第20話 対G軍戦 第2試合 〜その10〜
S軍は、石村を叩けば試合を決める事ができる。相川の前になんとかランナーを出したいS軍は代打攻勢に出たが、ことごとく石村の前に散った。スムーズな投球であっと言う間にツーアウトを奪い、少しずつだがチームに勢いを与えているようだった。
しかし、その空気を怪物の登場が一変させる。相川が打席に立つと球場全体が歓声につつまれた。
開幕からここまで8打席全てでホームランを打ち続けている打者に期待をしない者はいない。間違いなくこの場の主役は相川だろう。彼の為の舞台に他の選手たちは、ただの助演。バイプレーヤーとしてそこに立っているようにしか見えなかった。
だが、マウンドの石村だけはこの異様な雰囲気の中で飄々とマウンドを慣らしていた。そして大きな声で「ハツ」と初根を呼ぶと、グラブをしている手で大きく“立ち上がれ”と言う合図を送ったのだった。
促されるように初根が立ち上がると、先程まで歓声で包まれていた球場にブーイングが響き渡る。
大記録がかかっている選手に対する敬遠である以上、当たり前といえば当たり前の反応ではあるが、それは思ったよりも大きいものではなかった。
往々として敬遠というプレーにブーイングは付き物だ、逃げとも取れるこの作戦を歓迎する観客はいない。しかし、今石村が行なっているこのプレーに対しては非情とも言えるような罵声などは飛んでいない。見ているものもどこかで納得をしてしまったのだ、この場面で敬遠は妥当だと。戦わないと言う戦術の正当性を。
これは、つまり石村の作戦が功を奏したといえた。戦略としての敬遠によって次のプレーへ繋げる雰囲気は残せたのだ。
流石の相川も、敬遠球には手を出して来ず、石村の初球ボールが今シーズン相川への投球でホームラン以外のカウントととしては3つ目となった。この大きく外れた投球を打つのはいくら相川でも無理だと頭でわかっていても、初根はそれすら打たれてしまうのではないかと捕球するまで不安は残った。
相川の振る気のない態度を見て、初根は安心しながら石村へボールを返す。するとボールを受取った石村はすぐに投球フォームに入った。
“石村さんの敬遠ってこんなだったのか?”
初根は、慌ててキャッチャーズボックスに戻りながら、2球目の捕球体制に入った。その球は、まるで普段打者に対して投じられるのと同じようにテンポ良く、しかも敬遠球にしては速い。
初根は逸らさないように苦労しながら2球目、3球目を捕球し、それを石村に返す。石村は少しもリズムを崩さずに投球フォームに入った。それはたとえ敬遠といえども、試合の流れを崩さないようにするための配慮なのだと初根は思い、その思いを汲む用に集中してミットを構えると、石村は4球目投じた。当たり前のようにポジションを外した初根はその時初めて異変に気付いた。
“これ、外れてないじゃないか”
石村は、敬遠球ではなくアウトコースを突くような速球を投じたのだ。ポジションを大きく外していた初根はその球を取る為に慌てて戻る。
しかし、その必要は無かった。捕球をする前に相川のバットがそのボールを奪い去ったのだ。
鋭く振り出されたそのバットに打ち返された打球は大きくライト方向へあがる。
“俺ですら騙されたのに、コイツは”
苦々しく相川の顔を見上げた初根は、その様子がおかしいのに気付いた。動揺したように打球を目で追っている。
“え?”
初根も追うようにして打球を探した。
“もしかして打ち損じた?届かない?”
打球はライトスタンドポール際へと飛んでいたが、それをライトの権藤が追いかけている。元々深めに守っていた権藤はすぐにフェンスに張り付いて落下を待つ体制をとった。
届くか届かないかギリギリの飛距離。切れるか切れないかスレスレの方向。それを相川は確かめるように見届けている。
“奇襲が成功した。打ち損じたんだコイツ”
相川のこれが、初めて見せる顔だった。水上のスライダーをファールにした時にも見せなかったこの顔を見て、初根は相川の“不本意なバッティング”を垣間見た気がした。そう、ギリギリまで敬遠と思い込んでいたため反応が遅れたのだろう。それは、相川が超人的に全ての打球を読んでいた訳ではない事を証明していた。
“なるほど、石村さんはそれを”
初めから、石村は敬遠をしようなどとは思っていなかったのだ、その為にチームや監督まで騙して登板を志願したのだ。
初根はようやく納得がいったが、その思いを嘲笑うように打球はライトポールに当たりグラウンドへ戻ってきた。
線審が右腕を大きく回している。石村の奇策はあと一歩のところでかなわず、相川は1試合5本塁打、通算9打席連続本塁打を達成した。
相川は、打球の行方を確認するといつもの無表情に戻り、ようやくバットを置いて一塁へと向かった。初根にはその後ろ姿がひとまわり小さく見えた。
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