第23話 「ほんとうの主役」 妖怪「センター」登場



    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 てんぐ探偵の協力者、担任の内村うちむら先生から「依頼」がやってきた。

「どうも先輩の様子がおかしいって話だ。『心の闇』みたいな異常さだ」

 先日、妖怪「横文字」が婚約者に取り憑いた一件の、江島えじま紀子のりこ(旧姓・蓑笠みのかさ)からの依頼だった。

 放課後サッカー中だったシンイチは、内村先生に呼び出され校舎裏で話を聞いていた。

「……自分が話題の中心にならないと、気が済まないってこと?」

 シンイチは内村の話をざっくり要約した。

「そういうことだな」

 内村先生はそう言い、懐から写真を沢山出した。そのうちアナログ写真だけを分けて見せた。妖怪はデジタルには写らず、アナログ写真には写る。

「この女性は、いつも真ん中に写りたがる」

 シンイチは、写真の真ん中でダブルピースしている女性、田崎たさき敦子あつこを見た。

「妖怪『センター』だ」

 彼女に取り憑いたその妖怪は、戦隊もののレッドのような分りやすい赤色で、顔のパーツが中心に寄っており、醜く笑っていた。

「意地でも真ん中に集まりたいって顔をしてるよね、こいつ」

 シンイチは妖怪をそう評した。


 依頼人、江島の話によれば、彼女は会社の四年先輩。三十一歳の独身で彼氏もいないそうだ。毎回毎回「どうしても自分を中心にする」異常行動を取るのだという。

 写真を撮られるときは、必ず真ん中に収まるようにする。フレームをずらしても常にセンターに来て笑顔をつくる為、シャッターを切らざるを得ない。他の人にレンズを向けてるときもフレームの中に入ってくる。もちろんセンターに陣取って。

 写真だけではない。女子のおしゃべりに割り込んできて、全部自分の話にしてしまうのだそうだ。社員旅行の行き先の話をしているときに割り込んできて、バリ島は良かったとか、エーゲ海のサントリーニ島は良かったとか。「今社員旅行の話なんだけど」と釘を刺しても「私の話のほうが大事よ」と悪びれもしない。

 今日どこに飲みに行こうかという話にも、彼氏に連れてってもらった店の自慢話。仕事で分からないことがあるんですが、と質問した後輩には私はこうしたと自慢話。合コンでは話題の中心にいないと機嫌が悪い。全部、自分。注目して欲しいのは、自分。結論も、自分、自分、自分。自己顕示欲の醜い肥大化こそが、妖怪「センター」の取り憑く、心の隙間となったに違いない。


「自分が真ん中、って病気だね」

 シンイチは評し、内村先生は答えた。

「そうだな。『人生の主役は自分自身だ』とは言うものの、集団の中で誰が主役か、ということとはまた別の話だよなあ」

 シンイチは再び敦子の写真を眺めた。服も派手でメイクも派手、光り物もたっぷりで、目立つことが第一の感じだ。

「一回、脇役をやらせてみればいいんじゃないかな?」

 シンイチは思いつきを言ってみた。

「?」

「たとえば学芸会とかはさ、主役だけじゃなくて、脇役とか色々な人たちがひとつの目的に向かって進むじゃん。サッカーでもそうだけど。脇役をやらせて、その大事さを体験するとかはどうだろ」

 内村先生は膝を打った。

「今俺も、それを言おうと思ってたんだよ!」

「先生いつも後出しじゃん!」とシンイチは苦笑いした。

「そんなことない。これでも俺なりに色々考えていたんだよ! そういえば大学の同期に、劇団やってる奴がいてさ。協力できないか頼んでみる」

「よし、てんぐ探偵出動!」



 東京の吉祥寺きちじょうじという町は、新宿から快速で十五分、普通で二十分の、郊外の町のひとつである。内村先生の大学の同期、道場みちば要一よういちなる人物が立ち上げた劇団「火男ひょっとこ」は、普段は下北沢を中心に活動する劇団だが、稽古や基礎練習は吉祥寺が拠点だ。そこに、潰れたストリップ小屋「夢のパラダイス」があるからだ。戦後すぐの、いつ崩れてもおかしくない廃墟同然の建物なのだが、かつてキャバレーだったため、ステージと客席がしっかり残されているのだ。客席の椅子などは腐って崩れそうだが、ステージは良い杉板を使っていてまだまだ現役だ。

