第10話 対G軍戦 第2試合 〜水上浩一〜
本物のスライダー。これを語るとき、誰もが口にするのが水上浩一の名前だ。
昨今、スライダーを武器とする選手は少なく無いが、彼ほどの賞賛を得た選手はいない。並みいる強打者をして、「あれは、分かっていても打てない」と言わせてしまうその切れ味は「鬼曲がり」とも「ブーメラン」とも形容される。
それほどまでに、水上のスライダーは各チームの打者にとって脅威だった。
そんな、水上ではあるが10年を超える長いキャリアがありながら実績は残せていない。これまで規定投球回数に達しているのがわずかに3シーズンだけと極端に少ない。原因は無論怪我である。これまで度々、戦線を離脱してきた水上をG軍は見放さず囲い続けてきたが、流石に今回の怪我では引退の打診を受けている。その後のコーチの椅子を用意してまで。しかし、水上は現役にこだわり、それまでの10分の1の年俸でこのシーズンを迎えた。
多くの人の脳裏にその存在を焼き付けながらの復活。G軍ファンならずも、心を寄せるプロ野球ファンも多い。
「初根。少し受けてくれ」
試合前の練習で、初根は水上から声をかけられた。
「はい」
無論、初根の方もそのつもりであったし、少し話もしたかった。
「相川なんだが、どうしたら抑えられる?」
話を切り出したのは、水上の方。初根は返答に困り「正直対策は無いです」と答えた。
「ハハハハハ。お前は成長しないな」
水上は大袈裟に笑いながら言った。
「キャッチャーってのは、もう少し気を使うもんだぜ?」
「しかし…」
「わかってるよ。それでも、だ」
またやってしまった。時折、初根はこうやってキャッチャーとしての資質を問われる。
「まったく。“黙ってればいい女”ってお前みたいなヤツを言うんだな」そのまま、水上は練習用マウンドへ向かった。初根もマスクを被り位置に着く。
「ストレート」
水上は言葉で言いながらゆっくりとフォームに入ると、緩めのストレートを放った。
“パシン”
力のないストレートだが、気持ちの良い音を立ててミットに収まる。
“あれ?”
思ったより手にグッと収まる感覚に初根は戸惑った。水上は続けて3球ストレートを投げる。どれもキレのあるストレートだ。
続けて「スライダー」と宣言して、水上は伝家の宝刀を投じた。
“パシン!”
恐らく全力で投じた訳では無いはずだが、ミットに収まった瞬間、初根は身震いを感じた。
“別物だ。前の水上さんのスライダーよりキレてる”
さほど曲がっている訳では無いが、初根は手応えでそれを感じている。
もっと受けたい。そんな衝動に駆られながら初根はボールを返した。
「ったく。わがままなヤツだ」
そんな、初根の様子を察しながら水上は「曲げるぞ」と声を上げて次の投球を放った。指先を離れたボールは一瞬、暴投と間違えるほどの発射角でありながら、そこから加速してストライクゾーンへ戻ってくる。
“パーン!”
初根はほとんどミットを動かさずにその球を受けた。身体中に電流が走ったようだった。
「オーケー。こんなもんでいいか」
初根の方はもう少し受けたいと思ったが、水上はたった6球で練習を切り上げてしまった。
「本物だ。本当に本物のスライダーだ」
取り残された初根は、1人呟く。そして、例によって本番に投じられるであろう水上の最高級スライダーを受ける事に対して興奮を抑えられずにいた。
高揚する初根の気持ちと裏腹に、試合前のミーティングは荒れた。スコアラー から相川に対して全打席敬遠が進言されたのだ。
「そんなバカな事出来るわけ無いだろ!」金原を筆頭に選手たちが声を荒げている。
「しかし、現段階ではそれしか手はない。もちろんあくまでも作戦の一環としてだ…」チーフである加藤もなかなか引かない。聞くところによると昨日は殆ど徹夜で相川のデータをひっくり返していたのだと言う。
「何か無いのか?あいつだって5年目だろ?」峰監督が冷静に問い正す。
「ありません。そもそもこの5年間、相川はホームラン0です。それどころか初球に手を出した記録もない」
「オープン戦から、調子を上げてたじゃないか。去年との違いは?」
「去年どころか、昨日の打席とオープン戦とでフォームが違う」
「なんだって?」これには選手達もどよめいた。
「資料はありますが、見ない方がいい。我々は全くの別人と認識する事にした」
「ってことは?」
「言ってみれば“未知のホームランバッター”とでも言うか?昨日の打席だけじゃ正体不明です」
「なるほど。わかりやすいな」選手たちが気色ばむ中、口を挟んだのは昨日4本目を許した安楽だった。
「確かに、アイツに投げる球は今は無い。俺はともかく山川が3本いかれてんだ。でも加藤さんよアレだろ?それってもっとデータ寄越せって事だろ?」
加藤は、それには答えず黙ってうつむいた。
「水上さん好きに投げましょう。もうハツは仕込んだんでしょ?」
その言葉に初根は思わず顔を赤らめた。
「そう言うことか。小僧にやられるのは癪だが、打たれたら打ち返すのみだな」
金原がそれに続くと、チームは士気を上げたように見えた。
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