第26話 「遠野SOS」 妖怪「?」登場
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心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる
天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う
てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る
「どうしようネムカケ! 小鴉が折れちゃったよう! アロンアルファとかでくっつくのコレ?」
シンイチは、砕け散った小鴉の破片を集めて家に帰ってくるなり、ネムカケに泣きついた。
大天狗にはじめて会ったときに授かった、黒曜石で出来た炎の小太刀。その炎で妖怪を斬ることの出来る、てんぐ探偵の決戦兵器。その小鴉が、根元から折れたのだ。
油断していたのが原因か。たしかに大量の「キックバック」達との戦闘では、心と体が一致しなかったかも知れない。
シンイチはこれまで、様々な人に取り憑いた様々な「心の闇」を退治してきた。何故その人が心の闇にとらわれたか、シンイチはいつも原因まで探り当て、その人と協力しながら(時に強引に)心の負のループ状態から「本来の自分」に戻るまで頑張る。そうやって心の闇をその人から「分離」しない限り、たとえ斬ったとしてもまた生えてくるからである。
完全に宿主から分離させたとき、はじめて心の闇を斬る時が来る。てんぐ探偵シンイチは、知恵と勇気とひらめきが主な武器だ。それは、小鴉あってのことである。
「アロンアルファやボンドじゃ、炎の熱で溶けちゃうよね? 溶接すればいいの?」
ネムカケはシンイチを落ち着かせようと、わざと低い声で言う。
「落ち着けやシンイチ」
「いや無理でしょ! どうしようコレ!」
「小鴉は、直せる」
「どうやってくっつけるんだよう! ……え? 直せるの!」
「そうじゃよ。直せる」
「じゃあ直して!」
「ワシには無理じゃ。飛天(ひてん)僧正(そうじょう)をつかまえないと」
「? 誰?」
山深き妖怪王国・遠野には、谷から谷へ、山から山へ飛行する、赤い衣の僧が昔から目撃されている。フライング・ヒューマノイドと言って、メキシコやイタリアでも「人」が何も身に着けず空を飛んでいるのが目撃されるという。遠野に伝わる民間伝承を収拾した、日本初の民俗学の書、明治初期の「遠野物語」には、この空飛ぶ赤い僧の目撃談が収められている。
「それが飛天僧正?」
「そうじゃ」
「明治時代の人? じゃ死んでるんじゃん!」
「落ち着け。奴は戦国時代の人間じゃ」
「じゃ、ますます死んでんじゃん!」
「ちがうわい。その時出家して、ものすごい修行をして不老不死を目指しておる、現在五百歳の、半分天狗半分人間になった男なのじゃ」
「ええ! 修行したら、天狗になれるの?」
「大天狗にはじめて遠野に連れてかれたとき、きゃつを見なかったか?」
「ん?」
その時の体験は、シンイチはまだ鮮烈に覚えている。大天狗の肩に乗せられ、雲の上をずんずん歩いて、山と霧に囲まれた妖怪の国、遠野へ着いた。空には烏天狗が出迎え、その後ろに、空飛ぶ赤い衣の僧が谷から谷へ……
「あ、いた! 飛んでた赤い衣の僧侶! ……あの人か!」
「やっぱり奴は興味津々で見に来ておったな。あ奴は勝手気ままな奴での、遠野の山を好きなように飛び回っていて、いつどこに現れるか、誰にも分からんのじゃ」
「とにかく、その飛天僧正に会いに行こう! 今心の闇が現われても、何も出来ないよ!」
シンイチは粉々になった黒曜石の刀身をあらためて眺めた。
「あ、でも、刀を直すのってどのくらいかかるの? 一週間? 三日? その間学校休まなきゃ」
「もう忘れたのかシンイチ。天狗の山は、時の進み方が違うのだぞい」
「あ、そっか! じゃ次の土日で大丈夫か! それまで心の闇が現われなきゃいいけど……」
幸い、土曜になるまで心の闇は現われず、シンイチの心配は杞憂となった。
そして土曜の朝。
再び遠野へ。シンイチの第二の故郷とも言える場所へ。
「よしネムカケ、出発だ!」
玄関を出て、シンイチは腰のひょうたんから赤い鼻緒の一本高下駄を出した。
と、通りの向こうから、ぺたぺたぺたという足音とともに、真っ赤な人影が走ってきた。人ではない。それは真っ赤な妖怪だった。
「シンイチー!」
その妖怪は、シンイチの名を呼んだ。
「まさか……キュウ!」
「シンイチー! 見つけたぜー!」
「わはは! 本当にキュウだ! どうしたのわざわざ東京まで!」
遠野で大天狗に修行をつけられていた期間、同じ背格好で同じ子供だからと、親友になった赤い河童のキュウだ。それが突然、東京に現れたのだ。
二人は抱き合い、再会を喜んだ。相変わらずキュウはぬるぬるしていた。
「河童淵からわざわざ来たの? 遠かったでしょ! 皿、乾いてんじゃん!」
シンイチは台所まですっとんでいって、コップに水を汲んでキュウの頭の皿にばしゃりとかけた。
「ふうー、生き返るううううう。あ、でも、やっぱ東京の水は不味いな!」
「遠野の天然水と比べないでよ! ていうか、良くここが分かったね!」
「大変だったよ! 烏とか猫とかに道を聞いてさあ。でもみんなてんぐ探偵のことは知ってたぜ! シンイチ、結構烏には有名人だな!」
「烏かあ。微妙ー!」
河童のキュウは全身が赤い。遠野河童は皆全身が赤い。江戸時代以降、浮世絵などで流布された全国の河童は、緑色の一族が主体だ。河童は元々遠野が出身地だが、遠野の水以外では河童は緑色に育つのかもしれない。水棲生物のようにぬるぬるとして、頭には皿があり、ざんばら髪で、嘴のような口、手足には水かきがあり、背中には亀のような甲羅。全身が赤い以外は、いわゆる河童である。ただしキュウは、ちょっと短足だ。
「わざわざ東京までオレと相撲取りに来たの?」
「ちげーよ! オイラ、シンイチを呼びに来たんだよ!」
ひと息ついたキュウは、一気にまくしたてた。
「遠野が、遠野が大変なんだよ!」
「?」
「なんか訳分かんない奴が、妖怪たちに取り憑いたんだ! オイラの父ちゃんにも取り憑きやがった!」
「妖怪って、普通人間に取り憑くんじゃないの? その妖怪に取り憑くやつがいるの? ……まさか」
ネムカケは落ち着いて尋ねた。
「大天狗はなんと言っておる」
「ああ。それを言えって、天狗さまに言われてたんだ。あの紫色のモヤモヤみたいな奴らは、『心の闇』じゃないかって」
「……心の闇」
一気にシンイチの心拍数が上がった。
「心の闇が、遠野に現われたのか」
「心の闇って、東京の新型の妖怪なんだろ!? このままじゃみんな取り殺されちまうよ! 心の闇に一番詳しいシンイチが来ないと、遠野はヤバイんだよ!」
「心の闇は……妖怪にも取り憑くのか」
シンイチは、折れた小鴉と一本高下駄を握りしめた。
「行こう。遠野へ」
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東京から北へ進むと、関東平野が終わるころ、左側に
