第2話 異世界での目覚め

 脇腹を何かで突かれる感触に、俺は目覚めた。


 目を開くと、石造りの天井が見える。大理石のような、光沢のある石だ。継ぎ目が見当たらない。暗い部屋に何かの薄ら白い灯りがついているのだろうか。ぼんやりと光を照り返す天井。


「知らない天井だ」


 お決まりの台詞を口にしてみる。この時点で俺は十中八九、超常的な出来事が発生していると思っていた。謎の怪光線の後に記憶が無い。確かに俺はビルの屋上に居たのにここは室内だ。そして。


 自分の声が嗄れた、ひび割れたような酷い声だ。


 腕を持ち上げてみると、老人のように萎れた、枯れ木のような腕が見える。ってか、これ、俺生きてるのか? まるっきり土気色の腕。


 おもむろに、俺は首を左に向ける。声を出した途端に止まった、脇腹を突いていた主がそこに居るはずだ。そこには――


紳士達よ!集合だぞ!

俺が心の中で号令を掛けたくなる程、中々可愛い。大人になったらさぞかし美人になるだろう、整った顔立ちの幼女がいた。

 茶色の革のサンダル、白い素足、草色の半ズボン、杖を持つ白いほっそりとした手に草色のチョッキ。素肌に着てるのかよ、イカ腹にへそが見えるぞ。無邪気そうな、男とも女とも取れるが茶色の髪が長いことから・・・・・・5~6歳くらいの幼女に見える人物が、杖先を俺に向けていたのだ。


「君は?」

「私はナギウス。ナっちゃんです。この迷宮塔メイズ・タワーを管理する家妖精です。あなたの事はその身体の前の持ち主だった魔法使いのルス爺、ラウィーネルスタンからちょっとだけ聞いてます。名前はカミキシンですか?」

「ちょっと違うが・・・・・・ああ、シンで良いよ。その方が呼びやすいだろ?」

「判りました、シンですね。あなたはラウィーネルスタンが異世界、つまりあなたの元居た世界に行くときに、偶然見つかったそうです。なんでも、もの好きにもこっちに来たがってたそうで?」


 なんのことだ? と俺は思ったが、すぐにビルの屋上の事を思い出す。確かに、異世界に行ってみたいとは口にしたが・・・・・・まさか、まさかそれがきっかけか?!

 

「ルス爺にとっても丁度良かったみたいで、お互いの魂を入れ替える形で、ルス爺はあなたが居た世界に旅立ちました。あなたも向こうの魔法使いみたいだから、その気があるなら、ここで勉強してラウィーネルスタンの魔法を継がせてやってくれって言われてます」


 なんで俺が日本の魔法使いなんだよ。ま、まさか・・・・・・確かに30歳過ぎてるけどさ、いや、しかし・・・・・・と、ともかく、学ぶチャンスではあるらしい。


「よく判らんが、俺が魔法使いになれるんだったら、確かに学んでみたいな。どうすればいい?」

「上にルス爺が使っていた書斎部屋があります。そこで勉強すればいいです。寝る間も惜しんで勉強しやがれです」


 寝る間も惜しんでって以外とスパルタだな! ってか、結構口悪いな、この子!

 俺の驚きなど気にせず、ナギウスは続けた。


「あなたは不死霊師イモータルソウルなのです。老いた身体の時間を止めて、魂が憑依して動く高位アンデッドです。だから、食事も寝る事もする必要はないんです。ただし、体表に汚れがついたままだと身体が臭くなるので清潔にしないとダメです。ルス爺は湯浴み嫌いだったから・・・・・・けどシンはどうですか? ナっちゃんとしては出来れば身体は洗って欲しいんですけど」

「風呂は好きだが・・・・・・しかし、その理屈だと肉体ではあまり感覚がないってことか?」


 そう言いながら俺は自分の両手をさすってみる。温もりは感じず、皮膚感も薄い。はぁ・・・・・・よりによってアンデッドとは。

意外とショックを受けていないのはまだ異世界の実感が足りないからなのか。とりあえず俺は身体を起こしてみた。


「そうですねぇ。本来、魂の方で感覚を受け取ってるから、視覚、聴覚はあるけど、嗅覚と味覚は死んでるらしいです。触覚は少しだけ感じるらしいです。そうじゃないと身体を巧く操作できないと聞いていますです」

