1-3.魔法

 ――コンコンコン。

 僕は、ドアをノックする音で目が覚めた。


「入ります」


 ドアが開くと、エミナさんが入ってきた。


「寝てましたか?」

「いや……もう起きます。これ以上寝てても、何も変わらないって分かったので」


 相変わらず甲高い、女の子の声だ。これは夢じゃない。現実。いや、やっぱりまだ現実かは分からない。夢から覚めたらまた夢だという事だってある。でも、どちらにしても、僕はこの状況の中で過ごしていかなければならないらしい。


「そうですか……食事の準備が出来たので……お腹、減ってません?」

「ああ……そういえば……」


 いつから寝ているのか定かではないが、少なくとも今日一日は何も食べていないだろう。

 その事を意識した時、急に空腹感を感じ、同時に「ぐぅー」とお腹が鳴った。


「あ……」

「ふふ……食事は出来てます。どうか遠慮なさらずに来て下さい」

「す、すいません……」


 僕は顔を真っ赤にしながら、それでも空腹に勝てなかったので、エミナさんの後に付いていく事にした。




「あ……あの……」


 テーブルの中央には、大皿に乗ったサラダと、丸いパン。それと、何かの肉を焼いたものと、豆の煮ものが置いてある。これは皆で取り分けて食べるための食べ物だろう。

 個別の食べ物は、個々の前に置かれている。紫色をした飲み物と、野菜と、やはり何かの肉の入ったスープが置いてある。中心の食べ物を取るための取り皿も、同じく個々の前に置かれている。


