第一章 五
「何だ、これは」
「何って、おにぎりだよ」
紅蓮は内心でため息をついた。すでに天泣がおいしそうにほおばっているため、ため息がさらに大きくなる。
いつものように見回りをしていたら、雫が「今日はおいしいもの持ってきたよ~」と言って寄ってきたのだった。紅蓮も天泣も慣れつつあり、帰れと言うことはしなかった。
「このおにぎりはね、さっき握ったばっかりだから、あったかいよ。はい、お茶」
「……」
渋々受け取る。が、まだ口はつけない。
「今日はね、いつもより早く起きちゃった」
雫は笑顔でおにぎりをほおばっていた。暗がりでもよく分かる。
(おとなしく寝ていればいいのに)
「わ、鮭だ。おいし~」
天泣が横で騒いでいる。紅蓮はそれを横目で見て、少し歩く速さを上げた。
「ちょ、僕まだ食べ終わってない。ていうか、紅蓮手ぇつけてないじゃん」
「問題あるか?」
「あるでしょ」
天泣は何か言いたそうに口を動かしたが、すぐに黙った。かわりに、近くの小石を蹴った。小石はころころ転がって、やがて止まった。
「優くん、食べないの? もしかして、お腹すいてなかった?」
「……」
雫に目をのぞき込まれて、思わず逸らした。大きな瞳に真っ直ぐに見つめられると、視線を合わせられなくなる。どういう訳かはさっぱり分からない。それに、一度目をそらすと、話そうとした言葉を飲み込んでしまうのだ。今もそれらは例外なく紅蓮を黙らせた。
お茶を少し飲んで、小さな握り飯をかじる。米は水っぽくなく、乾燥してもいないが、口にするとほろほろとほぐれた。黙々と食べていると、鮭が入っていることに気がつく。鮭と米を一緒に噛むと、ほのかな塩の香りが口に広がった。
食べ終わり、お茶を飲み干す。それからボソリと。
「うまかった」
「え?」
「うまかった。握り飯」
ぱあっと、雫の顔に笑みが広がった。
「ほんと? ほんとに?」
「少なくとも、俺が知っている中では一番だ」
「わあ、嬉しい!」
雫は手を叩いて喜んだ。それから手提げの中をあさる。
「えへへ。おにぎり、もう一個ずつあるんだよ」
「もらう」
「あ、僕も欲しい」
「どうぞどうぞ」
今度は昆布だった。味に感嘆を覚えつつ、すぐに食べ終わってしまう。
「ごちそうさまあ! おいしかったよ」
「ありがとうございます。褒められると作りがいあるなあ」
嬉しそうだな、と言うと、そりゃそうだよ、と笑顔で返された。褒められると嬉しいものらしい。そう、こんなにも笑顔になるくらい。
(俺も褒められたことあったな)
確か、壱番隊に入ってから間もないとき。年上の隊員を打ち負かしたことがあった。その時、「強いね」と言われたのだった。その言葉を聞いた後、何とも形容しがたい充実感に包まれていたのを覚えている。
(それが、褒められて嬉しい、か。面白い)
面白い、という言葉が出たことに驚いた。なぜかとわずかに首をかしげるが、理由は分からない。
「優くん、どうしたの?」
「いや。明日も作ってくれないか?」
「もちろんだよ!」
雫は頷いたあと、明日も頑張っちゃうよ、具は何にしようかな、と目をキラキラさせて呟いていた。それと同時に天泣が申し訳なさそうな顔をする。
「雫ちゃん。悪いんだけどそろそろ」
「あ、もう時間ですか?」
「うん。早いなあ、もう」
「ですね。では、私もう帰ります」
「気をつけてね。紅蓮、送ってあげれば?」
「……」
「怖いよ。いや、今の冗談だからね? 無言で睨まれても怖いだけだからね?」
「いや。送ってもいいんだが」
紅蓮が何食わぬ顔で言うと、二人とも露骨に驚いた顔をした。逆にこちらが驚くな、と紅蓮は思った。
「え、嘘お!? 僕、絶対そんなこと言わないとてっきり」
「他の隊員に見つかると厄介だ」
「ん、そりゃそうだけど。ねえ、雫ちゃん。って、あれ?」
つられて見ると、雫の顔が赤い。耳まで赤い。まるで顔から火が出ているみたいだ。雫は持っている手提げをばっと顔の前に持ってくると、それで顔を隠した。
「あらら、照れてる。かわいいねー、紅蓮?」
「お前、面白がってるだろ」
「あ、ばれた? まあばれるか」
天泣は頭をかいた。それから雫の方を二人で見る。当の本人は。
「わわわ私帰るねひとりでも平気だからね気をつけるからね転んだりしないようにするからねまた明日来るからねじゃあね」
手提げに顔を埋めたまま、早口に告げると駆け足で去ってしまった。
「わーもう見えない。転んだりしないよね? 大丈夫だよね」
「おい、行くぞ」
「あ、うん」
天泣が早足についてくる。横目に顔を見ると少しにやついていた。
「いやー、雫ちゃんかわいいねえ」
「そうか?」
「え、逆になんでそう思わないの?」
「知るか」
「何それえ。面白くなーい」
「黙れ」
睨むと天泣はちぇっと言った。それから聞こえるか聞こえないかの声で、「まいいや。紅蓮が誰かを褒めるとこ見られたのも珍しいし」と呟く。
「……」
「ようし。じゃ、切り替えて見回り頑張るぞー!」
突然元気を出した天泣に呆れつつ、紅蓮は頷いた。
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