 薄暗い裏道を通って、シンイチと内村先生に連れられた、妖怪「センター」の取り憑いた田崎敦子は、この茶番劇のようなものに戸惑っていた。

「私はまだ納得してないわよ。脇役を演じたらこの肩の妖怪が外れるなんて」

 シンイチは立ち止まって言った。

「オレも確信してる訳じゃないよ。でもそいつは放っておくとどんどん膨れ上がって、いずれあなたを取り殺す。そうなる前に、フツーに戻らなくちゃ」

「普通って何よ! 私の人生の主役は私でしょう? 他の誰でもなく! 私が私の話をするのが何故悪いの?」

 錆びた鉄扉の前に来た。建物は古く、ピンク色の壁も色褪せて黒カビで煤けており、周囲は立ち入り禁止のロープや鎖が張ってある。ここが密かに劇団の稽古場になってると知らされていなければ、近づくのさえためらわれる幽霊廃墟だ。

「まあ、何事も体験だよ」と内村先生はなだめた。

 ぎぎぎ、と扉を開け、一行は真っ暗の劇場空間に入り目を凝らした。

「やあ、いらっしゃい」

 中にいた劇団の主催者、道場が彼らを出迎えた。


    2


 劇団には内村先生から話を通してあった。「『主役じゃないとダメな精神の病』を抱えた患者が来るから、主役じゃない役の大事さを教えてあげてくれ」と。次回公演の予定がない自主練習中の劇団は快諾した。いい暇つぶしの刺激になるし、劇とは何かを知ってもらういい機会になると全員思ったからである。

「台本は読んできた?」と、道場はにこにこと敦子に尋ねた。

「はい」と敦子は、事前に渡されていたそれを出した。


 「オデットとロクサーヌ」と題されたこの台本は、道場が何年か前に書いて上演した、バレエオペラである。第二次大戦下のフランスとドイツを舞台にした、運命の激動を描いた大河物語。この劇団は、爆笑舞台もやれば、不条理小劇もやれば、レビュウのある大作ミュージカルもやる。それは道場がバラエティー豊かな才能を爆発させているからだ。今はあまり知られていないが、必ず皆の目に止まると、内村は道場の才能を激賞している。

 暗闇に目が慣れてくると、奥に、思い思いの場所でストレッチをしている十名ほどの劇団員がいることが分かった。

「台詞は台本見ながらでいいから。じゃあみんな集まってくれ!」と道場は場を仕切った。

 役者とスタッフが、闇の中から現れるように集まる。

「よろしく。今日は楽しんでいってね」と、一番小柄でメガネの小峰こみねちゃんがスタッフを代表して敦子に挨拶した。

「じゃあ一幕をやってみようか。敦子さんはデュプレー役をやってみて」と、道場は指示を出し、拍手をパンとひとつ打った。


 「オデットとロクサーヌ」は、孤児院生まれのオデットと、屋敷育ちの貴族の娘、悪女ロクサーヌの、二人の女の数奇な運命を描く。子供の頃に出会い、ロクサーヌの婚約者ピエリを巡って、舞台はフランスからピレネー山脈を越え、ドイツの名も無き片田舎へ。二人の女は、最後には身分を捨て、ただの踊り子となって年老いてゆく。二人の女を繋ぐものはたったひとつ。バレエである。はじめて二人が屋敷の中庭で出会ったとき、幼オデットは、幼ロクサーヌのバレエに心奪われた。逆に孤独なお嬢様だったロクサーヌは、メイドの下女オデットにバレエを教えることで、代わりに友達になって貰ったのだ。


 道場が指示した一幕は、二人の幼少期、屋敷の中庭での出会いシーンだ。美しい花の咲き乱れる理想郷のような中庭で、幼オデットと幼ロクサーヌは出会う。これからはじまる激動の運命の、静かな静かな立ち上がりである。

 敦子に与えられた役デュプレーとは、屋敷のメイド長であり、幼オデットの教育役。屋敷に連れて来られた幼オデットはデュプレーの目を盗み、好奇心のまま中庭を探検しに行く。



   屋敷、中庭


       上手かみてからデュプレー(42)が登場、台詞とともに下手しもてに去る。

デュプレー「オデット! オデットや! 全くどこに行ってしまったんだい! 私

 をただのオバサンだと思って舐めてやしないかい! この屋敷のメイド二十五人

 を束ねる、恐いオバサンだよ! 見つけたらきつくお仕置きをしてやる! 冷た

 い水をしぼって、長い廊下を拭き終わるまで寝れない刑さ! いや、もし大人し

 く出てくるなら、今なら特別にお咎めなしにしてやるよ! オデット! オデッ

 ト! どこなの!」

       草むらの奥から、幼オデット(8)が顔を見せる。

幼オデット「見つかってたまるもんですか! だってこのお屋敷、とっても庭が広

 いんですもの! しかも珍しい花が一杯! きっと外国の花よ! ガラス張りの

 温室も覗いてみたい!」

       そこへ幼ロクサーヌ(8)が、上手からバレエの練習をしながら

       登場。

幼ロクサーヌ「アン・ドゥ・トロワ、アン・ドゥ・トロワ、アン・ドゥ・トロワ

 ……」

       草むらから出てきた幼オデット。

       シェネ(ターンしながらのジャンプ)を続ける幼ロクサーヌ。

       二人は運命の出会いを……

デュプレー「ここにいたのねオデット! もう許しませんよ!」

幼オデット、ロクサーヌ「?????」

デュプレー「首根っこをひっつかんで、メイドルームへ連れてってやる! お仕置

 きをたっぷりするから覚悟おし! 私の国ではね、冷たいシャワーを浴びさせ

 て、裸で庭に放り出すのよ! 誰が考えたと思う? ワ・タ・シ!」


「ちょっとちょっとちょっと!」と道場は芝居を止めた。

「運命の出会いを止めちゃダメでしょ! ていうか、今の台詞アドリブで考えたの?」

「いや、なんとなく出てきたので……」と、敦子は舞台の真ん中に立ったまま答えた。

「ここでオデットはロクサーヌのバレエの美しさに心奪われて、これが生涯彼女の支えになるんだからさ、困るよ邪魔されちゃ!」

 敦子は悪びれもせず答えた。

「だってオデットを見つけてしまったんですもの」

「そりゃ下手からキミが消えず、真ん中に残ってるからだよ!」

「だって出番がすぐ終わりなんですもの。それじゃ詰まらないわ」

「それがデュプレーの役割だろ? この役は、幕が上がったばかりの不安定な客との、大事な第一次接触点なんだ。怒ってる台詞は彼女の言葉でありながら、主人公オデットの性格やここがどこかを言い表す、状況設定だ。きみは状況を設定したらすみやかに退場し、観客の焦点のバトンを、主役のオデットに渡さなきゃならんのだ」

「だって、出番がすぐ終わりなんですもの」

「……今の説明、聞いてた?」

 道場はあきれて、引率者の内村とシンイチに肩をすくめて見せた。

「そもそも、台詞を言う立ち位置が違うだろ?」

「出番がすぐ終わりなんて嫌よ。私は真ん中でスポットライトを浴びたいの」

「どうして?」

「私が中心でいたいから」

「……えっと、その病気を治すために、今日は脇役の経験をしに来たんだよね?」

「でも、体と心が勝手に動くのよ」

「……それは、かなりの重症だね」

 内村先生は思わず敦子をフォローして、道場に言った。

「もう一度やってみてくれないか。一回で成功するなら、わざわざここまで来ないよ」

「うむ。それもそうだな」

 道場はこころよくテイク2に入ることにした。幼オデット役の女優も幼ロクサーヌ役の女優も(本番では子役だが、今は大人の俳優が演じている)戸惑っていた。脇役と主役の連携について、一通り講釈を垂れようと思っていたからだ。

「じゃもう一度」と、道場はパンと拍手をうつ。


 しかし敦子はアドリブを変えて、またも舞台の中心でしゃべりだした。

 三回目、四回目。全てデュプレーの独り舞台になり、オデットとロクサーヌの運命の出会いはいつまでたっても果たされない。

「しかしよく毎回台詞変えてくるな。どうしても主役になりたい、頭の回転のほうがすごいよ」

 道場は舌を巻き、考えを変えた。

「二幕にしよう。台詞のないエキストラの立場から、芝居の流れというものを見たまえ」


 一幕で出会った二人は、バレエを通じて「親友」となる。これは偽りの友情だ。親友だと思っていたのはオデットだけで、悪女ロクサーヌはよい下僕が出来たと思っていただけだ。だが二人には共通点があった。互いに孤独だったことである。

 十五になった二人に、運命の舞踏会がやってくる。貴族の王子、ピエリが屋敷に招かれるのである。美しい貌立ちのピエリは、親が決めたロクサーヌの許婚であり、舞踏会で初めて会うことになっていた。しかし皮肉にも彼が心奪われたのは、着飾った黒いドレスのロクサーヌではなく、薄汚れた白いメイド服の、生花を運ぶオデットだったのだ。


「ではその舞踏会のシーンを」

 軽快な音楽ワルツに合わせて、招待された貴族たちは優雅に踊る。敦子はその中の一人の役だ。全体が時計回りに回る、ひとつの流れのように振付けられる。そのうち、上手からピエリが登場する。下手にはロクサーヌ。踊る貴族たちは彼らの間に導線を開けなければならない。ランダムに踊る群衆でありながら、ひとつの意思を持つ瞬間だ。その偶然あいた運命の道を通り、ロクサーヌはピエリの元へ歩いてゆく段取りだ。

 が、何度やっても敦子はステージの真ん中に居残り、自分をアピールしようとする。

「これは君の為のお芝居じゃない。分かってるのか?」と、流石に演出の道場もイライラしてきた。

「分かってるわよ! でも体が私の意志に反して動くのよ! どうしようもないの!」

 彼女自身もイライラしてきた。彼女の妖怪「センター」は、その度に怒りや不満を溜めこんで膨れ上がるように見えた。

「あのさ。キャストじゃなくて、スタッフをやらせてみたら?」と、客席で見ていたシンイチは言った。

「劇は、出演者だけで出来上がるものじゃないじゃん」

「ほほう。……君、子供なのに良く理解しているね」と道場は感心した。

「へへへ。実は学芸会とか大好きなんだオレ!」

 先程からシンイチは、リアルなプロの芝居の練習を見て、楽しくて仕方がなかったのである。ネムカケが根っからの文楽好きなのと同様、シンイチも芝居好きの素養があるらしい。ネムカケを連れてきたら喜んだかな。でもネムカケは居眠りの真っ最中だったから、今日は置いてきたんだった。

「舞台全体を俯瞰して見る視座も重要だ。客観性ってことだ」

 先刻挨拶したメガネの小峰ちゃんが、客席後方のPA(音響システム)の後ろからひょっこりと顔を出した。

「音楽出しやフェーダー(音量の調節)ぐらいなら出来るんじゃない?」

「よし、やってみよう」


 ところが、敦子は音楽操作も滅茶苦茶だった。「音楽に合わせて皆が踊る」ということを理解したのか、音楽のペースを落としたり、突然止めたり、別の曲をかけはじめた。音楽で舞台が「操作」できると思いこんだのだろう。

「ちょっといい加減にしてよ! 全体を見渡して、部分と全体の関係を分かってもらう為にやらせてるのよ?」

 と小峰は怒ったが、敦子は悪びれもせずに答えた。

「音楽がセンターって、こういうことよね?」

 小峰は頭を抱えた。

「オイ、今度は照明部をやってみろよ」と、高い階から照明係が声をかけた。

「俺たちは舞台を正面から見ることは出来ない。にも関わらず、正面から見た舞台を想像しながら光をつくっていくのが仕事だ。つまり、全体と部分を頭の中に構築しなきゃ出来ねえんだ」

