15
眼が覚めたとき、窓の外は闇色に沈んでいた。
天には無数の星が輝いている。
何時間眠ったのだろう。
順弥は上体を起こし時計を見たが、眠りについた時刻がわからないので、何の解決にもならなかった。
食べ終えた食器は、すでに片づけられていた。
う~ん、と伸びをしたとき、自分がいやに落ち着いていることに気づいた。
これまでの殺気立った自分が消えてなくなっている、そんな気さえする。
もしそれが事実なら、待つのは〝死〟のみだ。
背中を、冷たいものが疾り抜ける。
それだけは、避けなければならない。そんな死に方をしては、何のために復讐を誓ったのかわからなくなるからだ。
「何を、そんなに怖い顔をしているの?」
また、いきなり声をかけられて、順弥は愕然と顔を上げた。
入り口のドアを開けて、由紀が微笑んでいた。
自分の感覚は、いったいどれほど鈍っているというのか?
「まぁ、そんなに落ち込まないで。すぐに元通りに戻るわよ。――それよりも、きみに会わせたい人がいるの。ついてきて」
艶然と微笑んで、由紀は順弥を手招いた。
何だろうと思いつつ、ベッドから抜け出す。足がふらついた。ほとんど四日近く眠っていたのだから、それも仕方のないことだった。
マンションの部屋を出て、由紀はエレベーターに順弥を導いた。
順弥が乗り込むとすぐに扉は閉まり、緩やかに下降に移った。
扉の開閉ボタンの上にあるデジタルの階数表示が〝1〟になっても、エレベーターは停止しなかった。
地下――?
驚いて由紀を見上げると、彼女はニッコリと笑っていた。
いったい、どのくらい下っているのだろう?
瞬時にして、順弥の超感覚は二〇〇メートルと答を出した。
地下に何があるというのか? そして、自分に会わせたい人物とは?
程なくして、軽い振動ともにエレベーターが停止した。
「さ、着いたわよ」
扉が開き、二人の前に廊下が現れた。
ライトが煌々と輝き、二人を出迎える。
白く清潔な照明と廊下。
嫌な思い出が順弥の精神を支配する。
研究室みたいだ。
そんな順弥の心の裡を知ってか知らずか、由紀はすでに、その廊下の奥へと歩き出していた。
あわてて後を追う順弥。
コツコツと靴音が響く。
廊下は二〇メートルほどで終わったが、その向こうで、順弥は驚愕すべき光景を眼にする。
「これは――!?」
まさに研究室であった。
人間一人が、十分に入ることの出来る大きさの円筒状の透明カプセルが、通路の両側に三基ずつ並んでおり、その中は薄緑色をした液体で満たされていた。
また、壁際にはいくつかのスーパー・コンピュータと、それにつながる計器類があったが、それらがどういうものであるのか、順弥には全く見当もつかなかった。
そして、何らかのデータを処理しているのか、それらは全て動作していた。
耳障りな電子音の中、順弥は由紀に声をかける。
「ちょっと待て。ここはいったい何の部屋だ」
順弥の言葉に、由紀の歩みが止まる。
振り向いたとき、その美貌にはあの優しげな笑みはなく、まるで別人のような――いや、こちらこそ順弥の知る由紀にふさわしかったが――凄絶な嗤いが浮かんでいた。
「創っていたのよ」
「――!?」
「
「ひと…だって…?」
その言葉の内容にしばし茫然となってしまう。
人を創る――その神の仕業にも等しい行為を、由紀は行っていたというのか。
「そう。おいで、順弥君」
再び由紀は順弥に背を向けて歩き出したが、今度の歩みはすぐに終わった。
由紀は、研究室の奥まった所に置かれてあるベッドのそばに立っていた。そのベッドは、半透明の蓋で覆われていて、内部を見ることが出来なかった。その蓋が、強化プラスチックで出来ているのか、それとも全く順弥の知らない材質なのか不明だが、SF映画によく出てくるベッドのようだと順弥は思った。それは、同化した早坂京子の記憶が感じたのかも知れない。
「この中に、いるのか――」
順弥は、いつの間にか自分ののどがカラカラにかわいていることに、今ようやく気づいた。
あの記憶――
あれは、本当に見間違いだったのか?
由紀はええ、と答えると、薄い笑みを浮かべたまま、ベッドの脇にあるコントロールパネルを操作した。
プシュッと圧搾空気が放出される音がして、ゆっくりと蓋が開き始めた。
女が眠っていた。全裸ではない。しかし、一瞬、そう見間違える姿ではあった。その美しい女は、肢体の魅力的な曲線をあらわにするほど、薄い、レオタードか水着のようなものを身につけているだけだったのである。
「まさか――」
ああ、やはり、そうだったのか。
眼の前のベッドに眠る女性――それは、早坂京子に他ならなかった。
しかも、生きていた。形のよい胸のふくらみが、微かに上下している。まさしく、眠っているのだ。
そして今、彼女は目覚めつつあった。
「なんてこと――」
順弥が、呻くように言う。
死者の、魂の冒涜。すでに、生命の尊厳はなかった。
「なんて…ことを――」
もう一度、順弥は呻いた。
「その声よ」
由紀の冷たい声が陰々と響く。
「きみに、その声を上げさせたかったのよ。これは、復讐なのよ」
「ふく…しゅう?」
順弥には、由紀の言葉の意味がわからなかった。
何故、復讐なのか?
