かささぎにのせて

ハルスカ

かささぎにのせて

「もしもし?」

彼女の声が耳元で震える。

「あのね、わたし」




僕は今までずっと電話が苦手だった。

会話している相手の姿が見えない中、話すことがわからなくて沈黙になったときのあの気まずい感じがどうにもだめだった。

何もない空間に僕の声だけがふわふわと取り残されて、行き場を失ってしまった言葉が申し訳なさそうにこちらをみる。



でも君との電話は違った。

ただ耳元に携帯をあてながら、ときどきふと思ったことを話す。すると君はそうだねとコロコロ笑ったり、大変なのねと小さく怒ったりする。


僕たちは数分だけ話すこともあれば、何時間も電話を続けることもあった。

通話時間が5時間を超えていても実際はそんなに話していないことがほとんどだったりする。

何も話していなくても、電波に乗った君の呼吸を感じて、あぁそこに居るんだなと思うだけでよかった。



彼女は電話のことを、かささぎみたいと言った。


「かささぎっていう鳥がいてね、」


6月の終わり頃、穏やかな雨音に彼女の声が重なる。


「七夕の日にその鳥たちが翼を広げて織姫と彦星が会えるように橋渡しをしてくれるのよ」


橋になってかささぎがあなたの声をわたしに届けてくれるの。敵わないなと思った。

僕はかささぎなんて鳥を知りもしなかったし、知っていても電話をかささぎみたいとは思わなかっただろう。



彼女はいつもそうだ。簡単に僕の心を塗り替えてしまう。


せっかくの休日なのに雨でどこにも行けないんだ、「一日中何もしないで家にいることを雨のせいにできるね。」


久々に会う約束をした友人が2時間も遅れてきたんだ、「待った時間が長い方が会えたときの嬉しさも大きくなるでしょ?」


彼女と話したことのひとつひとつが新しい僕になって、彼女の言葉の欠片たちが僕を動かしている。



窓枠に背をもたれて、ベッドの隅に体育座りをしながら君の声を聞く。

きっと君は最近買ったというお気に入りのクッションを抱きながら目を閉じて、ゆっくり僕の方へ声を届けている。




「あのね、わたし結婚することになったの」


まるで子猫を拾ってきたの、とでも言うようだった。優しさで溢れていた。


「それで彼の仕事の関係で海外に移住するの」


やっぱり、やっぱり違うよ。電話はかささぎなんかじゃない。

だって恋人同士の織姫と彦星が会いたい気持ちを募らせて渡って行くんだろう?


これは聞きたくない言葉だってあっさり僕の耳まで届けてしまう。届いてしまった言葉は心臓にまでたどりついて、やがて僕の体をぐるぐるとまわるよ。君の言葉は僕なんだ。



「もしあなたが良ければ、電話は無理でも手紙とか....」


これから僕は君の言葉を糧に動くことはできないんだな、それができるのは僕じゃない。

呼吸を整えて、僕の声をのせる。


「いいや、僕と君のあいだにあるのは電話だけでいいんだ。」


かささぎはひとつだけでいい。一方通行だとしても、君の声を届けてくれる電話はやっぱりかささぎだと思ってしまう。

駄目だな僕は、すっかり君に酔わされている。



「結婚おめでとう、どうかずっとお幸せに」


「うん、ありがとう」


電話ばかりだった僕たちに、いや僕に残されたのは液晶画面に残る通話履歴だけ。

たった一言も彼女の言葉は記録として残っていないけど、たしかに僕に届いていたんだ。


僕が息をすれば僕の中の彼女の言葉たちも体をめぐって生きていることがわかる。


さようなら


通話終了のボタンを押す。最後の電話、もう履歴が更新されることはないだろう。

静かに息を吐いて、それからゆっくりゆっくり吸う。余韻なんか残すな、今の気持ちも全部丸ごと飲み込め。



気づくと背中から雨音がしていた。今日は一日中ずっと家に居られるな。


うん、まだ僕の中にいる。まだ大丈夫。

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かささぎにのせて ハルスカ @afm41x

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