第1章 アラン=ゾラ

1.落ちてきた少女

 怒号、悲鳴。

 剣戟の音、爆音。

 泥の臭い、血と臓腑の臭い。

 肉や骨が断たれる音、命が絶たれる音。


 その場所には、居合わせる者共を死へと導くあらゆるものが充満していた。





「ちっ……厄介な、モン、投入しやがる!」


 振り下ろされた敵兵の剣を己の得物で弾き返し、横薙ぎの鋭い剣閃により襲撃者の胴体と首を分断しながら、マックス=ローレンはひとりごちた。

 崩れ落ちた敵兵の白い鎧が血色に染まっていく様子を一瞥し、彼は浅い息を吐き出す。

 心情的には厄介者との交戦前に一息入れたいところであったが、乱戦になりつつある戦場でそのような事が許される筈も無い。次々と襲い来る兇刃を往なし、飛来した矢を叩き折り、時折放たれる炎の塊や氷の刃を弾き飛ばし、彼は前進しながら敵兵を斬り伏せていった。

 その視界の先で、自軍の先頭を駆る騎馬隊の一角が、地を抉る大規模な爆発・爆音と共に弾け飛ぶ。

 此度の戦には移動式魔導砲台や投石器の類は用いられておらず、魔法士でも騎馬隊数名を一撃で吹き飛ばす程の力を練ることは出来まい。

 であれば、彼曰く厄介者……敵軍【使役者】達の仕業であろうと結論付け、彼は、次々と起こされる致死の爆発の許へと駆けていった。




 ヴァレシア王国領内北東部、カサンドリア平原。

 普段であればそこは、背の低い草木が穏やかな風に撫ぜられ、その中で小さな動物や虫達が暮らすだけの、長閑な場所でしか無い。

 そんなささやかな暮らしを人間達が脅かし、戦場と呼ばれる場へと造り替えてから、四半刻ほどが経過したか。

 侵攻するは、人間の統治する国において最も貪欲に支配圏を広げる、北のインベルグ王国。

 その侵攻軍およそ二万に対し、迎え撃ったのはヴァレシア王国軍一万五千と、ヴァレシアの盟友国であるオリオスティ王国軍七千。二万二千の同盟軍である。

 広大な西の大陸。その北部全域を力でねじ伏せ支配を遂げたインベルグ王国は、更に南方へその触手を伸ばそうと動き出した。

 彼の大国は、手始めとばかりにヴァレシア王国にとって北側の国境監視の要であったスカーレント砦へと侵略、占領し、更に南へと進軍してきたのである。

 インベルグ王国以南では最大の領土を誇るヴァレシア王国であったが、ほぼ奇襲に近い襲撃によりスカーレント砦へと配していた人員を失ったこともあり、此度の侵攻軍に対応するには心許ない兵力しか捻出することが出来ず。それを受けて、盟友国であるオリオスティ王国が派兵を行ったのだ。

 オリオスティ王国は、インベルグと隣接するヴァレシア王国より更に南西へと位置する国だが、ヴァレシアが侵略されれば次は自国である。兼ねてより密接な交流・交易のある盟友国の為にも、自国の為にも、何としてもこれ以上の侵攻を喰い止めねばならなかった。


 だが、防衛側の戦況は芳しくない。

 数では上回る筈のヴァレシア同盟軍は、インベルグ侵攻軍に対し、存外の苦戦を強いられていた。

 要因は侵攻軍の構成にある。

 両軍とも騎兵が二割、魔法部隊を含む歩兵が八割、一割に満たぬ少数が補給・衛生兵という配員であったが、インベルグ侵攻軍の歩兵には、二百余名もの【使役者】が含まれていたのだ。




 精霊と契約を交わせし者。

 その者達のことを、人々は総称して【契約者】と呼ぶ。


 精霊とは、人間の線引きした領土になど囚われることもなく、世界各地に独自の集落を築き住する、人の形をした種族だ。

 とはいえ、その個体の持つ力は人とは大きく異なる。

 彼らは地中や地表を巡る【魔素】を糧として生き、人の身で備えることの敵わぬ膨大なる【魔力】を宿し、操ることが出来るのだ。

 人間も魔力を操るが、精霊のそれとは比較にもならないほどに劣るだろう。

 そのため支配欲の強い諸国は、自国の領土拡大の為に精霊を取り込むことを画策してきたが、精霊とは自由な生きもの。それらの目論見はことごとく失敗に終わっている。

 そもそも彼らの居所は、通常その力により秘匿されている為、人間側から精霊へと関わりを持つことが困難なのだ。また、精霊側から積極的に人間側へと関わりを持つこともしない。