もう少し先まで行けば、それより高い山が左に見えている。岩手一の岩手山だ。ふもとに広がるのが岩手最大の町
遠野郷は、今日もひっそりと、緑深き山の小さな平地に、霧がたなびいていた。
岩手県遠野市は、人口二万八千人(二〇一四年現在)と、東京都新宿区二十八万人の、丁度十分の一だ。しかし逆に面積は新宿区の四十六倍である。四六〇分の一に薄めた新宿を想像してみよう。新宿に一軒家に一人いたら、あたり四五九軒は誰もいない。その一家に四人いれば、一七三九軒は誰もいない。誰もいないそこは、山だ。
遠野には七十七の山があるという。山には、元々遠野にいた暮らしていた妖怪たち「遠野
シンイチ、キュウ、ネムカケは、まず河童の棲家、河童淵へと向かった。ちなみに、中央の遠野町には「観光地としての河童淵」が残るが、そこにもう河童はいない。彼らはもっと上流へ上流へ、人目を避けて逃げたのだ。
遠野盆地の中心を流れる
「親父! シンイチたちを東京から連れてきたぜ!」
キュウはぺたぺたぺたと父河童の下へ走っていく。
「ウリさん! 久しぶり!」
シンイチはキュウの父、ウリに挨拶した。キュウの先代はウリ、ウリの先代はキュウという。この一族はウリとキュウの名を交互に名乗る(だからキュウの息子はウリの予定だ)。
「おお。……人間の子、シンイチか」
大柄なウリは、滝壺の前の苔むした岩にうなだれて座っていた。ウリの皮膚にはまだらの模様があり、剛毛が生えている。眼窩は飛び出してガマガエルのようだ。初対面ではおそろしげな妖怪もシンイチはすっかり慣れているので、ものおじせずウリの隣に座る。
「……こいつだな」
ウリの逞しい甲羅と赤黒い左肩の間に、「心の闇」が半分埋もれるような形で取り憑いていた。
「シンイチ、早くこいつを取り除いてやってくれよ! 親父、ずっと元気がねえんだよ!」
キュウは懇願する。
シンイチは、その心の闇らしきものを観察した。「紫の煙みたいな」とキュウが言ったとおり、そいつは不定形のもやもやのようであった。さわれば空を切り、つかみどころもない。そのもやの中に、二つの小さな金色の瞳があった。こちらをじっと見返してくる。
「シンイチ! こいつら、一体何なんだ!」とキュウははげしく問う。
「こいつは……」と、シンイチはいつものように心の闇の名を言おうとし、はたと次の言葉が出てこないのに気づいた。
「どうしたのじゃシンイチ」と、ネムカケが異変に気づく。
「あれ? 何だ? ……どういうこと?」
「?」
「……オレ、こいつの名を知らない」
「なんじゃと?」
「こんなことは初めてだ。この心の闇の名前が……分からない」
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滝壺から河童たちが、心配そうにシンイチたちを眺めている。
「……おっかしいな。なんでだろ。何でこいつの名前が分からないんだ……」
「落ち着けやシンイチ。そもそもお前はどうして今まで心の闇の名前が分かっていたのじゃ」
焦るシンイチを、ネムカケはなだめようとした。シンイチは考えた。
「……なんでだろ?」
「はい?」
「なんでか、オレには心の闇の名前が今まで分かってきたんだ。ただそれだけなんだよ」
「えっ。誰かに教えてもらったとか、天狗の巻物とか、そういうんじゃないのかい!」
「ないよ。見ればスッと分かる。それだけだもん」
「……あきれた。それが大天狗の言っていた、
「そういえば、大天狗に挨拶しなきゃ!」
シンイチが言うと同時に、ずしんと地響きが渡り、滝が揺れた。空が黒くなった。大巨人の大天狗がやって来たのだ。
「大天狗! 水鏡の術では話してたけど、会うとやっぱデカイね!」
「元気そうでなによりじゃ」
雷のように轟く声が響き、びっくりした鳶たちは梢から飛び立った。河童たちも水の中に隠れ、巨人なる山神をあおぎ見た。
「うるさいよ! ここ反響が響くし!」
「すまぬ。足音を立てないように頑張ったのだが、シンイチを見たらつい大声が漏れてしまったわ」
シンイチは一本高下駄で飛び上がり、大天狗の肩に乗って、自分の指より太い髪の毛をつかんで引っ張った。大天狗はシンイチの身体より大きな掌で、頭をわしゃわしゃとすり潰しそうになる。
「いててててて」と、二人は再会を喜びあった。
「しかし、シンイチにすら名が分からぬ心の闇とは」
と、大天狗はウリの肩を見て言った。
「うん。……どうしよう。キュウ! 妖怪たちに取り憑いてるのは、みんなこんな奴?」
河童のキュウは大天狗の肩の上のシンイチに答えた。
「うん。カマイタチ三兄弟も小豆洗いもやられた。あと
「鵺みたいな大物もか……」
シンイチは大天狗の肩から降り、俯き加減のウリに尋ねた。
「今どんな感じ? それを聞けば、こいつの正体が分かるかも」
ウリは話すのが億劫ながらも、なんとか答えようとした。
「うん。……なんかモヤモヤする」
「それで?」
「ざわざわして、どよーんてなる。……ああ。死にてえ」
「死んじゃダメだよ親父!」とキュウが横から叫ぶ。
「大丈夫だよキュウ。オレがなんとかする」
シンイチは無理でも落ち着いたふりをする。キュウをこれ以上心配させる訳にはいかない。
「それから? ウリさん」
「うん。……分かんない。分かんないんだ」
ウリは大きくため息をついた。そのため息を紫の心の闇は吸い、少し大きくなる。
「……分かんないのか」
シンイチは考えこんだ。
「キュウ。いつからこいつは遠野に現れた?」
「それも分かんないのさ。気づいたら一気に蔓延してた。次から次に伝染病みたいに」
「……疫病みたいだな。大天狗、山全体にこいつはいるの?」
「野良で漂っていた奴はわしが炎で焼いた。だが同時多発的にやられたのだ。遠野者もよそ者も、等しく区別なく」
キュウが説明を加える。
「取り憑かれた奴らは、他に伝染しないように、
「……よし、妖怪たちのいる所へ行こう。まず続石からか」
「うむ」と大天狗はうなづく。
「うわん、枕返し、あかなめ、小豆洗い、ぬっぺふほふ、カマイタチ、ぬらりひょんあたりが元々よそ者として住んでたよね」とシンイチが思い出す。
「そいつらみんなやられたよ。あと、ろくろ首とか一ツ目小僧とかもやられて、集めてある」とキュウは付け加える。
「ぬら
シンイチは皆に言った。
「探偵の基本は聞き込みだ。一体何が起こってるのか、彼らにも話を聞こう」
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その近くに岩屋の洞窟があり、「紫の煙」に取り憑かれた者たちが隔離されていた。シンイチ、キュウ、ネムカケ、大天狗の一行は、河童淵から石上山山中を近道してたどり着いた。
キュウは洞窟へ走っていく。
「みんな! ネムカケ様と大天狗様、その一番弟子のてんぐ探偵シンイチが来たぜ! 紫のモヤモヤの謎が解けるかも知れない!」
