17


「――!?」

 その声は、窓の外から聞こえた。

 愕然とベランダに眼を走らせる。

 誰もいない。

 しかし、順弥の耳はある音を確かに捉えていた。

 徹甲弾!?

 厚さ数センチの鉄板さえも撃ち抜く弾丸が十数発、空気を貫いて飛んでくる!

 そう悟るよりも早く、順弥は電光のように振り返り、京子と由紀の方へ飛んでいた。

 ガラス戸の砕け散る音と、コンクリートの壁が打ち抜かれる鈍い音が連続する。

 そして――

 二人をかばいつつ、順弥は鎧を召喚した。無論、召喚時の衝撃波と魔界の炎は背中――弾丸の方へ。

 順弥は、それが出来るようになった。

 その衝撃波と炎で、飛来する弾丸のスピードを弱め、ベクトルを変え、叩き落とそうというのだ。

「――ぐ!?」

 しかし、苦鳴は順弥の口から洩れた。

 弾丸が、衝撃波と炎をも貫いて、順弥の背中の装甲に次々に突き刺さったのだ。

 通常弾など火薬のこめられた弾丸ではないので爆発はしない。しかし、その分衝撃が鋭かった。

「迷惑をかけるかも知れないだと? おもしろいことを言うなぁ、一〇五号」

 砕け散ったガラス戸から入ってきたのは、『巨人』型ジャイアント・タイプの鎧を身につけた大竹であった。

 巨大な鎧の背中から、身長以上に大きな翼が生えていた。

 津田由紀抹殺指令を受けた後、大竹は改造手術を施され、短時間なら空を飛べるようになったのだ。

「もう、十分迷惑なのだよ、貴様の存在がな」

 大竹の声は、地獄の底で唸りを上げる風のように、室内を吹き荒れた。

「貴様――。由紀さんはお前の仲間じゃないのか」

 順弥の呻くような声を、大竹は笑い飛ばす。

「仲間だと? そう思っていたさ。――だが、組織を裏切った者など、すでに仲間ではないわ」

 笑った。何処か、自棄ヤケになった悲しい笑いだ。

「順弥くん!?」

 そのとき生じた京子の叫び声に、順弥は愕然と振り向いていた。大竹の存在も一瞬忘れて。

「ゆ、由紀さんが!?」

 順弥がベッドを見て、思わず声を上げた。

 ベッドの中で眠っている筈の由紀の姿が、そこから忽然と消え去っていたのである。

 恐らく、一瞬京子も大竹に注意を向けたときがあったのだろう。そのわずかな間に、由紀は姿を消したのだ。

 何処に!?