 世界を手前勝手に私有化し、争い、築いては破壊し、精霊をその為の兵力と見なしてきた人間のことを、彼らは疎んじているのだ。


 けれども、精霊は、彼らの領域から気まぐれに人間の動向を見ていることがある。

 そうして時折人間の領域へと姿を現し、身を守る為、興味という欲求を満たす為……実に奔放かつ様々な理由で、気に入った人間を己の【契約者】として選定することがあった。

【契約者】として選定された者は、契約した精霊と生を共にし、その膨大なる魔力をも共有・使役することを許される。

 それは精霊の力を手に入れるも同義。

 但しその代償として、契約主である精霊の願いを叶え、剣となり盾となることを課せられるのだ。


 ……契約とは、あくまでも精霊側からの意志により行われる。

 対して【使役者】とは、精霊の意思を無視して手前勝手にその力を略奪した者共のことを指した。

 精霊は、自分達の力が人間にとっては過ぎたるものだと理解している。ゆえに、悪戯に己の力を分け与えるようなことはせず、また、契約主である精霊の意に反した力の振るい方をすることも許されない。

 そもそもが人の身勝手な支配行為になど関心を持たぬ種族だ。戦に参加するために契約したことなど、あったためしが無い。

 しかしどういう訳かインベルグ王国は、精霊の意思を奪って無理やり契約せしめる方法を手に入れ、独占していた。

【使役者】の背後に幽鬼の如く佇む、意思を持たぬ精霊。

【契約者】とは違い、意思を持たぬ精霊は共に戦うことなく付き従うのみだが、それでも精霊の持つ膨大なる魔力を操ることが出来る事実に変わりは無い。

 二百余名もの使役者が、同盟軍にとって圧倒的な脅威であることは、明白であった。




 マックス=ローレンの左腕には、青と白で彩られた腕章が巻き付けられている。

 胸に剣を抱く鷹の紋章が描かれたそれは、オリオスティ王国の誇る騎士団へと所属する証。此度の派兵へと参加したオリオスティの者達は、全員が同じ腕章を身に着けていた。

 オリオスティ王国騎士団は、周辺諸国へとその名を馳せる程の高い戦闘能力・実績を備えた部隊である。無論、ヴァレシア王国軍とて決して引けを取らないが、オリオスティ王国が誇りとするだけの実力を個々が有していることは、自他共に認めるところだ。

 しかし、である。

 此度がインベルグ軍との初交戦である者が多いオリオスティ騎士団の面々では、その殆どが【使役者】を単独で撃破すること叶わぬであろうと、彼は経験から推測していた。

 騎士団へと入る以前にも傭兵や義勇軍での活動を経てきたマックス=ローレンは、何度かインベルグ軍と……インベルグ軍に所属する使役者と、交戦したことがある。

 精霊の魔力を操る彼らの力は個体差はあれど厄介で、交戦の度に仲間を失い、苦い思いをさせられてきた。

 相手が使役者であるゆえ、精霊自体も交えて争うような過酷な状況に陥ることは無いが、それでも使役者と一般兵の間には埋めようの無い力の差がある。

 そのうえ、ヴァレシア騎兵の司令塔が先程の爆発へと巻き込まれたか。統率が危うくなったように見えるこの状況では、使役者による被害拡大が容易に予想された。


(ったく、仇敵が目の前に居るってのに、アイツは一体何やってやがるんだ!)