「そうまでして肉体に拘る理由ってあるのか?」

「魂だけのいわゆるゴーストになっちゃうと、魔素の消化効率が悪い事とか、触媒や呪文書に触りたいときに触れないとか、不自由はあるみたいです。もっと霊格を上げて精霊級の存在になれば身体なんてもう要らないらしいんですけど」

「君は妖精? 精霊とはどう違うの?」


 ナっちゃんは立ち上がって杖を立てながら右手を腰に当てた。ふんぞり返って胸を張っているようだがイカ腹のほうが目立つ。


「精霊は霊命体ですが、妖精はあくまでも生命体です。肉体を持っています。もっとも、ナっちゃん程の妖精になると霊格が高いので、死ねばすぐ精霊になれるです。でも、精霊になったら家のお世話は出来なくなるです。家妖精は居ても家精霊は居ないのです」

「事情は判った。俺としては、正直、身体は普通の肉体が欲しいな。美味いモノも食えないしそもそも・・・・・・」

「そもそも?」

「い、いや、何でも無い。肉体を捨てるほど、俺の心は枯れていないってことだ」


 誤魔化したが、本当のところは・・・・・・まだ彼女も居ないのに肉体捨てるってのはちょっと、な。異世界ならモテ期来るかも知れないし?

 この身体で性はどうするのか、あとで股間を見なければなるまいが、ちょっと怖い。


「魔法の勉強をすれば、身体を作り直す事も出来るらしいです。ルス爺はそこまで予見してましたです」

「ほ、本当か!?」


 なんだ、それなら問題ないじゃないか! 当面の目標は魔法の修行と肉体を作り直す研究! 良し、方針が決まったな! ブラック企業戻るより異世界ライフのほうが良いじゃん!


「やる気が出てきたぜ! ナギウス、これからよろしくな!」


 俺はずいっとナギウスに近づき、握手しようと右手を差し出したが。


 ガスッ!


 俺はナギウスの持つ杖で胸板を突き飛ばされた。

 アンデッドであるために痛みはないのだが、その行為はショックを受ける。


「何すんだっ!」


 杖を俺に突きつけるようにして俺から離れながら彼女は俺を睨み付けた。


 あ、それはそうか。こんな汚いアンデッドには近づかれたくないのか。とは言え、先程までの態度からそんなに嫌われては居ないのかと思ってたからショックだ。そう思っていたら。


「あのね、あなたの身体は常にエナジードレインっていう、周りの生命力を吸い取って魔力に変える力があるのです。だから、この杖くらいの範囲より近づくとこっちもぐったりしちゃうのです」


 あ、そうなんだ。


「ナっちゃんは普段、近づかないか近距離転移であなたを避けて動きますからね。人並みに戻るためには勉強して貰わないとです。それと、ルス爺は呼んでくれなかったけど、ナっちゃんの事はナっちゃんと呼んで欲しいです。呼ばなかったらゴーレム呼んで文字通り頭に呪文書を叩き込むです」

「過激だなぁ、おいっ! 判ったよ、ナっちゃんよろしくねっ!」

 

 ふむ、家妖精のナっちゃんね。ちょっと毒舌だが、なかなか可愛いパートナーじゃないか。俺はロリコンでは無いが、可愛いモノは好きだ。小動物も子供もな。パートナーを愛でるためにも、魔法の勉強頑張りますか!


 日本の生活に全く未練が無いわけでは無い。しかし、身の上は天涯孤独、学生時代の友人との付き合いも年賀状の交換くらいしか無く、仕事で知り合った人間は多いものの付き合い方は広く浅くであった。


 ラウィーネルスタンが変な事や犯罪者にでもなるとその責任が全部、元の俺の身体や社会状況に負わせられるというのは幾分気に掛かるが、とは言っても今更どうにもならない。

 俺は俺で、新しい世界で生活するしかないのだろう。そう割り切る事にする。国家公務員は順応性が高いし、転勤族なのだ。俺は内心にけりを付けると、ナっちゃんの案内のまま、目覚めた儀式の間から部屋の隅の階段を上がり、通路を抜けてラウィーネルスタンの書斎に足を踏み入れた。


 こうして、俺の異世界ライフ、アンデッドライフが始まったのである。


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