1-31.日常から

 体の震えが止まらない。布団の中で丸くなっていても、一向に収まる気配がないのだ。

 寒いからじゃない。怖いからだ。

 何が怖いのかは……良く分からない。吉田君や駿一君も怖かったけど、これほどではない。もう死んでしまったからだ。

 ……そう、僕が殺してしまった。だから、こんなに震えがくるほど怖いのだ。

 人を殺したのだから、きっと警察が来て、僕は罪に問われるだろう。最悪、死刑になるかもしれない。

 ……いや、それには恐怖を感じない。もっと怖いのは……僕自身だからだ。

 僕は魔法で人を殺した。修練所のマスターが言った通りだった。僕は魔法を使うべきではない。

 きっと僕は、本当に魔族なんだ。もう、後戻りはできない。


「瑞輝、居るか?」


 父さんの声だ。


「父さんかい? 父さん、僕、とんでもない事をしちゃった。警察に行かなきゃ。だから、暫く会えないかもしれない」


 布団の中から返答する。部屋には誰も入れたくない。魔法がどこまで制御できるかなんて分からない。部屋に入った途端、あの二人と同じように焼き殺してしまうかもしれない。


「自首? そんな事はする必要は無いぞ。凄いじゃないか、魔法が使えるなんて」

「母さんもビックリしたわ!どこでそんな事習ったの!?」


 父さんに加えて、母さんの声も扉越しに聞こえてくる。


「え……どういう事?」


 二人共、何故か声のトーンが高い。嬉しくて仕方がないといった様子だ。


「いいから、ドアを開けなさい。悠さんも来てるんだ。お祝いしようじゃないか」

「桃井君?」


 僕は驚いて、思わず上半身を起こした。悠さんの声がした。悠さんはやっぱり生きていて、僕の家に来ている。


「悠さ……」

「あいつらは焼け死んで当然の人間だったんだよ! 桃井君は良い事をしたんだよ」


 悠さんが嬉々として、そう言った。


「え……ちょ、ちょっと、何を言い出すの? 僕はさ……人を……」

「殺したんだろう? それでいいんだ。強いんだから」

「え……?」

「大丈夫。証拠も残ってないのよ」


 父さんと母さんも、人を殺した事を知っていて、それを肯定している?


「そ、そういう問題じゃないよ!」

「大丈夫だよ」

「え……悠さん? どうしてここに……?」

「心配になったから、来たんだよ」

「そうなの? ありがとう。でも、僕は……」

「自首をするつもりなんでしょ? でも大丈夫。桃井君には魔法があるんだから」

「え……悠さんまで、何を……」

「その力があれば、警察だってやっつけちゃえるんだから」

「悠さん……」

「何も心配しないでいいんだよ。皆、桃井君に感謝してるんだから」

「か、感謝……?」

「そうだぞ、彼らに嫌な思いをさせられた人が何人も居るんだ」

「ね、私達のさ、理想の世界を作ろうよ。誰も悲しませない世界をさ」

「誰も……悲しまない……」

「そうだよ……桃井君の力があれば、簡単だよ」

「……」

「瑞輝の思う通りにやればいいのよ」

「さあ、次は誰だ?」

「ぼ、僕は……」

「桃井君が、人を悲しませていると思っている人は誰?」

「大丈夫よ、ミズキの力があれば」

「理想の世界を作りたくないのか?」

「理想のって……」

「瑞輝君なら作れるんだよ、自分の思った通りの、理想の世界を。そのためには、悪い人をやっつけなくちゃね」

「うん……」

「さあ……次は誰にする?」

「次は……」






「脆い人間の中でも、取り分け華奢な姿をしているが……まさか、これだけの我が下僕を処理できるとはな」

「あ……」


 突如、大きな影が、私の体を全て包んだ。振り向くと、そこには大ジャームよりも更に大きい、家屋と同じくらいの、巨大なジャームが立っていた。


「に……逃げて! ここから、ずっと遠い所に!」


 そのジャームから、途轍も無い威圧感を感じたので、私は咄嗟に少女に言った。

 少女は一瞬、ぽかんとして動かなかったが、こくりと頷くと、ジャームと反対方向へと走っていった。


「そう! 走って! 走り続けるの!」

「ほう……俺の強さに気付いているな。やはり、俺が自ら来て良かった。これ以上無駄に戦力を失わずに済む」


 ジャームが一言喋る度に、途轍も無い威圧感が放たれる。体全体の震えが止まらない。


「貴方は……人の言葉を話すのですか」


 震える声を必死に抑えながら言う。このジャームを見ているだけでも、気が狂いそうだ。


「皆、そう言うな。だが、お前は勘違いしている。俺が人の言葉を話してやっているんだ。そうだな……ジェネラル。それで意味は通じるだろう。ほら、名前も用意してやったぞ」

