第7話 ツァトゥグアとの邂逅
四人が進んでいく洞窟は、強固な岩盤を刳
り貫いたように見えていたのだが、実際足を
踏み入れてみるとどうも足元が軟らかかった。
なにか巨大な生物の食道の中を歩いているよ
うな感じがした。なにかぶよぶよとしている、
とでもいうのだろうか。土、というよりは岩
なのだが。
「なんなんだ、この洞窟は。」
「壁もぬめぬめとしているようだね。」
「先生、そんな落ち着いて言わないで下さい
よ。先に何が待っているか判らないとき
に。」
「桂田、お前に言われたくはないぞ。」
いつも能天気な桂田に注意された綾野は多
少反省しながら先頭に立って進んだ。全員懐
中電灯は持参していたのだが、自然の光が薄
暗くはあるが、発光している。光苔の一種だ
ろうか。
洞窟は一本道だった。30分程降ったとき、
少し広いところに出た。
「ここは何かあるんじゃないか。」
「スミスの小説ではヴーアミタドレス山の洞
窟は何が棲んでいるのでしたっけ。」
綾野も岡本浩太もC・A・スミスはまだ研
究の対象にしていなかったので、それほど精
通している訳ではなかった。ツァトゥグアに
ついては、そのほとんどがスミスの言及であ
ったので、事前の知識がそうあるとは言えな
い。
「あっ、あそこに何かいますよ。」
桂田利明が最初に見つけて叫んだ。見ると
確かにそこには何か物体が存在している。ツ
ァトゥグアなのだろうか。
「動いた。」
その物体は体、というものであると言うの
ならそれは背中であったらしきものを此方に
向けていたようで、振り返ったとでもいうの
だろうか、此方を向いた。
それは、なんとも表現しがたい物体だった。
スミスの言及のなかで、ツァトゥグアは蟇蛙
に例えられていた筈だが、それはかなりその
ものを人間に判りやすい例えとして言い表し
ているだが、それはとても蟇蛙と言えるよう
な物ではなかった。
全体の形だけの話であれば、人間が認識で
きる一番近いものとすれば、確かに蟇蛙しか
思い浮かばないのだろう。そう云う意味では、
蟇蛙という表現はそう間違いではなかった。
「何者だ。」
その物体は到底人間の言葉を話すようには
見受けられないものだったが、その言葉を発
した者は、四人以外の者だった。ただ、それ
は本当のところは言葉として耳から入って来
たのではなく、そういう意味として認識でき
る思考として直接頭の中に響いてくる言葉だ
った。
「私達は妖術師エズダゴルに連れられこの洞
窟に来ました。そして、この世界には迷い込
んだとしか言い様がありません。四人の関係
だけ言いますと此方の二人は生徒ということ
になります。」
「お前達の関係など興味はない。何故にここ
に参ったのだと聞いておるのだ。」
「ですから、ただ迷い込んだだけだと。」
「そうではあるまい。お前とお前。その二人
にはなにか懐かしい臭いがしておるぞ。これ
は遥かな昔、我とともに戦った者達の臭いで
あろう。クトゥルー、ダゴン、ハイドラとそ
のような名であったか。」
「あなたはツァトゥグアなのですね。」
「それは我の名である。しかしその名で呼ば
れることはもはや無いであろう。我がここに
縛り連れられて久しい。懐かしい臭いをさせ、
我が名を呼ぶとはお前達は何者なのだ。」
ツァトゥグアは、どうも困惑している、と
いった感じが伝わって来た。長い間ここを訪
れる人間は居なかったのだろう。
「エズダゴルとは何者であるのか。我はその
ような者は知らん。我には永劫の時間がある
のだ。我を訪ねて参った理由を言うが良い。
存分に聞いてやろう。」
「私達はただこの世界に迷い込んでしまった
だけなのです。元の世界に戻りたいのです。
その方法を教えていただけるのならお願いし
たいのですが。」
綾野の他の三人は目の当たりにしたツァト
ゥグアに圧倒されて一言も話せなかった。
「ここから出る方法だと。それを我に聞きた
いと言うのか。なかなか人間としては畏れを
知らない部類の者らしい。一体どれほどの間
我がここに幽閉されているのか、知ったうえ
で言っておるのか。まあよいわ、我にはお前
達を元の世界に戻す義理は無い。反対にお前
達を元の世界に戻してやっても今の我の状況
に変わりはないであろう。さて、どうしたも
のか。それとも、我をここから連れ出してく
れるとでも言うのかな、侵入者達よ。」
それは神とでもいうべき者の、だが切実な
る願いであったのかもしれない。計り知れな
い過去の旧神との戦いに破れ、この洞窟に幽
閉されてから、ごく稀に迷い込む者達を相手
にすることにも久しく無かったからだ。
この洞窟に訪れた人間はかのコモリオムの
ラリバール・ヴーズ卿が、これも妖術師エズ
ダゴルに呪いをかけられて貢物にされて以来
絶えて居なかった。
「ツァトゥグアよ、私達にはそのような力は
ないのです。逆にあなたの力を借りようとこ