 だが案の定、主光副光のバランスを考えないどころか、彼女のスポットライトは滅茶苦茶な所を照らし、挙句の果てに、本来スポットを当てない所へスポットを当て始めた。

「面白いわこれ! スポットを当てるところで、ストーリーがまるで変わる!」

 と敦子ははしゃいだ。

「チクショウ、こうなったら『じゃオマエが演出しろよ!』って演出の座を譲ってみるか……」

 道場がそう観念した頃、遅れてやって来た「主役エトワール」が名乗りをあげた。

「まったく、素人一人に振り回されてんじゃないわよ」

 劇団の看板女優、悪女ロクサーヌ役を演じた麻木あさぎ美枝みえという役者だった。


    3


「オイ遅刻だろ」と道場は麻木に言った。

「ごめんごめん。ちょいとバイトが残業でさ」と麻木はストレッチをはじめた。バレエの五つの足のポジションポジシオン・デ・ピエを取り、筋を暖めはじめながら、「あなた、バレエの経験は?」と敦子に尋ねる。

「ないです」

「じゃ、ないなりにオデットやってみな。私が相手してやるよ」

 ざわり。劇団の空気が緊張した。主役をやらせるのかと。道場は麻木に聞いた。

「どこをやるつもり? 二幕の後半?」

「ハア? 五幕の、直接対決のクライマックスに決まってるでしょうが。やるなら、ピークをやろうよ」

 麻木は、正面からの真っ向勝負を選んだのだ。


 オデットとロクサーヌは、運命の舞踏会のあと、数奇な人生を辿る。

 ピエリ王子を愛するロクサーヌは、彼の心がオデットにあることを知ると、屋敷からオデットを追放してしまう。オデットは色々な所へ流れる。落ち着いた先は、隣国ドイツの片田舎のキャバレー。彼女の身を助けたのは、かつてロクサーヌに習ったバレエだった。たとえストリップが客の目当てでも、彼女は売春婦に身を持ち崩さずに済んだのだった。第二次大戦は激化、オデットは故国フランスへの帰還を諦める。そんな中、敵国からの脱走兵が。彼女に拳銃を向けたその兵士は、フランス軍から脱走した、変わり果てたピエリだった。

 一方ロクサーヌは不名誉なピエリの脱走を知り、彼の命を助けようとする。屋敷を出てピレネー山脈を越え、ドイツへ潜入を試みる。サーカス団の一員に身分を偽り、命がけでドイツへ入り、貴族の身分も捨て売春婦に身を落とし、病に冒される。十年の旅を経て、ロクサーヌはついにピエリの行方をつきとめ、オデットのキャバレーにたどり着く。



