16
その命令が下ったとき、大竹は、眼の前で悪魔の如き微笑みを浮かべる寺垣を、初めて憎悪の眼で見つめ返した。
「津田…由紀を、殺せですと…」
寺垣は、マホガニーの机に両肘をつき、指を絡ませていた。
「そう言ったんだ。――どうした、動悸が激しくなっているぞ」
おもしろそうに言う。
「大竹、
「い、いえ…。そのようなことは…」
何か、変わっている。
大竹はそう直感した。
あのとき、津田由紀とともに寺垣の部屋を出てから、ドクター池田とどのような会話がかわされたのか、そして何があったのか、大竹には一切知らされていない。
ボタンをはめる位置を間違えたかのように、何故か、自分たちが違う途を歩み始めている――そう感じ始めていた。
狂っているのではないか?
それとも、自分がおかしくなっているのだろうか?
確かに、以前であれば仲間を殺すことに何の逡巡も痛痒も覚えなかったろう。
命令――すなわちそれが全てだったのだ。
「それならば、簡単だろう? きみのパワーなら、彼女くらいひとひねりじゃないのか」
「り、理由を聞かせていただけませんか」
大竹は、寺垣の嗤い声を振り払うように、声を荒らげて言った。
言ってから、しまったと顔を寺垣に向けるが、気にした様子はなかった。
「くく、理由か。きみがそれを聞きたいと言った命令は、これが初めてだな。まあいい。――裏切りだよ」
「裏切り!?」
「そうだ。津田由紀が、死んだ筈の早坂京子――恐らくクローンだろう――と、行方不明の一〇五号とともに暮らしているのが、昨日、街中に探索のため飛ばしてある〝眼〟から連絡が入った」
〝眼〟とは、『ノウド』の幹部だけが使役することの出来る、一種の〝使い魔〟のことである。
魔界より召喚した低級妖魔を様々な形をした物体に封じ込めたもので、自己の意志を持たず、ただ召喚した主の命令だけを忠実に遂行する。
その〝眼〟が、この街のあらゆる所に飛び、一〇五号――早坂順弥の居所を探っていたのである。
恐らく、成果の上がらない偵察部隊に業を煮やしたためであろう。
「ま、まさか――」
寺垣の言葉に、大竹は言葉を失ってしまう。
信じられない話であった。
津田由紀は、『鳥人』部隊の中でも群を抜いた忠誠心と命令遂行能力――冷徹さを兼ね備えた一流の戦士の筈だ。
その彼女が、自分が殺した早坂京子をクローン再生したばかりか、一〇五号とともに暮らしているなどと、大竹は幻聴を聞いた気がした。
「恐らく、伊沢さんを殺したのも、彼女だろう。これは、まさに死に値する裏切りだよ。――大竹、もう一度言う。津田由紀を殺せ。そして、早坂京子と一〇五号を血祭りに上げろ」
一〇五号は、佐原、高瀬、山岡の
寺垣の眼が、そう囁きかけていた。
「……承知、致しました」
もはや、逃れなかった。
大竹は、深々と頭を下げた。
自分の苦悩する顔を見られたくなかったからだ。
苦しまぬよう、せめて一撃のもとに葬り去ってやろう、津田由紀よ。
泣き疲れたのか、由紀は早坂京子の胸に抱かれたまま、いつの間にか眠っていた。
幸せそうな寝顔だった。
眠りにつく前、泣きながら由紀は話し続けた。
あの地下の部屋のこと。
そして、苦悩を。
アレは、ノウドで得た知識、技術、人脈、そして金、その全てをつぎ込んで数年前から着手し、先日ようやく造り上げたのだという。
「何のために……?」
自分は、これから先、どうなるかわからない。
いくら魔装兵士とはいえ、絶対に死なないとは言い切れない。
そのことは、早坂順弥の存在のおかげで特に実感したと笑っていた。
何よりも、自分は普通の人間ではない。
「私はね、いえ、私たちがいつまでも一緒にいられるために、もし私に何かあっても、私が
それなのに、
「それなのに、私ではなく、あの
自嘲めいた笑みを浮かべていた。
「君が京子の部屋に転がり込んだと聞いた日は絶望したわ。絶望して、呪ったわ。京子は絶対に殺される! もういても立ってもいられなかった。だから、一刻も早く京子のクローンを作り上げなければならなかった。君を殺し、君に復讐し、そして、私たちがずっと一緒にいられるために!」
感情を抑えきれず、叫ぶように泣いていた。
順弥は、子供のように眠る由紀を見ていると、彼女もまた『ノウド』の悲しい犠牲者なのだと感じるのだった。
思えば、彼が今まで戦い、殺してきた魔装兵士も、全て『ノウド』の奴隷だったのではないだろうか。
肉体を改造され、殺戮者となるべく〝教育〟を受けた、相手を殺すためだけに生きる戦士。
由紀は、まだ救われるのではないか。
早坂京子の愛を受け、人間らしい感情を取り戻した彼女なら、まだ救いの手が差しのべられるのではないか。
順弥は、由紀を彼女の自室に運ぶ途中、ずっと考えていた。
どうすれば、より多くの人間を救うことが出来るのか?
