筆名は恥ずかしい

三島由紀夫こと平岡公威氏が『不道徳教育講座』という著書の中で言っていたことを思い出した。当該箇所がすぐには見当たらなかったので適当な引用で申し訳ないのだが「この女学生好きのする名前よ」ということを自嘲的に書いていた。もしかすると自慢かもしれない。


だったら役場においてある書類手本のような、味気ない筆名(例:書類太郎)にしたらよかったのにとその手のモテアピールに厳しい私は思った。そもそも現在の感覚からしてさほど女学生が好む様に思えなかった、ということもある。由紀夫という名前からとある政治家を連想してしまう、というのは無論である。気になったので命名秘話を探究することにした。


そして調べていく内に驚愕の事実に行き遭った。三島、というのは静岡県の三島市というところから来ているらしい。なぜ驚愕なのかと言えば私がその三島市出身だからである。


別に隠す事でもないが大手を振っていうことでもない。読む人が読めば奴さん、どうやら梅花藻とかいう筆名でインターネットに文章を投稿して供養している狂人らしいという噂が三島市に広まってしまうかもしれないが致し方ない。これを言わずして先には進めないのである。しかし私を特定する遊びは遠慮していただきたいし、帰った時に筆名で煽り立てられるのも御免である。


さて、三島由紀夫の筆名は同人の先輩(?)に付けてもらったものであるらしい。三島に立ち寄った際、見えた富士山の雪が大変美しく、それにちなんだものであるという説も見つけた。


そして私の筆名「梅花藻」は自分でつけたものである。三島市には市の花に指定されたミシマバイカモという可憐な花がある。その花言葉が「幸福になります」であるということを知り、当時就職活動中でやさぐれていた私が「確かに幸せになりたい。出来れば働かずに」と思って付けたものである。これは説ではなく事実である。


急に話が一転するが、少し前に人生で初めて小説を書いた。書いた、というのは書き切った、ということであり今カクヨムに転がしているものは途中で行き詰って今は見ないふりをしている。勿論書き切りたい気持ちは大いにあるが才能と根気がない。


折角書いたのだから応募しようということになり、私は小説賞に応募することにした。主宰文学賞委員会宛ての分厚い封筒を郵便局に提出するとき、受付のお姉さんが私の顔と宛名を繰り返し見たことにきちんと気付いた。書き終わった興奮というか、ライターズハイというものが冷めていなかったので「未来の大作家であるぞ、控えい」という気持ちになったことを戒めとして書き残す。露となって消えてしまいたい。


その際、同封の書類に住所や年齢を書く欄があって、希望の人は筆名でもよいということになっていたので私は「梅花藻」と書いておいた。一応軽く調べてみたら同名の作家は居ないようだったので恥ずかしげもなく「梅花藻」を名乗ってしまった。梅花藻も選ばれて迷惑しているということは考えていなかった。


それから時は過ぎ、結果が発表された。箸にも棒にも引っかからないとはまさにこのことだと思った。恐らく匙や熊手や釣具にも引っかからなかったであろう。読み返してみたら余りの不出来に顔から火が出て紙を焼いた。故にその作品はもう存在しない。


我が家のポストには落選通知書が投げ込まれる運びとなった。このご時世にわざわざ書簡とは流石文学賞だと思ったが宛名を見て再び顔から出火した。しっかりとした明朝体で「梅花藻様 気付 ○○(本名)」と書いてあったのである。


自分の付けた筆名が印刷物になり、広大な国土を駆け廻ってやって来ることがこんなに恥ずかしいとは思わなかった。梅花藻には一分の罪もないし、なんであれば美しい名前だからこそそれに憧れた私が名前を拝借したわけだが、私という人物と梅花藻という花のかわいらしさがあまりにも乖離していて名乗る資格がないように思われた。


さらに問題なのは苗字がないことである。例えば三島由紀夫であればきちんと苗字+名前という構成になっていて筆名という感は薄い。梅花藻とはなんぞや。いい加減にしろ。そういうのはもっとSNSなどでひたすらにティーンエイジの憂鬱と甘美をポエムに乗せる女学生が付けるべきもので、成人男性が付けるにはファンシーが過ぎる。


こういう経緯があって、私はせめて苗字を付けようと思った。そこで「三島梅花藻」に改名しようと思ったのだが、花の名前をそのままつけるのは芸がないという思い、更に三島梅花藻サイドからの拒絶も考えられることがネックとなっている。そしてなによりどうしても脳裏に浮かんでしまう三島由紀夫との圧倒的筆力の格差も問題である。比べるのも烏滸がましいのは承知であるが。


私は世の皆様は自らの筆名、或いは芸名をどう決定し、それについてどう思っているのかが気になって仕方ない。キャバレーに行くことがあれば一人一人の源氏名を聞いて回ろうと思っているほどである。


結局今のところ「梅花藻」を辞めるつもりは無いが、あの宛名書を見た瞬間の衝撃によって生まれた違和感は今日まで拭うことが出来ない。ある時突然によい筆名(と思われるモノが)浮かんだらそれに変えてみよう。そうしたらまた文学賞に応募してみよう。しかしその後やって来る通知書に大書きされた筆名を受け止められる自信が今は無い。

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