家出の理由
り(PN)
1 故
捨てる神あれば、拾う神あり、と言うが、外見的にはそれほどでもないわたしを拾ってくれた男がいる。十四歳のときのことなので年齢に助けられたのだろう。どうして家を出たのか記憶がない。当時、まだ父と母と妹を嫌ってはいない。が、実際はどうだったか。今に至るも自分ではまったく理由がわからない。嫌いな気持ちと、それぞれを理解できる感情が混ざるからだ。父も母も妹も本質的に悪い人間ではないと思う。けれどもわたしにとって良い人間でもなく、そんな状況が今でも変わらず続いている。
よくある話だろうがバイトを探す。当然、年齢を偽って。子供の頃から種々の本を読んできたので、どんな質問にも臆せず答える。知らないことは知らないと言い、わからないことはわからないと告げる。が、それだけで採用されるわけもない。
住む家がないのだから選んだバイトは当然下宿や寮を持つものだ。つまり普通に考えて数がない。それでも地域によればゼロでもない。数十年前はもっと多かったようだが、バブル期以降変わってしまう。土地と家を無くした者が多過ぎる。
結局、最初に採用されたのが場末のラブホテル。童顔の家出娘として同情されたか、違うのか。小母さんというよりお婆さんといった風情の女性と同室になる。詮索好きなところには参ったが、他に話題もなかったのだろう。息子さんが二人いたらしいが、両方とも二十歳前後にグレ、家を出る。その後ご主人が癌で亡くなり路頭に迷ったと屈託なく語る。当時住んでいた家が独りで暮らすには広過ぎたので狭いアパートに移り、職業――といってもすべてアルバイトだが――を転々とし、このラブホテルに行き着いたらしい。小母さんの話に記憶違いがなければだが……。
それが二年前。
ラブホテルのオーナーは元映画関係の技術者らしい。爆発物を担当していたというから特殊撮影課だったのかもしれない。オーナーとは毎日一度は顔を合わすが、過去の話を聞くことはない。それは小母さんにしても同様で、オーナーの知人が尋ねたとき、初めて元の職業を漏れ聞いたと言う。
「言葉遣いもぞんざいだし、どこのヤクザかと思えば違ってね。それでも、まあカタギじゃないか」
と続けて笑う。
小母さんの歯茎の痩せ方に年齢を感じるが、仕事柄、体力は衰えていない。わたしの方が全然、弱っちょろい。シーツを運ぶだけでも一苦労。さらに雑な性格なのでベッドメイクに時間がかかる。初めて小母さんの技を見たときには感動する。何にせよ、得意技があるのは素晴らしい。
が、それがきっかけになったのだろうか。
結局、二週間持たずにラブホテルをわたしが去る。家を出たときと同様に……。電車に乗り、何処かに向かい、途中で気づき唖然とする。自分が輌中の人だったからだ。思い返せば過程は見える。買い物を頼まれ、そのまま帰らず駅に向う。けれども、その際の心の動きが見えてこない。だから何も考えていない。そう思うしかないだろう。あまりに薄っぺらいが……。
けれども実際、あの頃のわたしの感情は薄っぺらい。そうでなければ稼ぎもなく家を出ることを怖がったはず。が、自分の何処を探しても、そんな感情に出会えない。出会えないのだからおそらくそれはなかったはず。だから薄っぺらいという結論になる。
勘だけを頼りに電車から降りる。時刻はお昼過ぎになっている。頭の上でカラスが舞う。が、町はまだ非田舎だ。もちろん都会ではあり得ない。よくもまあ、こんなところで降りたものだ、とカラスがそれぞれわたしに喚く。全部で四羽が、そう指摘する。
カア カア カア カア
その後カラスたちの話題が移り、何やら身体感覚の異常を訴え合っていたようだが、少なくとも人間であるところのわたしにそれがわかろうはずもない。数日後に比較的大きな地震が襲ったから、その前触れを感じていたのだろうか。
さて、これからどうしよう、と佇むわたしにできることはバイトの張紙を探すことだ。自殺目的で家を出たわけではない。だから、生きねばならないというわけ。けれども奇跡のように見つかった場末のラブホテルを振ったわたしに次の仕事は見当たらない。同様のホテルを探し、面接を恃むが、ほぼ門前払いで追い払われる。多少のお金は持っていたので、家出した直後数日のように安ホテルに泊まろうかと案じたのは、そろそろ陽が翳ってきた頃合だ。春先なので寒くはないが、子供の頃に試したように公園に寝泊りする勇気はまだ生まれない。それに公園で居心地が止さそうな場所には先住者がいたし、仮にいなかったにしても、警官から職務質問を受ければ厄介だ。たちまち親元に送還されてしまう。自分自身で家出をした意味さえ掴めないうちに元の居場所に戻されては堪らない。心の片隅でそう思いつつ、別の片隅では、まあ、なるようになるさ、と思っている。あのときどうして少しも怖さを感じなかったのか。多くの時を経た今となっても、わたしには答が見つからない。
答が見つからないといえば、若くも素敵でもない男に声をかけられ、嫌悪を感じながらも、まあ、いいか、と付いて行った自分の判断もまた意味不明。食事と寝床の代わりに抱かれるだろうなとは思ったが、あのときの自分に払えた対価は身体だけ。だから、その点は女であることで得をしたのかもしれない。もっとも当時あまり表面に出なかっただけで家出男にセックスの需要がなかったとも思えない。
背後に気配があり、振り向くと、
「お姉さん、独り。良かったら食事に行きませんか」
と声をかけられる。ヤクザな感じはしないが、カタギにも思えない雰囲気を醸す。着ている服は量販店の背広で推定年齢は三十前後。ついで、
「どうですか」
と、それだけを言い、踵を返し、独りそそくさと歩き出す。だから、ずるいな、と心の底で思いつつ、わたしには男に付いて行く以外の道が残されない。
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