 心の中で毒づきながら、マックスは前方から放たれた膨大なる魔力の塊を回避。低い姿勢のまま一瞬にして敵兵使役者の背後を取り、己の得物である長剣を振り抜く。

 その剣閃は、使役者の背後へと寄り添っていた、意志無き精霊の首を斬り飛ばした。

 切り離された首が地面へと落ちる前に、精霊の輪郭がぶれ、細かい粒子となって戦場の空気へと溶けてゆく。次の瞬間には使役者の身体が激しく痙攣し、白目を剥いてその場へくずおれた。

 精霊と【契約者】とが一心同体であるように、精霊の意思を奪うとはいえ、【使役者】も同じ。

 精霊が死ねば使役者は命を失い、その逆もまた然りだ。

 意思も抵抗も無い精霊を殺してしまうほうが、精霊の魔力によって強化された使役者自身と真っ当にやり合うよりは、幾分殺し易い。

 但し、一般兵とは比較にならない力と対峙しようとも、その背後を取り精霊を瞬殺出来る程の実力があれば、の話ではあるが。


 マックスが回避した魔力が、彼の視界の先で地へ着弾し、爆発を起こす。

 爆発に自軍が巻き込まれていなかったことに安堵したのも束の間、彼の背後から新たに二人の使役者が迫ってきた。

 彼は顔を顰めながらもそれを正面へと据え、姿勢を低く構える。

 単独での使役者撃破が出来る程の実力を持つ者は、マックスを含め、同盟軍に十数名程度しか居ないだろう。それも一対一前提の話。マックスとて、複数名で来られれば倒し切れる自信は無い。


 だが、が出来る規格外が……たった一人だけ、オリオスティには存在した。


 二人の使役者の横から、強弓より放たれた矢の如き勢いで、黒いものが飛び込んで来る。

 黒い何かの持つ巨大な得物、斜め上からの叩き付けるかのような一閃。

 その一撃で、胴体が分断された二名の使役者は血と臓腑を撒き散らしながら精霊ごと絶命し、凄まじいまでの剣風が戦場の地面を抉った。

 耳障りな水音と共に地面へと叩き付けられる使役者の残骸。土へ染み込み切れずに広がってゆく血だまり。

 傍らに立ちながらもそれらを一瞥すらせずに、黒き者は血振りを行い、その得物を地面へと突き立てる。

 それは、身の丈ほどもある大剣だった。

 片刃の黒い刀身が鈍く輝き、戦場の風景を昏く映し出す。


“漆黒”


 大剣の柄を握り支える人物は、そのたった一言で言い表せるかのような様相の、青年であった。

 身に纏う衣は黒。胸当て鎧も黒色の鋼。

 雑に跳ねた黒髪に、更にその下、精悍な顔立ちに据えられた両の目も漆黒である。

 漆黒の男を彩るのは、返り血の赤だ。

 表情の希薄な顔にも幾つかの血痕が添えられ、白と青である筈の腕章も、辛うじて一部がその色であったのだと判別出来る程度。

 対峙した敵兵は、その異様な様相と闘気によって怖気に蝕まれるうちに、世を去ることとなるだろう。


 死神。戦鬼。

 戦場で、敵兵からは畏怖を。味方からは僅かな敬意を以って呼称される男。

 その名を、アラン=ゾラと言った。


 光を宿さぬ漆黒の瞳が、ちらりとマックスへ向けられる。

 それを受けて、彼は強張っていた肩の力を抜いた。


「悪いな。助かった」

「……あぁ」


 漆黒の男アランへとマックスが謝意を述べれば、アランからは短い返答だけが返される。

 だがその短い言葉は……何だ、居たのか、と。そうとでも言いたげな語感であった。

 よほど敵兵しか目に入っていなかったのだろう。ああ、そうだろうよ。戦場でこの男はいつもこうだ、と、マックスは半ば呆れ返るが、最早知れたことである。アランとは傭兵時代以前からの旧知であるマックスは、アランの性癖については既に諦めを付けていた。


 突き立てた大剣を地面から抜き取り、己の正面へと構えるアラン。

 傍らへと歩み寄り、アランに背を預けるようにして立ち構えるマックス。

 同じ年頃の青年ではあるが、二人の外貌は対極であると言っても差し支えないだろう。

 どこまでも黒という言葉が似合うアランに対し、後頭部で少し括れる程度に伸びたマックスの髪色は明るい茶で、瞳は地平を彩る若草の色。アランを深淵の夜とするならば、マックスは恩恵の光差す昼だ。


