悩める喫茶店

@music66

開店

第1話 来店

 雨がよく降る平日の昼下がり。お店にはオーナーと常連のおじさんと2人だけ。いつも通りゆっくりととした時間と蓄音機からクラシックが流れる。とても落ち着いた空間。ガチャ!・・勢いよく扉が開いた。と同時に雨の大きな音。お店の入り口の方を見ると傘もささずずぶ濡れな長い黒髪。ハイヒールを履いた白いワンピース姿の女性が立っていた。赤いリップの綺麗な唇が動き何かを言っている。雨の音にかき消され声が聞こえない。店内の音楽を止め、急いでオーナーはタオルを持ってその女性の元に駆け寄る。すると化粧も崩れて泣いている女性がいた。店主は驚きを隠せない。常連のおじさんも動揺したか珈琲のカップに目を落とす。「私を綺麗にしてください。」そう女性は言った。スカートの裾から雨の雫が落ちるほど雨に打たれたのだろう。「落ち着くまでゆっくりしていってください。」そう言いタオルを渡した。

 お店には音楽だけが流れ沈黙が続く。泣き止むのを待つと「ホットミルクです。どうぞ。」と店主は優しく飲み物を指し出す。すると女性は崩れた化粧を気にするように顔を壁の方にそらし軽く会釈した。

 大きな壁掛け時計がボーン、ボーンと大きな音をたてるのと同時に小さな鳩が時計の小窓から定期に飛び出す。短い針が5を指す。店主が外を見てみると綺麗に空が晴れ、太陽が夕日に変わっていた。店主がお店の窓を開ける。冷たい風に湿った雨の匂いが乗せられお店の中に吹いてきた。心がシャキッとするような感覚になる。女性はそそくさと荷物をまとめ、乾いた髪を軽く撫でて整える。店先に立ちうつむいたままで「あの・・すいませんでした!!」そういうと扉を勢いよく開けて飛び出して行った。席には綺麗に畳まれたタオルがおいてあった。開いたままの扉を見つめながら常連さんはキャスケットをかぶりながら言った。「不思議な子だったね、じゃ私も失礼するよ。」「ありがとうございました。」お店には雨あがりの匂いと珈琲の香りだけが残る。


 あれから数日。気持ち良く晴れたいつも通りの平凡な時間とクラシック曲が喫茶店には流れる。お店には店主といつもの常連さんだけ。

カランコロン・・。お店の開く音がした。「いらっしゃっ!・・・。」店主は驚きのあまり言葉を失った。そこには雨の日に突然やってきた女性の人だった。「先日 はどうもすみませんでした。とても感謝してます。」そういうと女の人は財布を取り出し「ミルクティーの値段、いくらですか?」と尋ねた。「大丈夫ですよ。・・その代わり聞いてもいいですか?」「先日いらっしゃった時、おっしゃられたこと。何かあったんですか?答えにくかったら無理にとは言いませんが。」と店主は思い切って質問をする。「いや、あのですね・・」と話してくれた。

 その女性は昔からの幼馴染で、学生時代から付き合った彼氏に急に別れを告げられたらしい。女性の誕生日の7月15日に入籍しようと決めてもいたのだった。その矢先彼女の家のポストに住所も切手も貼られずに細長い茶封筒が入っていたらしい。中には便箋にびっちりと文字が敷き詰められてあり、感謝が綴られていたという。手紙とともに2人で撮った写真も何十枚も入っていたという。

