21


 来た――!?

 いっせいに無数の敵が群がってくる。

 いいだろう。正面突破だ。

 わらった。

 順弥が意を決して走り出そうと足を踏み出したとき、その足を掴んで離さぬ者がいた。

「――!?」

 愕然と振り向いた少年は見た。

 ついさっき、頭を潰して殺した筈の「敵」の腕が、順弥の足首をがっちりと掴んでいたのだ。

 そして、次の瞬間、そいつが顔を上げた。

 ぐしゃぐしゃに潰れ、赤黒く血で染め上げられた顔面。眼は眼窩から垂れ下がり、ぶらぶらと揺れている。そして、筋肉が擦れてなくなった箇所には、白い骨が見え隠れしていた。

 そいつが、ニッと笑った。

 唇のなくなった、頬骨を露わにした顔で、嗤った。

 順弥は、その表情を一生忘れることが出来ないだろう。そんな、戦慄すべき光景であった。

 その瞬間、順弥の一瞬の間隙をついて、無数の魔装兵士が群がった。夜、街灯に群がる蛾の群れのように。

 あっという間に、順弥の姿が見えなくなる。

 それほどの数なのだ。

「――!?」

 そして順弥は気づいた。

 今、自分に群がる狂気の集団の腕が、足が、そして身体全体が、自分の鎧と同化しつつあることに!

 自分と相手の境界線があやふやになり、無くなり、そして入ってくる!?

「こ、こいつら、!?」

 そのとき、凄まじい肉の壁の向こうで、哄笑する男の声が聞こえた。

 嗤ってやがる。

 いいだろう。ならば、逆に喰ってやろう。

 こいつら全員を喰って、貴様のその耳障りな声を止めてやろう。

 順弥の眼が凶悪な光を帯びた瞬間――

 吸収それが始まった。


 

 そんな感じを受けたのは、この時が初めてだ。

『騎馬』や、『忍者』を倒したときも、公園で二百近くの魔装兵士と戦ったときも、そして早坂京子や津田由紀と同化したときも、こんな不快な感覚はなかった。

 、とするイヤな感じだ。

 全身が総毛立っていくのがわかる。

 気持ち悪い。

 身体中の血管の中を、無数の蟲が這いずり回っている――そんな感じだ。

 胃の内容物――由紀の部屋で食べたものがせり上がってくる。

 その瞬間、順弥は自分の脳裡で弾け飛ぶ光を見た。

 何だ、これ?

 思わず兜の上から眼を押さえる。

 その動きすら、鈍い。右腕一本に二〇人からの魔装兵士が同化しつつあるからだ。


 チーン……


 また、光が飛んだ。

 なんだ、どういうんだ?

 そのうち、その光が、何かの文字であったり、イメージであったりすることがわかってきた。

 何だ、これ?

 ナンダコレ?

 なんだこれ?

 暗い。昏い。

 闇。漆黒の闇。

 穴。底なしの穴。

 奈落の底。大いなる陥穽。

 落ちていく。不安。

 恐れ。震え。

 恐怖。絶望。

 狂気。絶叫。


 ぎゃああああああああ!?


 イメージ。

 恐怖のイメージ。

 絶望のイメージ。

 虚ろなイメージ。

 死のイメージ。

 見ているだけで狂ってしまいそうになる程の、腐ったイメージ。

 引き裂かれる。

 溶けていく。

 信じられなぬほど地獄めいた恐怖のイメージ。

 いやだ。いやだ、いやだいやだいやだ。

 助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。

 死ぬのは嫌だ、死ぬのは厭だ、死ぬのはイヤだ。

 何故、俺たちが死ななければならないんだ。

 そうだ、お前が死ね。

 お前が死ね、お前が死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね。

 これは――

 今、順弥の中に入ってきている人々の、心の声だ。いや、心そのものだった!

 超新星爆発のように弾け飛ぶ無数の、人の意識。

 耳をふさいでも直接脳裡に響く声。恐怖、絶望、狂気、そして凄まじいまでの悪意。

 眼を閉じても直接脳裡に展開される地獄めいた光景。死と悪意のイメージ。

 ここにいたくない。

 死にたい。

 そう思えるほどの想念。

 少年は、狂いかけていた。

 何も考えられなくなる。

 恐ろしいまでの悪想念が体内を駆けめぐっているため、それに耐えきれずに心がパンクしそうなのだ。

 眼は白目をむいていた。

 死ぬのはイヤだ。死にたくない。

 それは、少年の声だった。

 死ね死ね死ね死ね。

 殺してやる殺してやる。

 そうだ、あいつを殺すんだ。

 あの、声を止めるんだ。

 少年は、朦朧としながらも、右腕を伸ばし始めた。まるで、底なし沼に落ち込んだかのように重たい足を、一歩また一歩動かした。自分の目の前で嗤う、白銀の『騎士』の息の根を止めようと。


