24


 教会の前にたどり着いたとき、順弥は、足を止めた。自分の進撃を阻む存在がそこにいることに気づいたのだ。

 巨大な男だ。

 筋肉が、みしみしと音を立てて、着ているものを内側から圧し上げている――そんな気さえする。

 首がまるで木の根のように太い。二の腕が、女の腰よりも太い。しかし、無駄な贅肉などひとかけらもなく、鍛え上げられた筋肉が鎧のように男の肉体をつくりあげている。

 男は、笑みを浮かべて順弥を見ていた。

 まだ、やるのか――

 その顔を見て、そう思う。

 確かに、破壊のための破壊は悲しい。

 自分はそれを終わらせようというのに、相手は、それを楽しんでいるかのように自分に立ち向かってくる。

 止めるしかないのか。

「そんな表情かおをするなよ、小僧」

 その禿頭の男は、口許に野太く、野卑な笑みを浮かべて、日本語で言った。

 血に飢えた、凄まじい笑み。

 そして、あれは凶獣の眼だ。

 男は、右肩に巨大なバズーカ砲を担いでいた。

「楽しもうじゃないか」

 そうだ。

 楽しんでいるのだ、奴等は。殺し合いを。そして、破壊を。

「何をだ?」

 抑揚のない声で、順弥が聞き返す。

 何を楽しもうと言っているのか、わかっていた。

「殺し合いだよ」

 言って、心の底から楽しそうに嗤った。瞬間、バズーカ砲を順弥に向け引き金を引く。

 刹那、大地と大気を揺るがせて、順弥のいた場所に巨大な爆光が広がる。

「ひっ」

 爆音と爆風が巻き上げた凄まじい砂埃の中に動く気配を感じた瞬間、男は狂ったような笑い声を上げた。

 当たり前だ。この程度で死ぬ筈がない。

 これは、ほんの挨拶がわりだよ。

 男はバズーカ砲を投げ捨て、

「そこだぁ!」

 殺し合いへの快感で全身を振るわせながら、砂塵の中へ腕を伸ばした。

 その伸びゆく先から、順弥が男めがけて飛び出してくる。

「――!?」

 狙い違わず、順弥の頭部をまるでリンゴでも握るかのように掴んだ。

 順弥が声にならない叫び声を上げた。

 男が順弥の頭部を握りしめて、腕一本で順弥を吊り上げているのだ。

「死ね、小僧!」

 怒号を発し、そのまま順弥を地面に頭から叩きつけた。

 何度も、何度も。

 見る見るうちに順弥の白い身体が朱に染め上げられていく。


 順弥の身体が、すでに異常な形に歪んでいた。

 順弥の頭部を掴む男の腕もすでに血に染まっていた。といっても、男が自ら血を流しているのではない。全身の骨が砕け、内臓が破裂し、先程から何度も順弥が喀血を繰り返しているのだ。

「ひ、ひ、ひ、ひ」

 男が、血に狂った嗤い声を上げていた。

「どうした、小僧! これで終わりか!」

 これで終わりなのか!

 そして、何を思ったのか、いきなり順弥のズタボロになった身体を教会の壁めがけてぼろ雑巾のように投げつけたのだ。

 湿った布が固い壁に叩きつけられるようなイヤな音がした。

 亀裂が無数に壁に疾り、磔になった順弥が再び大量の血を吐く。

 腕が異常な方向に曲がり、身体のあちこちから白いものが生えていた。

 骨だ。

 肋骨が胸板を突き破って顔を出し、頬肉が削れた顔面から、頬骨さえも覗いていた。

「死ね、小僧!」

 そのとき、男の着ていた服を破って展開したものがあった。

 そこには――

「肉片も残さずに死ぬがいい!」

 そこには、数十発の小型ミサイルが整然と並んでいた。それも一瞬。爆音とともにそれらが一斉に順弥めがけて撃ち出されたのである!

 もはや、順弥は動けぬ。

 磔になったままの順弥めがけてミサイルが殺到し、そして、爆裂した。

 立て続けに爆発音が鳴り響き、教会の一角がみるも無惨に破壊され、崩れ落ちていく。

 火の手が上がった。


「……つまらんな」

 天高く立ちのぼる爆煙を見て、男は溜め息をついた。

 心底、つまらなそうだ。

 両肩で展開していたミサイルポッドの蓋が閉じる。

 男は、戦闘兵器としての肉体改造を受けていたのだ。

「あの高揚感は幻だったのか」

『銀騎士』との戦い、そして奴を圧倒する姿を見た時に感じた得も言われぬ恍惚。

 順弥と対峙した瞬間に感じた高揚感。

 全身を貫いて疾ったあの戦慄。

 沸々と煮えたぎったあの血の快感。

 全て、幻だったというのか。

 錯覚だったというのか。

「つまらない、だと?」

「――!?」

 声が聞こえた。

 爆煙の中から。

 あれは、あの小僧の声だ。

「な、なんだと!?」

 熱風が吹きすぎ、爆煙と砂埃を薙ぎ払っていく。

 やがて爆煙が収まり、そこに見たものは――

「一〇五号――」

 早坂順弥が、そこにいた。

 右腕を半ば以上消失し、脚も左足がなくなっていた。そして腹部にも大きな穴があき、内臓がはみ出ている。それ以外にも身体のあちこちが無数にえぐられていた。それでも、順弥は立っていた。