店主は黙って聞いていた。常連さんも聞いていて話に突っ込む。「何て最低な男だ。こんな綺麗なお嬢さんを捨てるなんて。」まぁまぁと店主は常連さんを宥める。「心当たりはないんですか?」店主は優しく尋ねる。女性は涙をこらえながら首を横にふる。しばらくすると女性は口を開き、「私、綺麗になればあの人は帰ってきますかね?」店主は手招きをして「こちらにどうぞ。」とカウンターの中に招待した。驚いたように女の人はカウンターの中に入る。「今更ですみませんが、お名前聞かせていただいてよろしいでしょうか?」カウンターの中で聞く。「葵です。」店主は確信を得たように頷き質問をする。「葵さん、料理経験は?」「アルバイトで少しだけ。」「そこにあるマシュマロを湯煎していただけますか?」葵は言われた通り作業をする。店主はマグカップには温めた牛乳を注ぎ、そこに蜂蜜を入れる。店主はかき混ぜている。「できました。」葵は店主に報告する。「ありがとうございます。」店主はマシュマロをホットミルクの上から注ぐ。「はい、完成。召し上がれ。」店主はマグカッップを葵に差し出す。葵はフーフーと息を吹きかけ冷ます。そっとカップに口をつける。温かくて甘いミルクティーが葵を体の中から満たしてゆく。「おいしいです。」葵がそう言うと店主は優しく微笑む。「前に出したミルクティーとは違うんですよ。」驚いたように店主の顔を見つめる。「温かい飲み物には体を温めて落ち着かせる効果があるそうです。この前のは少し牛乳の温度を上げて出させてもらいました。そうすると冷まそうと思い、いつも以上に息を吹きかけますよね?そうすると軽い深呼吸になります。そうすることでリラックスさせる。そして、副交感神経という働きを高めることで体をリラックスさせることもできて心も体もリラックスできるんです。それにマシュマロにはコラーゲンたっぷりですからね!」感心そうに店主を見つめたままの葵。「あ、話長くてすみません。」葵は初めて店主に笑顔を見せた。そんな2人を常連さんは幸せそうに眺める。「私の綺麗にする手は尽くしましたよ。」店主は優しく言った。葵は「お世話になりました。」そう言ったタイミングで葵の携帯が鳴った。葵はポケットの中の携帯を出し、すいませんと一礼をし電話に出た。すると葵の顔は曇った。深刻そうな表情に変わった。葵は電話を切ると急いで荷物をまとめ、「ありがとうございました。」そう告げると店主の返事を待たずにお店を飛び出していった。常連さんが「ここのお店に何度もたどり着けるということは何かあったんだろうね、大丈夫だろうか。」心配そうに呟く。カウンターには封筒ごと手紙が残してあった。窓の外はさっきまでの晴天とは違い分厚い雲が迫り、今にも泣きだしそうな空色だった。


 その晩、店主は手紙を見ていた。文面から見ても別れようとは書かれていても別れようという気持ちはこれっぽちも伝わってこない。写真にはどれも2人の楽しそうな姿が写る。とても離れるとは考えられないほどの2人の姿だった。写真の後ろには日付が書かれてあった。毎年のように葵の誕生日には夏祭りの写真にりんご飴やお面を持った浴衣姿の2人が大きな樹の下で写っている。だが毎年撮っているはずのこの日の写真が去年の分だけないのだ。店主は不思議に思った。

 しばらく日が経って葵さんの誕生日の日になった。お店には常連さんがいて「最近見なくなったね。ま、それはいいことか!無事に悩みもなくなったのかな?」そんなことを話しているとお店の扉が開く。カランコロン・・。「いっらっしゃいませ。どうぞ。」店主はカウンターの席を引く。静かに葵は席に座る。そして葵はゆっくりと話し出した。

 葵の彼氏は病気が見つかり、余命宣告された。彼氏は葵に話すか悩んだ。そしてその結果病気のことは記さず手紙に気持ちを綴った。彼氏は最後葵に一目見ようと葵家まで行ったが勇気が出ずにポストに手紙を入れた。そして彼氏の家族には病気のことを打ち明けて余生は自分が好きなように生きると言って荷物をまとめて家を出たという。これが彼なりの不器用な優しさだったのであろう。そして3日前にあの樹の下で遺体として見つかったのだ。とても幸せそうに眠っていったと。最後に葵と撮った誕生日の日の写真を泥だらけの手で握りしめて眠っていたと。それを聞いた店主は「18時30分にこのお店に来てください。これが私から最後のお願いです。」といった。常連さんに「すみません、お店お願いしてもいいですか?」と聞くと。快く頷いて親指を立てて店主に向ける。