「ジェネラル、貴方達の目的は……」

「話している暇は無い。お前のような忌々しい人間を潰して回るのが俺だからな」


 ジェネラルの威圧感が更に強まり、辺りの空気が豹変した。


「我、放ちしは、疾風(はやて)の先の、更にその先を斬り裂きしものなり……ソニックブレード!」


 少しでも気を抜いたら、やられる。ソニックブレードを放ちながら後ろへ飛び退き、ジェネラルとの間合いを広げる。


「む……なるほどな。俺くらいでないと一撃だな、これは」


 ソニックブレードによって腹部に傷を受けたにも拘らず、ジェネラルは余裕のある口調で言っている。


「来る……!」


 私はは咄嗟にウインドバリアを唱えた。


「荒ぶる風よ、厚き壁となって我が身を包み込め……ウインドバリア!」


 ジェネラルが口から吐いた緑色の霧状のものが、ウインドバリアに命中した。


「きゃぁっ!」


 目の前のウインドバリアは砕かれ、その衝撃は私の体を吹き飛ばした。


「ち……耐えたのか。あんな奴らでは歯が立たんわけだ。他と質が違い過ぎるじゃないか。だが……蓋を開けてみれば、どうやら私が出る程ではなかったようだ」


 ジェネラルが後ろを向く。

 すると、ジェネラルの背中は、虫の羽のように開いた。その中からは、普通のジャームがボトボトと地面に落ちている。

 いけない。このままでは、また大量のジャームと戦う事になる。


「紅蓮の大火炎よ、全てを覆い、燃やし尽くせ……エクスプロージョン! 天から降るは純麗じゅんれいなるあおき刃……ブリザードストーム!」


 急いで魔法を唱え、範囲魔法でジャームを一掃する。ジェネラルも範囲に入れて、そちらにも手傷を与えられるように目標を合わせる。


「大空を震わす稲妻よ。雪崩となってその身を轟かせよ……ライトニングテンペスト! 天から降るは純麗じゅんれいなるあおき刃……ブリザードストーム!」


 間髪入れずに魔法を撃ち込む。こちらに詰め寄られたら、一気に状況は不利になる。


「く……焔焔たる五つの破壊者よ、その力を以て全てを焼き尽くせ……クィンターバースト!」


 範囲魔法から逃れたジャームが近付いてくる。クィンターバーストに切り替えて範囲魔法のレンジ外のジャームを倒しつつ、ジェネラルの周りのジャームも相手にする事にする。


「う……」


 が、それでは間に合わない。かといって、範囲魔法から逃れたジャームを放っておけば、容易にこちらに近付かれて、私は斬り裂かれてしまうだろう。


「そんな……これじゃあ……」


 一方、ジェネラルは一向に倒れる気配は無く、相変わらず後ろを向いて、凄いスピードでジャームを生み落している。確実に範囲魔法の範囲には入っている筈なのだが、気にも留めていない様子だ。


「こ……このままじゃ……うああっ!」


 激痛が走る。体にジャームの鋭い爪が食い込んだのだ。一匹のジャームが魔法を潜り抜けて、攻撃範囲内に私を捉えたのだろう。


「うぐ……クィンターバースト!」


 後ろへ飛び退きながら、ファストキャストのクィンターバーストで、そのジャームを焼き払う。が、そうしているうちに、じわじわと増え続けたジャームは、範囲魔法では一掃できないほどの数になり、既に私の周りを取り囲むように広がっていた。


「あ……ああ……そんな……」


 折れそうな気持に必死で贖いながら魔法を撃ち続けているが、もう、どうやっても勝ち目が無くなった事は明らかだ。


「い……いやぁぁっ!」


 ジャームの爪が、次々と私の体を切り裂いていく。

 絶望、激痛、恐怖によって、私の口からは、半ば強制的に悲鳴が飛び出し、この広場に響いた。


「うあ……あ……ミズキ……ちゃん……」


 私は……もう駄目……でも……ミズキちゃん……ミズキちゃんは……生きて……!