暗がりの洞窟から、物の怪たちが百鬼夜行のように這い出てきた。彼らは流行り病に取り憑かれたかのようだ。紫のモヤモヤの「心の闇」が、右肩、左肩や腰や頭に憑いている。
妖怪うわん、枕返し、あかなめ、小豆洗い、ぬっぺふほふ、カマイタチ(長男、次男、三男)、ぬらりひょん。
忘れられた昭和の妖怪たちも。口裂け女、人面犬、雨女。
江戸時代に活躍した妖怪たちは、江戸のモノの形や着物姿ですぐ分かる。ろくろ首、一ツ目小僧、
シンイチは彼らを見ながら、大天狗に聞いてみた。
「そういえば、飛天僧正っていう奴、見た?」
「しばらく見ておらぬ。奴は気まぐれだからのう。ひょっとしたらどこかで我々を見ているのかも知れんが」
「あの人しか小鴉を直せないの?」
「わしの炎では黒曜石を全部溶かしてしまう。奴はちょうどいい温度の炎なのだ」
「え? マジで溶接するんだ!」
百鬼夜行が出揃った。シンイチは皆にモヤモヤについて聞いてみた。しかし、皆元気がない。
「うわん!」と叫んで人を驚かす妖怪うわんは、「う……」としか言わないし、妖怪枕返しはマイ枕を持っていない。人の脛を鎌で切り薬で血を止める妖怪カマイタチは、鎌も薬も忘れてきたようである。
「オイ! ぬらりよ! 元気がないぞな」とネムカケが心配する。
妖怪ぬらりひょんは、後頭部の異常に大きな、顔面の歪んだ小柄の爺さんである。夕方の忙しい時間帯に人家にあがりこみ、黙って茶を飲み茶菓子を食べていくという。ネムカケとは江戸時代以来の茶飲み友達だ。ぬらりひょんは元気がなく、その場に座り込んでしまった。膝の上にネムカケが乗り、「もふもふしてみい!」と元気づけようとするが、ぬら爺は少し手を置いただけでじっとしていた。
「ぬらよ、一体どうしてしまったんじゃ。心の闇とは、こんなにも悪さをするものなのか! どうしたらぬらりは元の元気なクソ爺いに戻るんじゃ!」
ネムカケはやるせない怒りでぬら爺の頭部に取り憑いた心の闇を睨み、爪で引っ掻いたが宙を切った。妖怪にも「心の闇」は触れないらしい。
「一人ずつ聞かせてくれないか。今、どんな気持ちか」
シンイチは皆に事情を聞こうとした。
しかし妖怪は、元々言葉が不自由なのである。うわんは「うわん」としか話せないし、ぬっぺふほふや、のっぺらぼうには口がない。枕返しは失語症のようになってしまっていて、口裂け女は「私は奇麗じゃないし」しか言わない。
「いつからそいつがいる?」と、シンイチはぬらりに聞いた。
「何でもいい。こいつがどんな奴か分からないと、退治できない。分かることを教えてくれ!」
「……うつされた」
と、ぬらりがようやく口をひらいた。
「誰に?」
「わからない。誰かにこいつが憑いてた。気づいたらわしにもいた。……うつされたんだ」
「……伝染性か。ありがとうぬら爺」
大天狗はそもそもを質そうとした。
「シンイチは、これが心の闇だと思うか」
「うん。オレが今まで見てきた奴らに似てるし、ただ名前が分からないだけだと思うんだ。妖怪に取り憑く妖怪なんて聞いたことないし、新型妖怪であることは確かだよ」
シンイチは当てずっぽうで、この紫の心の闇の正体を言い当てようとする。
「なんだろ。妖怪『鬱』。『新型鬱』……妖怪『うつむき』、『うしろむき』……」
「『弱気』の時に似ているな」
「うん。『弱気』に症状は似てるけど、あの黒い奴とは顔が違うから、別の感情だと思うんだ」
「別の感情?」
「つまり別の名前。感情にはひとつひとつ名前があって、心の闇はそのどれかに対応してると思う。今までの経験だとね」
「そうだ。その活躍の土産話を楽しみにしていたのに、こんなことになってしまって……」
大天狗は嘆いた。腰のひょうたんに入っている天狗酒を我慢するのは辛いものだ。
「人間の心は複雑だ。だから色んな心の闇がいるんだと思うんだ。でも妖怪には単純な奴もいる。これだけバラエティの富んだ奴らに共通の感情ってなんだ? 『プレッシャー』? 『心配』? 『落ちこみ』『元気なし』『もやもや』『ニート』『自閉症』……」
シンイチはキュウに尋ねた。
「キュウ。安倍が城に隔離したのは、見たら死んじゃう系の大物だよね?」
「うん。鵺様も、がしゃどくろも、
「ええっ。あんなにでかくて恐いのも?」
「遠野組だと座敷童子も。
「……あまり近寄りたくないなあ。見たら死んじゃうんだよね」
「天狗の山ではその力は止められておるぞ」と大天狗は言った。
「……行くしかないか」
「安倍が城」とは、遠野一の山、早池峰山頂から峰沿いに東へ下りたところにある、巨大な岩山の通称である。正式名称を
平安末期、前九年の役で源氏に抵抗した、
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山深き遠野郷全体をイメージするには、五角形を頭の中に思い浮かべると良い。それぞれの頂点に高い山があり、隣接する村との境目になっている。一番上の北の頂点に、最も高い早池峰山、そこから時計回りに
河童淵と続石のある石上山から、一行は五角形の一番上、最北最高峰の早池峰山を、安倍が城目指して上ってゆく。霧が濃くなってきた。雲の中に入ったのだ。高山植物が多く生息し、縄文時代の遺跡が多く出るタイマグラ沢を越えると、巨岩、安倍が城が霧の向こうにうっすらと見えてくる。安倍が城は全体が巨大な一枚岩で出来ており、その中の無数の亀裂や洞穴に妖怪たちが隠れ住んでいる。安倍が城は、秘密の道を知らぬ者には決してたどり着けない場所という。遠くに見えているのに、どうにも行けない場所として里人に知られる。
突然、強い突風が吹いてきた。風の中から一人の老婆が歩いてくる。
「寒戸のババ!」
シンイチは走っていって抱きついた。
梨の木の下に草履を揃えたまま、行方不明になった寒戸村の娘(寒戸は実在しない村の名。筆者は寒田と推定している)。山神にさらわれたと噂され、変わり果てた婆のような姿で一度だけ里に帰り、親族の無事を確かめて山へ消えたという。彼女は山神と結婚し、妖怪として永遠の命を授かったのだ。彼女は常に強い風を纏って現れる。厳しく強く吹く風こそが、彼女の本体なのかも知れない。
「シンイチ、また大きくなったかい?」
「全然!」
「そうかい。キュウが呼びに行ったと聞いてな。シンイチの東京の話を皆楽しみにしてたのだがねえ」
「でも、そうもいかないんだよね?」と、シンイチは岩山を睨んだ。
「うむ。
そこに長い口笛のような、トラツグミに似た鳴き声が、「ひー」と響き渡った。
「……鵺が鳴いてる」
「うむ。……苦しいらしい」
「急ごう」
大きく見上げると、ひっくり返りそうになる巨大な岩山。それが安倍が城だ。
黒い煙が、そのひとつの洞穴から湧き出た。
「鵺」
黒い煙を伴って現れる妖怪。
鵺は、ひい、ひい、と苦しそうにしている。シンイチは虎よりも大きなその獣に近づき、左肩を撫でてやった。紫色の煙、心の闇が取り憑いている。それはシンイチがひと抱えできそうなほどの大きさに成長していた。
「つらいか?」
鵺は、ひーと鳴く。
「『苦しみ』『痛み』……伝染する、こいつの正体はなんなんだ」
