思いの丈をぶつけろ

カタカタ…トン。

カサカサカサ。


『問1 古代オリエントに最初の都市国家を作ったのは何人か』


はい、シュメール人っと。


初めての世界史の中間テストを迎えたが、先生の板書でまとめられた要点ノート、それから分厚い資料集を見渡したお陰で、私はなんなく最後までスラスラと解けていた。

とは言っても、一癖二癖、いや無限癖もある塩田先生ですからね。はい。勿論、そのテストには塩田先生なりのこだわりがあるわけです。


それは一週間前の授業のことだった。

「じゃあ授業はここまでで、今から俺のテストの説明をする。」

先生は、教科書を持っている左手をぶらぶらしながら、右手をポケットに入れてペンを取り出した。

「俺はさ、『誰にでも』読める字しか採点しないんさ。」

ペンのキャップを外し、キュッキュッと心地よい音をたてて文字が書かれる。

「アって文字はさ、こういうふうに書くけど」

角張っているのに、くるんとした印象のある癖の強い『ア』。癖があろうがなかろうが、おそらく誰でも『ア』であると判定できる。


「じゃあ、これはどうだ。」

先生は「ア」の字の「ノ」の部分を短く、丸みを少なく書いた。

「確かに、『マッシリア』ってあれば、俺はさ、『アッシリア』って書きたかったのかなって思えるわけ。でも、世界史教師じゃなきゃ『マッシリア』って書きたかったのかなってなるかもしれないだろ、な?」

うん…。いや、彼の言うことはもっともだ。もっともではあるがね、うん。

「そういうことだから、読めなかった時点でバツな。」

素直に受け入れられないのは何故だろう。ちなみに、その原因はわかっている。彼の字が見辛いからだ。この話は話すと長くなるからまた後で。


本題に戻るが、そんな経緯もあって、テストは『塩田ルール』に乗っ取り、カチコチとわかりやすく字を書いた。答えはスラスラわかるのに、文字に時間がかかる。それで、存外時間をかけてやっと最後の問題を書き終わったわけだ。


ん?何これ。

このテストはまだ終わっていないと云うことを、欄外の文字が語っていた。


『以下思いの丈をぶつけてください』



思いの丈って何でしたっけ。正直言って、ない。何がないって、書くことがない。しかも、こんなA4テスト用紙の半分もあるスペースを埋めるほどの思いの丈なんて。

これが、他の教化の先生だったらともかく、あの塩田先生のことですよ?ふざけて『塩田先生、結婚していますか』とか『そろそろ世界史で私を指名してください』とか書いたら、それこそ何を言われるかわからない。(そう、実はこの私、世界史を受けてから早2ヶ月経つにも関わらず、一番後ろの列だからか未だに指名されたことがないのだ。)


そんなことで悩むなら見直ししろよ、とツッコミを受けそうだが、幸か不幸かちょうどあの人が教室へ入る足音が聞こえた。

「世界史のテスト、どうかねぃ?」

いつもの、田舎訛りの語尾に気だるげな声が聞こえ、私は少々どきんとした。彼の話し方は授業中の無茶ぶりを思い出させ、私には心臓に悪い。テスト中の巡回でも、先生は何も変わらず、塩田弁が炸裂しそうだ。

「あるわけねえけど、質問あるー?」

そらきた。まあ、質問なんてする箇所な…。

「はい」

「何、おめぇ質問あるんかい。へーえ?」

ふと顔をあげると、何故か目の前には唇を斜めにつり上げて、私に好奇の目を向ける塩田先生。

えっ、あれ。ちょっとまて。


あれ、もしかして私は手をあげてしまった感じなんですかね、はい。

ザザザッと、テストに集中していたはずのクラスメイトの好奇の視線が私に突き刺さる。

おい、それだとカンニング扱いなんじゃないの?ねえ?

わずかな希望にかけて、助けを求めるように我らが担任であり試験監督の彦島先生へ視線を送ってみる。

が、当の本人は目尻に笑い皺を作り、窓の外にいる雀の戯れを見ていた。腕を組み、うんうんと満足そうに頷く、50代のおじさん先生はいかにもかわいらしかったが、今はそれどころではないのだ。

「で、おめえ質問ってなんなの?」

「あっ、あ、あのですね!」

…彦島先生なんかに期待する自分が間違ってたよ。はい、もう諦めますから!

ふう、と短く息を吐き、意を決して顔をあげ私はこう叫んだ。


「あのですね!…思いの丈ってなんですかっ!!」

呆れられると思い、ぎゅっと手を握りしめて覚悟を決める。ゆっくりと視線をあげ先生の顎から上へと視線をあげていく。

そこには先程の面白がるような表情があり、わずかに開けた口からひと言発せられた。


「俺の前で叫ぶんじゃねえ。俺の大事な鼓膜破れちゃうだろうが。」

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