謝罪と訂正、そして下心

今しがた風呂に浸かりながら前段の初めに述べた『不道徳教育講座』を読んでいたら大変なことに気付きました。


取っ掛かりで引用した、「やれやれこの女学生好きのするペンネームよ」という部分は確かにありました。しかしこれは自殺志願の青年から三島由紀夫の元に送られてきた手紙、その宛名の下に書かれた一文。つまり気取った青年が三島由紀夫に挑戦するような形で書いた一文なのです。


「役場見本みたいにしろ」とか「モテアピール要らない」などと生意気に書いた私は稀代のトンチンカンです。書いた内容全てに影響する大ポカをやらかしておりました。何が自嘲的に書いていた、でありましょう。漢字ドリルからやり直せ。


今回は謝罪と訂正でありますので「である調」は取りやめて「ですます調」で書きます。『不道徳教育講座』に倣っての口調とも言えるでしょう。そして自戒を込めて前段の訂正は致しません。


さて私は真っ先に思いました。「こっそり消してしまおうか」と。


流石に直前のエピソードを丸々消すと気付く方も居られるやも知れないので、一部だけ、こっそり差し替えれば分かるまい。なにせ私はかつてこの駄文集の一つをこっそり公開停止にして、それを元に小説を書いて賞レースに送ったことがある男です。そして結果は前段でお伝えした通りであったのでこっそり公開を再開した男でもあります。


しかし思い直したのであります。「ちゃんと釈明したほうが得だな」と。


世の中に「正直は美徳」という風潮があるのは2017年になっても変わりません。ワシントンが桜の木を切ってしまい、ワシントン・パパへ正直にごめんなさいしてから150年以上が経ち、大統領は寧ろ公約の全てが嘘であって欲しい人物に変わりましたけれども、大抵のことは「私が悪かったですごめんなさい」で済むのは変わっていない。「ごめんで済むならケーサツは要らない」という名言もあります通り、済まないことは警察に任せましょう。


さて、私が今回のミスを訂正しなかった場合『不道徳教育講座』を読んだ方が気付き、指摘し、その指摘が衆目に触れるまで私の評価は変わらない。その確率は殆どゼロであると言っても良いので、評価変動の期待値(以下これをΔ評価と置く)はプラスマイナスゼロということになります。


私は今、こうして謝罪と訂正をしている。と書いた後、読み返してみたらまだ謝罪の言葉を述べていません。本当にすいませんでした。もう適当な引用はしません。


とにかく今、謝罪と訂正をしたので読んで下さっている皆様も


(言わなければ気付かないのに梅花藻は出来た人間であるなぁ)

(仕方ないからこの話にハートの応援マークを付けて安心させてやろう)


こういう風に思われたはずでしょう。もし思っていないのならあなたは狼か何かに育てられたはずである、違いますか?


これによってΔ評価はうなぎ上り。そして皆様を騙すことなく事を終息したということで私の心的負担も取り除かれ、大団円でこの話は終わり。いやあ正直って素晴らしい。



といって私を逃がしてはなりません。皆様に於かれては私を指弾しなければならないのです。今の私の態度は正直を盾に取ったというべき、正直者にあるまじき態度なのであります。そして今回の話の核はここにあります。私は自分の正直を看破したい。


大体人間というものは物事が表と裏の二つで出来上がっていると思っています。表と裏を確認したらそれですべてを知った気になってしまう。


詐欺手口の一つに「詐欺に遭った人を騙す詐欺」というものがあります。つまり「詐欺に遭われたそうで。被害金を一緒に取り返しましょう」などと言って更に金を巻き上げるという手法です。被害者はまさか詐欺師が詐欺という言葉を使うとは思わないからついつい騙されてしまう、そういう手口です。んなアホなとお思いでしょうが実際に被害が起きているのだから仕方がない。


今の私はこれに近い。謝罪と訂正をするならただ一筆「ここが間違ってましたごめんなさい」とかけばよろしい。しかしΔ評価の向上の為、自分が正直であると思ってもらうためにわざわざ『「こっそり消してしまおうか」と思ったこと』を書いたのであります。次に続く「公開停止して戻して」という部分も同様の狙いを持っての文章です。悲しいかな内容は本当のことです。


「言わなければ気付かないのに梅花藻は出来た人間云々」と書くことによって(こう思ってほしいと明言するってことはこれ以上裏は無い。梅花藻は良い人間である)と判断してもらう効果を狙っているのであります。


私は自分のこういう態度がキライです。一番どうにかしたい部分かもしれない。人の良心に付け込むようにして誠心誠意謝るべき場面で自己保身を図る、そんなやり方は卑怯この上ない。



と書くこともまた然り。お分かりですか。



この開示もまた私の偽りの正直を看破して私が良い人間であることを証明するための手段なのです。そしてこれもまた私の偽りの正直を看破して私が良い人間であることを証明するための手段を明言することによって…(以下略)


私が潔癖すぎるだけなのでしょうか。人の胸の内というのは分かりませんので人は一体どこまで考えて正直を行っているのか分からないのです。ワシントンもまたこういう小狡いことを考えた結果正直を行ったのかもしれない。一体世にどれだけ真の正直があるというのか、そんなことを風呂場で考えました。


謝罪文を考えていたはずがいつの間にか正直とはなにかというマイケルサンデル教授的な話にすり替わっておりました。深く反省しております。私が正直者であるかどうかは皆様の判断を仰ぐとして、居られないでしょうが、もし三島由紀夫が自分のペンネームを女学生好きのする名前だと言っていた、と友達に喋ってしまっていたら、訂正後に上のような話をして誤魔化していただければ幸いであります。

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