記憶 其ノ参

 そこは、実験室のような場所だった。たくさんの機材と、順番に棚に押し込められた薬品。さらに、部屋は薄暗く、不気味だ。

 作之助は少年が目を覚ますのを待っていた。その少年は、部屋の中心にある寝台に寝かされている。少年は白い病院着を着ていて、裸足だ。それにまだ幼い。頬にはテープを使ってガーゼが張られていた。

(じれったいな)

 作之助は頭をかいた。少年が目を覚ますまで、ちゃんとした状態、例えば健康状況とか、気分とかが分からない。だからこの時間が一番嫌いだ。

 嫌いな理由はこれだけではない。少年の近くに座っている神崎が目を輝かせて、落ち着かない様子で待っているのだ。その様子を見ているのも腹が立つ。近くにいるのも嫌だったから、部屋の端で、壁に寄りかかって立っていた。

 ため息をつこうとしたとき、少年がむくりと体を起こした。

(良かった)

 目を覚まさないで眠ったままの者も見たことがある。だから少し安心した。でも、まだまだ心配する要素は残っている。

「頭は痛くないですかァ?」

「平気」

「じゃ、作之助さん」

「うるせえ。分かってる」

 作之助は壁に立てかけていた刀を一振り持って、少年に渡す。少年は驚きもせず、無表情にこちらを見返してきた。

「お前、これの使い方は分かるだろ?」

 少年は頷いた。

「ならいい。今からお前に命令を下す。いいな?」

 再び頷く。それを確認して、作之助は口を開いた。

 今から自分は冷たく冷静な、結果主義の上官を演じなければいけない。

「今から、そこの扉の向こうにいる奴らを全員殺せ」

「これで?」

 少年は無表情で聞き返してくる。

「そうだ。武器はその刀だ。向こうもお前を殺しに掛かってくるからな。負けたら死ぬぞ」

「分かった」

 少年はすとん、と寝台から降りるとすたすた歩いて、部屋の扉を開ける。部屋は一面タイル張りになっていて、部屋の端には排水溝がある。それ以外何も置いていない。

 中にいた五人の人間が少年に気がつき、飛びかかってきた。それを少年は見上げ、何も言わずに扉を閉めた。

 作之助は気が気じゃなかった。もしも少年の身に何かあったら――。あの少女に何て顔をすればいいのだろう。

「作之助さん? 天霧さん?」

「あ?」

「今日は落ち着きがありませんねェ」

「黙れキチガイ」

「キチガイは褒め言葉ですよォ」

「チッ」

 これ以上狂ったヤツは知らない。

 この実験室は神崎のためにあるようなものだ。神崎が自由に研究できるようにするための場所。神崎は一見、国のために働いているように見える。だが実際は違う。自分のためだ。自分が研究をしたいから。

 特殊な電磁波で、脳の一部に障害を与え、記憶を消し、感情を消す。それが研究。非人道的すぎるが、国の偉い人間はそれを認めた。そこで生まれた人間を兵士にするという条件で。国は強い兵士を求めていた。日本帝国という国を強くするために。国は神崎の研究を知って、こう考えた。感情が無ければ、人を殺すのをためらうことも無いだろう、と。だから国はそれを認めた。神崎の研究を支えた。そして、今に至る。卍部隊と命名された部隊は次第に大きくなり、基地を持つまでになった。そうして今も人材が生み出されようとしているのだ。

「そろそろですかねェ」

「そわそわすんな」

「どうして分からないんですかねェ。この気持ちが」

(分かってたまるか)

 作之助は神崎を睨み付けた。しかし目の前の実験に夢中になっている神崎は気にも留めない。

 この部屋から少年が生きて出てきたら、それは「実験成功」いうことになる。人を殺すのをためらわなかったという結論に結びつけることができるからである。神崎はそれを待っているのだ。

「開けるぞ」

「待って下さい、私に開けさせて――」

「嫌だね」

 作之助は扉を開けた。神崎が「ああ、ひどいですゥ」と言ったが無視する。

 そこは血の海だった。そこにいた者たちはみんな倒れていた。ほとんどが、瞬殺されたと分かる倒され方だった。

 神崎が「実験成功」と呟いてニヤッと笑った。

 この男たちは、ちょっと前に捕虜として連れてこられた、敵国の軍人だったはずだ。それが、こんなにもあっさりと。少年が強いのは言うまでも無い。

 少年はその真ん中に立っていた。白かった病院着を返り血で真っ赤に染めて立っている。

 その様子はまるで――。

「紅蓮」

 少年がこちらを向く。

「お前を今日から『紅蓮』と呼ぶ」

「紅蓮?」

「そうだ。俺は天霧作之助。日本帝国軍卍部隊隊長だ」

 紅蓮は血払いした刀を鞘に収めた。

「紅蓮。顔のガーゼ、剥がしていいぞ」

 紅蓮は頷くと、ぺりっと剥がす。そこには『卍』に文字が刻まれていた。

「お前を日本帝国軍卍部隊壱番隊に配属する。お前は今から俺の部下だ」

 紅蓮は頷いた。

 ああ、これでまた兵が増えた。徒に運命を曲げられたものが増えた。

 こんな部隊無ければ、きっとこいつはあの少女と一緒にいられたのに。

 作之助は誰にも聞こえないように、「死ぬなよ」と呟いた。そして、少年に卍部隊として初めて命令を下す。

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