「どうぞ、遠慮せずに召し上がって」

「自己紹介は、食べながらにしようじゃないか。貴方もお腹がすいているだろう? ささ、遠慮せずに」


 真ん中の向かいに座っている女性と、その左隣に座っている男性が言った。エミナさんは男性とは逆の右隣に座っている。


「はあ……じゃ、じゃあ、頂きます」


 僕はすっかり気遅れしている事を自覚しながら、取り敢えず、自分に一番近いスープを一口すすった。


「美味しい……」


 僕は思わず声を出した。スープの味は、そこまで濃くない。が、野菜の味をしっかりと感じる。それがとても美味しいのだ。


「やだぁ! 美味しいですって。じゃあ、次、パン食べて。ここで取れた小麦を使ってるのよ。ああ、あと、実はハチミツもあるの。今、出して来るから」


 椅子から立ち上がろうとする女性を、エミナが肩を押さえて制止する。


「ちょっと、母さん……ごめんなさい、記憶が混乱しているのに、こんなに騒いで」


 この人は、どうやらエミナさんの母親らしい。とすると、その隣に座っているのはエミナさんの父親だろうか。


「驚かせてすまないね。私はシュー=パステル、エミナの父親だ。こっちは女房のリィンだ」


「初めまして。私はリィン=パステル、エミナの母親よ。エミナも、お父さんも、ロビンも、普段そんな事言ってくれないから、とっても嬉しいわ」


 リィンさんがにっこりと微笑んだ。


「母さんったら、すっかりいい気分になっちゃって……」


 エミナさんはリィンさんとは逆に、苦笑いしている。


「ええと……ロビンって?」

「ロビンはエミナの弟だよ。今は友達の家で遊んでるみたいだけどね」


 シューさんが、豆をパクつきながら言った。


「もう、ロビンったら。夕飯の時くらい帰ってきたらいいのに」


 エミナは不機嫌そうだ。


「そういうもんなんだよ。あの年頃の男の子って」

「そうなのかしら……って、こんな話してもしょうがないわよね。そうだ、そろそろ名前、教えてくれない?」


 エミナが急に僕の方を向く。僕は頷いて、言った。


「えと、初めまして、桃井泉輝ももいみずき です」

「モモイミズキさんかぁ……よろしくね、モモイミズキさん」

「モモイミズキか、この辺りじゃあ聞かない響きだなぁ」


 エミナさんとシューさんが、苗字と名前を繋げて呼んだ。


「ええと、桃井が苗字で、泉輝が名前なんです。苗字って言うのは……」

「ああ、苗字。じゃあミズキさんか、いい名前だね!」


 シューさんが言った。苗字と名前の事も通じないだろうと思って解説し始めたが、通じていたらしい。


「あ、そうなんです」

「じゃあミズキさんって呼ぶね。何歳なの?」


 シューさんが、更に質問をする。


「十六歳です」

「ええっ!?」


 声を上げたのはエミナさんだ。


「おおっ! エミナと同い年じゃないか!」


 ショーさんが嬉しそうに驚いている。エミナさんもだ。


「あらあら、良かったじゃないエミナ。同年代の女の子よ」


 リィンさんは、あっけらかんとしている様子だが、多分、喜んでいる。


「いやあ、この村には、この年頃の女の子が少ないからね。男手が多いのはいい事だけど、ミズキにとってはちょっと淋しいかなって。ね、ミズキ」

「ううん、セリスちゃんも居るし、アイちゃんも優しくしてくれるから……でも、嬉しい。この村の外で、そういう人と話したのは初めてかもしれないし、凄くかわいいし、美人だもん」

「あはは……美人……か……」


 僕は男の筈なんだけど……複雑だ。


「で、ミズキちゃんはどこから来たの?」


 シューさんが手を前に組んだ。


「えと……それが……どこからどう来たのか、自分でも分からなくて……日暮里のビルの上までは覚えてるんですけど……」

「ほうほう、ニッポリノ……?」

「あ、日暮里です。そこにビルっていう建物があるんです」


 僕は直感的に、ビルが分からないんだと思い、言い直した。


「ニッポリという所なのか。ううん……ありそうな名前だけど、この辺りじゃないなぁ……それからは、どうしたの?」


 シューさんが首を傾げた。勘が当たったらしい。


「そこからは良く覚えてないんですが……」


 僕は、さすがに自殺の事は話しづらいので、誤って落ちてしまった事にして手短に話した。


「うーん……高い所から落ちて、意識を失ったわけか……で、遠い所から、何故かここのコウチの上に落ちたと……」

「俄かには信じられない話だけど……今までの話を考えると有り得る話だし……ここから遠くに離れてるのなら、文化とか言葉がちょっとくらい違ってもおかしくないし……母さんはどう思う?」


 文化や言葉が少し違う。エミナさんの言葉に、僕はふと気付かされた。やはりここは東京じゃない。ビルから飛び降りた後、何故か助かって、誰かがここに連れてきたのかもしれない。でも、一体誰が……。


「ええ? 母さんに聞かれても、難しい事は分からないしぃ……」

「ああ、そうよね……」

「エミナ、母さんの性格を知っているだろう? ここは二人で考えるんだ。さて……一番可能性が高いのは、落ちた先に何らかの魔法が仕掛けられていたという事かな?」

「妥当な線だね……」

「ええ? ちょっと待ってよ、魔法って!」

「えっ、何かおかしい?」


 エミナがきょとんとした顔でこちらを見る。どうやら冗談を言っているのではなさそうだ。僕は動揺したが、落ち着いて真面目に対応する事にした。


「ええと、魔法が存在するって事?」

「存在するも何も……ほら」


 エミナがそう言いながら人差し指を立てると、その先にパッと炎が現れた。丁度、百円ライターから出る炎くらいだ。


「えっ……えっ!?」

「おおぉ! 凄いぞエミナ! もうノンキャスト詠唱が出来る様になったのか!? それも、苦手な炎の魔法を!」


 そう。エミナさんが指先から炎を出す様子は、まさに魔法を使う様子そのものを見ているかのようだった。

 ここは一体どこなのだろう。日本の中なのか外なのか……そもそも、僕は起きているのか。寝て、夢を見ているのではないだろうか。いや……僕は生きているか、死んでいるのか、それすらも分からない。死後の世界……ふと、そんな単語が頭に浮かんだ。

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