1-21.魔族

「全て包み、全てを覆いし霧よ、その力を以て、安らぎを知らぬものに暫しの微睡みを……スランバーフォッグ!」


 僕の足元から霧が広がる。その霧は目には見えないが、使用者である僕には霧の広がりが分かる。

 もう少し待てば霧は辺り一面に広がり、その範囲に居る人は深い眠りにつくだろう。


「……そろそろかな」


 皆が眠ったであろう頃合いを見計らって、次の魔法を唱える。


「ライブレイド!」


 ファストキャストでライブレイドを唱えた。稲妻の剣の魔法だ。

 僕の手に、バチバチと、いかにも強力そうな音を鳴らす稲妻の剣が握られた。

 この魔法は何回か練習で使ってみた事があるが、初めて使った時は、この音にびっくりした。

 ライブレイドは、全てが稲妻で出来ているような見た目をしている。なので、取っ手の部分までバチバチの電流が走っている。

 練習の時は、そんなライブレイドを、いつの間にか握っていたものだから、僕は驚いて、すぐさま離したのだった。そしたらエミナさんがくすりと笑ったのを覚えている。


「んっ……!」


 鉄格子を斬り付ける。多少の抵抗はあるが、体重をかけて押すと、鉄格子は、どうにか切れた。同じ要領で、更に二本を切断する。

 ライブレイドは、見た目こそ全て稲妻に見えるが、持ち手を感触は硬いものを掴んでいる感触だけだ。熱くもないし、冷たくもない。


「もう一度……」


 天井に近い部分は切れたので、今度は床に近い部分を切断する。

 完全に支えを失った鉄格子は、カランカランと音を立てて床に落ちた。

 僕は、じわじわと、まるでバーナーで焼き斬るようにしか切れないが、エミナさんによれば、剣の腕が立つ人ならば、鉄くらいスパッと鋭く切れるらしい。魔法の練度にもよるが、ライブレイドは下手な刀よりも強いそうだ。


「よし、次は……」


 これで牢屋からは出られたので、次だ。

 僕は一番近くに居る兵士に近寄り、しゃがんだ。

 兵士はすぅすぅと寝息を立てている。


「眠りにいざなわれし者に覚醒の慈悲を……アローズ!」


 僕は片腕で兵士の上半身を起こしながら、魔法を使った。


「む……お、お前は!」


 兵士が慌てて僕の腕を振りほどく。


「誰か! 魔族が外に出ているぞーっ!」

「あ、待って!」


 兵士の手を掴んで止める。


「まだ、他の人を呼ばれたら困るんだ」

「誰か居ないのか!」

「スランバーフォッグを使ったから、近くの人は、皆、眠ってるよ」

「なっ……!」


 兵士は口をあんぐりと開けて、一瞬固まった。が、堰を切ったように狼狽しだした。


「い、命だけは助けてくれ!」


 あまり落ち着かないが、少しは会話がし易くなったので本題に取り掛かろう。


「エミナさんはどこに居るの?」

「お、お願いだ……助けてくれ……命だけはぁ……魔王の手下になってもいい!」


 魔族の疑いがある。それだけで自分を、そして、もしかするとエミナさんにもこんな酷いことをして……そうかと思ったら、こんな命乞いをする。

 その事に、僕は少し腹が立った。が、今はその感情を顕にするより先にやることがある。


「落ち着いてよ。エミナさんの居場所さえ言ってくれれば、何もしないから」

「だ、誰だ……分からない……」


 印象に残っていないのか。なら、エミナさんは早々に解放された可能性もあるけど……。


「僕と一緒にもう一人、女の人が来たはずだ」

「あ……ああ、分かった。そ、そいつか……そいつなら、この隣のフロアに居る。あそこから行ける。鍵は……」


 この人は必死だ。そう、あの時の僕のように、恐怖から必死に逃げようとしている。罠にはめようとも、嘘を教えようともしていない。


「大丈夫、あの人でしょ?」


 入り口近くに倒れている兵士の腰に鍵束がある。僕はその兵士に駆け寄って鍵束を取った。


「どれだ……?」


 今度は扉に駆け寄って、鍵束の鍵を一本ずつ差し込む。


「貴様……何故、魔法を使える?」


 さっきの兵士の声が聞こえる。剣を構え、僕との距離を慎重に取りながら話しかけているようだ。


「……普通は使えないの!?」


 僕は兵士の言葉に驚きを隠せず、一瞬鍵を開ける手が止まった。確かに、魔法を使おうとすると、意識の中に、何かこう……取っ掛かりのようなものを感じた時があった。最近はそれにももう慣れたが……。