「使役者の数が多いな……戦況が宜しく無い」

「ああ」

「あいつ等をさっさと片付けんと、予想以上の被害を喰らうだろうな」

「俺が全て殺す」

「まーたお前はそういう……ま、しかし、だ」


 互いに背を預けながらの会話。

 表情は見えないだろうと判っていてもマックスは半眼で脱力することを禁じ得ず、しかし、すぐさまその人好きのする顔立ちを厳しく引き締め、正面を見据える。


「とりあえずこの状況を何とかしてからだな」


 僅かの会話のうち、二人の周囲はぐるりと敵歩兵に囲まれていた。

 数は五十か、百か……二人ともをインベルグ軍の要である使役者達を屠る実力の持ち主であると認識し、近付けさせまいと。あわよくば死神を打ち取り名を馳せようとの算段なのだろう。

 剣と槍のふすまが、二人を覆い尽くそうとにじり寄って来る。

 マックスが僅かに腰を落とすと、背後からは大剣の柄を握り直す気配。

 二人は特に合図も無く、同時に互いの正面へと突進した。

 同時に動き出す、二人を取り囲むインベルグ軍。正円を描いていた人垣が歪み、我先にと、相対した強者の命を刈ろうと得物を突き出す。

 だが、血気に逸るだけの動きで二人を捉えることなど、出来よう筈も無かった。


 姿勢は低く、右脇に長剣を構えながらマックスは疾駆する。

 対峙した敵兵が彼を捉えたと意気込んで剣を振り下ろすと、次瞬には敵兵の首が血飛沫と共に地面へと落下を始めた。敵兵が捉えたと錯覚したのは、最早残像でしか無かったのだ。

 次々と襲い掛かる剣を、槍を、マックスは躱し、ひとときの幻想に酔う敵兵の鎧の隙間……首を、胴を、鋭い剣閃で的確に切り離してゆく。

 疾風のように敵兵の隙間を縫い血の華を咲かせてゆく彼の実力は、雑兵のそれとは比較にもならぬ高みにあるのだ。

 高みにあるのは、彼が背を預けたアランとて同じこと。

 ただ、アランの剣戟は……マックスのそれに比べ酷く凄惨なものであった。

 大の男であろうと扱いが困難である身の丈の大剣。間合いへと踏み込んだ者共へ向け、それを軽々と一閃する。

 雷光の如き横薙ぎの一撃は、間合いに居た七名の敵兵を鎧ごと切り裂いた。

 ばらばらと壊れた玩具のように崩れていくものの一部を踏み台にしてアランが跳躍すると、幾つかの槍の穂先が追い掛けてくる。彼の飛翔した高さにそれは届かず、中空で旋回するかのように振り抜かれた大剣、その嵐の如き剣風により追従してきた槍は折れ飛んだ。

 そしてその程度で剣風の勢いは止まらない。槍の柄を握っていた者共をも嵐に巻き込み、切り刻み、命を攫ってゆく。

 着地したアランを追う視線達は驚愕と狼狽に彩られ、もはや戦意を失うものすらあったが、アランは構うことなく敵兵の塊へと突進した。

 握った大剣の重量を物ともせず、敵兵の得物を、鋼の鎧を障害とすら捉えずに斬り伏せ、叩き伏せていく。

 呼吸すら乱さず、表情すら変えずに殺戮を行うその様は、正しく戦の鬼だ。

 ……否。

 戦鬼の、新たなる血の彩りが添えられた顔。表情の希薄なその口許が、微かに歪んでいる。

 それは、愉悦と。

 そう捉えて差し支えない、狂った形をしていた。

 相対したインベルグ兵は、その事実に気付き戦慄を覚えた瞬間に、死にゆく命運が決している。

 五十や百の歩兵による包囲など、この二人の前ではさしたる障害でも無かった。

 二人が再び互いに背を預け立つ頃には剣と槍の襖など既に無く、人であったものの残骸がただ周囲を埋め尽くしている。その外側で、形だけ二人へと武器を向けた数名のインベルグ兵が、脂汗を浮かせながらじりじりと後退していた。


 これでようやく敵主力であろう使役者達と接触出来そうだ、と。

 僅かに息を切らせるマックスが、油断なく構えながらも喧噪の方向へ視線を遣ると、各人の背後に幽鬼のような存在を従えた……敵兵使役者の部隊が、ヴァレシアの主力である騎士隊と接敵する光景が飛び込んできた。