岩山の上から、がしゃどくろが顔をのぞかせた。無念で死んだ武士の骨が集まって出来た、骸骨巨人の妖怪だ。左肩の肩甲骨あたりに、同じく巨大な紫のモヤモヤが取り憑く。
輪入道が転がってきた。炎に包まれた車輪についた仁王顔の妖怪だが、炎がちろっとしか出ずに元気がない。牛の顔を持つ巨大な牛鬼も姿を現した。一本足の一本だたらも飛んできた。化け猫キャシャと、犬の顔の僧侶犬神も歩いてきた。みんな心の闇に取り憑かれ、元気がない。
金色の鞠が転がってきた。いつもならそれを追っかけて赤いべべの座敷童子が走ってくる筈だ。しかし当の座敷童子は岩壁にもたれて、すっかり元気を失っていた。
シンイチは鞠を拾い、童子に返した。
「なんだよ、元気ないじゃん」
「……」
「喋る気力もないの?」
「……うん」
おかっぱ頭の座敷童子はうなづいた。
「何か、心配ごと?」
「なにも、ない」
「具体的な何かはないの?」
「ない。……ただ、つらい。……訳が分からず、つらい……」
座敷童子は、先日長年住んでいた宿屋が火事を出し、住処をなくして安倍が城まで辿りついた。誰とも遊べず、さぞ一人でさびしかっただろう。
「今まで見てきた心の闇と、何が近いんだ? 『弱気』? 『どうせ』? 『みにくい』……どれも違う。でも引きこもりっぽくなるのは似てる。妖怪『引きこもり』? 妖怪『無気力』?……」
大天狗が呟いた。
「わしの炎で、心の闇を焼いてしまえれば楽なのだがな」
「心の芯に食いこんでるから、絶対また生えてくる。永遠のイタチごっこだ」
「ねじる力で取り出せぬものか」
「妖怪『心の闇』の問題じゃないんだ。オレはいつも、宿主の心の方が問題だと思ってるんだ」
「どういうことだ」
「普通の時なら、心の闇は取り憑かないみたいなんだよね。ふとしたときに心に隙間が出来て、そこに心の闇が滑り込むんだ。だから『普通の心』を取り戻せば、心の闇は外れる。問題は、普通の心に戻れるかどうかなんだ。『普通』が一番難しいんだけどさ。いつもならその名前がヒントになるんだけど……」
シンイチは考えた。
「妖怪たちの心。妖怪たちの普通の心って…………あ!」
ネムカケがニヤリと笑った。
「その顔は、何か思いつきよったなシンイチ!」
「わかんないけどさ」とシンイチは前置きした。何かを企んでいる顔だというのは、ネムカケには分かった。シンイチは続けた。
「んー、わかんないけどさ。キュウ! 寒戸のババ! 取り憑かれた妖怪たちを、一つの場所に集められないかな?」
寒戸のババは尋ねた。
「ここにか?」
シンイチは思案した。
「んーとね、マヨヒガがいいんじゃないかな!」
「わしの家?」
大天狗は、面食らった顔をした。
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山の中で迷ったら、不思議な家に遭うという。誰もいないのに、囲炉裏はさっきまで人がいたように暖かく、味噌汁もまだ湯気を出している。茶菓子は手をつけられ、洗濯物も取り込み中である。しかしそこにいたと思われる、人だけがいない。その家をあとにしたが最後、後日もう一度訪れようとしても道が分からず、二度と行くことが出来ない家。それを
大天狗のマヨヒガは、曲がり屋と呼ばれる、岩手の古民家と同じ構造だ。馬小屋と母屋がL字型に繋がった、馬と暮らす人たちの家の構造だ。マヨヒガには大抵紅い花が咲いている。この家の庭にも、紅白の花が咲き乱れていた。
大天狗は大巨人ではあるが、このマヨヒガは何故か日本人サイズの大きさだ。シンイチはそれがいつも不思議なのだ。大天狗は家の中に入れないから、庭で寝たりする。食事をしているのは見たことがない(霞を食うのだ、と天狗は言った)。なのに、この家には人が暮らす為の、ひと揃えの台所や居間や寝室や床の間や、厠や風呂や馬小屋があるのである。なぜか囲炉裏には減らない季節の野菜の汁があり、杉のおひつには減らない麦飯が入っている(そしてどっちもうまい)。
シンイチは「心の闇」の取り憑いた妖怪たちを全員庭に集め、段取りを話した。
一応妖怪たちは了解したようだが、半信半疑であった。シンイチは夕暮れまで待とうと言った。逢魔が刻。すなわち、妖怪の最も活き活きする時間帯である。
妖怪たちは所定の位置につき、物陰に姿を隠した。大天狗はどっかと庭の奥に座り、ネムカケ、キュウ、寒戸のババは、その胡坐の膝の上に座って観客となった。
シンイチはマヨヒガと彼らの間に、天狗の面を置いた。火吹き芸人小此木ピエロの真似だった。観客席とステージを分ける境界線の代わりである。ここから向こうは「架空の世界」の印だ。
「ピーピピー」
「うわん!」
突然大声を出して、毛むくじゃらの妖怪うわんが、屋根の上から現れてシンイチをびっくりさせた。
「うわあああ! びっくりしたあああ!」
シンイチは尻もちをついた。妖怪うわんはそれを見て、思わず「うひゃひゃひゃ」と笑った。
「なんだ! びっくりしたよもう! 眠いからひと眠りしようと帰ってきたのに!」
シンイチは寝室の布団に入りこむ。
「さあて寝るぞ!」
目をつぶり、眠ったふりをすると、柱の影から妖怪枕返しが出てきて、枕をひっくり返した。
「うわあ! 枕がひっくり返った! 不思議現象だ!」
シンイチは辺りを見回すが、妖怪枕返しは既に隠れている。「うひゃひゃひゃ」と枕返しは柱の影で笑った。シンイチは怒って風呂へ向かう。
「眠れないから風呂にしよう! ま、洗わなくてもいっか!」
そこへ妖怪あかなめが出てきて、風呂とシンイチの背中を舐める。
「ひいいい! ごめんなさいいい! 風呂を洗わないとあかなめが来るううう!」
台所へ逃げてきたシンイチは、異変に気づく。
「あれ? 小豆がない!」
壁の向こうから小豆を洗う音がする。
「小豆洗いが出たあああ!」
縁側に出ると、ぬらりひょんが座ってお茶を飲んでいる。
「あ、ども」とシンイチが挨拶すると、ぬらりはニコニコしてお茶菓子を食べる。
シンイチは柱の影に隠れて大声を出す。
「誰だよあの爺さん! よく考えたら、誰か知らないぞ!」
それを聞いたぬらりは、「ぬひゃひゃ」と笑う。
縁側を気にしながらシンイチが玄関から外へ出ると、ぐにゃりとしたぬっぺふほふに、ぶつかってよろめいた。そこをカマイタチ長男が転ばせ、カマイタチ次男が鎌で脛を切り、カマイタチ三男が薬を塗って傷を治す。
「何にぶつかったんだ? 脛が切れてるけど、血が出てない! カマイタチが出た!」
シンイチは庭に戻る。座敷童子が金の鞠をついている。
「ねえねえ、鞠で遊ぼうぜ!」
一緒に鞠をついてやる。座敷童子はもっともっととせがむ。そこへ河童のウリが現れる。
「河童だ! オレ様に相撲で挑戦する気だな!」
一番相撲を取り、ウリは上手投げだ。
「うわー負けたああ!」
庭の隅にたたらを踏みながら行くと、藪の中から、妖怪ろくろ首、一ツ目小僧、のっぺらぼう、唐傘お化け、提灯お化け、一反木綿、ぬりかべが出た。
「で、出たーっ! 妖怪だあああ!」
シンイチが腰を抜かして逃げると、反対側の藪から人面犬と口裂け女が出てきた。
