12
「――一〇五号が、冬眠状態から蘇生しました」
見張り役に立っていた『鳥人』から、テレパシーが送られて来た。それを受け取ったのは、眼を閉じた一人の男である。
男は着流し姿で、その公園のほぼ中央に立っていたが、そのテレパシーを受け取ると、すぐにそばのベンチに腰かける同じく着流し姿の男に声をかけた。
獅子のごとき相貌の男。牙狼連合の総長、伊沢であった。
その伊沢の周囲には、彼の配下百数十名の魔装兵団が、闇に紛れてひかえているのである。
その街の東側に位置する公園。
公園といっても、その面積は三〇〇坪近くある広大なものだ。そこには森があり、築山があり、池や川がある。
それ故に、伊沢らここを一〇五号捕獲の地としたのである。しかしそれは表向きで、彼等に一〇五号を捕らえるつもりなど、微塵もなかったのである。
殺す。
奴は、我等の仲間を殺したのだ。
たとえ『規格外』となった鎧兵士といえども、実戦経験を数多く積んだ我等に勝てる筈もない。
「まっすぐ、こちらに向かって来るそうです」
その言葉に、伊沢が嗤う。
「気配は、感じ取れるようだな、中村」
「はい。出来損ないの小僧のわりには」
中村と呼ばれた男の両眼は、魔装兵となるための手術の際、抗魔材の副作用で潰れてしまっている。
しかし、そのことでノウドを怨んではいない。何故なら、それ以上の能力――テレパシーを手に入れることが出来たからだ。
「――よかろう、全員戦闘配置につけ」
ベンチから立ち上がり、伊沢が命令を下す。
朗々と声が響きわたった途端、辺り一帯で、ぐうっと妖気が膨れ上がった。
牙狼連合の組員たちが、魔装鎧を身にまとったのである。
しかし、姿を見せているのは伊沢と中村の二人だけ。
そして二人とも、まだ魔装鎧をまとおうとはしない。
戦闘準備は完了した。
すでに公園の周囲には結界が張られてある。
この街がすでにノウドの支配するところであったとしても、いや、そうだからこそ余計に、邪魔が入らないようにするためである。
ここは、彼らの戦場なのだ。
そして十数秒後――
「来たか――」
伊沢が獣のような笑みを浮かべる。
公園の入り口の闇に、鬼が立っていた。
闇色の騎士――ダークナイト。
十数メートルの距離を置いて、お互いが相対した。
「お前が、一〇五号か?」
中村が問う。
「違う。――俺は、早坂順弥だ」
静かに、少年は答える。
「どちらでも変わりない。――我等の標的という点ではな」
「そうかい」
「少年よ、何故、組織に抵抗するのだ?」
中村にかわって、伊沢がそう訊いた。
「姉さんを殺した。だから、殺してやるのさ」
その理由がおかしかったのか、周りの闇から一斉にせせら笑う声が上がった。
辺りに漂う妖気と殺気から、周囲にかなりの数の魔装兵士が身を潜めていることは、最初から見当がついていた。
しかし、どれだけの数がいるのか、あまりにも妖気が充満しているので正確に把握できない。
「なるほど。――しかし、たった一人で何が出来る? お前の頭脳にも、『ノウド』のデータがインプットされている筈だ。その意味、その規模、その目的…」
伊沢の言う通り、順弥の新たに与えられた記憶には、『ノウド』のことが刻み込まれてあった。
ノウドとは交点を意味し、伝統的な占星術の体系では、月の交点が「デーモン点」と呼ばれることがある。事実、我々の宇宙の平面天体図では、月の交点は月の軌道が黄道と交わる点を明示する。伝統的な占星術に於いて、降交点はドラゴンの尾、昇交点はドラゴンの頭と呼ばれ、同時にアグリッパの『オカルト哲学』第二巻にもあるような巨大なドラゴンの姿が連想されるようになった。そして、ドラゴンとは魔王の化身でもある。そういったことから、全世界を恐怖の奈落に陥れ、支配しようとする組織の名として採り入れられるようになったのである。
「それでも、抵抗するというのか? アフリカ象にアリが戦いを挑むようなものだぞ?」
「だが、その強固さも崩れ始めた」
「――!?」
少年の一言に、殺気がさらに高まる。
すでに『巨人』型魔装兵士三人、『騎馬』型魔装兵士一人(江崎慎一のことだ)、及び『忍者』型・『獣人』型がそれぞれ一人ずつ。そして、この街の住人が数十名、この少年に殺されている。
順弥は、そのことを言っているのだ。
「そうか。退く気は全くないというのだな、少年よ」
「ああ。お前たちこそ、その気もないくせに」
順弥が、面頬の向こうでニヤリと笑った。
「それを聞いて安心したよ。――では、死ぬがいい!」
それが合図だった。