 辺りに視線を飛ばす順弥たちの耳に、

「そうなの。ばれていたのね」

 由紀の声は、最も意外なところから届いた。

 誰もが驚愕した。

 由紀は、大竹の背後――ベランダを越えた空中にいたのである。

 わずか一刹那のうちに。

 いつの間にか、魔装鎧に身を包まれて。

 美しい『鳥人』が、そこにいた。

「残念だよ、津田由紀。ともに大切な者を殺されて、お前とは気が合うと思っていたのにな」

 大竹は、ゆっくりと『巨人』を由紀に向けさせた。

 その手が、ゆっくりと腰間の剣を鞘走らせる。

 巨大な剣が、ギラリと凶光を放った。

「順弥君、京子を連れて逃げなさい」

 何という優しい声。

「こいつは、私が食い止めるわ」

 だが、順弥は首を横に振った。

「いやだね。俺はもう決めたんだ。逃げない、と。そして、一人でも多くの人を救うと」

 順弥は剣を構えた。

 順弥に向き直る『巨人』の兜の奥の、大竹の瞳に狂気の光が宿る。

 そうだ。順弥は恐らく知らないのだろう、『騎士』の持つ剣は、元は高瀬のものだということを。

「ククク。そうか、来るか、一〇五号。いいだろう。地上したで待っているぞ。死出の旅路の支度でもしてくるがいい」

 大竹はそう言い残すと、超重量の巨体をベランダから外へ踊らせたのだった。


「どうして、逃げなかったの?」

 由紀が、空中に浮遊したまま、室内の順弥に問いかける。

「あなたを、死なせるわけにはいかないよ」

 剣をおさめながら、由紀に答える。

「あなたは、死んではいけない人なんだ」

 順弥の言葉に、由紀は、ありがとうと微笑んで、

「京子、大丈夫? ケガはない?」

 と声をかけた。

「…あ、あなたたち…いったい、…?」

 そう追求する京子の声は恐怖と動揺に震え、眼は皿のように大きく見開かれていた。

「きょ、京子…」

 しまった。

 由紀がベランダを乗り越えて、室内に入ろうとした途端、

「いや! 来ないで! 何なのよ、あなたたちは…」

 京子の叫び声が爆発した。

 泣いていた。

 混乱して、恐怖に耐えきれなくなったのだ。

 由紀は慌てて魔装鎧を脱ぎ去り、

「わ、私よ、京子。由紀よ」

「お願い、来ないで! 来ないでったら、!」

 その瞬間、由紀が、凍りついたように静止した。

 茫然と立ち尽くす由紀を見て、京子は自分の言った言葉に気づいて、ハッとなった。

 だけど、もう、戻れない。止められない。

 裏切られた――という想い。

 そして、恐怖。


 化物。


 その言葉が、由紀の心を激しく揺さぶる。

 そうだ。

 所詮、人間とは一緒に生きていけないのだ。何を夢見ていたのか。

 それは、順弥も同じだった。

 順弥は、思わず由紀の顔から眼をそらした。

 由紀は、自分の裸体を抱きしめ、泣いていた。

 この顔、この手、この胸、からだ、足…何もかもが人間と同じなのに、自分は人間ではないのだ。

 人間として生きていけぬのなら――

 決然と顔を上げ、由紀がベランダへ疾ったとき、

「ダメだ!」

 思わず叫んでいた。

 叫ばざるを得ないものが、順弥の心の底から衝き上げられていた。

 由紀が足を止め、振り返る。

「ダメだ、由紀さん。あなたは、人間だ。優しい心を持った人間なんだ」

 順弥の言葉に由紀は微笑み、ベランダの外へ飛んだ。

 一瞬後、魔装鎧を着装し、宙に舞い上がる。

 そして、戦場へ――。


「京子さん――」

 順弥も鎧を脱いで、京子の前に立った。そして、ヒステリーを起こし、泣き喚く京子に声をかける。

「来ないでって言ってるでしょ、化物!」

 京子がそう叫んだとき、順弥は彼女の心の叫びを聞いた気がした。

 混乱と後悔。

 恐怖と懺悔。

 愛情と畏怖。

 自分の心の中を――本当の自分の気持ちが千々に乱れて、自分でもわからなくなっているのだ。

 だから、順弥は京子の頬を打った。

 頬から伝わる痛みに、京子は泣きやみ、茫然と眼の前の少年を見た。

 少年も泣いていた。

「悲しすぎることを言わないで下さい」

 順弥は言った。

「あなたはあの人を愛している筈だ。それなのに、一時の混乱でそんなことを言わないで下さい」

 その途端だった。京子が、順弥の小さな、それでいて逞しい身体を抱きしめ、声を上げて泣き始めた。

「許して、許して、由紀! どうしてあんなことを言ってしまったの! 私には由紀しかいないというのに!」

 心の本当の気持ちの吐露であった。

 順弥は京子の頭を優しく撫でてやりながら、こう言った。