 7月15日 18時30分喫茶店の前。路地の奥の方から葵さんの姿が向かってくる。「お待たせしました。」浴衣姿の葵さんが言う。「いえ、こちらこそお呼び出しをしてしまい申し訳ありません。では行きましょうか。写真の樹のところまで案内していただけますか。」葵は少し戸惑いながら承諾した。

 「ここです。」葵が店主に言う。そこは小高い丘の上で周りには何もなく大きな樹が一本だけ立っているのでした。店主は樹の周りを散策し始めた。葵は真新しいものを見るように店主の姿を眺めていた。「ありました!」大きな声で葵を呼ぶ。そこには穴を掘って埋めたように草が生えておらず、そこだけ草が生えてなく不自然だった。そこを掘り返してみると銀の四角い箱が埋まっていた。その箱を開けると手紙が入っていた。手紙には”葵へ”と描かれている。「なんでこれが此処に?」震えた声で葵はつぶやく。店主は「葵さんが来る前に彼氏さんがお店にいらっしゃったんです。葵さんがお店にやってくることを知っていたかのように。そして病気のこと、葵さんのことを話されたんです。そしてお願いされたんです。今年も一緒にいつもの場所で誕生日を祝いたと。ですが病気のこともあり、葵さんのことを代わりに祝って欲しいと。本当の気持ちを伝えたいとおっしゃられたので。」と言い手紙を葵に手渡す。葵はゆっくりと手紙を開く。

  葵へ

 ハッピーバースデーあおい!20歳おめでとう!生まれてきてくれてありがとう。そして俺と出会ってくれてありがとう。葵には感謝しかないよ。いつも迷惑ばかりでごめんな。この手紙を読んでる頃は葵の隣にいるのかな。いないとしても一生見守ってるから。急にあんな手紙送ったりしてごめんな。びっくりするよな。悲しい思いさせてしまったな。俺、病気のこと話して葵の悲しい顔を見たくなくって。そうやってカッコつけてた俺は馬鹿だった。もっと悲しませていたんだな。悲しくなるのは苦手だけど最後にわがままを言わせて。前に送った手紙は半分本当のことだけど。半分嘘なんだ。弱い俺を見せたくないけど最後だから。本当はもっと一緒にいたかった。もっと約束したかった。もっと笑いたかった。夏祭りに行きたかった。結婚式を挙げたかった。子供作っていろんなところに遊びに行きたかった。子供にも俺らの大切なこの場所を伝えていきたかった。もう一つわがまま言ってもいい?最後に1つだけお願いがある。3年間花火大会に一緒に行って誕生日を祝ったな。新しい男ができても、花火大会にだけは行くな。生まれ変わるまで待ってて。俺、嫉妬しちゃうから。泣いちゃうから・・俺のこと忘れないでくれ。

後悔ばっかの人生で最後には葵を幸せにできなかったこと。でも唯一後悔してないことがあるそれは葵に出会えたこと。葵、お前は綺麗だよ。俺の宝物だよ。笑え。幸せになれ。

 -こう綴られてあった。葵は声を出して泣いた。「ずるいよ、私置いていくなんて。かっこつけすぎだよ。本当に馬鹿なんだから。」空の様子は落ち着かなくなる。黒くなった入道雲が空を埋め尽くす。「私、もっと綺麗になって迎えに来てくれるの待ってるから。私、あなたの分も強く生きるから。」葵は手紙を胸に押し当て空に向かい大きな声で叫んだ。それに応えるかのように夕立が葵の髪を濡らし始めた。徐々に雨は強くなってくる。雨は葵を優しく包むようだった。始めのような弱々しさはなく雨に濡れた姿が勇ましかった。店主はじきに止むであろう夕立と葵を優しく見守り小高い丘を下りた。空には虹が綺麗にかかっていた。

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