23
一〇五号の頭蓋を踏み砕いた寺垣は、狂ったような笑い声を上げていた。
目の前では、異臭を漂わせる不気味な色をした肉塊が鎮座している。
やった――
俺は、憎らしい貴様を斃したのだ!
俺は、お前の所為で『ノウド』の中での地位が危なくなった。
お前さえ生まれてこなければ、俺はエリートコースを突き進んでいられたのだ。
なのに!
寺垣は足の下の、潰れた順弥の頭部をさらに踏みにじった。
なのに! 俺は今、身体を改造され、魔装鎧を身につけている!
他の支部を預かる幹部は、誰一人として肉体の改造など受けていないというのに!
罰だというのだ!
また踏みにじった。
貴様のような存在を生み出した、日本支部への罰を、俺は背負わされたのだ!
だが、俺は貴様に勝った。
「ひ、ひ」
そんな感極まった声が、自分の口から洩れていることに、寺垣は気づいていない。
だが、そのとき――
寺垣の眼前で一条の光が天に向けて立ち上ったのだ。
その、肉の塊の中から。
「な、何――!?」
驚愕の声を上げ、あまりの眩しさに眼を細めながら寺垣は見た。
光の中に、幻のように立ち上がる一つの人影を。
一〇五号――
そんな、馬鹿な――
奴は死んだ筈だ。
殺した筈だ、この俺が!
奴の首は、ほら、今も俺の足の下でぐしゃぐしゃに潰れている。
それなのに、
「ど、どういうことだ、ドクター! 何故、奴は生き返られるんだ!?」
寺垣は、叫び声を上げていた。
先ほどまでの歓喜の声が嘘のような、今にも、狂いそうな、泣き出しそうな声であった。
「馬鹿な――」
モニターの前では、池田博士も眼を皿のように大きくして、信じられぬ光景を見つめていた。
椅子の肘掛けを掴む骨張った手が、ぶるぶると震えている。
戦慄のためだ。
恐怖のためだ。
理解できぬ、名状し難き事態だった。
だが、それよりも、何よりも、底知れぬ興味があった。
何故、生き返ることが出来る!?
今、モニターの中では天を衝く光の柱は消え去り、そのかわり、光のオーラをまとった一人の少年がそこに立っていた。
間違いなく、一〇五号である。
如何な、一〇五号とは言え、首を切り落とされ、なおかつその首を踏み砕かれて、何故生き返ることが出来る!?
その博士の背後で、同じようにモニターに見入っていた二人の男も、感嘆を隠しきれずにいた。
禿頭の大男が口笛を吹き、スーツ姿の男が、口許に氷のような微笑を浮かべていた。
「これはこれは。なかなか、おもしろいことになりましたな」
「――しかし、つくづく、奴が素晴らしい研究材料だと思い知らされるな、ドクター」
口々に言う。
面白がっている風情さえある。
そう、この二人の体内には、今、ふつふつとある感情が芽生え始めていた。
おもしろい――
その通りだ。
まさに奇蹟が起こったのだ。
この、決して有り得べからざる光景に、二人は身体が奮えるのを感じていた。
戦いたい。
俺が、殺したい。
そのとき――
〝ど、どういうことだ、ドクター! 何故、奴は生き返られるんだ!?〟
という、寺垣の泣きそうな声がスピーカーから届いた。
わからない。
有り得ないことだ。何故、奴は魔装兵士の限界を超えてまで、生き返ることが出来るのだ。
本当に、奇蹟だというのか!?
