無間地獄に到る自惚れ

自惚れは罪悪だ。


自分を賛美する。すると心の内からそれを否定し、咎める声が聞こえてくる。そうして私は思う、自分を客観的に見ている、私は大丈夫、自惚れてなどいない。他の自惚れた人間とは違う、と。これを受けて再び声が上がる。自惚れに気付く自分に自惚れているのではないか、と。謙虚な私はこの声にも耳を傾け、自惚れに気付く自分に自惚れる自分を戒める。自惚れに気付く自分に自惚れるそこいらの人間とは違うのだ、と。そうして再び声が上がる。それを否定し、自戒する。自惚れ、気付き、否定し、自戒する。自惚れ、気付き、否定し、自戒する。


無限の自惚れと自戒は、じゃんけんの寸前、相手が自らの手を予告してきたときの心境に似ている。相手が出すと予告した手に勝る手、に勝る手を出してくるであろう相手に勝る手、に…と、永遠に考え続けることができる。しかし結局のところ勝敗にこんな思考実験は必要ない。考えるだけ無駄なのである。ただ、この思考実験じゃんけんに負けると、思考を重ねた数、相手の手を読んだ数だけ口惜しさが倍加するのはなぜだろう。勝つとその数だけ喜びが倍加するのはなぜだろう。


じゃんけんに終わりはあるが、自惚れと自戒に終わりはない。考え続ける限りいくらでも繰り返すことができ、繰り返した数だけ、つまり無限に―自分は偉くなったような気がしている。それは自分がこの試行を無理やり自戒で終わらせているからである。すると、どうか。思考を重ねた分だけ偉くなったような気分だ。


ただ、私は気付いている。自分が選びたいのは自惚れのほうだと。そして、私は思う。自分に自惚れていたいのに、偉ぶるために無理やり自戒しているのだ、と。自惚れと自戒の無限回廊にある私は、いつか、おそらく死ぬ時―自惚れにたどり着いてしまうだろう。そのとき私は、今までに自惚れた数だけ、つまり無限に、自らの自惚れに苛まれることだろう。それこそが無間地獄なのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る