    キャバレー「マリオン」の一階


オデット(敦子)「まさかこんな所で、あなたと再会するとは思わなかった

 わ。……ロクサーヌ」

ロクサーヌ(麻木)「よくぞ生きていたわね、オデット。……私が最後にあなたに

 かけた情けは覚えているわね?」

オデット「たった六フラン。それになんの価値があると言うのよ? それがあなた

 の私への愛情とでも?」

ロクサーヌ「その通りよ! 愛しいピエリの心を奪っておいて、はした金が貰える

 だけ神に感謝すべきだわ! ピエリを出しなさい! その薄っぺらいドアの奥に

 いるんでしょう?」

オデット「……彼は、もうあなたのものではないの」


「ふむ」と一息ついた麻木は、敦子に尋ねた。

「あなたはどっちがこの劇の主役だと思う? オデット? ロクサーヌ?」

「華のあるオデットの方だと思う」

「……でしょうね。今の芝居はそう思ってのものだと思った。ロクサーヌが主役だとは思わなかった?」

「ロクサーヌは嫉妬に狂っているだけでしょう? それが主役とは言えない」

「人が嫉妬に狂い、人生を狂わせ、情念と復讐心だけで生きている。それは人の本質のひとつだと思わない?」

「?」

「つまり、ロクサーヌは悪役なの。オデットが光だとしたら、ロクサーヌは闇。光は闇があってはじめて明るい。闇は光があってはじめて暗さが分かる」

「つまりどっちも主役ってこと?」

「その通り。むしろこの劇は、どっちも主役であろうとする闘いこそがテーマよ」

「……じゃ私にロクサーヌ役をやってみろと?」

「ふふふ。話が早いじゃない」


 二人は互いに役を交換し、逆を演じて見せた。道場がダメ出しをするより早く、麻木がダメ出しをした。

「人間の理解が浅すぎる」と。

「あなたはことばの表面をただなぞってるだけ。言葉は氷山の一角にすぎない。どうしてその表面を見せているのか、奥に隠れてる感情までその言葉に含めて、やっと芝居になる。あなたの氷山はただのハリボテ。あなた、本気で人を憎んだことなんてないんじゃないの?」

 十は上の年の、人生経験の差もあるだろう。しかし芝居というものに長年向き合っていないと出てこない言葉でもあった。彼女の言葉自体が氷山であった。

「あと、あなたは体のうしろから声を出せる?」

「? どういうこと? 声は口から前に出るでしょ?」

「違うのよ。体の使い方によっては、そういう発声も可能だってこと」

 ロクサーヌは段取り上、客席に背を向けて喋らなければならない箇所が四箇所ある。台詞を断絶させてはならない。彼女の暗い復讐の情念に、客を引きつけ続けなければならない。

 麻木は背すじを伸ばし、腹式呼吸で普通に「前から」声を出した。

「これが普通に前から声を出すこと」

 次に背を向けて、声を出した。

「これが後ろから声を出すこと。どう? 聞こえ方は変わらないでしょう?」

 不思議な体験だった。両者に違いはなかった。前からや後ろから、という方向性のある声ではなく、舞台全体から常に響いているようだった。

「カラクリを言うとね、そもそも前から声が出てる訳じゃないの。この舞台全体から響くように声を出してるのよ」

「?」

「声は、体全体を響かせて、この背景ホリゾントからも、客席の後ろからも、天井からも反響するように出すの。イタリアのベルカント唱法は頭蓋骨から声を上に出すというけれど、多分同じ感覚ね。私は背骨から上下に出すって習ったけど」

「……はあ」

「主役ってのはね、華も重要だけど、技術も重要。上とか下とかじゃなくて、脇役もエキストラもスタッフも、それぞれの技術が噛み合ってひとつのことに向かうのが、人間の集団でしょう?」

