秘剣・一ノ太刀

武蔵⑸


剣界は広い。

果てを知っているものはいないと言う。

その中でも行くのが一番困難とされる雄威地の雄威山の洞窟に上泉信綱はいるらしい。

これは卜伝しか知らない情報である。


一月前、卜伝が信綱に、武蔵に血刀を分けてくれと文を出した。

すると信綱から、自らの眼で見極めるから洞窟に来てくれとの返信が届いた。

武蔵は義輝と供にそこを目指している。


「菊、雄威山まではどのくらいあるんだ?」


「長さの単位はわかりませぬが、十日と言ったところでしょうか。」


「そんなにか……憂鬱になるな」


剣界に日が昇る、沈むはない。

ずっと明かりがどこからともなく出ている。

だからこそ、1日は感覚でしかない。

もともと生きていた所の1日を体が何と無く覚えており、それだけが頼りなのである。


だからこそ、義輝の「十日」という返答を武蔵は信用していない。




雑木林に入ると、ゴソゴソと微かな物音が聞こえた。


「落剣(おちけん)か。」


落剣とは、元々は剣界に来れるほどの剣客であったのに、剣の道を外れて追い剥ぎなどをする連中のことである。

落剣も強いので、油断ならない。


「若、殺生は無用。先にお逃げくだされ。やつがれがしんがりとして敵を追い払いまする。」


「阿呆。わしの面子を潰すつもりか。」

すると武蔵は兼重の柄を握る。


「斬って捨てるぞ」

武蔵は冷酷な眼を義輝に向ける。


「し、しかし。やつがれは無駄な殺生はいらぬと…」


「黙れ。生かしておいたら死人が増えるだけじゃろう」


「…承知仕った。」


義輝が佩刀・大般若長光の鯉口を切った。


武蔵は高く跳躍し、兼重を抜き放つと、隠れていた落剣の喉元をかっ切った。


義輝は武蔵の起こした騒ぎに慌てた落剣の頭らしき男を大般若で袈裟斬りした。


「ぐはっ!」


「とうりゃっ!」


後ろでは武蔵が五人あまりの落剣を相手に斬りあっている。


義輝も負けじと四人を斬って捨てる。


終わったようだ。


「怪我はないか、菊。」


「は、はあ」


義輝は武蔵の残酷な一面を垣間見、困惑している。




「なあ、菊。」


「はい?」


「上泉殿はどんなお方なのだ?」


「変人。としか言えませんな」


「変人?剣聖と名高きお人がか?」


「会えばわかります。」




「ここら辺ではないでしょうか。」


義輝が地図を開き、辺りを見渡す。

何も見えないが……

すると、義輝の背後に、刀を振り上げた者の姿が見えた。


「危ないっ!」


武蔵は義輝の肩を抱え、地面に転がる。

そのまま体勢を立て直し、兼重の柄を握った。

敵は一人。天狗である。


「て……んぐ?」


赤い面、高い鼻、長身。質素な長い陣刀を引っ提げている。

鞘は見当たらない。


「我らをさらうか、天狗よ」


天狗は依然として武蔵をにらみ続けている。

武蔵は兼重の鞘を払い、立ち上がると兼重を青眼につけた。

天狗は陣刀を八相に構え直す。


にらみ合いが続く。

先に動いたのは、天狗。

天狗は地面を蹴ると刀を振り下ろした。

武蔵はそれを受けると脇差を抜き放ち、天狗の腹めがけて横薙ぎした。

天狗はそれを間一髪でよけ、後ろに下がった。


次は武蔵からである。

武蔵が兼重を上段に取り、一気に間合いを詰めて振り下ろした。

すると天狗はそれを半身でかわし、手首に刀を当てた。

血管を切るつもりである。

目を瞑った瞬間……


「上泉どの!おふざけがすぎまする!」


義輝の声が聞こえた。


目をゆっくりと開くと、目の前には天狗の面を外した男の姿があった。


齢は40ほどの顔。

白いヒゲが綺麗に整っており、洒落た着物を着ている。


「あなた様は…」


「わしは上泉伊勢守信綱。お前は」


「宮本武蔵玄信でござる。」


「あぁ、あれか。じゃあそこらへん座っておけ」


武蔵は拍子抜けした。

自分は偉いんだと「天狗」になっているわけではないが、武蔵が剣王の嫡男と知っているものに、こんなに雑に扱われるとも思わなかった。


「は、はあ」


武蔵は腰を下ろす。

義輝もその後ろに腰を下ろした。

信綱は岩陰に行って鞘を取って納刀し、武蔵に向かい合った。


「で、血を分けてほしいんじゃったな?」


「いかにも」


「断る。」


「え?なんと?」


「断る。貴様の剣は好かん。」


「意味がよくわかりませぬな」


「世には殺人剣と活人剣の二種類がある。殺人剣は人を殺すための剣。活人剣は人を活かす剣。お主は殺人剣を持っておる。それも、高度で非道な。そんなお主にわしの活人剣を分けてやる気にはなれん。」