 寺垣は、正直驚いていた。それは、恐らくモニターを通してこの戦いを見ていたドクターも同じ想いであったろう。

 目の前の「出来損ない」は、無数の魔装兵士の身体と同化し、もはや原形すらわからぬ程、不気味な物体に変化していた。

 憎悪の塊。

 無数の人間をまるで粘土のようにこね合わせたらこうなるのではないか――今、目の前で蠢く「物体」には、あらゆる箇所で呻き声を上げる人間の顔があった。

 地獄の炎を象った漆黒の鎧の片鱗など、もはや何処にも見出せなかった。

 そう、目の前にいるのは、魔装鎧を吸収しきれずにいる、いびつに歪んだ文字通り「出来損ない」であった。

 ドクター池田の作戦は成功した。

 相手の能力を吸収し、己れのものとするという、彼等にとって恐るべき能力を有した魔装兵士といえども、その許容量キャパシティは無限大ではあるまい、と睨んだのだ。

 そこで、この街の魔装兵士たちに「聖戦」を発令し、一〇五号を潰しにかかったのである。

 もとより、この街の魔装兵士たちは、『ノウド』直轄の部下とは違い、戦闘の訓練はおろか、自分がいつ改造されたのかも知らされてはいない。ただ、質よりも量を頼むような戦いの時に有効利用できるようにと、脳波コントロールできるよう、改造手術が施されているに過ぎないのだ。

 たとえば、順弥がこの街に初めて足を踏み入れたときの歓迎ぶりなどは、そのいい例だ。

 そして今、一〇五号に群がった兵士たちの鎧には、装着者の意志に関係なく、自ら同化しにいくといういわば自滅プログラムが再調整の際に追加されていた。そのため、一〇五号の魔装鎧は同化しようというプログラムに押され、今にも弾け飛びそうになっていた。

 すでに、装着者一〇五号に意識はない。

 凄まじいまでの悪想念を浴びて、狂い、閉じこもっている筈だ。

 それがまさか、手を伸ばし、足を踏み出そうとは――

「くく。だが、そこまでだな」

 しかし、その衝撃もすぐにおさまった。一〇五号であった醜悪な「物体」は、もはやその動きを止めていた。

 寺垣は冷然と笑い、手にした剣を無造作に順弥の伸びた右腕に振り下ろした。

 腕が、肩まで切り裂かれた。

 血が、間欠泉の如く奔出した。

 瞬間、寺垣は血に酔った。

 その凄まじい痛みに、順弥は正気に返った。

 右腕を見る。

 肩まで切り裂かれていて、外側の半分が文字通り肩の皮一枚でつながって、ブラリとぶら下がっている。

 血が、辺り一面に奔騰していた。

 その血を見た瞬間、順弥は絶叫した。

 幻を見たのだ。というより、狂っていたのかも知れない。

 ただの血に、今、自分の体内に入り込もうとする敵の、恐怖に歪んだ無数の顔を見るなどと。


「うわあああああああ!?」

 瞬間、順弥は自分の精神が身体から引き剥がされるのを感じた。


 天衝く絶叫を放った直後、は沈黙した。

 やった――

 寺垣は、満面に笑みを浮かべた。

 自分の目の前のものが、もはや肉の塊に過ぎないということが、一目でわかった。

 無数の魔装兵士に同化され、『騎士』の輪郭を失ったぶよぶよの肉塊――それが、一〇五号だとか、早坂順弥と呼ばれていたものであるとかいったことは、今ではどうでも良いことになった。

「寺垣様、とどめを――」

 池田博士の声が耳に届いた。

 どことなく、興奮で声が打ち震えている。

 寺垣はそれに対して、ああと答えると、白銀の『騎士』の持つ剣をかつて順弥であったものの右肩に振り下ろした。

 顔に血とも汚汁ともとれる不気味な液体がかかったとき、寺垣は邪悪な、狂ったような笑みを浮かべた。

「死ね」

『銀騎士』の腕が倍以上に太くなる。

 ゆっくりと剣が下がり始めた。

 順弥の右肩から、左脇腹にかけて深々とえぐっていく。

 肉が引きちぎられ、骨が砕けた。

 飛び出してくる血や内蔵に、寺垣は狂った。

 そして剣が左脇腹に抜けたとき、寺垣は哄笑しながら順弥の首をねた。

 高々と宙に舞う少年の首。

 それは、『ノウド』の勝利を意味しているのか。

 雑巾を地面に叩きつけるような嫌な音を立てて首が寺垣の足許に落下したとき、ゆっくりと『騎士』の脚が上がった。

 そして、血と腐汁の海に横たわる少年の首を、ゆっくりと、狂気ともとれる勝利の美酒に酔い痴れながら、踏み潰した。


 ぐしゃ

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