第34話 対D軍戦 第1試合 〜その3〜
相川が全ての塁を周り終わるのを待ってから、広兼監督がベンチから出てきてピッチャー交代を告げた。
たった今、敬遠球をスタンドまで運ばれた動揺を整理しきれないうちにされたこの非情な采配に、誰もが言葉を失ったが、誰よりも納得することができなかったのは、もちろん大前本人だった。
大前が、この交代を不服に感じるのはもっともの事と言えた。何と言っても、大前が投げて打たれたのは、例えホームランと言えども、この1打席だけなのだ。さらに、その内容も6奪三振とズバ抜けている。その大前を、まだ試合の序盤である4回に退げるのは、もはや制裁を通り越して嫌がらせのように思われた。
「あーあ、調子良かったのになぁ」
ベンチに戻った大前は、広兼に聞こえるような声でゴチる。その不遜な態度に対して、しかし広兼は目の色も変えず「調子良くなんかないだろ。少しはわきまえろよ」と逆に大前をたしなめた。それこそ気色ばむ大前に対して更に「俺は敬遠しろと言ったんだ。ホームランを打たれろとは言ってない」と、追い討ちをかける。
「そんなの、打つ方がどうかしてるだろ!敬遠球を!」ついに大声を張り上げた大前を周りの選手が慌てて抑えにはいった「勝負してれば打たれなかった。アイツは敬遠球だから打ったんだよ!」羽交い締めをされながら大前が喚き散らすと、広兼はそんな大前を睨みつけ「その通りだ、緩いんだよ、打ちたくなるくらいには」と凄んだ。そして更に「アイツは緩いとは言え敬遠球を打ったんだ。事態はオマエが考えている以上に深刻なんだよ」と言い、忙しいから邪魔するなと吐き捨てベンチ裏に入ってしまった。
試合の方は、D軍がその後のS軍の攻撃をなんとか凌いで6回まで進んだ。D軍2番手ピッチャー の田所は2回と3分の2を投げた所で降板、その後を石島が継いだ。その石島の登場にスタンドが湧く。中継ぎ投手でありながら、投手としてのゴールデングラブ賞を取った事があり“史上最強のセットアッパー”と称される石島が相川に打席が巡るこの回に登板するとあって、ここに来て勝負の機運が高まった。
S軍は先頭打者の湯川が凡打に倒れた後、こちらも好調の先発、佐川に代打を送った。先日の試合、G軍戦に代打出場をしてファーボールを選び塁にでた都留がバッターボックスに立った。
この打者の次は相川という場面。S軍の狙いは勿論出塁で、それを宣言するかのように都留はバッターボックスで小さく構えた。
“嫌なバッターだな”大高は、そう思いながら真ん中よりにストレートを要求した。こういう打者に対して遊び球は返って状況を悪くするという判断だ。しかし、その初球を都留はセンター前に弾き返した。そして、本日3度目の相川の打席が訪れた。
“何だって!?”
ベンチのサインに大高は思わず声をあげそうになる。それは敬遠のサインだった。確かに1点リードのこの場面で、相川に対して敬遠をするというのは合点がいかなくも無いが、だとしたらこんなに早い回に石島を投げさせる意味が無い。この局面だからこそ勝負だと大高は信じ切っていた。
そんな大高を石島は手招きでマウンドに呼び「敬遠と言っても思いっきり投げます。そう言われてるんで」と告げた。敬遠の趣旨はすでに石島には伝達済みだったのだ。
それを聞いた大高は背筋が凍る思いがする。
「そこまでなのか」
そうも言いたくなる。ベンチは、広兼監督は敬遠を成功させる為に石島が必要だと考えたなだから。石島の速球でないと、敬遠すらままならないと。
同じ敬遠であっても、石島の速球を目にしたスタンドは大きくどよめいた。捕球する大高も必死だ。
しかし、ここでS軍が動いた。
「タイム」
2球目を投げ終えたもころで、ベンチから安来監督が出てきたのだ。
“何のつもりだ?”
広兼の顔が曇った。ここに来て相川を交代させるのかと思われたが、何やら安来は主審に抗議をしていた。
“まさか”
一瞬、広兼の頭を過る不安は、そのまま的中した。
「ボーク」
主審は、D軍のプレーにボークの判定をし、1塁走者の進塁を告げた。主審はD軍バッテリー、大高のキャッチャーボークを取ったのだ。これは、敬遠時にキャッチャーがキャッチャーズボックス内に両足を入れていない場合に取られるボークである。高校野球の地方大会などで稀に見られる判定であるが、審判の裁量によるところが多く、プロではわざわざその判定が下る事は滅多に無いといえる。それを安来監督は指摘して判定を覆したのだ。
これに対して、D軍バッテリーは当然のように慎重になる。
四球を達成するまで後2球、ボークを取られなくても、捕球できずパスボールをすれば2塁ランナーの都留はホームを落としかねない。
そして、そうやって絡め取られていく。手を抜いたつもりは無くても無意識のうちにその以前より緩くなった石島の3球目は、相川がそれを捕らえるには充分で、2打席連続本塁打は、前の打席と同じく敬遠球を運ばれて成された。
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