「行きましょう。――あなたも一緒に戦うんです」

「たたかう…?」

「そうです。あの人とともに生きていきたいのなら」

 順弥の言葉に、京子は、こくんと頷いた。

 少年は再び鎧を身にまとった。

「ごめんなさい…」

「その言葉は、由紀さんに言って下さい。あの人は、あなたを信じています」

 はい、と頷く京子を、順弥は胸に抱いた。

「あたたかいのね」

 京子が、順弥に抱き上げられたとき、そう呟いた。

 意外な言葉だった。

 魔装鎧――悪魔で形づくられた鎧があたたかいなど、これまで思ったこともなかった。

「ありがとう」

 漆黒の鎧の奥で、順弥は笑った。

 心の底から嬉しかったのだ。

 順弥は、翼を広げた。

 そしてベランダを乗り越え、空を滑るように滑空した。

 戦いは、すでに始まっていた。

 大竹は背中の翼を切り落としていた。どうやら、一時的な改造であったらしい。所詮、この巨体を持ち上げる翼を永久につけておくことなど出来はしないのだ。

 由紀は空中を素早く移動しつつ、手裏剣と化した羽を飛ばしたり、細身の剣を振るったりしているが、地上の大竹はそれを平然と受け、嗤い続けている。

 スピードでは『巨人』を遥かに凌駕する『鳥人』ではあったが、その目的が偵察と奇襲にあるだけに、鈍重ながら装甲が厚く、戦車砲の直撃さえも弾き飛ばす『巨人』に対して、苦戦を強いられるのは明白であった。

 それでも、由紀は戦いをやめない。

 もはや、自分は京子のそばにはいられない。あの子だけが心の安らぎだったのに。あの子がそばにいてくれさえすれば、自分は人間でいられたのに…。

 そうだ。自分は戦うために生まれ変わったのだ。なぜ生まれ変わったのか、記憶は定かではない。いや、津田由紀という人格そのものが、本来の自分のものなのかすらわからない。改造手術の後、植えつけられた人格であり、記憶なのかもしれないのだ。

 だから、自分は戦士に戻るのだ。

 生きるか死ぬか。

 それでいい。それこそが、『自分』なのだ。

 由紀は、大竹に対して剣を振るいながら、泣いていた。その涙は、人間からの訣別の涙か。

「由紀――!」

 そのとき、突如届いたその声が、由紀の身体を電流のように疾った。

 愕然と、その声の方に眼をやる。その視界に、漆黒の『騎士』に抱かれて地上に舞い降りる早坂京子の姿が飛び込んできた。

 京子――!?

 一瞬の隙が生まれる。

 大竹が、そのとき、残酷な笑みを浮かべた。

 巨大な剣を振り上げる。

 裏切りの罪、汝が死を以て償え――

 二メートルにも及ぶ長大な大剣は、由紀の華奢な肢体など、一刀のもとに分断するだろう。

 大竹が咆哮を放って、空中の由紀めがけ剣を振るう。

 逃げられない!?

 由紀が死を認めた。

 死んでもいい。京子は、まだ私を人間として認めてくれている。

 それは、死の恐怖に勝る喜びだ。

 由紀は眼を閉じた。

 ありがとう――

 それは誰に対しての言葉か。


 ぎぃん!?


 戛然と鉄火が飛び散る。

 由紀は眼を開いた。

 眼の前で、巨大な刃が制止していた。

 地上に眼をやる。そこでは、二体の魔装兵士が激突していた。

 信じられない速さで一瞬の内に間合いを詰めた順弥が、『騎士』の剣で大竹の大剣を受け止めているのだ。

「順弥くん!?」

 愕然と声を上げる。

 その由紀に、順弥は、

「言った筈だ。あなたは死んじゃいけないと」

 そう言って、順弥は凄絶な笑みを浮かべた。

 それを見た大竹の背に戦慄が疾る。

 なんだ――!?

 由紀が体勢を立て直し、順弥の背後に降り立ったとき、少年は大竹の全体重が乗った剣をゆっくりと押しかえし始めた。

「な――!?」

 大竹は狼狽した。

 何という膂力ちからか。

 信じられなかった。

 魔装鎧『巨人』型の重量は、五〇〇キロをゆうに超える。その巨体の放った一撃を受け止め、今また押し戻そうとしているのだ!

 チィィ…!

 屈辱と驚愕に顔を歪ませながらも、一瞬、大竹は身を引いた。

「――!?」

 唐突に支えを失って、順弥は平衡を失い、大きく前へつんのめった。

 体勢が崩れた!

 その瞬間、大竹が凄絶な笑みを浮かべ、巨大な剣を振り上げる。

 その鎧兜もろとも、貴様をの身体を叩き割ってやるわ!

 風が唸った。

「チィィ!」

 順弥が大きく一歩踏み込み、剣を振り上げた。

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