「うわあ! 人の顔した犬だ! そしてポマードポマードポマード!」
雨が降ってきた。
「妖怪の次は雨か! 雨女のせいだな!」
屋根の上の雨女をシンイチは指差した。
その背後から黒い煙が。「ヒー!」と叫んだ鵺が現れ、その背後からがしゃどくろと牛鬼が現れる。
「見ただけで死ぬうううううううう」
シンイチがへたりこむと、一本だたら、輪入道、キャシャが取り囲む。
「殺さないで! 殺さないで! あ、犬だ」
最後に出てきた犬神の頭を、シンイチはナデナデした。
シンイチは息を切らし、滝のように汗を流したまま妖怪たちに聞いた。
「…………どう?」
「うひゃひゃひゃ」とぬらりひょんが笑った。
「うひゃひゃひゃ」と鵺も座敷童子も笑った。
「うひゃひゃひゃ」と、皆が笑い始めた。
「どう!」と、シンイチは更に胸を張り皆に聞いた。妖怪たちは口を揃えて言った。
「もう一回!」
「えええええ!」
意外な答えにシンイチは驚いた。
「もう一回やって!」と座敷童子はせがむ。
「しょうがねえな! もう一回だけだぞ!」
うわんが驚かせ、枕返しが枕を返し……最後に犬神の頭を撫でる。妖怪たちは皆「うひゃひゃひゃ」と嬉しそうに笑う。シンイチは更に聞き返す。
「どう!」
「もう一回!」
「もう一回?」
あかなめに舐められ、カマイタチに切られ、座敷童子と河童と遊び……
「どう!」
「もう一回!」
ろくろ首に腰を抜かし、口裂け女にポマードと叫び、屋根の上の怪物に殺さないでと頼み込み……
「どう?」
妖怪たちは、うひゃひゃひゃと笑って、笑顔で頼み込む。
「もう一回!」
結局、何回これをやらされただろう。都合十三回。シンイチはヘトヘトになった。心の闇の取り憑いた妖怪たちはすっかり元気を取り戻し、元の明るい顔(妖怪の元気な顔とは、おどろおどろしい顔のことなのだが)を取り戻した。
「シンイチ。一体どういうカラクリだ」
と大天狗は尋ねた。目に見えて妖怪たちが回復しはじめたことを不思議に思ったのだ。
「別に難しいことじゃないよ」と、シンイチは息を整えながら答えた。
「みんな、しばらく人間と会ってないんじゃないかと思ってさ!」
「……ふむ」
「だって、都会に闇がなくなって、住むとこがなくなって、どんどん山に行くしかなかったんでしょ? 人間を驚かしたり、人間と遊んだりとか、そういうことをずっとやってないんじゃないかと思ってさ。だから自分が何者か、分からなくなっちゃったんじゃないかと思って!」
「うわん!」とうわんがうなづいた。
「うひゃひゃひゃ」とぬらりひょんが笑った。
「ヒョーーーーーーー」と鵺が雄叫びを上げ、「わおーん」と犬神が応えた。
「人間をおどかす為に、妖怪はいる。それが彼らが誰かを思い出すことなのかなって」
「自信を取り戻させる、『弱気』と似たような対処法か」
「うん。……オレ、この心の闇の名前、なんとなく分かったような気がする。形がなくて、なにか特定のことじゃないこと。どこから来たのか分からず、伝染すること。単純に単純に考えれば良かったんだ。妖怪たちの心を考えればよかったんだ」
「妖怪の心」
「妖怪にも心はある。心の闇が取り憑くんだもんね。こいつらは、今のオレと同じだ。今、オレには小鴉がない。その心と同じだったんだ」
「その名は」
「不安」
その言葉で、二十八の妖怪に取り憑いた二十八の「不安」は、ざあああああと音をたてて一斉に彼らから外れた。大きいの。小さいの。心の闇、妖怪「不安」は、セレモニーの風船のように風に乗り、そのまま空へ飛んでいきそうになる。
「やべえっ! 逃がしちゃう!」
シンイチが焦ると、大天狗が応えた。
「まかせろ」
大天狗は、巨大な手で、目にも止まらぬスピードで印を結んだ。
「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 烈! 在! 前! 不動明王よ我が前に威を示して法を顕せ。
ごおん、と山全体に音が響き、無数の「不安」たちは、空中で時を固定した。
「まかせたああああああ!」
シンイチは大の字になってひっくり返った。視界全部が空になった。マヨヒガの庭に寝転んで見た遠野の空は、紅の夕暮れに染まっている。もう体力の限界だ。
その一点に、何かが飛んでいた。
「……あれ、何だ?」
それは点ではなかった。「人」が飛んでいる。
寒戸のババが気づいた。
「風が、止んだ」
その人型は、見る間に大きくなり、降りてきた。
「全て見ておったぞ。人の子よ」
赤い衣の裾が、ひらひらとしている。シンイチは声を上げた。
「飛天僧正だ!」
どん。千の風とともに、飛天僧正が地面に降り立った。砂塵が舞い上がり、紅白の花が衝撃に揺れ、ぼろぼろの赤い僧衣が翻る。飛天僧正はゆっくりと顔をあげ、シンイチを見て歯を剥いて笑った。人間の顔だった。天狗のように顔が赤くはなく、鼻も長くなかった。だが両の瞳は金色で、人の姿のまま空を飛ぶ様といい、半天狗半人間というネムカケの形容は正しいとシンイチは思った。
僧正はシンイチに言った。
「天狗にも成し得なかった、心の闇を外すわざ。人の子が成し得るとは実に興味深し」
大天狗は僧正に答えて言う。
「天狗にも出来ぬとは、それは僧正なりの嫌味か」
「早池峰の、先刻わしの炎をぬるいと嫌味を言ったろう」
「言ったかのう」
「わしの地獄耳を舐めるな」
「
飛天僧正は大天狗と仲が悪いのだろうか。言葉の棘は鋭い。
「ねじる力は使えるか。てんぐ探偵シンイチ」と飛天僧正はシンイチに尋ねた。
「一応。もうヘトヘトだけど」
「大儀であった。もうひと頑張りしたら、面白いものを見せてやる。どうせ早池峰のは、お主に簡単な基本しか教えてないだろうからな」
「短期間で闘える弟子にしただけだ」と大天狗は反論する。
飛天僧正は時を止めた無数の妖怪「不安」たちの前に立ち、見たこともない印を結び始めた。
「火よ、在れ」
複雑な印はまだ続く。次第に風が巻き始める。
「闇に火よ在れ。無知蒙昧有象無象の闇なる循環を、
轟音とともに、地面から九本の火柱が上がった。
「九尾の火柱」
僧正の背後から、九本の火柱が取り囲む。
「シンイチよ。これにねじる力を加えよ。ゆくぞ!」
僧正は両手を「不安」たちに向けた。九匹の炎の蛇が、噛みつきにかかる。
「ねじる力!」
シンイチは、残りのありったけの力で火柱をねじった。
「そうだ!」
僧正は応えた。九本の火柱はねじられ、「不安」たちに襲いかかる九重の炎の竜巻となった。
「ねじる力は、空間をねじり妖怪を閉じ込めるだけではない。己の炎をねじるときにも使えるのだ」
まるで小鴉が折れたときの闘いを見てきたかのように、僧正は言った。いや、ひょっとしたら本当にあのとき上空に、僧正が赤い衣をはためかせ飛んでいたのかも知れない。
ごう。九重の炎の竜巻は大小の「不安」たちを九回焼いた。めりめりめり、と空気の割れる音がする。遠野を騒がせ、妖怪たちをおかしくさせた二十八の「不安」は、炎の渦巻きの中で清めの塩となった。花が咲くように空中ではじけ、その大量の塩が雪のように降ってきた。
「……きれい」