 道場はそれに、ひと言付け加えた。

「オーケストラみたいなものだ。いらない楽器はないんだ」

 脇役の俳優が付け加えた。

「脇が流れをつくり、それに主役が乗る」

 小峰ちゃんも語った。

「音響効果だってさ、出るときは出て引っ込むときは引っ込む。全ては劇の流れをつくるため」

 敦子はまだ腑に落ちていない。

「それって、ナンバー1じゃなくてオンリー1になれみたいな話?」

 敦子は自然と舞台の真ん中に歩いてゆく。そこにはロクサーヌ用のピンスポットが一発当たっている。妖怪「センター」が益々膨れ上がった。

「私はナンバー1になりたいのよ! ナンバー2以下じゃ意味がないのよ!」

 敦子は今度は一人二役をやりはじめた。

「オデット!」「ロクサーヌ!」「オデット!」「ロクサーヌ!」

 もう何もかも滅茶苦茶だ。道場はあきれ気味に呟いた。

「思ったより重症だねえ。一人で全部やってみれば? 主役から、脇役から、作演出までさ」

 敦子は舞台中央から泣き叫ぶ。

「私だってどうすればいいか分からないのよ! 体が勝手に動いて、心がそう思ってしまうのよ! 私! 私! 私! 私! 私が世界の中心なのよ!」

 道場はやけになって面白くなってきて、その叫びに乗っかった。

「そいつはいいぞ! ここは俺の劇団だ! 俺の芝居だ! 俺! 俺! 俺! 俺が世界の中心だ!」

 麻木も乗っかった。

「私がいつからこの劇団支えてると思ってんのよ! 私! 私! 私が中心でしょうが!」

 なんだか狼が遠吠えするようになってきた。劇団の皆も乗っかった。

「馬鹿野郎! この照明全部落としてやるぞ! 真っ暗闇で叫んでろ! 俺が一番だこの野郎!」

「音楽なしで踊ってみれば! 音こそが中心なの! これは音楽劇! 私が中心! 私が中心!」

「俺だ!」「私が!」「俺だろ!」「私こそ!」

 シンイチも楽しくなって、乗っかってみた。

「オレも! オレも! オレも! オレも! 観客オレ! オレが中心! オレが主役!」

 内村先生も叫んだ。

「俺がクラスを引っ張ってるんだ! 俺が教えてるんだ! 俺がこの件の責任者だ! 俺だ! 俺だ!」

「俺が中心だ!」「私が中心!」「俺だ!」「私!」

「わたしが世界の中心だ!」

 なぜだか気持ちが良かった。一通り全員が大声で吐き出し、息切れして静まった。変な一体感がそこに生まれた。


 そのとき、鉄の扉が開いて、支配人の小柄なじいさんが顔をのぞかせた。

「そろそろ時間だよ」

「あ、すいません」と、道場は撤収の指示を出した。

「すまん内村。ウチの劇団じゃ、これが精一杯みたいだ」と、小道具を片付けながら内村に謝った。

 内村も済まなそうに言った。

「ここまでやってくれて今日はありがとう。彼女の『治し方』は、別の手を考えるよ」

 シンイチが割って入った。

「でもオレ、オレオレ!って言うのは、超気持ちよかったよ!」

 道場は笑った。

「そうだ。演劇ってのはさ、皆で波長を合わせるのが楽しいんだよ」

 劇団員はめいめい帰り支度をし、次回の稽古日を確認すると次々と帰ってゆく。

「あれから、オデットとロクサーヌはどうなるの?」とシンイチは聞いた。

「実はピエリはとっくに死んでて、二人の争う原因はなくなってたんだ。故郷に帰る手段もなく、二人は誰も知らないキャバレーで、二人組の踊り子として生きていく」

「じゃあ仲直りするんだ!」とシンイチは安心する。

「どうかな。本当には友達じゃないと、どちらも思ったまま生きてゆくんじゃないかな。でもそういう『友情』もあるって話なのかもね」と道場は締めた。

「次回公演、『オデットとロクサーヌ』を是非やってくれよ」と内村は頼む。

「再演っての、やったことねえんだよなあ」と道場は笑う。

 振り向くと、まだ敦子は舞台の中央から動いていない。スポットもとっくに消えているのにだ。

 支配人のじいさんが入ってきて、場内の掃除を黙々とはじめて、道場は思わず「手伝います」と言った。

「いやいや、これは私の仕事だよ。きみたちはきみたちの仕事をしなさい」と老支配人は呟いた。丁寧に隅から隅まで埃を取っている。

「あ。そうか」

 突然、敦子は納得がいった。

「だからこの劇場、こんなに気持ちいいんだ」

「どういうこと?」と、シンイチが聞いた。

「さっき皆が叫んだとき、声が一体になって反響したじゃない? それって、『ここ』がないと、出来なかったことよね?」

 敦子に取り憑いた妖怪「センター」が顔を歪め、パーツが更に中央に寄った。

「それぞれの役割がそれぞれに機能する場所。『ヘンテコな場所がある』って連れてこられたから分らなかったけど……」

「?」

「『この場をつくる人』ってのも、世の中にはいるのね」

 この瞬間、妖怪「センター」は敦子の肩から遊離した。


「不動金縛り!」

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「一刀両断! ドントハレ!」

 心の闇「センター」は、顔の中心を斬られ、真っ二つになって炎上した。まっすぐ、ただまっすぐに中心を斬ることにシンイチは成功した。



 田崎敦子は、その後、話題の中心にしゃしゃり出ることもなくなり、後輩にはきちんと仕事を教え、合コンでは脇役もこなすようになった。驚くべきことに、この日から、皆の集合写真には一枚も写らないようになった。


 何故なら、カメラを構えてシャッターを切る役を、彼女が買って出るようになったからだ。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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