1-2.出会い

「コウチが……暴走してる!」


 急いで道に出たエミナは驚いた。


「まずはワムヌゥを宥めないと……あ……!」


 エミナの視線の先には少女の……レミールの姿があった。このまま馬車が直進すれば、馬車は子供を轢いてしまうだろう。

 エミナは全力でレミールの前に走り、ワムヌゥの行く手を遮った。


「荒ぶる風よ、厚き壁となって我が身を包み込め……ウインドバリア!」


 エミナが両手を前にかざして叫ぶと、エミナの周りに突如として突風が巻き起こった。

 そして、その風はエミナの前方に凝縮し、目に見える程に激しく、それでいて薄く広い空気の渦となった。


 ――直後、ワムヌゥは勢いを緩めずにエミナへと突進した。


「んっ!」


 エミナは僅かに呻いたが、傷一つ負っていない。エミナの前に展開されているウインドバリアが、ワムヌゥの体当たりを防いだからだ。

 ワムヌゥは我を忘れ、既に空気の壁となったウインドバリアに頭突きを繰り返している。これ以上はエミナに近付けないだろう。


「レミールちゃん、逃げて!」


 エミナは後ろを振り向きながら言った。


「え……え……」

「あそこのお家に向かって走るの!」


 エミナは首を少し動かし、目線で傍らの家屋を示した。


「う……うん!」


 レミールは、エミナが示した家へと走り出した。


「頑張って、レミールちゃん!」


 エミナはそう言って、ワムヌゥの方へ顔を戻し、きりりと眉を吊り上げた。


「後は……ワムヌゥを落ち着けなくちゃ……ウインドバリアを解除したら、多分、私がやられちゃうから……」


 エミナはウインドバリアに添えていた左腕を空へと掲げ、人差し指を立てた。


「魔力の消耗は激しいけど……ダブルキャストなら……!」


 エミナはそっと瞳を閉じて、呪文を唱え始める。


哀哭あいこくを知らぬ者に悄々しょうしょうたる一滴ひとしずくを……ティアードロップ!」


 エミナの人差し指の先端に青い光が現れると、その光はゆっくりとワムヌゥに向かい、同じくゆっくりと消えていった。


 ワムヌゥは、ウインドバリアへの頭突きをやめた様子だが、まだ鼻息は荒く、興奮している。


「……もう、魔法は要らないかな?」


 エミナはゆっくりとワムヌゥに近付いた。


「ごめんね、魔法で無理矢理に心を操ったりして」


 エミナはワムヌゥの背中を撫でながら、ゆっくりとワムヌゥに体を預け、抱き着いた。


「でも、もう大丈夫だから。驚かせてごめんね」


 ワムヌゥの動きが、徐々に緩やかになっていく。


「……もう大丈夫だね。でも、一体何が……あ……!」


 エミナが荷台の方を見ると、散乱した積荷と一緒に一人の女性が地面に横たわっていた。




(うん……?)


 僕が目を開けると、まず目に入ったのは木目だった。木の天井が、前にある。


(ここ……どこだ……?)


 横になったままで部屋を見渡す。


(へぇ……)


 ベッド、机、椅子、棚など、家具の殆どが木材で出来ている。床も天井も木だという事は、木造の家なのだろうか。


(雰囲気あるなぁ)


