「好き」を素因数分解する

世の中に好きな物は数あれど、その理由を説明できるものは少ない。というより説明することを放棄している人が大半だ。そもそも説明する必要などないというのが一説にはあって、「好きに理由を付けられるなら好きではない」というそれらしい言説によって好きの理由付けは無粋なことだと邪険に扱われることもしばしばである。


しかし私はそうは思わない。最終盤に至って所謂「生理的に」という点で好きだ嫌いだと分かれるのは仕方がないことだとして、それ以前に、対象を分解して何が好き(嫌い)なのかを具に検証していくのは非常に有益なことだと思う。それによって新しく受容した物事、人物に対する好悪、更にその深度まで素早く判定できるようになるからである。それがどう役に立つのかは後述する。


と、偉そうに講釈を垂れている私もつい先ほどまでは特に理由立てもなく、なんとなく好きだなぁ、苦手だなぁと思考停止気味に考えていた。しかし、あらゆる娯楽が常に私を誘惑し、1秒ごとの取捨選択を迫られる現代社会の中においては「好き」に順位を付けて然るべきだと思い立ち、その方法を探してみたところ「好きの素因数分解」を思いつき、実践することにしたのである。以下で私の好きを素因数分解していく様子を書いてみる。


私は文章を書くことが好きだ。なぜなら楽しいからだ。では文章を書けば何でも楽しいのかと言えばそうではなく、例えば事実だけを並べた報告書や写経は好きではない。書くという行為においても自分の考えを敷衍して自分なりに伝える行為が好きなのだ。では文章でなくて動画を撮影して投稿してもよいのかというとそれも違う。文章を書くことは特別に自負心と向上心を持っていることであって、その分野で作成したものを人に見てもらうことが肝要なのである。云々。


こういった形で「好きなもの」の理由を考え、それに当てはまる他の例を探し出し、それと「好きなもの」を対照することで理由を絞り込んでいく。この例に従うと私は「自分の得意領域で」「自らのやり方を以て行える」「楽しい行為」が好きであると分かる。私は料理も得意なので、これより創作料理も好きだと推測され得る。まだ「楽しいとは何か」ということが絞り込めていないので少し甘いのであるが、これを生かすことで自分の好きを割り出すことが出来る。


ここで唐突に一人のギャルからカルチャーショックを受けた話をするのだが、一応関連のある話なので許していただきたい。私の人生の中で日本の渋谷などに住むギャルという民族とコミュニケーションをとる機会はほとんどなかったのであるが、ただ一度だけ、一日中一人のギャルと語らったことがある。大半はメイクの様子などをみてその変貌ぶりに感嘆したりしていたのだが、最も印象深かったのは自己紹介の後の言葉である。彼女は私の簡素な自己紹介を受けると「何が好きなの?」とこれだけを訊き、更にその答えを受けては「なんで好きなの?」と尋ねた。


いや正確にはもっと粘っこい口調だったのだが、それは置いておいて通常、自己紹介というものは名前の後に所属や過去の活動歴などを話すものであると思う。私も名前の後に所属を述べてギャルに後を譲ったのだが、彼女は名前を言うとすぐに何が好きで、何で好きなのかを尋ねたのである。これが衝撃的で私は答えに窮した。あとでその理由を聞くと、「所属より、何が好きかの方が余程その人のことを理解できる」ということであり私は全くその通りだと思った。勿論口調はもっと砕けたものだったのだが。


彼女の言う通り、人の好きな物と言うのはわかりやすく人物像を反映する。そしてここからが重要なのだが、その理由を知ることは他の好きなものを類推させる効果を持つ。例えば「トマトが好き」と言っても「甘い野菜だから」という理由で好いている人はサツマイモも好きかも知れない。また、「赤いから」という理由で好いている人はサツマイモが嫌いで郵便ポストが好きかもしれない。好きの理由を明示することは人物像に想像の余地を与えるのだ。


私が強調したいのは、これを応用すると好きを見つけやすくなるかもしれない、ということである。私が「ブリ好きなんだよね」と言っただけではただの魚好きだが、「白身魚が好きなんだけど、特に冬のブリは脂が乗ってて歯ごたえもコリッという感じで特に好きなんだ」と言えば「じゃあヒラマサなんかも好き?」と思いもよらぬ、ブリに似た魚の情報が舞い込むことが想像できる。こういった好きな物の素因数は、その素因数を含有する他のもの、つまり「新しい好きの可能性」を見つける一助になるだろう。


最後になるが、私は『一瞬の風になれ』と『風が強く吹いている』という、偶然と思えないほどタイトル、主題が共通する二冊の陸上競技小説が大好きだ。ずっと同じくらい好きになれる陸上競技小説を読んでみたいと思い焦がれているのだがなかなか巡り会えない。この二つは「青春小説である」「登場人物たちが走る時の描写が丁寧」「恋愛はあくまで脇役」「天才の存在」という要素を以て好きなのであるがどなたかオススメを教えてはいただけないだろうか。


4つの素因数を満たす小説の情報を集めるために展開した論であったが、それなりに納得し得るものであると思う。私は「好きの可能性」を集めるために、これからの人生において「なぜだか好き」は禁止にしようと思う。

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