こまで来たのです。なんとか、私達を元の世
界に戻す術を教えていただけませんでしょう
か。」
綾野は正直に頼んだ。ツァトゥグアを開放
するというような嘘はついても直ぐにばれて
しまうに違いないのだ。それなら、駄目元で
正直に頼んだほうがマシだった。嘘をついて
怒らしてしまっては元も子もない。
「そうです、なんとかこの子達だけでも帰し
たいのです。」
橘も綾野と同じ気持ちになったのだろう。
恐怖の中でやっとの思いで搾り出したような
声で言った。実際ツァトゥグアの外見と言え
ば、その姿を見ただけで発狂する者がいる、
と言われていることが十分窺える容姿だった
のだ。頭の中に響いてくる声(思念)はごく
穏やかなのだが、外見とのギャップで逆に恐
ろしさが増しているくらいだった。
「なるほど、お前達の話は良く判った。それ
ならば、お前達を元の世界に戻してやろう。
我は幽閉されているとはいえ、そのぐらいの
ことなら簡単なことだ。ただ、お前達がこれ
から与える使命を果たせたら、その果たし具
合によって戻す人数を変えよう。うまく行け
ば全員戻れる、という訳だ。悪い話ではある
まい。」
「ありがとうございます。でもその使命とは
一体?」
「なに、簡単なことだ。我の使いとしてアブ
ホースの元へと行って来てもらいたいのだ。
ご機嫌伺い、といったところだ。」
「それはまさか、私達にアブホースの生贄に
なれ、ということですか。」
「違う違う、そうではない。お前達は我の使
いとして、更にこの洞窟を地下へ地下へと降
りていけばよいのだ。ただそれだけで、アブ
ホースの元に辿り着けるだろう。彼の者は産
み出す者であって、生贄を捧げるようなこと
はないのだ。我も生贄などを欲しているわけ
ではない。何を勘違いしたのか、時折我に生
贄を差し出す者がいるようだが、実は困って
おったのだ。お前達が言っておったエズダゴ
ルなどという者はその勘違いしておるうちの
一人であろう。」
なにか、どうも話が変だ。ツァトゥグアは
本来生贄を好むと伝えられている。ヴーズ卿
の場合はたまたま生贄を飽食していたので蜘
蛛の神アトラク=ナクアへの生贄にしたとス
ミスは言及していた筈だ。
「地下に降りていく途中には様々な試練が待
っている、という訳ですか。」
「それも違うな。アトラク=ナクアやアルケ
タイプ達は今でもこの地下に棲んでおるかど
うか、我には預かり知らぬことだ。彼の者達
は別に我のように幽閉されている訳ではない
のでな。このヴーアミタドレス山の地下洞窟
に幽閉されているのは我とアブホースのみだ。
他の者達は勝手に棲みついておるだけなのだ。
いつまで居るものか知れたものではない。」
「なるほど、場合によっては何事もなくアブ
ホースの元に辿り着けるということですか。
それで、アブホースの元に辿り着いたとして
そこで何をすればよいのですか。」
ツァトゥグアの考えはどうも読めなかった。
「お前達に与える使命は、ただアブホースに
会う、それだけだ。他意はない。ただ、四人
一度にいっても詮無いことであろう。だれか
一人にするがよい。だれが行くかを選べ。」
「では私が行きましょう。」
「先輩、それはだめです。私が一応調査隊の
隊長なのですから、ここは私の命令に従って
もらいますよ。」
「二人とも、さっきから僕達だけを助けるよ
うなことばっかり言って、4人全員で戻らな
くちゃ意味ないでしょうに。ここは若い僕が
いきますよ。いいでしょう。」
桂田を除いて三人はそれぞれ自分が行くと
きかなかった。
「お前達が決められないのなら、我が決めて
やろう。お前は左眼。」
そういってツァトゥグアは綾野の方を見た。
もしかしたら指差したのかもしれない。何処
が腕で何処から手なのか判別がつき難い。
「お前は右眼。」
今度は橘の方を見たように思えた。
「そしてお前は上半身、お前は下半身。」
岡本浩太、桂田利明を順に見た。
「それで一人として行くが良い。それ以外の
体は此処に残ってもらおう。」
ツァトゥグアがそういった途端、綾野の視
界の右が無くなった。身体は夢遊病者のよう
にのろのろとツァトゥグアに近づいていく。
そしてぶつかろうとしたとき、そのままずぶ
ずぶと音をたててツァトゥグアにめり込んで
しまった。橘の身体も同じように。岡本浩太
下半身だけ、桂田利明は上半身だけがツァト
ゥグアに吸収された。
「こっこれは一体。」
綾野が喋ろうとしても、声は岡本浩太の声
だった。
「どうしてしまったんですか。」
橘が喋ろうとしても岡本浩太の声だった。
「僕の声でみんな喋べっている。」
四人が合体させられてしまったのだった。
「そのまま、アブホースの元へと行くがよ
い。」
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