を出した。

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「火の剣! 小鴉!」

 小鴉を朱鞘から抜き火の禁を解くと、黒曜石の刀身から炎が溢れ出した。全てを浄化する、それは天狗の火の力である。

「一刀両断! ドントハレ!」

 妖怪「ここじゃないどこか」は、ここじゃないどこかの空を見たまま、小鴉に真っ二つにされて真っ白な塩になり、バラバラと床に崩れ落ちた。



 かくして、季節の折々に、新潟の空知羊羹店から高畑家に、空知のつくった伝統の羊羹と、ジェイムスのつくったカスタード羊羹の二本が、届くことになった。

 羊羹を愛してやまないネムカケは、渋い茶とともに味わいながら、「銭湯代が高級羊羹に化けた」と大喜びだ。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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