第7話ーーGod's in his heavenーー

「ヒハッ!ほぅら、俺の言った通りだ。出口だぜ」


得意げに呟いて茂みを掻き分ける。


果ての無い暗闇の中に僅かな明かりが差し、それが月光だと気付いた時には元居た山だった。


「やれやれ、手間の掛かるガキだよお前は。疲れたから寝るぜ、後は自分で帰んな」


珍しく心底から疲れたように言うと、シクイの気配は掻き消える。


自由の戻った身体には無数の擦り傷と倦怠感。肩に掛けた鞄さえ煩わしく思える。


「アンタに言われるまでもない。けど……流石に疲れたな、携帯通じるといいんだけど」


スマートフォンの画面には辛うじて電波が届いているようだ。しかし、助けを呼んだ所で何と説明したものか。竜胆が警察の車両を使わなかったのは職務外での行動だった為だろうが、私を訪ねた事は多くの人間が知っている。


「殺した訳じゃない、けど……」


私の意思であの場所に置き去りにした。この世から消し去ったという点では殺したも同然、いや、死体すら残らないと考えればもっと酷いか。


とにかく、まずはこの山を降りなければ。春先とはいえ夜の山は冷える、制服姿で留まるのは愚行というものだ。


「車があればなぁ……」


安物でもいい、早く免許を取って車を手に入れたい。若葉と2人で旅行に行くのだ。4人乗りなら向日葵と香さんも誘って。それはきっと幸せで……。


「……って、まだ死ぬほど弱ってないから!1人語りするほどの事じゃないから!」


割と打ちのめされていたつもりだったが、生きる為に心より身体が優先されているらしい。街の灯りが見える方へ歩き出す。


とはいえ街灯も無い山道をひとりぼっちで行くのは中々心細い。かと言ってシクイと話すのは気が滅入るし、そもそも今は眠っている。当てにするのが間違いというものだ。


「若葉に電話……は、やめとこう。下手に場所を特定されたらここまで迎えに来かねないし。あ、でもGPS機能があるんだった。こんな時間だし、ひょっとしてもう近くに来てたり……いやいやそれは流石に」


手にしたスマートフォンが瞬間的に光量を増し、振動を始める。


「ぅひゃあっ!!」


1センチは跳び上がってしまっただろうか。愛する妹の事とはいえ、タイミングが悪すぎる。


しかし、幸か不幸か画面に表示された名前は若葉のものではなかった。妹と親戚の他に登録されている番号といえば店と学校の電話、それ以外の数少ない連絡先。


「……向日葵から?珍しいな、電話なんて」


何用かは知らないがとにかくこれで話し相手が出来た、くらいに考えた私が通話の操作をした直後。


「紅葉⁈今どこに……うわぁぁ!」「もしもし、ひま……わぁぁぁ!」


繋がった瞬間に脇の茂みから飛び出して来た影に声を上げると、影もまた驚いたような声を上げる。


「も、紅葉……?はぁ、びっくりした〜」


耳に届く向日葵の声は電話越しのものではない。手元のスマートフォンに照らされた顔が紛れもなく向日葵なのだから。


「ひま……わり?」


「正解。ついでに店長も近くまで車で来てるよ」


よほど間の抜けた顔をしていたのだろう、額に汗を浮かべた向日葵が脱力した笑顔で言う。


「なんでこんな所に向日葵が?」


帰る手段が見付かったのは僥倖だが、問題はそこだ。もしや既に警察が動いているのだろうか。


「妹さんが店長に電話してきたんだってさ、大事な姉が帰って来ないって。もちろん今日は定休日だし?居ないって言えばそこで終わりなのにさ、店長ってばあたしにまで声掛けてきたわけ」


忘れがちだが若葉もまた警察は苦手としている。最初に連絡する相手として世話焼き屋の店長は最適解と言えるだろう。若葉との面識もある。


「ひょっこり帰って来るかもしれないから妹さんには家に居てもらってる。GPSで居場所を調べてもらったら、こんな山の中だって言うじゃん?ちょっとマジで焦った……もしもし、店長?見付けましたよ〜。それなりに元気そうです」


通話しながら手招きする向日葵に付いて歩く。聞きたい事が山ほどあるが、それは向日葵も同じのはずだ。


"あの刑事の事とかな。ヒハハッ!"