「ここは牢屋だ。牢屋には何かしらの魔力封じが施されているものだろう?」

「そ……そうなんだ……」


 どうやら、牢屋では普通、魔力は使えないらしい。


「あ……」


 開いた。鍵束の鍵を丁度半分くらい試したところだ。


「僕は回復魔法を使っていた。その事には気付かなかったの?」

「魔族の再生能力のおかげだとばかり……皆、そう思っている」

「そう……」


 何となく、自分の置かれている状況は分かった。

 僕は鉄扉の取っ手を引き、隣の部屋に一歩足を踏み込んだ。


「ああ、そうだ」


 ふと気づいた。さっきの兵士の方を向く。幸いなことに兵士はまだ、どこにも移動していない。僕との間合いを慎重に取り、こちらを注意深く見ている。


「荷物はどこ? ここに来たとき、取り上げたやつ。それと、宿屋に置いてあったのも」


 随分と前の事だから忘れていたが、捕らえられた時、念入りにボディチェックされ、身に付けているものは全部持っていかれた。宿屋に置いた荷物もそのままだった。


「この地下牢を出て、右隣の部屋が保管部屋だ」

「……分かった」


 ちらりと地下牢の出口を見る。幸いにも扉は開いていた。


「全て包み、全てを覆いし霧よ、その力を以て、安らぎを知らぬものに暫しの微睡みを……スランバーフォッグ!」


 念のため、もう一度スランバーフォッグを使う。扉の外、どれくらいの距離の人を眠らせられるのかは正確には分からない。しかし、発見を遅らせる事は出来る筈だ。

 勿論、さっきの兵士も再び眠りについた。


「さて……」


 準備は万端だ。僕は、隣の部屋に足を踏み入れた。


「ここに居るんだよな……」


 一番近くの独房の中を見る。髪は長いがエミナさんじゃない。

 隣と向かいの独房の人も違う。一目瞭然、男の人だ。


「どこだ……」


 独房の中の人を一人一人見ながら、奥へ奥へと進む。


「うん?」


 奥へと進むにつれて、独房の中の人の中に、起きている人が現れ始めた。


「……だよね」


 ここの扉は重く、隙間も少ないから、スランバーフォッグが、それ程入り込んでいないのだろう。


「やっぱり、少ししか霧が流れ込まないと、弱くなるんだ」


 そういう事なら、もっとやれる事がある。


「どこだ……エミナさん!」


 片っ端から牢を見て回りながら、僕は叫んだ。この部屋の奥深くに居る場合、僕の呼びかけはエミナさんに届く筈だ。


「……ズキ……ん」

「はっ……!」


 聞こえた。小さいが、エミナさんの声だ。奥の方から聞こえる。


「エミナさん!」


 叫びながら、声の方へと向かう。


「……スキ……ちゃん」


 エミナさんの声が、次第にはっきりと聞こえるようになってきた。この辺りだ。


「エミナさーん!」


 牢の中は薄暗くてよく見えない。一つ一つ確かめる必要がありそうだ。

 独房を一つ、また一つと確かめていく。徐々にエミナさんの声に近づきつつあるようだが……。


「あ……」


 見つけた。暗くて顔ははっきりとは見えないが、牢の奥に横たわって、手を振っている。

 長い髪に、宿屋で捕まった時と同じ、ノースリーブのキャミソールを着ている。声質もエミナさんのものだ。


「エミナさん、待ってて、今助けるから……ライブレイド!」


 ライブレイドの光に照らされて、エミナさんの顔が露になる。顔からは生気が無くなり、随分とやつれて見える。


「エミナさん……もう少しだから……切れた!」


 ライブレイドで鉄格子を切り落とし、急いでエミナさんに駆け寄る。


「エミナさん!」

「う……あ……ミズキちゃん……良かった、無事だった……」


 細々とした声が、辛うじて聞こえる。

 エミナさんはボロボロの姿で横たわっていた。起き上がろうとしているみたいだが、最早、手足で自分の体を支えられない様子で、起き上がれる力は無さそうだ。


「いいから、寝てて」


 僕は、そう言いながらエミナさんへ近寄った。

 捕らえられた時に着ていたキャミソールも、僕のと同じようにズタズタに引き裂かれている。

 元から細い体は、更に痩せ細ったように見える。そこら中に痣や傷があり、所々、化膿しているらしき傷も見受けられる。


「酷いや……」


 エミナさんの事だ。きっと、僕の事を悪くないと主張し続けたのだろう。そうでなければ、もっと優しく扱われていた筈だ。

 魔族である僕を擁護した者は、王立騎士団としては許されざる者だろう。王立騎士団がどういう存在かが分かった今なら、容易に想像出来る。

 少しでもこの世界の事について知っていたら……もう少し慎重に動いていれば……エミナさんを、こんな目に遭わせずにすんだだろう。

 それが出来る筈のない事なのは分かっている。宿屋に居た時には、こんな事になるなんて夢にも思わなかった。しかし、それでも悔やみきれない。


「待ってて、これで少しは楽になるはず。傷つきし闘士に癒しの光を……トリート!」


 酷そうな傷口から順に魔法を当てる。

 傷を見る限り、打撲や鞭による傷はあるが、刺し傷は無さそうだ。責め自体は僕のよりも少し軽いだろう。


「うぅ……これは……魔法? 使え……るんだ……?」

「理由は分からないけど……そうみたい」


 やはり、エミナさんは魔法が使えない。どうやら、僕だけが例外みたいだ。理由は分からないが……。

 とにかく、今のエミナさんは魔法を使えない。体格だって、そこいらの人より華奢な女の子だ。責め苦は相当辛いものになっていただろう。

 僕も相当消費しているが、魔力が底をつく感覚は、今のところ無い。


「少し、楽になった?」

「うぅ……ん……ありがとう。気持ちいい……」


 エミナさんは目に見えて回復した。浅い傷は無くなり、意識ははっきりとしている。


「よい……しょ……」


 ふらつきながらだが、立つことも出来た。


「良かった……」

「ありがとうミズキちゃん。でも、これからどうするの?」

「脱出する」

「でも、例えここから逃げ出せたところで、多分、お尋ね者になるわ」

「いい考えがあるんだ。上手くいくかは分からないけど……とにかく、付いてきて。話は後、今は急がないと」

「……分かった」

「ありがとう。まずは、荷物を取り返さなくちゃ」


 僕は、さっきの兵士が話した部屋へと急いだ。

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