 使役者部隊から、凶悪な魔力を練り上げる気配が伝わってくる。

 このままではヴァレシアの主力部隊が壊滅するであろうが、二人と使役者部隊との間には未だ幾らかの敵影があり、魔法の発動までに打撃を与えることは困難だろう。

 マックスは表情を歪め舌打ちしながら、アランは表情は動かさずとも、二人が共に膨れ上がる魔力の許へと駆け出した……


 ……正に、その時であった。



 視界を焼く程の閃光が、戦場の一角にはしる。

 火口から噴出する溶岩よりもはげしく。地から天へと昇るかの如き、広範囲にわたる光の柱だ。

 光が現れた場所へと居合わせた者共が一瞬で炭化し、奔流に噴き上げられ中空を舞いながら、ばらばらと崩れてゆく。

 戦場で未だ命を留めるものは、足を止め、目前の敵を屠ることすら忘れ、その信じ難い現象を悉く注視した。

 幾多の戦場を駆け、幾多のものを目にしてきたアランとマックスとて、例外では無い。かなりの距離があるにも関わらずちりちりと肌に熱を伝える閃光を、理不尽なまでの猛き力を、唯々見上げるしかなかった。

 此度の戦場であるこの場所は、何も無い、唯の平野だ。自然的な現象として起こるなど有り得ないこと。

 とすれば魔法以外では考えられないが、それすら疑わざるを得ない光景であった。

 例え使役者二百名が束になろうとも、これ程までの威力を孕む魔力を練ることは出来まい。

 そもそもこれは、敵兵使役者部隊の魔法により引き起こされたもの、

 何故なら、天災の如き眩い現象に巻き込まれ半数以上が壊滅したのは……敵兵使役者の部隊であったのだから。


 収束してゆく閃光。

 その上空に、何かが居る。


 ――それは、人影に見えた。

 折り重なるかのような、二つの影。


 では、先ほどの閃光は。

 ……あの人影が引き起こした現象だとでも言うのか?


 幾らかの者がその思考へと行き着く頃。上空の人影が、

 ふたつに分かたれた人影。

 そのうちひとつは上空へと留まり、ひとつは閃光に巻き込まれたもの共の残骸が降り注ぐ場所へと落下する。

 ふわり。致死の高度からの落下であったにも関わらず、落下した人影は、まるで風に受け止められたかのように柔らかく着地した。

 その者の衣の裾が、艶やかな髪が柔らかく翻り、やがて緩やかに重力へ従ってゆく。


 ある者は息を呑み、ある者は瞬きすら忘れ、その光景に見入った。

 先程までは、死屍を累々と築き上げ続ける戦場であったというのに。この瞬間だけは、降り立った者を崇拝する狂信者の群れのよう。

 上空へと留まる人影からすれば、片割れが数万の視線を集めている様は、実に滑稽に映っていたかも知れない。

 その、下手な絵画の如き静かなる光景を。

 鋭く輝くものが、切り裂いた。


 一閃。


 それは、唯の一閃。

 降り立った者が抜き身のまま手にしていた片刃の大刀を脇に構え、視線を使役者の生き残り達へと据えた瞬間。その者は目で追い切れぬ程の速力で使役者達の人垣を真っすぐに駆け抜けた。

 一筋の銀光と、涼やかに風を切る音が空気を裂く。

 人垣を駆け抜けたその者が、腰を落とし得物を地と平行に振り抜いた姿勢から、ゆるりとその切っ先を下げ自然体に戻る。

 次の瞬間、その者の背後で大輪の血の華が咲いた。

 駆け抜けた軌道、その周囲に居た者共の肉体が分断され、血飛沫を撒き散らしながら崩れ落ちていったのだ。

 天災の如き閃光に巻き込まれず生き残った、百名余りの使役者達。その半数ほどが、たったの一閃で。

 閃光を目にした時以上に信じ難い光景と事実。

 表情の希薄なアランですら、目を見開いて降り立った者を凝視する。


 使役者もろとも切り裂かれた精霊達が魔素に還ってゆく光と、崩れ落ちた肉塊を追うかのように降り注いでゆく赤い雨。

 およそ現実感の無いそれらを背景に立つのは……


 ……未だあどけなさの残る、一人の少女であった。



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