第33話 対D軍戦 第1試合 〜その2〜
声援を力に変えるというのは良く聞く話だが、罵声を力に変えるというのは、まあ聞くことは少ないが、ある事なのだろう。
大前は、続く打者を立て続けに三振に取ると、悠々とベンチへ帰っていった。
「なあ」広兼は大前に声をかけると「何のマネなのあれ?」と抑揚もなく問いかけた。
「すみません。ランナー背負うと調子出ないもんで」
不遜に答える大前に、ベンチは緊張に包まれたので「申し訳ありませんでした」と、実際に隠し球を決行したファーストの池島が謝罪してその場を納めようとした。
「まあ、いいんだけどね」
頭を下げる池島を尻目に、広兼は続ける。
「この後の仕事に支障は出さないようにね。それと」重い沈黙を置いて「次も敬遠ね。失敗したら即交代だから」と、伝えるとそれ以上、広兼は何も言わなかった。
そんな広兼の態度に触発されたのか、大前のピッチングはその後、凄味を増した。2回3回とS軍の攻撃を三者凡退に切って取り、更にはその内容も6奪三振とS軍に攻撃の糸口すら与えなかった。
D軍攻撃陣にもその影響は良い方にでて、ベンチの緊張感をそれぞらがそのまま打席へ持ち込み、少ないチャンスを生かして2点を先制した。
そして、D軍優位で迎えた4回裏。相川に本日2度目の打席がまわる事となった。
守備から戻った相川は、用意していたもう一本のバットを手にして打席へ向かう。
「なあ、お前さんよう」安来監督が声をかけると、相川は視線だけをそちらに向けた。
「そのバットを使うのか。カカカ、よっぽど気に障ったようじゃの」
先の隠し球を指して、安来は言った。
「いえ、そういう訳じゃないですが、そろそろいい加減にしてもらいたいなと」
普段なら、はい、とかいいえ、とか、それぐらいしか答えない相川が珍しく返答する。
「なるほどなるほど、まあ好きにすれば良い。わしとしてはもう少しチームの事も考えてほしいもんじゃが」
「そのうち、そのうちチームの為になりますよ」
それ以上の話をするのを拒むように、相川はその場を立ち去った。安来は、相川にしては良く話した方だと思いながら、顎に生えた無精髭をなでていた。
2点をリードしている場面、加えて打者9人に対して6奪三振と好投を続けている大前の調子から考えて、ここは充分に勝負が出来る場面だと大高は考えていた。例え攻略出来なかったとしても失うのは1点のみだし、何にしても仕掛けない事には攻略の糸口さえも掴めない。現段階で相川に打たれない為の有効手段は、敬遠という対処療法しか無いのだ。
しかし、ベンチからのサインは敬遠だった。
広兼監督はどういうつもりなのか。今勝負をしないであれば、この3連戦、相川の打席全てを敬遠するのでは無いかという考えが大高の脳裏をよぎる。
しかも、マウンドで大前もサインを確認して舌打ちをしている。せっかく気持ちよく投げている大前の調子を崩してしまう事になるのではという心配も大高の心の中に加算されていった。
しかし、サインはサイン。監督の真意は後で確認するとしても今はサッサと目の前の仕事を片付けてしまおう。
相川が打席に立つと同時に、大高は敬遠のために立ち上がった。無論、スタンドからは罵声が飛んだが、どこか諦めが感じられるような弱々しいブーイングが送られるだけだった。
大前が1球目を放る。もしかしたらサイン無視の投球をするかも知れないという心配はあったが、キッチリと外に大きく外してきた。ただ、力の無いそのボールは、それで心情を訴えてきているようだった。
とりあえず、最後までキッチリ敬遠をしてくれれば良い。監督の気分をこれ以上害するのは得策では無い。今日の大前であれば、他の打者には通用しない筈だ。この打席が終わったら声をかけてやろう。
そんな事を考えながら3球目の敬遠球を捕ろうとした時、まるでコルクの栓を気持ち良く抜いたみたいな音が頭の中を駆け抜けた。そしてそれと同時に目の前にあった捕球するはずのボールが消えてしまった。
一瞬、我を失う大高の目をスタジアムの歓声が呼び覚ます。
それでも、あまりに唐突に起きた事態を把握するには時間を要した。それは誰もがそうであった。今、目の前で何が起きたのかを理解する事は簡単な事ではなかったのだ。相川が何をしたのか、その結果どうなったのか、それを知ることが出来るのは、ただ高く上がったその打球だけだった。
やがて、打球はライトスタンドへ吸い込まれる。多くの人が待ち望んだ、相川の第10号ホームランは、誰もが予想しないシチュエーションで実現された。
敬遠を挟んで10打席連続となるそれは、相川の意に反して記録し続けた連続敬遠の記録を自ら打ち切る形となったのだった。
相川は、そのバットで敬遠策を封じたのだった。
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