「そう。私の大切な人を奪ったきみ。だから、その復讐は、きみの一番大切な人の手で、きみを殺させることなのよ」
由紀の眼から、涙がこぼれた。
それを見て、順弥は狼狽した。
「大切な…ひと…?」
そして今、順弥の眼の前で、早坂京子がベッドから起き上がりつつあった。
生きていた。
熱い感情が、あふれ出ようとする。
他の誰でもない。早坂京子本人だった。
髪の毛の色、長さ、綺麗な眼、唇、身体のライン、胸のふくらみ、肌の白さ、歩き方、そして仕種…全てが同じだった。
順弥は、京子に抱いてもらって眠った、あのわずかな間の生活を思い出していた。
違うのは、そう、その美貌にあの優しい微笑みがないことぐらい。
それは、決定的な違いだった。
「殺しなさい、京子」
由紀が冷たく言い放ったとき、彼女に手渡された拳銃を、京子は順弥に向けた。
そのとき、すでに由紀の涙は乾いていた。
何の逡巡もなく、京子は順弥の額に狙点を定める。
ためらうための記憶がないのだ。
京子の瞳には、このとき、何の感情もなかった。
違う…。
「しあわせ者ね、順弥君。大好きなお姉さんに殺されるなんて」
「誰が、殺されるって?」
「――!?」
冷たい微笑の消えた由紀の美貌が、一瞬にして驚愕に染まる。
「こいつは、姉さんじゃない。そっくりに作られた人形だ! 何故なら、姉さんはここにいるからだ!」
順弥は、右の親指で自分の胸を指した。
そうだ、姉さんは俺と一緒にいつも在るのだ!
「だから、殺せるというの? そう…。それなら、殺してみせてちょうだい」
「な――」
順弥は声を失った。
由紀が、京子の手から拳銃を奪い取ると、それを順弥に差し出したのだ。
「確かに、この子はクローンよ。京子のマネージャーをしていたから、あの子の身体の一部――髪の毛を手に入れることなんて、簡単だったわ。その髪の毛を使って、クローンをつくったのよ。何度も失敗したわ。人の形にならなかったこともある。もう、彼女で何人目かしら、ようやく成功したのよ」
「俺を、殺させるために…」
順弥の呟きに、由紀は答えなかった。
聞こえなかったのかも知れない。
「さぁ、殺しなさい。――殺せるのならね」
「殺せるさ。――いや、殺してみせる」
順弥は拳銃を受け取ると、立ち尽くす京子に銃口を向けた。
相変わらず、無表情だ。
きっと、何の感慨もなく、殺せる。
姉さんは、すでに死んだ。死んで、俺と一つになった。
だから、あなたは姉さんじゃない。
あなたは、この世にいてはいけないんだ。
引き金を絞ろうとしたまさにその瞬間、京子の脇に立つ由紀の姿が眼に入った。
顔をそむけ、眼を閉じていた。
何かに、耐えるように。
そしてその刹那、何かが順弥の中で弾けた。
拳銃を構える手が徐々に下がっていく。
「…殺せるわけ…ないじゃないか…」
順弥は、声を詰まらせながら言った。
涙を流していた。
拳銃が手の中から抜けて、床に落ちた。
その音が、やけに響く。
由紀が、はっと顔を順弥に向ける。
再び、彼女は泣いていた。声を押し殺して、泣いていたのである。
「由紀さん…。あなたの大切な人って、姉さんだったんだね」
優しい声だった。
京子と出会って、手に入れた人間らしいものの一つだった。
そのとき由紀は、床にお尻をついて、声を出すまいと口を押さえ、泣いていた。
そして、こくんと一つ頷いた。
「大好きだったのよ、あの子が…」
由紀は、泣きながら、やがて話し始めた。
「輝いていたわ。自分の夢に向かって、一生懸命だった。どんなときだって、一緒だったわ。楽しいときも、悲しいときも…。
由紀が、涙でくしゃくしゃになった顔で順弥を睨みつける。
そうだ。俺が、あの人と出会ったから――
「どうして、あの子と出会ってしまったの!? あなたが、あの子の所にさえ行かなければ、殺さなくてもすんだというのに!」
血を吐くような、告白であった。
どんなに悩んだことだろう。
この世で一番愛する女を、我が手で殺さねばならないと知ったとき、由紀の心はどれほど苦しんだのだろう。
身体が、心が引き裂かれる思い。
そして、組織にその心の動揺を悟られぬように、冷たく振る舞い、愛する者が殺され、その死体が犯される光景を眼にしていたあのとき――
狂ってしまいたかった。
「由紀さん」
そう声をかけたとき、由紀は大声で泣き喚き、順弥に抱きついてきた。もう激情を抑えていられなくなったのだ。
まるで子供のようになく由紀に、どう接したらいいのかわからず、順弥が戸惑っていると、不意に京子が動いた。
「あ――」
まるで天使のように、菩薩のように、優しく慈悲深い微笑みを浮かべて、由紀の身体をそっと抱きよせたのである。
由紀は、まるで赤ん坊のように、京子の胸に抱かれて泣き続けていた。
〝この世に、いてはいけない人間なんて、一人もいないんだからね〟
「ああ、そうだ。そうだったよね、姉さん――」
順弥は、抱き合う二人を見て、そう呟いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます