第四章 参
「優くんっ!」
(来たか……)
作之助はニヤッと笑った。ざまあみろ神崎。お前の思うとおりにはならねえぞ。
「よう、紅蓮。珍しいな、そんな必死になるなんざ」
「雫を返してください」
紅蓮の息は上がっている。でも、それを感じさせないほどの気丈さがあった。
(こんな状況じゃなきゃ、雫と何があったのか聞きたいけどな。何がこいつを変えんだろう)
紅蓮の刀には一切血がついていない。血払いした様子もないし、そもそもそんな余裕もなかっただろう。つまり、ここに来るまでに誰一人として斬っていない、ということになる。
素直に、なかなかやるな、と思った。誰も殺さずにここまでこれるとは、なかなかの腕前と度胸が必要なはずだ。紅蓮が強いとは知っていたが、ここまでだったか。
(それでも、俺に敵うか?)
作之助は心の中でふっと笑った。自分は何を考えているのだろう。
「な、馬鹿な……」
見れば神崎はあんぐりと口を開けていた。完全に腰が抜けているようで、倒れ込んだ椅子の上から立ち上がる気色がない。もう一度、「ざまあみろ」と思った。
「卍部隊兵に、これだけの思いが宿るだなんて、あの時以来……、いや、今回はそんなんじゃない……、あの時以上……」
紅蓮はすたすたと雫の方まで歩いていく。雫は安心したような、嬉しそうな表情をしている。紅蓮もそれを見て、ほんの少し表情を和らげた。紫陽もほんの少し微笑んだ。
(あ、やべ)
「おい、ちょっと待て」
作之助は抜刀すると、剣先を紅蓮の喉元に向けた。紅蓮が動きを止める。視線がこちらに向く。
「何でしょう」
今までになく鋭い視線だ。
「作之助さんッ! 今あの権利をあなたにあげます!! 使ってください! いや、使いなさい!!!」
作之助が何か言う前に、神崎が叫んだ。
「へえ、気前が良いんだな今日は。前は渋ったくせに。ま、使うぜ。もともとテメェに許可なんか貰わねぇつもりだったさ」
皮肉を言ったつもりだったが、神崎はすでに聞いていなかった。何かブツブツと呟いている。
「要らない……。要らない……。ワタシの実験から外れたなら……、消えてしまえ」
(うへー、出たよこのクセ。気持ち悪っ)
神崎は事が自分の通りに動かないと嫌な性分らしく、道が外れたと知った瞬間に『無かったこと』にしようとしたり、全て投げ捨てたりしようとする。大抵の時は気持ち悪い独り言を呟いているのだ。その独り言は聞く度に気分が悪くなる。
「隊長……」
紫陽の声が少しだけ心配そうに聞こえる。
「紫陽。これを決めるのは紅蓮だぜ」
「……はい」
紫陽は黙った。でもやはり心配らしく、右手で反対の腕を掴んだ。
「おい、紅蓮。ちょっと俺の話聞けよ」
「……」
(怖ぇ顔すんなって。お前にとって悪い話じゃねえんだからさ)
「その様子じゃ、少し記憶戻ったか? なら、こうゆう約束があんだけど」
紅蓮は何も言わない。ただ鋭い目線を向けてくるだけである。
「俺と戦え」
この約束は相当前に神崎が作ったものだ。これは記憶を取り戻した、脱退を望む卍部隊兵に適応される。
「俺と戦ってもしも、お前が勝ったら、雫連れてどっか行け。そしたら俺たちは追っかけもしねえ。好きにしな」
紅蓮の目の色がわずかに変わった。
「断ってもいいぜ。だけど断ったら……、分かるよな。卍部隊全員と俺と紫陽でお前を殺しにかかる。そうなったらアイツも死ぬぜ」
昔この約束に乗って自分と戦った者がいた。そいつは必死に戦ってきた。今まで見てきた姿よりもずっと強かった。でも、勝てずに死んだ。作之助が斬ったのである。
この約束の大事なところは、作之助が本気で戦って負けた時でないと、脱退希望者が解放されない点である。手加減して負けた場合は脱退は認められない。それどころか、殺される。だから作之助は本気で戦わないとならないのだ。相手が自分に勝てるかもしれないというわずかな可能性にかけて。
そもそもこの約束は、隊長が隊で一番強いことが前提だ。神崎は隊員を解放する気などさらさら無いのである。相手が強いことに望みを掛ける方がむしろおかしいと言えるだろう。そうは分かっていても、紅蓮は自分よりも強いだろうか、と考えてしまう。こんな馬鹿げた隊に属すよりも、大切な人と過ごした方が良いに決まっている。
自分は最後まで悪役で良い。いい人だなんて思って貰わなくても良い。むしろ敵だと思ってくれた方が良い。そうすれば、紅蓮が戦うときに遠慮がなくなる。遠慮なんかあったらお終いだ。力が全部出せなくなる。力が全部出せないで負けたら最悪だ。
いっそ憎めよ。俺はお前に酷い事もしたし、言ったろ? 仲良かった天泣を斬ったのも俺だぜ? 斬りたいって思うだろ。
「その話、乗ります」
ほら、やっぱり乗った。
「ゆ、優くん……!?」
止めるな止めるな。
「大丈夫だ」
紅蓮は雫の方を向いて言った。
「それに、この方法が一番良い」
「だからって」
「待っていてくれないか」
「え?」
「お前が待っていてくれるなら、俺は頑張れる」
良いこと言うじゃないか。
作之助はニヤッと笑った。いつもの不敵な笑みである。
「決まりだな」
「そんなっ」
「雫。こいつが決めた事だぜ」
雫はぐっと苦虫を噛みつぶしたような顔をした。それから、「優くん」と呟く。
「待ってるから……。ちゃんと待ってるから……!」
その表情に、ぐっと胸を押される。でも、こんなこと頭に置いておけない。こっちが本気で戦えなくなる。だから、笑うことにした。
「そうは行くかね」
剣先を紅蓮から外す。
「で、どこで戦うよ。お前が決めろ。あ、分かってると思うけど、勝負はどっちかが戦えなくなるまで。殺すのもアリだ」
雫の顔が青くなるのが横目に見える。
「……」
紅蓮は黙った。代わりに神崎が口を挟んでくる。神崎は勝利を確信したのか、いつもの笑いを浮かべていた。
「ここでは止めてくださいねェ。機材が壊れたら困りますゥ」
いっそ壊してやろうか。黙れよ。
「そこの部屋はどうですかァ」
神崎はタイル張りの部屋を指さした。
「お前は口出すんじゃねぇ」
「ワタシは研究員ですよォ。これくらい言ってもいいじゃないですかァ」
「博士、黙っていてください」
「何なんですかァ。紫陽さん普段は何も言わないくせにィ」
ぶうたれる神崎を、紫陽はほんの少し睨んだ。
(紫陽も本気だな)
やがて、紅蓮が口を開いた。
「基地全部はどうでしょう」
一瞬、呆気にとられる。
「はは……っ。いいな、それ」
まさかこんな答えが返ってくるとは。
「えェー。嫌ですゥ。ワタシが見れませんー」
「テメェどうせそこらにカメラ仕掛けてんだろ。それで見ろよ」
「仕方ありませんねェ」
神崎は椅子に座り直した。
「行ってくださーい」
「言われなくても行くっつの。――行くぞ紅蓮。外から開始でいいだろ」
紅蓮は答えない。無言で歩き出す。
「優くん」
雫の一言に振り返る。紅蓮は何も言わずに頷き、また歩きだした。
紫陽の側を通った時、そっと紫陽にだけ聞こえるようにこう言った。
「俺が死んだら――、この隊を頼むぜ」
紫陽ははっとしたようにこちらを向いた。それから深く頭を下げた。
(ま、そう簡単に死ぬ気はねえよ)
あくまで自分はこの隊の隊長だ。自分がいなくなったら、この隊がどうなるか分かったもんじゃない。紫陽の事は本当に信頼しているが、彼女だけに任せるわけにいかない。それはあまりにも酷だ。それに、自分がいなくなった瞬間、神崎の狂気が暴走する。それだけは防がなくてはならない。卍部隊の兵は人間だ。道具なんかじゃない。そう簡単に失いたくない。
(俺もそう簡単にやられるワケにはいかねぇんだよな、紅蓮よ)
自分の刀と腕が、人の人生を左右する。随分重い役だ。どう転んでも犠牲はつく。なら、せめて自分が正しいと思った道を進みたい。
「そんじゃ行ってくるわ」
ひらひらと手を振り、その場を後にする。
もう、振り返ることは出来ない。
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