便座はイスたりえるか?

便座はイスではないということを証明したいと思う。


そもそも便座はイスではないという意見の人は用を足すなりしてゆっくりしていただいて結構である。先日までの私と同じく「便座はまぁイスだよな」と考えている方は読み進めていただきたい。


イスというのは人類が腰かけ、体を支えることで安らぎを得るものである。「いや、イスは車輪のついた移動手段だ」という人もその辺りでゆっくりしてくれていて構わない。ただしトイレは埋まっているはずなのでどこか違う部屋に行くとよい。


特に、疲れているときに沈み込むイスの心地よさは格別で、出かけた帰り道についつい電車のイスに腰掛けたまま深寝入り。気付けば終点という経験がある方も多かろうと思う。私なぞは新横浜を出て2時間後に新大阪にいるはずが目を開けると下関海峡を渡っていた、と言うこともあったほどである。


それでなくともイスに腰掛けると人はどこか安心する。身を落ち着けた、と。尻を支えてくれているんだな、と。この安心するというのがミソで、今回の話の核である。


ここで察しの良い方は「あれ、便座って安心するよね。イスじゃん」と思われるだろう。その通りである。便座に座ると安心する。しかしそれによって我々は大いに欺かれ、便座をイスだと誤認してしまうことを私は突き止めた。仔細を下に綴っていく次第である。


便座に腰掛ける時必ず行う動作がある。それは脱衣である。下半身のみ。「いえ、私は上着も脱いでありのまま挑みます」という人は止めないので勝手にしてほしい。これを省略する人はまずいない。なぜなら人間は服を着たままでは用を足すことが出来ないからである。「や、出来るんだなこれが」という人は頼むからずっと自分の家に逗留していてください。


ここで一度試していただきたいのだが、服を着たまま便器に腰掛けるとどうなるか。先ほどから用を足していた人が出てきたのを確認したら、まずトイレの扉を開こう。そしてそのまま便座に尻を据える。するとまず接地面から柔らかな違和感の発信が行われる。おかしい。便座とすればないはずの場所に布があり、イスとすればあるはずの場所に穴が開いている。そして徐々に下腹部の辺りから立ち上る、何か重大な過ちを犯しているという焦燥感。これらが綯い交ぜとなりすぐに起立したいという気持ちで胸がいっぱいになったと思う。


なんだこの気持ち悪さは。畳の上に学習机を置いているような、トーストの上に「ごはんですよ」を乗せたような、あってはならないものがそこにある気持ち悪さである。では今度は反対に、脱衣してから(普通の)イスに腰掛けてみよう。衛生面など気にしてはならない、人は自分の尻は綺麗なものだと担保しなければ生きていけないものなのだから。


どういう材質のイスを使っておられるか分からないが大別するに「ざらざら系」と「つるつる系」の二つであろう。ざらざら系の場合、いつもは布越しであるため分かりづらい、その布らしさを実感できる。つるつる系の場合。仮に便座をイスだとするならこれはまごうことなくつるつる系であり、座り慣れているはずなのだが何か違和感がある。それは穴がない、ということである。約束が違うじゃないかと尻も怒り出す場面だろう。脱衣して腰掛けたのにも拘らず尻の下に空きスペースがないことはそうそうない。肩すかしを食らった尻が憤怒をあらわにしている頃かもしれないので一応詫びておこう。


これでもうお分かりいただけたと思うが明らかに便座とイスでは違いが生じている。背理法を用いて考えると、


便座がイスであると仮定する

着衣したままイスに腰掛けると安心感を得られるはずだが、便座からは違和感と焦燥感のみを得、安心感は得られなかった。故に便座はイスではない(証明終)


ということになる(例によって再び苦手な論理で挑んだことを後悔している)


これによって便座はイスではないことが分かった。世の中に椅子職人という人がいるのだが、便座を作る人は恐らく自分を椅子職人だと思っているまい。TOTOの社員の方が合コンで「俺、椅子職人なんだよね」とは言わないと思う。椅子職人と便座職人では確実に違いがあると分かりつつも椅子職人を称することはないはずだ。


ただ、個人的には便座職人だと言われた方が興味も湧くし、お近づきになりたい気はする。それはきっと多くの人も認めるであろう、あの便座の安心感に起因している。

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