 眼の光は失っておらず、むしろ炯々と輝きを増していた。

 そして――

「おお!?」

 男が、驚愕の声を上げる。

 順弥の身体が、徐々に再生していく。失った箇所の細胞が増殖し、身体を元通りに復元していくではないか。

「俺を誰だと思っている。あの程度で、死ねるかよ」

 そして数秒も経たずして、順弥の身体は完全に元通りに戻っていた。

「今度は、こっちの番だ」

 順弥の口許に、あの邪悪ともいえる笑みが戻っていた。眼が吊り上がり、唇の端がきゅうとめくれ上がっていた。

「殺してやるよ」

 そして、告げた。

 順弥の言葉に、しかし、男は嬉々と答える。

「――いいぞ、この化物。化物は化物同士、とことん殺し合おうじゃねえか」

 そのとき、男の右肩がぐぅっと盛り上がり、腕が数倍に膨れ上がった。

 服を引きちぎり、男の右腕が変形していく。

「――――」

 何だ、これは。

 言葉を失った。

 さしもの順弥も反応できなかった。

 ああ、腕が、巨大な砲身に変わっていく。

 それは、これまでに、人類が眼にしたこともない不思議な形だ。

 邪悪さの他に、いや、それ以上に神々しささえも感じさせる。

「俺たちは、貴様等〝魔装兵士〟とは違う! 俺たちは、あの御方たちに選ばれたのだ!」

 何だ、何を言っている!?

「さあ、死ね、この裏切り者め!」

 完全に砲身に変形を遂げた右腕が順弥に向けられた瞬間、その砲身から眩いばかりの光が放たれた。

 その光は教会の上半分を一瞬のうちに薙ぎ払い、消滅させた。それで収まらず、辺りの家々さえも次々に消し去り、荒野と変えていく。

 光に包まれ、引きちぎられていく魂の叫びが、順弥の心に押し寄せてくる。

 心の中に入り込んでくる!?

 あふれてしまう。

 破裂してしまう!?

 そのあまりの凄まじさに、順弥は立っていられなくなり、そして吐いた。

「ヒャハハハハ! どうだ、素晴らしいだろう! これが、くだらない人間どもの魂だ。簡単なんだよ、俺たちにとっちゃ。奴等を滅ぼすことなど! 奴等は、俺たちに滅ぼされる運命にあるんだよ!」

 あたり一面を阿鼻叫喚の地獄――火の海と変えて、光は収まっていた。

「き、貴様ぁ!」

「くくく。これが、俺の力だ。あの御方に与えられた大いなる力だ!」

「わ、わけのわからないこと言ってるんじゃねえ!」

 瞬間、順弥の姿が男の目の前からかき消すように消失した。

「え――?」

 肩に何かがあたった気がして振り向いたとき、男は、それを理解することが出来なかった。

 そして、ずんっと音を立てて自分の足許に落下したもの。

「あ……」

 徐々に、それは元の形を取り戻していく。

 ああ、それは――

 俺の、右腕じゃねえか。

 そう理解するまでに数秒かかっていた。

 そして、右肩を見た。

 なくなっていた。きれいな切断跡を残して、腕はすっぱりと無くなっていた。血さえも出ていない。まだ、切断されたことに気づいていないかのように。

「う…ぎゃあああああ!?」

 抑え切れぬ「声」が男の口から迸った瞬間、右肩から大量の血が間欠泉のごとく奔騰した。

 そして、己れの背後にいる順弥に初めて気がついた。その手には、今、男の腕を切断したばかりの一振りの剣が握られていた。

 溢れ出る血の滝の向こう、男は、順弥が凄絶な笑みを浮かべて嗤うのを見た。

 背筋が凍りつく。

 それは、その笑みのことを言うのだろう。

「哈ァァ!」

 順弥が吠えた。吠えて、剣を振り上げた。

「ヒィ――」

 先程までの威勢の良さは何処へ消えたのか。

 男は恐怖の虜となって、自分が焼き払った地面を転がり、順弥の剣風を避けた。

 間髪入れず、順弥が剣を構えて疾る!

 男は、完全に負け犬の顔をして、絶望のあまり動けなくなっていた。

 絶対の勝利だと確信していた。

 あの力さえあれば、如何なる存在でも葬り去れると。

 あの力を目の当たりにすれば、たとえ一〇五号であっても、絶望し、恐怖する筈だと。

 それが、まさか--

 死ぬ――

 目の前が真っ暗になった。

 そのとき、肉迫する順弥の目の前――動けぬ男を守るように一つの影が立ちはだかった。

「――!?」

「ファントム!」

 スーツ姿の男が、冷然と順弥を見つめていた。

「いえええい!」

 順弥が、その男、ファントムめがけて剣を振り下ろす。

 その剣を軽く流し、ファントムは、しなやかな身体を独楽のように回転させた。

 順弥の側頭部めがけて峻烈な蹴りが弧を描く。

 ぱんっ

 しかし、その蹴りは、順弥の腕でブロックされていた。

「見事だ」

 日本語だった。

「貴様――」

 順弥は瞬時にして間合いを取り、剣を構えた。

「ガルム。なんてザマだ」

 仲間と会話するときは英語を使うらしい。

「す、すまねえ」

 禿頭の男、ガルムが右肩を押さえながら言う。

 血は、徐々に止まりつつあった。しかし、血を大量に流しすぎたのか、顔色が悪い。

「まあいい、目的は果たした。戻るぞ」

「し、しかし……」

「我等の仕事は終わった。もはや、ここに用はない」

 ファントムが、冷然と言い捨てる。

 そのスーツ姿の影が脇に抱えるものを、順弥はようやく理解出来た。

 首だ。老人の首が、不思議な色をした液体で満たされたカプセルに入って、男に抱えられているのだ。

 誰だ?

 いや、俺は知っている。あいつは……。

 一瞬、記憶の奥深くで何かが弾けた。

 それは、激しい痛みを伴って順弥の頭を刺激する。

「う……!?」

 思わず、順弥は頭を押さえた。

 いま、何かが見えた。

 なんだ……?

 何だ、アレは……?

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