へとへとのシンイチは、その光景で心が洗われたような気がした。
「ふん。相変わらず低温ロースト仕様の炎だ」と大天狗は再び嫌味を言う。
「相変わらず天狗は血の巡りが遅いな。
「ふん」
「まあまあまあ、二人ともケンカはやめようよ。せっかくドントハレなんだからさ!」
シンイチは二人の猛者の間に割って入る。それを見た寒戸のババは驚いた。
「すごいなシンイチは。あの二人の間に割って入れるなんて! ここにその度胸のある妖怪なんて一人もおらんぞな!」
「たしかに」とネムカケは評す。
「あいつのいい所は、誰とでも仲良くなる力じゃな」
ふと見ると、ぬらりひょんは勝手に縁側で茶菓子を盗み食いしていた。
遠野妖怪郷は、てんぐ探偵シンイチの活躍によって平和が訪れた。…………ように見えた。
突然、目も眩むばかりの稲妻が早池峰山頂に落ちた。
大天狗と飛天僧正はそれを見て、口喧嘩をやめて無言となった。雷鳴が七十七の山に反射し、何度も往復するこだまとなった。
ただならぬ二人の気配を察したシンイチは尋ねた。
「どうしたの?」
大天狗は厳かに答えた。
「招集の稲妻だ。十天狗会議に、ついにお前を呼ぶときが来たのだ」
「十天狗会議?」
「十天狗の前に、お前の力を示すときが来た」
「オレの……力?」
飛天僧正は白い歯を剥いた。
「はははっ。面白いことになってきたな。先に行くぜ!」
身軽に宙に舞うや否や、目の前から消えたかと思うと、山頂付近に小さくなっていく僧正の姿があった。
大天狗は言った。
「シンイチよ。わしは先に行く。
「えっ? どこに行けばいいの?」
「天狗の道をゆくのだ」
大天狗も、言うが早いか、山をまたいで山頂へ行ってしまった。
「えっ。何? ……何が起こってるの?」
河童のキュウとウリが、神妙な顔で寄ってきた。寒戸のババも座敷童子も寄ってきた。
「シンイチよ。大天狗の弟子にして、人の子よ」と寒戸のババが言った。
ぬらりひょんもネムカケを抱いて寄ってきた。うわんも、枕返しも、あかなめも小豆洗いもぬっぺふほふもカマイタチも。ろくろ首も一ツ目小僧も、のっぺらぼうも、唐傘お化けも、提灯お化けも、一反木綿もぬりかべも。口裂け女も人面犬も雨女も。鵺もがしゃどくろも牛鬼も、一本だたらも輪入道もキャシャも犬神も。
「え? 何? みんな、どうしたの?」とシンイチは戸惑う。
この中で一番の長老、ネムカケが口をひらいた。
「遠野には七十七の山がある。それぞれに妖怪が住み、それらを統べるのが山の王、天狗である。遠野には全部で十の天狗がいる。遠野を今後どうするか、十天狗の間での会議が持たれる。それを遠野十天狗会議と言うのじゃ」
「今後……どうするか?」
「今回の議題は、お主のことじゃろう」
「えっ? ……何を話すの? オレについて?」
「行けば分かる」
「なんだよ。みんな何か変だよ。大天狗は、十天狗にオレの力を示す時って言ったけど……オレ、殺されるの?」
「分からん。山神たる天狗の考えることは、わしら妖怪風情では何も分からぬ」
「大天狗の考えてることも?」
「大天狗というのは通称じゃ。奴の本名は、
「え。大天狗、名前あったんだ。薬師って、薬師岳の薬師か」
大天狗の消えた早池峰山頂の方向を皆は見た。遠野一の山、早池峰山頂の手前には、安倍が城よりも巨大な岩山が鎮座している。それを薬師岳といい、里の人々は
「十天狗に会いにゆけ。その筆頭が薬師坊じゃから心配するな」
ずらりと並んだ妖怪たちは道をあけた。その先に、早池峰の頂への道があった。
すっかり夜になっていることにシンイチは気づいた。シンイチは、観客とステージの境目に置いた天狗面を拾い、「天狗の道をゆけ」の言葉に従うことにした。
7
夜の山は、真の闇である。シンイチは早池峰山山中で、かつて大天狗薬師坊に稽古をつけてもらったから、自分の庭のように地形は頭に入っている。迷うことはない。だけどその山頂近くに、大天狗の言い残した「天狗の道」なんて見たことがない。
そういえば、はじめてこの山に連れて来られた頃、大天狗に夜の山で放り出されて超恐かったっけ。泣きそうになった。真の闇を経験することなんて、都会育ちの子供にはないことだ。闇は恐い。単純にその恐怖を、シンイチは朝まで味あわされた。それは「闇は恐いと知る」ためだ、とあとで大天狗に教えられた。
薬師岳は夜目には見えないが、今日もおそらくゴツゴツしている筈だ。一端薬師岳にのぼり、下って、シンイチは早池峰山頂を目指す。一般登山道も整備されているし、昨日雨が降った訳でもなし、山道に足を取られるということはなさそうだ。
「うーん。このままだと、早池峰神社の奥宮に着いちゃうんじゃないかなあ」
シンイチはふと風を感じて立ち止まり、後ろを振り返った。薬師岳の向こう、雲の隙間から遠野町の灯が見えている。闇の中で、灯は人の存在を教えてくれる。だから恐くない。
シンイチは腰のひょうたんから、刀身が折れて柄だけになった小鴉を出した。
「出来るかなあ……」
黒曜石の欠片は根元に残ってはいる。たいまつのようにそれを構えてみた。
「火よ、在れ」
ほのかな炎が、刀身の残骸からぽっと燃えた。そのわずかな灯に照らされ、山頂までの道が見えた。辺りにかざすと、見たことのない横道があるのにシンイチは気づいた。
「あれ? こんな所に横道あったっけ?」
シンイチは思わずその道へ入った。たいまつ代わりに小鴉の炎を掲げ、シンイチは驚いた。
「なんだこれ!」
道が、ねじれていた。
正確に言えば、道の両脇の木が異常にねじれていた。ねじれて育つ木は、普通育つ方向、つまり鉛直方向にねじを回すようにねじれていくものだ。だがこの異常なねじれた道は、道の進む方向にねじを回したように、並木がねじれているのだ。この並木道に掌を突き出し、強大なねじる力を使えばつくることが出来るだろう。
「ここが天狗の道?……」
渦を巻くようにねじれた巨木たちの枝をかきわけ、シンイチはその先に進んだ。
目の前に、狐火と白い小さな狐が現れた。
「……お前、動物の狐じゃないな。
「話が早いな。お前が早池峰の弟子だな?」と白狐は喋った。
「早池峰山薬師坊が本名だってさっき聞いたんだけどさ、そうだよ」
「オイオイあのオッサン、自分の名前も教えてないのかよ! ずぼらにも程があるだろ!」
と、白い狐の後ろから、身軽そうな小柄の天狗が現れた。
「あ。……飯綱使いか!」
白い狐は小柄な天狗の手を伝って肩に座った。
「よく知ってるね。オレサマは飯綱使いの神様さ」
飯綱使いとは、
「お前の実力を試そうかと思ってたんだけど、杜撰すぎて拍子抜けだわ。天狗の道を自力で見つけただけ褒めてやるぜ」
狐火に照らされたその天狗は白髪で、朱い顔に狐面のような文様をつけていた。
「オレサマは四の天狗、
一本高下駄を履いた飯綱神は、ぴょんぴょんと跳んで行く。
「早く来いよ! 置いてくぞ!」
シンイチも一本高下駄を履いた。
「ちょっと待ってよ!」
慌てたシンイチはひと飛びして飯綱神に追いつこうとした。しかし、はたと考えて立ち止まった。
「早く来いよ! 十天狗を怒らせるつもりか!」