「がっ、しかし!」

義輝が口を挟む。


「黙れぃ!菊童丸よ、お主や卜伝、わしは活人剣の遣い手。高度な活人剣の遣い手こそ剣聖と呼ばれる。わかるな、」


「……」


「宮本武蔵の剣はいずれこの世界を滅ぼす剣だ。生かしてはおけん」


すると信綱は陣刀を持って立ち上がり、鞘を払った。


「血迷われたか!上泉殿!若はいずれ世界を救うお方!あなたの見解は間違っておられる!どうしても斬るというのなら、この義輝を斬ってからにしてくだされ!」

義輝が大般若の鯉口を切った。


「菊!控えよ!」

武蔵が叫ぶ。

武蔵はすでに兼重を抜いていた。


「上泉殿の言うことは間違っておらぬ。わしは騙し討ちも平気でして生き延びて来た。今更弁解の余地はない。今わしにできることは本気で上泉殿と立ち合うこと、ただ一つ。」


すると武蔵は兼重を下段につけた。

下段は守りの構え。

相手を自分より上だと思っている証である。

信綱は陣刀を八相に構える。

信綱がふと、天狗に見える。

その幻覚は首を振って見えなかったことにする。

先に動いたのは信綱。

神速に近い袈裟斬りである。


「くっ!」


武蔵はそれを兼重を振り上げて弾き、三歩後ろに下がった。

二の太刀も、信綱。

今度は肘を引き、武蔵野首めがけて突きを見舞った。

武蔵はそれを間一髪でよけ、信綱の陣刀を上から押さえつける。

信綱はそれを弾いた。

信綱の斬撃は一つ一つが重く、強い。


「義経公の嫡男が、この程度か。」


「何をっ!」


武蔵は兼重を右手に持ち替え、左手で脇差を抜いた。

二天一流。武蔵の本気である。


「参る!」

武蔵は一気に間合いを詰め、兼重を横薙ぎに信綱の腹を狙う。


信綱はそれを陣刀で避けると、逆袈裟で武蔵の脇を狙った。

武蔵は脇差で受け止める。

危険を察知したのか、信綱は間合いをとった。

すると、武蔵の手から脇差の刃が抜け落ちた。

柄だけを握っている状態である。


「いつの間に……」


信綱は目にも留まらぬ早業で脇差の目貫(太刀の刃と柄が取れないようにする金具)を外したのである。

武蔵は柄を捨て、兼重を青眼につけた。

するとまた、信綱が天狗に見えた。


「今、お主が見ている天狗はわしではないぞ」

信綱が叫ぶ。


「何を言っておられる、この幻覚には上泉殿!あなたが天狗面をかぶっているすがたがある!」

自分が幻覚を見ていることをなぜ知っているのだろうか。


「それはわしではない!わしより大きな敵!」


「今のわしにとって、上泉殿よりも大きな敵などありませぬぞ!」


「ある!それは……………お主自身じゃ!」


「わけがわかりませぬぞ」


「お主が見ているのは鏡!貴様は天狗じゃぁ!」

信綱が怒号する。


武蔵の肩がピクッと動いた。

そうか、そうだったのか。

武蔵は自分は天狗ではないと思っていた。

自分は至って謙虚で、いいやつだと。

違う。武蔵は天狗。

数日前、義輝に「面子を潰すつもりか」と言った。

生きていた頃はそうではなかった。

己の見栄など気にせず、好きなように生きた…そうか。

すると信綱が自分の脇差を鞘ごと武蔵に投げた。

「使え」と言う意味であろう。

その脇差を抜き、左手に持つ。

息をゆっくりと吐き、唾を飲み込む。

そう。自分は王でもなんでもない。


「わしはっ………………………宮本武蔵だっ!」

武蔵は地を蹴った。


信綱の陣刀を二刀で挟むと体ごと旋回させる。

陣刀が折れる。その勢いで信綱の首に二刀を交差させて当てる。

信綱がほくそ笑む。


「それが、あなた様の一ノ太刀でござるよ」




義輝の眼前で武蔵が見せた神のような剣技。

それは一ノ太刀に間違いなかった。

塚原卜伝の編み出した秘剣・一ノ太刀は、決まった技などではない。

一流の剣客が自分の実力を超え、無敵の状態になったとき、そのものが振るう『剣』そのものが一ノ太刀なのである。

従って、一ノ太刀は人によって違う。

義輝自身は二回だけその状態になったことがある。


一度目は、初めて卜伝と会った時。

卜伝に相手にされなかった義輝を救ってくれたのは上泉信綱、その人だった。

信綱は天狗の面をかぶり、武蔵に言ったことと同じ言葉で義輝を叱咤した。

その結果義輝はとてつもない剣技を見せ、卜伝にも認められた。


二度目は、死ぬ時である。

戦国の梟雄・松永弾正久秀に城を襲われ、助からぬとわかったとき、義輝はそこにあった名刀という名刀をかき集め、地面に14本、突き刺した。

向かってくる敵を斬っては刀を持ち替え、斬っては刀を持ち替えてを繰り返した。

四方八方から槍で突かれて最期を迎えはしたものの、その時の剣技は凄まじかったと自分でも言える。




「お世話になりもうした。」


武蔵は深々と頭を下げる。

右手には信綱に血を分けてもらった石が埋まっている。


「若。また会いましょうぞ」


信綱が武蔵に笑いかける。


「はい。」


武蔵と義輝の二人が信綱に背を向けた。

やがて、見えなくなる。

すると、岩陰から一人の人が姿を現した。

塚原卜伝である。


「どうでござったか?上泉殿」


「某は若の剣を殺人剣だと思っておったが、違うようですな。」


「というと?」


「あのお方は殺人剣でも活人剣でもない、神秘の剣を振るわれる。」


「これからが楽しみですな」


剣聖二人は黄昏る。

剣界に二人を照らす夕日がないのが残念だ。

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