 表面だけ木の柄の可能性もあるが、それは触ってみないと分からない。どちらにせよ、新鮮な気分だ。

 木の匂いも漂っていて、心が癒される。どこかのキャンプ施設だろうか。だとしたら、ちょっといい所を見つけたかもしれない。偶に来て、のんびりしたい場所だ。


 ――ガチャ。

 不意に扉が開いた。


「あっ……!」


 僕はびっくりして、思わず上半身を起き上がらせた。


「あっ、すいません。起きてるって思わなくて……」


 扉の先には見知らぬ女の人が立っている。歳は僕と同じくらいだろうか。


「い、いえ、大丈夫です。僕もここが何処だか分からなくて困ってて……ふえっ!?」


 僕は驚いて、思わず変な悲鳴をあげてしまった。僕の声じゃない。


「え……ええ? あっ、あっ、ああー……」


 妙に甲高い声が自分の口から出ている。一体、どういう事だ。


「ど、どうしました!?」


 女の人が驚いた。僕が悲鳴をあげてしまったからだろう。女の人は、内股になって、握り拳を自分の胸に押し付ける様にして、オロオロしている。


「あ、ご、ごめんなさい。その、ちょっと混乱してて……」


 状況が全く分からないし、この女の人もびっくりしている。変な事を言ったら更にややこしい事になるかもしれない。ここは一先ず、声が妙に甲高い事は黙っておく事にした。


「ああ、そ、そうですよね。あんな目に遭ったんだし、記憶だって混乱しますよね」


 女の人はオロオロしながら言った。


「……あんな目?」


 この人は、僕の自殺未遂の事を知っているのだろうか。


「ええ……怖かったでしょう、あんな目に遭って。でも、間に合って良かった。後少し遅かったら、どうなってたか……」


 この人が僕を助けてくれたという事なのだろうか。だとしたら、事の経緯は説明しておかなければならない。説明して、謝らなければ。


「あの……僕、ビルの上から飛び降りて……多分、歩道。コンクリートの歩道に落ちたんです。だから、助からない筈で、助かっても、こんなに無傷なのは奇跡みたいだって……」

「えっ? えと……ごめんなさい、もう一回言ってもらえますか?」

「あの……つまり、九階建ての高いビルの屋上から、コンクリートの地面に落ちたんです」

「ビル? コングー……コングーリット? 良く分からないけど、高い所から落ちた事があって、怪我しなかったという事ですか?」

「いや、なんというか……どうしてあんな目に遭って、怪我一つしてないのか分からないんです」

「どうして怪我してないか……ああ、なるほど。高い所から落ちて、ああなったんですか。ええと……貴方は多分、高い所からコウチに落ちて、積み荷がクッションになったのかも。ワムヌゥもびっくりしてましたよ。でも、あの辺りに高い物って何かあったかしら……」

「ワムヌゥ? コウチ? 高い地面って書いてコウチですか? どこかの訛りかな……」

「え? 地面が高い?」

「いえ……その……」

「ああ、もしかして……」

「何です?」

「お医者さんは頭を強く打ったって言ってたから、まだ記憶が混乱してるのかも。もうちょっと休んだ方がいいですよ」


 女の人はそう言うと、僕の肩と背にそっと手を添えて、仰向けに寝かせてくれた。


「あ……ありがとう」

「どうしたしまして。じゃあ、また後。……そうね……その様子なら、ご飯くらいは食べれそうですよね。ご飯時になったら呼びに来ますから、その時まで、どうか安静にしてて下さい。……あ、そうそう、着物とか、荷物はこの籠の中に入ってますから」