(……ミズキちゃん)

「うん……?」


 この声は、どこかで聞いたことのある……。


「どうした、みずき」

「ん……何でもないよ、父さん」


 ぼおっとしていたせいか、空耳が聞こえた。僕はかぶりを振って気を取り直した。

 僕は自宅の、いつものロビーに居る。一緒に座っているのも父さんと母さん、そして悠さんだ。なんてことない、気の知れたメンバーなのだが……なんだか雰囲気が重い。


「疲れたのなら、休んでもいいのよ。何をするのも瑞輝の自由なんだから」

「いや、大丈夫だよ。それよりさ、ほら、例のリスト、作ったみたんだけど……」


 手に持っているのは、僕が「悪い」と思う人物を、近所、学校の人から有名人まで書いたリストだ。それを父さんに渡す。


「へえ、これか。いいぞ、こいつらにバチをあててやろう」

「バチは神様が当てるものだよ父さん」


 気持ちが乗らない。本当にこれでいいのだろうか。


「桃井君、桃井君が、その神様に一番近いんだよ」

「そうだぞ、だから、こうやって罰を与える人を考えてるんじゃないか」

「僕が人に裁きを与えるのか……」

「そう。それができるのは、みずき、お前だけなんだ」

「うん、わかってる」


 人に裁きを与えるのは、魔法を使える僕だけにできる事だ。気が引けるが、僕だけしかできないのなら……まあ、仕方がないと思う。


(ミズキちゃん……ミズキちゃん……!)

「はっ……!」


 今、はっきりと聞こえた。そう、この声は……エミナさん……!


「ねえ、みんな、ごめん、僕さ……」

「ダメ! そんな言葉に耳を貸しちゃ!」


 母さんが激昂する。


「ごめん、母さん。でも、大切な人なんだ」

「瑞輝は強い! その力を発揮しないでどうする!」


 父さんは励ましてくれるが……。


「父さん……力は……どうに使っていいか分からない。でも、こんな使い方、違うよ」

「人を裁ける力を、桃井君は持ってるんだよ!」


 悠さんも、身を乗り出して僕を元気づけようとしている。


「悠さん……人が人を裁くなんてさ、やっぱり、おかしいと思う」


 そう。僕は間違っていると思う。


「そんなことはないぞ、瑞輝は強いんだから、当然の権利だ!」

「そうよ! 瑞輝には誰にも敵わないのよ」

「桃井君には力があるんだよ! それを使わなきゃ!」

「……ごめん、でも、多分、本当は分かってたんだと思う」


 そう。分かっていた。だけど、認めたくなかった。また、この日常が無くなるのが……父さん、母さん、そして……何より悠さんと離れるのが……怖かった。

 でも、もう限界だ。認めなくちゃ。本当の事を。


「全部偽物だって事が」


 瞬間、場が凍り付いた。


「……何を言い出すの桃井君、私達、こうして話してるじゃない!」

「でも、違うでしょ、悠さんも、母さんも、父さんも……吉田君も、駿一君も……この世界だって」

「おい、待つんだ瑞輝」

「ごめんね父さん。それに、母さんと悠さんも。僕、やっと現代に帰れたと思った。でも、違った。でも、それでもいいって、心のどこかで思ってた」

「なにを言っているの? ここは本当にあるのよ。私達も、ほら、こうやって、ちゃんと居るじゃない」

「現代は、嫌なことばっかりだった。それは、結局、異世界でも変わらないのかもしれない。だから、このまま、こうやって眠っていればいい。そう思った」

「いいんだよ、それで。受け入れるの、私達を。ここを」

「は、悠さん……」


 受け入れたら……僕の理想の世界が……。


(ミズキちゃん……)


 揺れた心をエミナさんが呼び戻してくれる。


「……駄目だよ。確かにここは、心地いいけど……その先に待ってるのは、緩やかな死なんだ。それに、僕を待ってる人が居るんだ。僕もその人に会いたいし」

「違うよ。待っているのはね、絶望なんだよ桃井君」

「希望は、きっとあるよ、イミッテ」

「……お前」

「前からおかしいと思ってたんだ。けど、なんとなく分かったんだよ。悠さんは、こんなこと言わない。いや……悠さんだけじゃない。この世界は全部、イミッテが魔法かなにかで作り出した紛い物なんだろ?」

「お前は、お前の世界に嫌気がさしていたんだろう? この世界に来てからも理不尽が多かった筈だ。そして、例えお前の世界に戻っても、その絶望は変わらない」

「逃げ道が無いって事は、実感してるよ。逃げても逃げても、これだから」

「だったら、ここに居ればいい。これは確かに幻だが、お前が望むなら、ずっと見せてやる。お前の理想通りにだって作り変えてやるぞ」

「なるほど……確かに、それもいいかもしれないな。でも、今はまだ、その時じゃないと思う。僕はもっと逃げるよ」

「……何?」

「幸せな幻を見ながら、緩やかに死んでいくのもいいかもしれないよね……でも……」

「おい!」

「ごめんね。でも、ここには、いつでも戻れるから」

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