馬鹿な。
奇蹟など、『あの御方』たち以外に起こせる筈が――。
〝どういうことだ、ドクター!?〟
寺垣の切羽詰まった金切り声が、鼓膜を揺さぶる。
まさか、そうなのか。
いや、そんな筈はない。
池田博士は、首を振って、脳裡に浮かんだ恐ろしい考えを打ち消した。
そして、より現実的な考えを口にする。
「寺垣様、正確なところはわかりません! しかし、これは、奴の復活は『奇蹟』などではありません。もしかしたら、無数の魔装兵士に同化されたとき、無意識のうちに逆に同化していたのではないでしょうか」
そうだ。
それしかない。
そうとしか考えられない。
〝何だと!?〟
「つまり、奴はクローンなのです。他人の細胞でつくった、奴のコピーなのです。だから、奴は鎧を着ていないのです」
〝――では、ただの人間と同じということか〟
「は…」
そう応えたものの、博士の心の中から恐怖が消えることはなかった。
なんだ…。
この、地獄の底を覗いたような、寒々とした恐怖は。
奴は、何者なんだ。
――
今、寺垣の目の前に立つ一〇五号は、両眼を閉じていた。
ただの人間だと?
池田博士はそう言った。
ただの人間にすぎない、だと?
ならば、ならば――!
「う、う、うわあああああ!?」
心の底から絞り出すような声を上げて、寺垣が自分の身体を奮い立たせた。
やってやる。
おお、やってやるとも!
今なら、奴はまだ眼を閉じたままだ。
今ならやれる。今ならやれる。
逃げるな、逃げるなよ!
逃げるなよ!
「うおおおおお!」
寺垣が突っかけた!
剣を上段に振りかざし、少年の真っ向正面より、裂帛の気合いもろとも打ち下ろす。
瞬間、少年が眼を見開いた。
「おお!?」
驚愕は、すぐに来た。
少年が、素手で、寺垣の振り下ろした剣を掴み止めたのである!
刃を握りしめる手は、力を込めているようには見えない。
だが、刃は万力に挟まれたかのようにびくともしない。
「ひい、ひいいい」
恐怖が、寺垣の心臓をぎゅっと握り潰す。
これまでの人生でついぞ、感じたことのない程の恐怖だ。
端正な顔が醜く歪んで、引き吊っていた。
一瞬で、何歳も年老いた印象さえある。
「――哀れだな」
さざ波すらない、静かな声であった。
そして、順弥の眼には、慈悲にも似た光があった。
「俺は、こんな情けない奴を相手に殺し合いをしてきたのか?」
「ひ…ひ…」
「――もう、終わりにしてやるよ」
「ふ、ふざけるなよ、小僧!」
そのとき、寺垣が渾身の力を込めて剣を引いた。
路上に、ボトボトッと五匹の芋虫が転がる。
芋虫に見えたのは、順弥の右手の指であった。
ひぃと一声洩らして、寺垣が順弥から数メートルも跳び離れた。
引きつった笑みが、寺垣の顔に張り付いていた。
「情けない、だと? ふざけるなよ、出来損ないが! たとえ、俺を殺しても、この俺以上の存在が、『ノウド』にはいくらでもいる! 貴様如き虫けらがいくらあがこうとうもどうにもならぬほどのな!」
「言いたいことは、それだけか?」
「ちいいぃぃぃ!」
寺垣が地を蹴った。
すでに、このとき、寺垣はその脳裡に「死の縁」を覗いていたのかも知れない。
そして、その生と死の交錯する一点に向かって突っかけたのである。
閃光の尾を引いて、順弥の真っ向正面に剣が振り下ろされた。
やった――!?
驚喜は、刹那、驚愕に変わった。
寺垣が斬ったと思ったのは、高速で動いた順弥の残像だったのである。
「――!?」
寺垣の焦燥にかられた眼が、順弥の静かな眼と合う。
何か深いところまで見透かされているような、そんな気がした。
「ちぃ!」
地面を深々とえぐった切っ先を引き抜こうと剣を握る腕に力を込める。
動かない!?