珍しく早いお目覚めのシクイ。どこから聞いていたのかは不明だが、状況は既に把握しているらしい。


そう、竜胆の事だ。山を降りるまでに上手い作り話でも考えるつもりだった為、今聞かれて誤魔化しきれる自信は無い。


"なぁに、本当の事を話してやればいいのさ。変態刑事に襲われて山ん中を逃げ回ってましたってな。あの女は姿をくらました事にでもすればいい"


それは最後の手段にしておこう、警察に介入されるのは避けたい。プロから見ればきっと私の供述は矛盾だらけだろう。何か角の立たない言い訳を……


「でさ、紅葉。会えたらまず聞かなくちゃならない事があったんだけど……」


引いたばかりの汗が全身から吹き出したかのような錯覚。やはり避けられないか。


言葉が出ない。何か、何か言わなければ、何か……。


「若葉ちゃんだっけ?あんたの妹。ちょっとシスコン拗らせてない?」


何か……。


「…………は?」


「だからあんたの妹。電話で少し喋ったんだけどさ、20時回ったくらいで心配し過ぎじゃないかって言ったら、何て言ったと思う?"姉さんが理由も無く私との時間を減らす訳が無い"だって。ちょっと過保護過ぎかもよ」


拍子抜け過ぎて前半は聴き取れていなかった。だが、話し方から察するに話題を逸らしたのは間違い無い。私の過去を鑑みて気を遣ってくれているのだろうか。私に他人の心を読む力は無い。


こういう時に限ってシクイは沈黙を保っている。頼りにしたい時に使えない奴だ、少しくらい助言をくれても良さそうなものだが。


「ぜっ、全然過保護じゃないよ!本当なら、学校以外の時間は全部見守っててあげたいくらいなんだから!」


あと妹の教育については別問題なのでしっかり反論しておく。


「あー、はいはい仲の良い事で。ほら、店長来たよ」


軽く流されてしまった。しかし反論は眩い車のライトの中に消えていく。それだけ私は疲弊していたという事なのだろう、安心感を覚えた次の瞬間には眩暈がしてたたらを踏んだ。


「……っと!こんなとこで寝ないの。ほら、乗った乗った」





クルマに乗り込んで店長に礼をした後はほとんど覚えていない。


眠っていたのは1時間ほどだったろうか。向日葵の話では、あの山は古くからひっそりと残る由緒ある場所なのだそうだ。私達の住む街と、隣町との間にありながら何故か開発の手が入る事無くあの場にあり続けているのだと。


「姉さん!!」


連絡を受けた若葉はアパートの前で不安そうにキョロキョロとしていたが、私の姿を見付けると縋るような笑顔で駆け寄って来た。


「わっ!ちょっと若葉、私今泥だらけだから……」


「ちょっと黙ってて!」


いや、抱き付いたりしたら汚れが移るけど、洗濯するの貴女ですよ?


そんな事はお構い無しに私の胸に顔をうずめる若葉。もとい、うずめるほどは無い胸に。


「……ごめんね、心配させて。悪いお姉ちゃんだ」


胸の中で静かに嗚咽を漏らす若葉の頭を撫でてやる、出来るだけ優しく。私などと違い繊細で敏感な、儚い宝物のような妹。またこの子の心に波を立たせてしまったようだ。


「……だけ」


「ん?」


「姉さんだけなんだよ?私の家族は。いつになったら自覚してくれるの……?」


「うん、ごめんね。ちゃんと分かってる、分かってるから……」


たった1人の私の妹だ、忘れた日は無い。この子にもう悲しみの涙を流させまいと生きてきた。




「あのーー。店長帰ったし、あたしも退散するから、続きは部屋でしたら?甘ったる過ぎて胸焼けがするんですけど」


夜とはいえここが往来であるのをすっかり忘れていた。あと向日葵が居た事も。


「…………っ、あの!」


忠告に従ってアパートへ戻ろうとすると、やっと顔を上げた若葉が向日葵を呼び止めた。人見知りのこの子にしては珍しい。


「えっ、あたし?もしかして電話での事、まだ根に持ってたりする⁈」


「ご飯、食べて行きませんか?もし良ければ……ですけど。あと電話では失礼しました」


眉をひそめて振り返る向日葵に向けられた言葉は、私にとっても意外なものだった。言われた本人は一層驚いたようで、片眉を上げたまま暫しの黙考の後、口を開く。


「あたし、カレー苦手だよ?」


「安心して下さい、肉じゃがです」


私の陰に隠れながらの会話ではあるが、若葉なりに恩を感じているのだろう。普段、顔見知り意外とは私が一緒でも話したがらない子だ。


「具材がほぼ一緒だけどまぁいっか、ご相伴にあずかろうかな」


皿の予備はあっただろうか。茶碗は確か2人分しか用意していなかったはずだ。そんな事を考えながら2人の背中を追う。



"俺も腹ペコなんだがなぁ……誰かさんに無駄な運動をさせられたお陰で"


「うるさい」


"なんだよ、いつもの調子に戻っちまった。か弱い女の子の時間は終わりか?"


「ふんっ、そのか弱い女の子にほとんど1人でやらせたのはどこのどいつよ?言っとくけど、車の中で話した事は無効だからね」


"そりゃないぜ!結果的に助けてやったじゃねぇか、せめて1回分の食事くらい……"


「…………でも、あの日の約束はもう忘れない。ありがとう」


"あ〜ん?なんだって?大きな声でもう一度"


「さっさとくたばれ化物」


"けっ、可愛くねぇ……"



玄関先から漂ういい匂いのせいか、思い出したように空腹の波が押し寄せてくる。とにかく私の食事を優先する事にしよう。


いつもより少しだけ賑やかな食卓を囲んで。







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