シンイチは飯綱神の
「飯綱は嘘つきが仕事だもんね。こっちが正解の道でしょ?」
「ちっ。……お前、かしこいな!」
朱い鳥居のある広場に出た。
地面に巨大な
「早池峰神社の九曜紋だよねこれ?」とシンイチは聞いた。
「十の円は、そもそも十の天狗を示してるのさ」と、飯綱神は掌から小さな狐火を出し、鳥居の上に向かって言った。
「ものをちゃんと良く見る、まともな奴ですぜ」
轟音とともに、広場を巨大な炎が渦巻いた。熱い竜のようにうねり、視界を真っ赤に染め上げる。誰もいない広場だと思っていたのだが、既に十天狗はいた。それが炎で見えるようになったのだ。
炎に照らし出された十の朱い顔と二十の金の目が、シンイチを見ていた。
8
鳥居の上には、白く長い髭の長老天狗、その両脇に
全員顔が朱いと思ったのは炎のせいで、その中に一人だけ
「このボウヤが早池峰の弟子かい」
その横に、炎柄の着物を着た、牛のような巨躯の天狗が歩み出た。黒くて太い翼が印象的だ。
「思ったよりも子供だ。だが、思ったより賢い」
「お前ら、人間の子など褒めてどうする」と鳥居の上に座した長老天狗が口を開いた。
「人間など、焼き払ってしまえばいいのだ。心の闇も、人間がいたから生まれたのだろう。全部焼き払って、天狗と神と妖怪の昔に戻ればいいものを」
「人間の中には、見所がある奴もいる」と大天狗薬師坊は反論する。
だが長老は嘆くだけだ。
「早池峰の、どうしてお前はいつも人間の肩ばかりもつのだ」
「人間でもダメ。天狗でもダメさ」と、飛天僧正が空から現れ、近くの大杉の枝に腰掛けた。
「お前は十天狗ではないだろうが」と大天狗薬師坊は嫌そうに言う。
「観客さ。立会人とも言うね」と飛天僧正はニヤリと笑う。
「あの。……話が見えないんだけど」と、シンイチは天狗たちに物怖じせず聞いてみた。
十天狗は面食らった。白い女天狗は高笑いした。
「あはは。こいつは面白い。この子、十天狗会議に割って入ってきたよ。普通この光景にびびって立ち尽くすものなのに、なかなかいい度胸じゃないか! アタシは
「えっ。見てたの?」
「そりゃそうだろ。天狗には皆千里眼があるからよ」と、飯綱神は掌の狐火を弄びながら言う。
シンイチは全員の天狗の顔を見た。さっきから、なんだか巻き込まれ続けてる感じが気に食わなかった。
「何故黙る?」と飯綱神は聞く。
シンイチは皆に宣言した。
「オレは東京の高畑シンイチ。みんなからはシンイチって呼ばれてる」
天狗たちはまたも面食らった。
大天狗薬師坊が言った。
「それは、知っている」
「違うよ馬鹿!」と白女が制する。
「益々アタシは気に入ったよこの子!」
「?」
「自分が名乗ったんだから、お前ら名乗れって言ってるのさ!」
「なんだと?」
「わははははは」
炎柄の着物の、牛の如き天狗が笑った。
「これだけの天狗を前に、なんたる度胸だ。一本取られたわ。早池峰の、
大巨人でシンイチの師、遠野一の早池峰山を預かる薬師坊は名乗った。
「一の天狗、早池峰山薬師坊」
牛並の天狗は、自分に巻きつく大きな炎を出して言った。
「そして儂は二の山、
「ちんこ自慢はどうでもいいんだよ」と白女は横槍を入れた。
「アタシは遠野三の山を世話してる」
「
「覚えてくれて嬉しいねえ」
「オレサマも名乗ったぜ」と飯綱神が白狐を撫でながら言う。
「飯綱使いの神。四の天狗、
「記憶力いいね!」
残りの天狗たちも、一歩前へ出た。中国式の長衣を着た天狗が名乗った。顔に刺青が入っていて京劇の面のようだ。
「五の天狗、
その脇の鎧を着込んだ鎧天狗が名乗った。
「六の天狗、
山伏姿の天狗が名乗る。
「七の天狗、
八人目は片目の眼帯をしている。
「立丸はいつも固えなあ。もっとくだけようや。八の
修行者風の白い衣の九番目が名乗る。
「九の天狗、
鳥居の上の、脇侍の烏天狗たち。
「
「
最後に頂点の長老が、白く長い髭をしごきながら名乗った。
「十天狗の長にして全。
よく見ると深い皺だらけの額の真ん中には、第三の目が開いていた。仙人のような姿からは想像出来ないぐらいに声が通った。空気の振動ではなく、直接脳に届いている声なのかも知れない。
白女がシンイチに言う。
「これで全員名乗ったね。今日アタシらが集まったのはさ、長老や皆が、シンイチに聞きたいことがあるからさ」
「聞きたいこと? ……って何?」
「勿体振ってないで、さっさと聞いちゃいなよ長老」と白女は水を向けた。
「では本題だ。薬師坊の弟子にして人の子、シンイチよ」
「はい。……何でしょう」
「お前は、天狗に
「……え?」
予想もしていない問いだった。どういうこと? 言葉の意味をつかみかねた。自信が過信になり、得意になる慣用句の「天狗になる」では、この場合ないだろう。飛天僧正は修行で人から天狗になりつつある、とネムカケは言っていた。
飛天僧正が横から茶々を入れる。
「過信して鼻高々、の天狗ではないぞ。修行して天狗と化すつもりか、と長老は聞いたのだ。俺のようにな」
「え……そんなこと、考えたこともないよ」
天道坊はさらに詰める。
「では何故早池峰の弟子になった。何故天狗の力を欲すのだ」
「欲すというか……オレ『心の闇』で困ってる人を、助けたいと思ったから」
「なんだと?」と、天道坊は三つの金の目を剥いた。
「天狗の力を得ることは、普通不老不死の力を得る為じゃぞ。そこの半人前僧正みたいに、己のことしか考えぬ傲慢な男が天狗の力を求めるものだぞ」
「え? そうなの?」
半人前と言われた僧正は笑った。
「はっはっは。そういうことだ。修行の目的は私利私欲だ。天狗道なる魔道に身を落とすこと也」
「お前ら人間が勝手に天狗を魔怪扱いしとるだけじゃ。天狗は天狗。人間が勝手に意味をつけようとする」
「ふん。だが十天狗の四人もが元々人間だったではないか」
「お主のように愚かではないから、すぐに天狗の法を得られる素直さがあったのだ」
天道坊は怒りを示した。大天狗薬師坊が割って入った。
「皆も千里眼で、今日のシンイチの活躍を目撃しただろう。シンイチは妖怪たちの心を理解しようとし、我々には思いも寄らなかった『人間のやり方』で、妖怪たちの心の闇を祓ってみせた。わしが人間に希望があると思うのは、まさにここなのだ」
「呆れたわ」と天道坊はシンイチに向かった。
「お主、人助けのつもりで、妖怪相手に大芝居を立ち回ったのか?」
「え? うん。リアルじゃないって分かってても、みんな久しぶりに人間と遊べて、喜んでたでしょ!」
「妖怪は人間に迷惑をかけるのにか?」
「しばらくかけてないんでしょ?」
「妖怪たちを恨まんのか?」
「なんで? とくにないよ。ビジュアルはちょっと恐いけど!」
天道坊は驚いた目で薬師坊を振り返った。
「本当に、お前の言うことをこの子は成し遂げるかも知れん」
薬師坊は嬉しそうに答える。
「はい。この子の素直さは特別です。しかも今誰よりシンイチは、新型妖怪心の闇に詳しい。奴らを滅ぼし、妖怪と人間の正しいバランスを取り戻せる可能性を、私はこの子に見出しているのです」
