第15話 対G軍戦 第2試合 〜その5〜

 初根の異変に、さらに言えばその“力”に魅入られていたのは水上もまた、そうだった。

 初根が構える自信に満ち溢れたミットに、そのまま取り憑かれたようにして投球を続ける。

 それはまるで操り人形にでもなったみたいで、自分の想像以上の力が引き出されていく感覚は、さながら熟練の術師に操られた傀儡の心地良さを体感しているようだった。

 2回表に入り、最初のバッター上泉は三振に取ったものの、続く新内、小木久保と連続でヒットを許す。しかし水上にとって、そんな結果はどうでも良く、それらは全て1つのストーリーを収束する為のプロセスでしかないと心の奥底で納得というか、理解している。


 初根は、回の始まる前に監督と話していたプランを水上はおろか、他の選手にも話していない。それは、敢えてそうした訳では無くて、単に時間が無かったから。およそ理解してもらえるとは思えない状況を説明している内に、この“感覚”が薄れていく事を恐れたのだ。

 ただ、これも確信があった訳では無かったが、水上には理解してもらえていると勝手に感じてもいた。先の回から、水上とはこの“感覚”を“共有”出来ていると。

 何の迷いも無く、初根の思い描いた軌道を描き続ける水上の球は、初根の意識を更に深いところへ導いていくようだった。


 8番湯川、9番伊勢と、それぞれ三振とファーボールでテンポ良く打順を進めて行く。


“ちょっとテンポ良すぎかな?”


 水上は、苦笑いを浮かべながらマウンドで右腕をグルリと回した。

 調子は悪くない、折角だからとことん行きたい。

 2年半ぶりのマウンド、歓声。そして身体中の血が騒ぎ出すような興奮。それらをもたらすこの環境全てに感謝をしながら、グラブの中でボールを握る、重さを全く感じない。


“順調だ”


 自分に言い聞かせながら、バッターボックスに目をやると、そこには既に相川が入っていた。

 1度目は追い詰めるも、最後の最後でやられてしまった。どこに落ち度があったかわからない。それでも容赦なくスタンドに叩き込まれてしまう脅威を、今度こそこの右腕でしとめたい。

 水上は、思わず身震いした。勝負の世界に戻って来た事を改めて実感する。そして改めて、初根に視線を移しサインを確認した。


“インコースのスライダー?”


 初根から出されたサインは、1度目の対戦で相川にスタンドまで運ばれたそれだった。

 この時、迷いなく投げ続けた水上の中に、ごく小さな黒点が記される。


 インコースのスライダーは、投手水上の生命線だった。球のキレやスピードはもちろん大事だが、このコースに狂いなく投げ込む事が出来る否かが、いつでも勝負を分けてきた。水上のスライダーは、打者の目から見たとき、手元を離れ投げられた瞬間、大きく外れ、まるで自分に向かって来るように見える為、当たると勘違いする打者は仰け反り避けてしまう。しかし、そのままストライクにコースを戻すそのスライダーは、打者に内角への恐怖心を意識させるため、その勝負は一気にイージーになるのだ。

 だが、だからこそ使い方を間違えてはいけない。

 あえて、水上の生命線とも言えるインコーススライダーを狙う選手はもちろんいる。その時は、絶対にそこに投げてはいけないのだ。


 水上は、迷った。最初の打席を考えても、相川は狙っている。投げてはいけない打者だ。

 ここまで気持ちよく投げてこれた充実をとるか、それとも長年、投手として投げて守ってきた鉄則をとるか。


“よく無いな。迷いすぎた”


 水上は、少し間を取りすぎた事を悔いた。迷いはピッチング自体を悪くする。せっかくノれて投げれているのだから、今は流れを崩す場面では無い。

 そう決断をすると、改めて水上は初根のサインに頷きモーションに入った。


 ランナーのいる場面で未知の強打者。少し力が入ってしまったのかもしれない。テイクバックから腕を振り出した瞬間、水上は肘に軽い痛みを感じた。それは、それ程の痛みでは無かったが、水上の身体を恐怖で支配するには充分だった。

 振り下ろした腕には精彩も鋭さも無く、飛んで行ったのはただの棒球でしかなかった。

 その球が相川の手元へ届いた時、まるで水上の身体までも一刀両断するような相川のスウィングは、軽々とボールをレフトスタンド上段まで運んで行った。


 6打席連続、しかも満塁ホームランというおまけ付き。怪物は、何の躊躇もなく塁をまわっている。


 この大事な場面での失投。どこまでも水上を苦しめ続ける怪我という呪い。

 そんな水上を容赦なく葬り去る。そんな、一撃だった。


 ファーストの金原が、水上の異変に気付きマウンドに駆け寄り、それを見てベンチも動き始めた。

 他の選手や、コーチもマウンドへ集まって行く。


 そんな中ただひとり、キャッチャー初根はその場を動けないでいた。すでに初根の中には、あの研ぎ澄まされた感覚は無い。ただ、目の前で起こった出来事を受け入れる事が出来ずにいた。


“あいつ、水上さんが失投するのを分かってた”


 相川の6本目は、失投を捉えたで済まされる、そんな簡単なものでは無かった。


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