漆黒の闇に沈む森の中から、数十にも及ぶ気配が同時に飛び出し、順弥に襲いかかった。
どいつもこいつも種類の異なる魔装鎧を身につけていた。
すでに死闘を広げた『獣人』や『鳥人』、そして『騎馬』の他に、
『戦士』型は、『騎士』型の一つ前に造られた魔装鎧だ。『騎士』とは異なり、鎧がやや分厚く、動きも鈍重である。しかし腕力や防御力については、『巨人』型に匹敵する数値を叩き出している。その『戦士』が剣や戦斧を振るい、襲い掛かってくる。
凄まじい膂力だった。
森に入れば、軽装な『弓兵』の独壇場だった。鬱蒼と茂る樹々の間では、剣を振るうこともままならず、順弥は『弓兵』の格好の標的となった。
恐らく
あの矢を全身に食らって、順弥は体中から血を奔騰させて死にかけたのだ。そうそう矢を受けるわけにはいかなった。
しかし、いくら剣を振るい、薙ぎ払い、地獄の業火で敵兵を炭と変えても、襲い来る数は減らなかった。
少なくとも、順弥にはそう感じられた。
水辺に戦場を移せば、水中から手が伸び、順弥を池の中へ引きずり込む。
そこには、水中型魔装兵士
その『半魚人』の手にした銛には強力な毒素が仕込まれてあり、魔装兵の常人を遥かに越える解毒能力を以てしても、数分間は手足を動かすことが出来なくなった。
意識が途切れかけたことなど、何度あったかわからない。
眼がかすみ、やがて暗転する。その瞬間の恐怖――すなわち、死。
だが、耐えた。
『獣人』の牙が鎧を噛み砕き、『弓兵』の矢が身体を射抜く。『戦士』や『鳥人』たちの剣や戦斧、槍が順弥の全身を刺し貫いても、順弥は倒れなかった。
倒れるわけにはいかなかった。
歯を食いしばり、ともすれば消えてしまいそうになる意識を、必死でつなぎとめた。
それは、順弥に襲いかかる兵士たちにとって、信じられない光景であった。
何故、死なない。
何故、倒れない。
その恐怖と焦燥が、兵士たちを怯ませる。
今まで、数多くの人間を屠って来た兵士たちにとって、眼の前の敵は尋常の存在ではなかった。
全身に剣を突き刺され、失神状態にあっても、首を刈りに行けば、必ず逆にそいつの首を斬り落とした。
そんな奴を殺すことなど、果たして可能なのか。
そのとき、順弥が吠えた。
まさに獣の咆哮。
そして反撃が始まった。
炎が奴等の骨の髄までも焦がし、かまいたちが鎧ごと身体を分断する。
池の水は炎で煮え立ち、森は焼かれ、樹々は伐り倒された。
戦闘開始から二時間あまりが過ぎたとき、少年は、数え切れない死体で山を造り、大地を血で赤く染め上げていた。
「次は、お前だ」
牙狼連合は、すでに残り二人になっていた。そして順弥は、次の標的を中村に定めたのである。
「すばらしい戦闘能力だ。たった一人で、百名以上の魔装兵士を圧倒するとはな。――だが、上には上がいることを教えてやろう」
中村が眼を見開いたとき、その眼に瞳はなかった。
その中村がゆらりと前に出たとき、無造作なその一歩に、何故か順弥は退いていた。
自分のとった無意識の行動に腹立たしさを感じたのか、次の瞬間、順弥は一気に中村との間合いを詰めに行った。
相手は、魔装鎧を身につけていない。そして眼を閉じている。
ならば、勝負は一瞬!
だが!
その瞬間、中村の腰間から銀光が迸り、昇龍の如く噴き上がった!
ぎいん!?
闇夜に鉄火が鮮やかに散ったとき、順弥は愕然と眼を見開いた。
中村は、手にしていた日本刀を引き抜いて、順弥の剛刀を受け止めていたのである。
まさか――!?
跳び離れる順弥に、刀をおさめた中村が、嗤いながら声をかける。
「君は、私が鎧を身につけていないと思っているようだが、それは間違いだ」
「――何!?」
「この着物、それ自体が実は鎧なのだよ」
「な――」
「私は、もともと
中村が、薄い刃のような笑みを浮かべた。
「――だけど、どうして眼が見えないのに、剣が受けられるんだ?」
順弥は、その笑みに寒気すら覚えていた。
それほど、中村の身体からは鬼気迫るものが放たれていたのである。
「わかるのだよ、私には。君のやろうとしていることが、手に取るようにな。テレパシーというやつさ」
再び、嗤った。
「チイィ…!」
順弥が、己れの恐怖を振り払うように、猛然と地を蹴った。
「見えるぞ、私には、君の心が。左、右、突き、そして薙ぐ」
果たして、順弥の攻撃は中村の言う通りになり、そして全て躱されてしまった。
「馬鹿な……」
「そして、私の攻撃を君は避けることは出来ない」
中村の身体が、すっと沈んだ。そう見えたときには、順弥めがけて疾っていた。
懐に飛び込み、閃光!
