第32話 対D軍戦 第1試合 〜その1〜

 まだ風は冷たくはあったが、ナイター照明に灯りがともるとスタンドは徐々に熱を蓄えていった。

 多くのアマチュア野球大会が行われるため、関西にあるK球場と並び野球の聖地とも言われているS軍の本拠地は、その歴史も深く、レトロな雰囲気をたたえた球場だ。天気の心配なく楽しめるドーム球場に対して、やはり野球は屋外で観戦したいというファンには未だ根強く親しまれている。


 相川の鮮烈な活躍とそれに対するD軍の対応がどうなるのかという事が注目されたこの試合だったが、広兼監督がインタビューで発した敬遠策宣言は、見る者にとって本気とも嘘とも取れない三味線のようであったため、先日のG軍戦のような殺伐とした雰囲気はこの場では緩和されている。しかしながらS軍のホームスタンドでもあるJ球場に足を運んだ者のほとんどが相川のホームラン目当てであるため敬遠をせずに勝負をしてほしいと希望する声援は止む事が無かった。


 D軍先行で始まった1回表。これに対しても、もちろん応援をボイコットする必要はなく淡々と試合は開始された。やかましく繰り広げられる応援は決して静寂と呼べるものではなかったが、しかしその回の攻撃は静かに進んだ。


「今日の佐川。良さそうですね」

 関ヘッドコーチがぼやいたとおり、ここまでD軍はS軍先発、佐川の前にあっけなく2アウトまで追い込まれていた。

「だとしても簡単過ぎたよ、これじゃ」

 呆れたような物言いになる広兼監督だが、さして責めている様子はない。そもそも、広兼は打者に対して期待をしていない。それ故にバッター出身でありながら守りを重視したチーム作りを行っているのだ。これはD軍の打撃陣が低レベルと考えていると言うより、単に自分以上の実績を残せる打者がいないという少々、傲慢な考えの元での方針だった。しかしこれは過剰な期待をしないという事の表れであって、水モノともいえる打撃に頼らず堅実な守備を徹底していく事で勝利の確率を上げるというのは理屈からいってもごく自然な事ではあった。

「2、3点取れてれば勝負しても良かったんだけどね」

 そうだったのかと関コーチは多少その発言に驚いたが「とりあえず最初は敬遠しよう」と言われ、広兼監督は最初からそのつもりだったのだろうと改めて思い直した。


「結局、敬遠か。無視しちゃダメかな」

 大前の物言いに対して、大高は表情を歪める。

「ウソウソ。冗談ですよ」大げさに笑う大前だったが、決してその目は笑っていない。

「ちゃんと、ご指示どおりに」誰に対してでもなく嫌味ったらしく呟くとマウンドに向かった。


 審判のプレーの合図と共に大高が立ち上がると、さすがにその時はスタンド中がブーイングで包まれた。G軍戦から数えて7打席連続敬遠ともあればファンのフラストレーションも限界に達するであろう事は簡単に想像できる事でもある。


“こっちも、やりたくてやってる訳じゃねえよ”

 大前にしても今季初登板で最初のバッターに敬遠をするなど、確かに屈辱的な事ではあった。時折、ブーイングを送るスタンドを睨むように見渡しながら投球を続けている。

 そして4球を投げ終えた後、自分のグラブを外しマウンドに叩きつけた。

 D軍は険悪な雰囲気を察して慌ててタイムをとり、マウンドに集まった。


「カカカカ。何だアイツ、随分と芝居がかっておるのう」

 ベンチに座って、まるで他人事のようにそう言ったのはS軍の安来監督だ。

「あまり派手な事しても嫌われるだけだろうに。カカカカ」

 自チームのキーマンが敬遠されてもまるで動じる様子もなく、ただ相手ピッチャーの態度を笑っている。


 やがて大前も落ち着いたのか、D軍内野陣はそれぞれのポジションに戻った。大前本人は帽子で表情を隠すようにして、下を向きマウンドを足で慣らしている。

 観客からはブーイングが鳴り止んでいた。苛立つ素振りを見せられ自粛したのかも知れない。そう考えれば言えば大前のその行為は成功したとも言える。


 プレーが再開して2番谷池に対し、大前は長い間を取った。まるで投げるのを拒むようにしてサインに対し何度も首を振る。異様な雰囲気は絶えずグラウンドに漂い続けて妙な緊張感が生まれていた。

 ようやくサインに応じた大前は、セットポジションに入ったが1塁ランナーである相川に視線を向け、一度プレートを外す。牽制球を投げる前に相川が塁に戻った為、改めて打者に顔を向けた。そして、その時だった。リードを取るため塁を離れた相川の肩にファースト池島のグラブが触れた。振り返る相川の前で池島はグラブからボールを取り出し審判にアピールをした。

「アウト!」

 D軍は隠し球に成功した。サインプレーでは無かったのだろう。広兼はそれを見て舌打ちをしている。


「癪なんだよね。塁に居られるの」したり顔でそれを見守る大前に壮絶なブーイングが送られた。

「どうせヒール張るなら、これぐらいはしないとね」

 それに対して全く動じない大前を、大高は怪訝な表情で見つめていた。

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