「は……はい。すいません、僕も何が何だか分からなくて……」

「いえいえ、こちらこそ。じゃあ、ゆっくり休んでくださいね」


 女の人は、ゆっくりと扉に向かって歩き出した。


「あ……待って!」


 女の人が扉の取っ手を掴んだ時、僕は叫んだ。


「はい?」


 女の人が振り向いた。風の無い部屋で、ブラウンの髪がふわりと浮いた。その顔には、ちょっと心配そうな表情が浮かんでいる。


「そ、その……名前、聞きたいと思って……聞かせてくれませんか?」


 女の人は、一瞬考えた後、にっこりと微笑んで答えた。


「エミナです。エミナ=パステル」


 エミナはそう言うと部屋を出て、もう一回僕に微笑んで見せてから扉を閉めた。


「エミナさん……か……綺麗な名前だな……」


 僕はぼんやりと、天井に呟いた。

 そして、暫くぼーっと、放心したように天井を眺め続けた。


「……なんでだろ」


 何故かと思う事は色々とある。僕は何故無事なのか。僕に何が起きたのか。僕はどこに居るのか。


「ああ、そうだ!」


 僕は、相変わらず違和感のある甲高い声で叫んだ。


「スマートフォン……確か、荷物は籠に入ってるって言ってたっけ」


 僕は、背の低い棚の上に置いてある、細い蔓を編んで作られているのだろう籠に目をやった。

 そして、ベッドから這い出て籠の所まで歩いていき、籠を覗いた。

 確かに自分の着ていた衣類が入っている。


「洗濯してくれたんだ……あれ?」


 ふと、自分が半袖にスカート姿なのに気付く。さっきのエミナさんの服だろうか。やけに下半身がスースーして違和感があると思った。


「あった」


 半ズボンのポケットの中にスマートフォンがあった。電源を入れてみる。画面にはいくつかのゲームアプリのアイコン、それと、ツイッターや掲示板専用ブラウザのアイコンが表示されている。間違い無く僕のだ。


「ええと……誰かに電話を……圏外?」


 3G通信もWifiも圏外らしい。


「参ったな……」


 部屋の中をうろうろしてみるが、電波のある場所はどこにも無い。


「今時どれも使えないなんて……」


 適当にブラウザを開いたり、電話をかけたりしてみたが、やはりどれも繋がらない。ここは相当な山奥なのだろうか。


「警察、呼んでもらおうかな?」


 電波の全く無いような所だと、自力で帰れるかどうかも怪しくなってくる。自殺の事でなにか言われるかもしれないが、背に腹はかえられない。黙っていれば分からないかもしれないし。


「体も殆ど怪我してないみたいだし、大丈夫かもしれないな……うん!」


 良く分からない理論で良く分からない自信を持ってしまった瞬間、突然、別の不安が復活してきた。自分の体の事についてだ。

 あんな高い所から落ちて無事でいられるわけがない。


 そもそも何故、僕は生きているのか。何故、無事なのか。飛び降りて生きていた人の話は聞く。が、その話はどれも、死にきれなくて後遺症を患ってしまった人の話ばかりだ。

 少なくとも、馬車の荷台から振り落とされないように掴まる事は出来たのだ。そんな事が出来るくらい怪我が無いなんて、有り得ない。


「声もおかしいし……あーあー」


 やはりおかしい。声変わりしていないみたいに、凄く高い声が出る。

 高い所から落ちて、僕の場合は喉がおかしくなってしまったのだろうか。

 そんな不安に駆られた僕は、体に何か異常がないかをチェックする事にした。


「……いてっ!」


 頭を触ると、早速痛い所が見つかった。頭の丁度てっぺんにコブがあって、触ると痛むのだ。


「他は……」


 僕は顔、肩と、上から触って異常が無いかを確かめていく。


「……!?」


 胸の辺りを触った時、僕の手は、はっきりと異変を感じ取った。


(なんだ……? でかい……)


「え……!? ちょ、ちょっと……待て待て! これって……!」


 痛みは感じない……コブにしては柔らかいし、大き過ぎる。これは……。


「お、おっぱい!?」


 揉んでみた。やはり柔らかい。


「……」


 なんだか良く分からないが、恥ずかしい。顔が熱い。真っ赤になっているのが分かる。

 揉んだのが恥ずかしいのか、揉まれたのが恥ずかしいのか分からないが……とにかく、やってはいけない事をやった気がする。

 下半身がスースーするのも、スカートを履いているだけが原因だけじゃない事に気付いた。


 僕は、女になってしまったのだろうか。


「……寝よう」


 これは悪い夢だ。若しくは死後の世界か……もしかしたら、死ぬ前に見る走馬灯かもしれない。どちらにしても、もう一眠りすれば解決するような気がする。


「エミナさんも安静にしてた方がいいって言ってたし……」


 誰かに気付かれたところで特に悪い事はしていないのだが、何故だか罪悪感を抱いて僕はそーっとベッドの中に入り、仰向けになった。


「どうなってるんだ……」


 自分の体の事……この場所の事……飛び降りてからの事……走馬灯……エミナさん……死後の世界……男……女……色々な事で、半ばパニックになっている頭が、徐々に落ち着きを取り戻し……僕の意識は再び闇に落ちていった。

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