この街の人口の全てが、『ノウド』によって改造手術を受けた魔装兵士だ。
しかも、どうやら何者かの精神支配下にあるらしい。それは、この街に初めて足を踏み入れたときの歓迎ぶりでわかった。
言い方が悪いが、彼等は『ノウド』にとって雑魚なのだろう。将棋の捨駒なのだ。
それから考えると、江崎や伊沢、由紀たちは自らの意志で行動をしているように思える。かなり位が高いのだろうか。
ともかく、自らの意志で改造手術を受けたのでない限り、全ての人間に人間らしい心を取り戻して欲しかったのだ。
このとき順弥は、自分の決意に変化が起きていることに気づいていなかった。
全てを葬り去るためにこの街にやって来た筈が、今は、少しで多くの人間を救おうとしている。
それはいい意味での変化だった。
順弥は、由紀をベッドに横たえると、脇にある椅子に座り、ふうと溜め息をついた。
一緒について上がってきた京子が、由紀に布団を掛けてやっている。
彼女は、すでに地下室にあった服を身につけていた。恐らく、京子の趣味を知る彼女が用意しておいたものだろう。そしてその服は、順弥がこの街で京子を見たときに着ていたものでもあった。
順弥は、その後ろ姿を見て、懐かしさのあまり、思わず涙ぐんでしまった。
「――ねぇ」
不意に、京子が声をかけてきた。
その声に感情が宿っているのを聞いて、順弥はどきっとした。
同じだった。何もかもが。
眼の前の京子の姿を見ていると、今でもあの赤い風景は夢だったのではないかと錯覚してしまう。
「きみの名前は?」
どぎまぎする順弥に、京子が問いかける。
「え、あ、あの、順弥。早坂順弥」
「順弥? 何処かで聞いた名前ね」
小首を傾げる京子。
あなたがつけてくれた名前です。
順弥は心の中で呟いたが、その名前が彼女の失われた弟のものだったことを思い出した。
「ねぇ、順弥君。あなたのお姉さん、京子さんていうの? そんなに、私にそっくりなの?」
拷問のような問いかけだった。
あなたにそっくりなんじゃない。あなたが、そっくりに創られたんだ。
「名前も、同じなのね」
順弥はうんと頷くばかりだ。
その態度に何かを感じたのか、京子は形のいい眉を寄せて、ふーんと言うと、再びその美しい顔をベッドで眠る由紀に向けた。
「あ、あの、京子さん」
「何?」
京子は背中を向けたままだ。
「由紀さんのこと、好きですか?」
「――ええ、大好きよ」
にっこりと微笑んで、京子は答えたようだ。
その返事に、順弥はホッと胸を撫で下ろす。
「ずっと、一緒にいて上げて下さいね」
そう言うと、順弥は椅子から立ち上がった。
「何処へ行くの!?」
気配を察して、京子が振り向く。
「ここを出ます。これ以上いたら、迷惑をかけるかも知れない」
「遅かったよ、一〇五号」
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