シンイチは思い出したように天道坊に向かって言った。
「あ! オレサッカー選手に
天道坊は目を剥いた。
シンイチは続けた。
「誰でも、妖怪たちすら不安になるんだ。ひょっとすると不安が『心の闇』の大元の原因かも知れないね。不安なら、その人と話して不安を取り除いてあげるのが一番だよね? それが、大天狗の言う『オレの力』かも知れないんだけどさ」
天道坊はさらに三つの目を剥いた。さっきから目を剥きすぎて目玉がこぼれ落ちるかと、脇の左烏と右烏が思わず手を出した。天道坊は右手で烏天狗たちを制し、白く長い髭をしごいて三つの目を細くした。
「薬師よ、良い弟子を見つけたな」
ポンと、ひょうたんの栓を抜いた天狗がいた。八の天狗、最も酒好きな明神独眼だ。
「これにて、十天狗会議ドントハレだな! 早池峰のは良い弟子をとった! 十一番目の天狗の席を、シンイチの為にあけるとしようぜ!」
飛天僧正は露骨に「十一番目の席」に嫌な顔をした。そこは俺の予約席だろうが、と言いたげな顔だった。
めいめいの天狗はそれぞれのひょうたんの栓をポンと抜き、天に掲げた。
大天狗薬師坊が音頭を取った。
「今日の主役、シンイチに」
「シンイチに」と皆が唱和した。ひょうたんの天狗酒を一気飲みだ。
「げふう」
「え? なに? 酒盛り?」
シンイチは呆気に取られた。薬師坊は大声で言う。
「よし、宴会じゃ! 妖怪たちも呼んで騒ぐぞ! そうだ! 東京でどうやって『心の闇』を倒したか、色々聞かせてくれ。その点、天狗たちも気になっておるのだ」
「ちょっと待ってちょっと待って! オレ、そもそも小鴉直しに来たんだし!」
「おおう。忘れておった。修行僧飛天殿、酒も飲まずに小鴉を直してくれ給え。我々の今日の仕事は終わりなので」
「けっ。天狗なぞ、酒に溺れて死んじまえ」
「残念ながら、不老不死でな」
薬師坊は一度ひょうたんの栓を閉め、また開けた。なみなみと酒が入っている。天狗のひょうたんの酒は、決してなくならないのである。
飛天僧正は梢からふわりと降り立ち、シンイチの折れた小鴉を手に取った。
「何匹斬った」
「えっと、……」
シンイチはこれまで斬った妖怪たちを思い出し指折り数えた。
「弱気、誰か、めんくい、いい子……いや、どうせは大きかったから十文字に斬ったし、別人格は二十四だし、キックバックの時は二百以上……いや、野良を含めればもっとだ。……たぶん、数百は」
「良く頑張った」
はじめて屈託のない笑顔を見せ、僧正はシンイチの頭を撫でた。
「火よ在れ」
飛天僧正は右手から炎を出し、小鴉の溶接をはじめた。
「下がってろ。火花が飛び散る」
シンイチは数歩下がり、質問した。
「小鴉がなくても、さっきみたいに火をコントロール出来れば、妖怪は斬れるの?」
「そうだ。やって見せただろう。刀は触媒に過ぎぬ。シンイチは、まだまだ修行を積まねばならんな」
小鴉を溶かす一点に集中させた炎を、シンイチは見ていた。「天狗に
「オーイ、シンイチー!」
ぺたぺたぺたという足音と共に、河童のキュウが走ってきた。
「キュウ! みんな!」
キュウを先頭に、シンイチに助けられた妖怪たちがぞろぞろとやってきた。寒戸のババも、ぬら爺に抱かれたネムカケも、うわんも鵺も、みんな晴れ晴れとした顔(ということはおどろおどろしい顔なのだが)をしている。
「とりあえずこれ河童一族から、ぴっちぴちのヤマメ!」
「え、どういうこと?」
「十天狗会議のあとは大宴会って相場が決まってるのさ!」
「商工会議所のおっさんかよ!」
「不安」にやられずに助かっていた妖怪たちもやって来た。
寒戸のババが腕によりをかけ、色々な料理も持ってきた。ヤマメの甘露煮、鴨のひっつみ鍋(こんにゃくと大根と川蟹が、ババの今日のおススメの具)、胡麻豆腐、天狗の大好物の干し餅(冬に軒先で凍らせて乾燥させた餅。バターで焼くとサクッと旨い)。山菜はタラの芽、フキ、アケビ。海の幸は生ウニ、ホヤと今日の目玉
キュウはシンイチの目の前に、両手をついて構えた。
「親父とは相撲取った癖に、オイラとまだやってねえだろ!」
大天狗は酒を飲みながら言う。
「キュウよ。天狗も相撲自慢だと知っているな?」
「ひいいい! 無理っす! 人間相手で十分ですううう!」
わはは、と大天狗は笑い、シンイチに向き直った。
「さて。ようやくゆっくり聞けるときが来たぞ。東京の土産話を」
皆、思い思いに杯と肴を持ち、シンイチを中心に車座に集まった。ネムカケをおともに、飛天僧正の炎をかがり火に。
「え、詳しくはネムカケから聞いてよ。オレ、こんだけの人の前で話すの、苦手だよ」とシンイチはプレシャーを受けた。皆のわくわくした丸い目の期待に答えられる自信はなかった。
「しょうがない、では儂の全裸
「アタシたちはね、シンイチの口から直接聞きたいんだよ。遠野の家族の話としてね」
大天狗は言った。
「聞かせてくれ。どうやって心の闇を倒したのか。てんぐ探偵の活躍を」
皆はシンイチの顔を見た。シンイチも皆の顔を見た。咳払いをひとつして、シンイチは話をはじめた。
「都心にバスで行ってみたら、青い歪んだ顔の『誰か』が、サラリーマンに取り憑いてて……」
9
目を覚ますと、朝になっていた。どこでシンイチは眠りに落ちたのか、覚えていない。マヨヒガの布団の中だった。枕は返されていない。妖怪たちも、天狗たちも、僧正すらも、酔いつぶれて寝ていた。
枕元に、天狗面と小鴉が置いてあった。
小鴉を鞘から抜くと、ぴかぴかに黒光りする黒曜石の刀身が姿を現した。継ぎ目などまるで見当たらず、新品の刀のようだった。刀は触媒。その感覚はまだきちんと分かった訳ではないが、次の目標が出来たとシンイチは思った。
新型妖怪「心の闇」の最初の一匹は、ひょっとすると「不安な人の心」から生まれたのかも知れない。妖怪は、どんな時代のどんな世の中にもいるとすれば、昔と違う、新しい形の不安が、「心の闇」の正体なのかも知れない。
闇にかざすのは、炎だ。シンイチは昨日のかがり火を思い出していた。闇が恐いから人は火の周りに集まり、火で闇を照らそうとする。オレはそんな、人を暖め、明るくする火のようでありたいとシンイチは考えた。
ケータイにメールが届いていた。内村先生からだった。
『心の闇と思われる依頼あり』
シンイチは身支度を整え、ネムカケを起こした。
「もう。眠いよう」
「帰るよ」
「もうちょっと居ようよう。遠野、楽しいよう」
「うん。オレもそう思う。でも、使命があるんだ」
「なぬううう」
「心の闇が、また東京に現われたのさ」
大天狗はいびきをかいている。天道坊も白女も炎寂坊も、飯綱神も沈没中だ。キュウもウリも寒戸のババも座敷童子も、うわんも枕返しもぬら爺も鵺も、みんな爆睡中だ。
「いってきます」
シンイチとネムカケは、彼らを起こさないように、一本高下駄で高く飛んだ。
行く先は、心の闇に取り憑かれた人々の待つ戦場だ。
てんぐ探偵只今参上
次は何処の暗闇か
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