刃は順弥の鎧の隙間から潜り込み、少年の右脇腹から一文字にかき斬っていた。
「うわあああぁぁぁ!?」
順弥はたたらを踏み、無様にも尻餅をつく。
かき斬られた腹から流れ出た血が、大地をゆっくりと赤く染めていく。
底知れぬ程の恐怖が、順弥の心に芽生え始めていた。
痛みのせいではない。
盲目の『侍』の、凄まじい剣風のせいだ。
勝てるのか…。
自分の全てを読んで、その先手先手を仕掛けてくる敵に、果たして勝つことが出来るのか。
このとき順弥は、眼の前の敵が愕然と立ち尽くし、自分を見ていることにも気づかず、眼前に再び頭をもたげ始めた〝死〟に、身体を震わせていたのである。
「馬鹿な…」
だがこのとき、中村もまた愕然となって、順弥と自分の刀を交互に見つめていた。
完璧だった筈だ。
完璧に、少年の胴体を上下に分断できる筈であった。
それなのに、奴は生きている。
中村は歯がみしていた。
あの瞬間、順弥は中村の刀を躱そうと身体を動かした。普通なら、その時点で時すでに遅く、身体は真っ二つになっている。だが、順弥の反応速度は、一瞬だが中村の予測を、そしてスピードを凌いだのだ。
それが、この結果だ。
だが、奴はまだその事実に気づいていない。そして、気づかれてはならない。
速攻あるのみだ。
中村は刀を鞘におさめて、疾った!
まだ立てないでいる一〇五号目がけて――
居合い!
「うわあっ!?」
情けない声を上げて、順弥が身をひねる。
躱した!?
もはや、疑いようのない事実だった。
一〇五号の反応速度は、自分の予知のそれを遥かに越えている!
「ちいぃ!」
中村は、『侍』に刀を大上段に振りかぶらせた。
胸中に拡がりだした不安を打ち消すかのように。
そう、打ち消すには眼の前の敵を殺すしかないのだ。
順弥は、月光を浴びて冷然と輝く刀の切っ先を、茫然と見つめていた。
死――
「いやあぁぁぁ!」
中村の口から裂帛の気合いが迸り、刀が順弥目がけて振り下ろされたまさにその刹那!
順弥は、女の〝声〟を聞いた。
〝眼を開きなさい、順弥! 眼を見開き、周囲の風を読むのよ!〟
何だ?
そう思う間もなかった。瞬間に理解できたのである。そして、順弥は〝
見える! たとえ心を読まれても、たとえどんなに剣筋が鋭くとも、見えれば躱せる!
心理攻撃なのだ。盲目だということ。心を読めるということ。鎧らしい鎧をまとっていないということ。何もかも全て、心理攻撃だったのだ。それに、俺は振り回されていたに過ぎないのだ。
何故なら、俺は奴の攻撃を躱していたじゃないか!
順弥の両手が動いた。
鈍い音がその瞬間起こり、刀は、順弥の両手に挟み取られていた。
「な――」
驚愕を隠し得ない中村に、順弥は凄絶な笑みを送る。
ゆっくりと立ち上がった。
そして、中村から数メートルの間合いを取って対峙した。剣は尻餅をついた場所に転がったままだ。つまり、丸腰なのだ。
「剣を取らずとも、勝てるとふんだか、少年」
刀を正眼に構える中村の言葉に答えず、順弥は両足をやや開き気味に構えた。
「いいだろう、これが最後だ」
ニヤリと笑う中村の頬を、一筋の汗が伝う。それが顎に達し滴り落ちた瞬間、『侍』は地を蹴っていた。
一気に間合いが詰み、刀が疾る!
雪崩れ落ちる銀光を躱しざま、順弥は『騎士』の足でその刀身を思い切り踏みつけた。
手に電流の如く痺れが走り、中村は顔をしかめて思わず刀を手放していた。
「――!?」
順弥の手が顔面を鷲掴みにしたとき、中村は死を悟った。
このまま地面で頭部を叩き割られ、自分は死ぬのだ。いや、死ねるのだ。
そう予知した。
そして、その通りになった。
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