第7話 開幕戦 第1試合 〜その5〜
相川が塁を周り終えホームに帰り着いたころ、ファーストの金原がベンチに向けて手で“×”のサインを送り、それを受けてベンチが動く。
選手交代が言い渡された。ただ、こういう場面にしては珍しく交代を告げられたのは、ピッチャー山川でなく、キャッチャーの初根だった。
怪我でも無いのにイニングの途中でキャッチャーを変えるという判断は、正直言ってあまり好ましいものではない。ピッチャーのリズムを崩しかねないし、そもそもリスク以上のメリットがない。
しかし、峰監督は金原の提案にすんなりと応じた。と言うよりも、峰自身にその判断がもともとあったのかもしれない。
相川の前の2本を考えても、崩れていたのは初根の方。おそらく今の本塁打で、試合中の立ち直りはない。今度こそ試合が壊れる。試合巧者の峰監督らしい采配といえる一場面だ。そして、それを可能にさせるのが代わりにキャッチャーを務める金原だ。
金原はもともとG軍の正捕手であり、初根の台頭によりバッテイングに専念するためファーストに着くようになった。
体力面での心配が無ければ充分正捕手を務められるだけの実力はある。往年のG軍ファンも彼がキャッチャーをする事に対し大いに沸いた。
こうして、相川の本塁打に崩れる事なく進行していった。
ベンチに戻った初根は、無言でプロテクターを外していた。周囲の見立て通り動揺を隠せていない。
「おい、しっかりしろよ正捕手」
声をかけたのは、ベテラン投手の安楽だ。
「ラクさん。ブルペンは良いんですか?」
さすがの初根も、憎まれ口を叩いてしまう。
「俺は今日は用無しよ。飲みにでも行くか?」
「結構です」
不機嫌でとった態度ではあるが、そもそも初根は安楽の事があまり好きでは無い。不摂生でやる気の無い、最近では敗戦処理がほとんどの安楽が何故一軍にいるのかと思ってしまうくらいに。
正直そこは単なるチーム事情で、左が少ないからと言う理由だけだから、安楽もその立場にあぐらをかいている節はある。
「あいつ、打つ前にお前の事見てたろ?」
その問いに、初根は思わず安楽を睨みつけた。
「怖い顔すんなよ。ありゃ化けもんだ、あんな芸当出来る奴がいるなんてな」
「俺のせいで球種が読まれたんです。あいつは山川では無く、俺のクセを何か知ってる」
「ぶは。考えすぎだろ」
真剣に話しているのに、からかわれているようで初根の機嫌は益々悪くなる。
「まあ、確かにお前はわかりやすいよな」
「え?」
「もともと、お前は“気分”受けるだろ?相棒の調子が良いほどキャッチングが良くなる。普通逆なんだけどな」
初根は驚いて聞いていた。そんな事は今まで言われた事が無い。
「逆って事も無いか。そうやって相乗効果で投げる方も良くなるんだから。まあ、つまり、お前が“捨て球”受ける時はモロに態度に出てるんだよ」
「わかるんですか?」
「わかるわかる。モロバレだよ」
「あいつは、それを見抜いて」
初根は愕然としたが、安楽はそれも一笑に伏せた。
「だから、考え過ぎだっつの。そんなの分かったってな、確認する奴はいねえよ」
「どういう事ですか?」
「おいおい、本当に少し冷静になれよ。ボール打つのに後ろ見る奴はいねえよ。それにそんな事で確認ができるんだったら、誰だってコース確認する為に見るだろ?あいつは少しおかしいんだ」
「おかしい?」
「球種分かってるぞ、あいつ。恐らくコースも」
「どうやって?」
「わからん。さっきのツーシームの時は投げた後に態勢変えてるし、今のチェンジアップはもともと狙っていたみたいだしな」
確かにそうだ。ツーシームを打たれた時、コースは逆をついていたように思えた。
「何かあるかもしれないな、サイン読まれてるとか」
「スパイ?」
「さあ、俺の頭じゃそれぐらいしか思いつかんが。けど、スパイ使うんだったら相川だけってのもなあ」
それもそうだ、頷ける。
「何にせよよお、それぐらい異常事態って事だ気落とすなよな」
「え、ええ」
気の無い返事をする初根に対して、安楽は急に真顔になり初根の肩を掴んだ。
「いいか?相川ってのがどれほどのもんかわからんが、球種がバレてる以上、配球なんてクソの役にも立たない」
安楽は手に力を込めて続ける。
「お前みたいなキャッチャーが必要なんだよ。ピッチャーの力を最大限に引き出せるような。明日までに立ち直れ、明日の水上の復帰戦、間違っても今日みたいな無様な姿見せるなよ」
滅多に見ない安楽の真剣な顔に、初根は思わず唾を飲み込んだ。
「おい、ラク!お前準備しとけよ」
ピッチングコーチの新田目が声をかける。
「え?俺投げんすか?」
安楽はいつもの表情に戻り、そう答えた。
「バカヤロウ、いつ何があるかわからねえんだ、準備しとけ」
「へへーい」と、ダルそうに安楽は立ち上がる。
「ラクさんありがとうございました」ああ、と返事をして立ち去る際、安楽は振り返りいたずらっぽく最後に言った。
「もし、俺が投げたら仇討ってやるよ」
「たのんます」初根はようやく微笑んだ。
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