愕然とそこに眼をやった。
順弥の足が、寺垣の剣を踏みつけていた。
瞬間、順弥の身体が独楽のように回転した。
右頬に強烈な一撃を喰らって、寺垣はたまらず吹っ飛んでいた。
順弥の回し蹴りが見事に極まったのである。
くそ。
頭を振って起き上がった寺垣の眼に、今、自分が手放した剣を拾い上げる少年の姿が映った。
その右手には、五本の指がきちんとそろっていた。
馬鹿な――
ただの人間ではないのか。奴は、本当に不死身なのか。
順弥が、剣を一颯して構える。
「終わりだ――」
一言言い残し、茫然となったままの寺垣に向けて、順弥は地を蹴った。
振り上げられ、そして、剣は空気を切り裂いて疾った。
流れ落ちる銀の閃光を、寺垣は幻想のもののように見つめていた。
「いええええいいぃぃぃ!」
裂帛の気合い。
剣は寺垣の右鎖骨の辺りから臍まで一気に斜めに食い込んだ。
肺に大量の血が流れ込み、口からあふれ出る。
傷口から奔騰した凄まじい量の返り血が、少年の身体を朱に染めていく。
「いいものをプレゼントするよ」
順弥が凄絶な笑みを浮かべて、意識を失いそうになる寺垣の目の前に、自分の右手を差し出した。
「な……」
「『
「ヒ――」
「貴様等がつくって、あの
「や…やめろ…」
「聞こえないね」
冷然と言い捨て、順弥は右手を斬り裂いた寺垣の体内に差し込んだ。
止めることは出来ない。
瞬時にして『妖蛆』は寺垣の体内を駆け巡り、全ての体細胞を遺伝子レベルから破壊し尽くしていく。
「ぎゃああああ!?」
寺垣が絶叫を放った。
順弥が寺垣から離れたとき、崩壊が始まった。
手足の末端からまず腐り始め、とろけ落ちた。凄まじい痛みが全身を駆け巡り、寺垣はぐずぐずになって地面に転がった。
やがて、寺垣は首だけの存在になり、
「…貴様…などが…か…」
血泡とともにその言葉が洩れた瞬間、寺垣の首はドロドロの膿汁の中に消えた。
順弥は膿汁を一瞥し、その眼をある方向に向けた。
『ノウド』の日本支部がある教会。
順弥の眼は、すでにそこを見ていた。
顔についた血を拭い、剣の血糊を払うと、順弥は再び走り出した。
全てを、破壊するために。
「――さて、博士。大変なことになりましたな」
恐ろしいまでの静寂を破って、スーツ姿の男の声が、氷のナイフのようにドクター池田の体内に忍び込んでくる。
嗤っていた。
その隣で、禿頭の男も、肩を震わせている。笑っているらしい。
「どうやら、ただの人間に戻ったわけじゃなさそうだ」
「しかも、奴は、まっすぐにここに向かってやって来る。――さて、博士、いかがなさるおつもりで?」
この二人が、
「くっ…」
博士は、デスクの上で拳を握りしめた。
「そろそろ、俺たちの仕事に取りかかろうぜ、ファントムよ」
禿頭の男が、指をボキボキと鳴らしながら言った。
ファントムを呼ばれたスーツ姿が、ああと答えると、
「奴は、真っ直ぐここにやってくる。俺が奴としばらく遊んでやってるから、その間に片づけちまえ」
「いいだろう」
という応えに、じゃあなと言い残し、禿頭の男は部屋を出ていった。
「し、仕事?」
博士の声が、何故か震えていた。
目の前の男の眼を見たからだ。
まさに氷の如き眼光。
「ええ。我々がここに来た本来の目的ですよ」
ナイフが、鳩尾辺りから差し込まれてくる。
冷たさが、体内に広がる。
そんな幻覚さえ覚えた。
「魔装兵士の量産化という功績は称賛に値しますが、しかし、もはや、日本支部に用はありません。全てのデータはすでにバックアップを取ってあります。あとは、ここを奴もろとも爆破して、本部へ脱出するのみ。痕跡さえも残らぬよう、全て焼き尽くします」
「わ、わしは……」
「もちろん。博士の頭脳は我等『ノウド』に必要不可欠なもの。来ていただきますよ、ただし、頭脳だけね」
嗤った。
その冷酷な眼光の中に、博士は〝死〟の光景を幻視した。
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