11
「――予測をはるかに上回る、凄まじい精神力の持ち主ですな…」
池田博士は、驚嘆を禁じ得ずに、寺垣にそう言った。
やや興奮気味なのがよくわかる。分析結果の記された
当然だろう。忌まわしき脱走者が、素晴らしい研究対象となって眼の前に現れたのだから。
寺垣は、そんな池田を冷ややかな眼で見つめていた。
「通常ならば、
「しかし、現実にはそれが起こり得てしまったわけだ」
池田の興奮など、大した興味も湧かぬのか、寺垣の声はあくまでも冷静だ。
「それで、次はどうするのだ? 計画を変更するのかね」
「いいえ。予定通り、牙狼連合の方々に、奴の相手をしていただきます」
「――勝てるのかね?」
寺垣は、薄い笑みを口許にたたえながら訊いた。
「勝てるかも知れません」
「ほお」
そのような応えがあろうとは、少し意外だったようである。寺垣は少し驚いていた。
「奴は今、単に生き延びたという状態にあります。彼らが奴を発見し、攻撃を加えるまでに、奴がどれほど体力の回復が出来ているのか。それが勝敗を、いや生死をわけることとなりましょうな」
「ふむ」
「よしんば、牙狼連合が奴を殺せなかったとしても、それはそれで、さらなるデータの収集になりますから、我々としては結果がどうなろうとも、決して不利益にはならないのですよ」
池田が、狂ったような笑い声を立てる。
自分のつくったモノが、自分を殺しに来る。
それを認識したせいだろうか、池田の中で、何かが狂い始めているような気が、寺垣にはした。
「そのデータを、どう活用する気だ?」
「決まっております。奴の鎧を破壊するための策を練り、奴を殺すための鎧を造るのですよ」
池田は、ひぇっひぇっと笑った。
「楽しみですなぁ、寺垣様」
早坂順弥は、このとき死にかけていた。
街外れに廃ビルを見つけ、何とかそこに身を潜ませたものの、ケガの回復が思わしくないのだ。血を流しすぎ、体力を失いすぎたためだ。
このままでは、死ぬ――。
何度か、意識が途切れかけた。
それを、何とかこれまでくい止めていたのは、「死んでたまるか」という感情に他ならなかった。
しかし、身体が冷えていく感覚とともに、手足も動かなくなると、順弥の意識は暗黒の奥深くに落ち込んでいくのだった。
そして――
誰かが泣いているのが聞こえた。
誰が泣いている?
ああ。あれは、俺だ。
早坂順弥は夢を見ていた。
俺が、泣いているんだ。
幼い頃の順弥がいた。
膝小僧をすりむいて、泣いている。
そして、早坂京子がいた。
数年前の彼女だ。その彼女を、順弥は「お姉ちゃん」と呼んで泣き喚いていた。
「よしよし、もう泣かないの。――いいね、順弥」
姉が、優しい笑顔で順弥を慰める。
順弥の知らない京子。
順弥の知らない夢――それは現実?
これは、京子と融合したために、彼女の記憶を夢としてみているのか。それとも、融合によって、順弥の喪われた記憶の再生が誘発され、混乱を来しているのか。
夢が変わった。
海へ泳ぎに行っているようだ。
水着姿の京子。順弥は浮き輪にしがみついて、京子についていこうと必死だ。浜辺のパラソルには両親の姿――顔はよく見えない。
そのとき、ひときわ大きな波がうねった。
不安。
ぐうっと盛り上がる海面に、順弥の浮き輪が木の葉のように翻弄される。
何故か、京子たちは気づかない。
姉さんと叫んだ瞬間、幼い順弥は空中に放り投げられていた。
遥か眼下に海面を見たとき、順弥は落下の恐怖を前に、あっと眼を閉じていた。
「――!?」
しかし、いつまで経っても落下の衝撃が順弥に襲いかかって来ない。
そして、静寂。
恐る恐る眼を開けた順弥の眼前に、いや周囲に広がっていたのは、漆黒の宇宙――。
これは――!?
微かに輝くは、無数の星辰か。
上下も左右もわからない。
何故、いま自分がここにいるのか、それすらもわからなかった。
しかし、今までの夢となんら接合性、整合性が見出せぬのに、それを不思議とも思わない。
だが、恐怖はあった。
暗闇と無音に対する恐怖――それは、人間としての根源の感情だ。
順弥は、思わず叫び声を上げていた。
腹の底、心の深奥からの叫びであった。
それなのに――
ああ、その震える魂の叫びすらも、宇宙の静寂に吸い込まれて何も聞こえない。
瞬間、ある言葉が脳裡に浮かび上がった。
死。
その恐怖。
俺は誰だ?
俺は何のために生まれて来た?
ここで死ぬためか。
違う。誓った筈だ。
俺は、必ず生き延びてみせると。
俺は、姉さんの分まで生きるのだ。
姉さんの見たかったものを見、聞きたかったものを聞く。それが、姉さんを殺し、喰った俺の、せめてもの償いなのだ。
ならば、こんな所で死ぬ筈がない。
何故なら、これは夢だからだ。
俺の心の奥底にあった恐怖、そして罪の意識が生み出した悪夢に過ぎないのだ。
そのとき、順弥のいる宇宙に彼方から光が射し込み、その光が二重の螺旋となって順弥を包み込んだ。
暖かく、優しい光であった。
そして、早坂順弥は目覚めた。
――
ぼんやりと辺りを見まわす。
辺りは、すでに闇が支配していた。
どうやら、数時間近く意識を失っていたらしい。
なんだ――?
何かを感じた。そしてそれが、目覚めた直後、初めて感じた具体的な思考であった。
瞬時にして、自分を見つめる「眼」に気づいたのである。
見られている。
そう感じ取った順弥は、とっさに辺りに鋭い視線を飛ばす。
同時に気配を探るが、半径五〇メートル以内にはいないようだ。
魔装戦士たちの眼や耳などの五感は、常人の数十倍にまで高められており、暗闇や深い海の底でも、遠くを見、わずかな音を拾うこともできる。
その五感――超感覚を加えた六感をもってすれば、敵の居所などたちどころに察知できるのだった。
果たして、敵はいた。
順弥のいる廃ビルから離れること、ざっと三〇〇メートル。
高層マンション屋上の避雷針に一人、月光を背負って立っている。
そいつが、どうやら見張り役のようだ。
そして、そのマンションから少し離れたところに、公園だろうか、そこに二〇〇近い気配がある。
魔装戦士の集団だ。
来い、ということか――。
奴等も、俺が気づいていることをすでに察知している筈だ。それなのに、何もしかけてこないところを見ると、待っていると考えるべきだ。
順弥は、深く息を吐いた。
眼を、その気配の方へ向ける。
「いいだろう」
順弥は声に出して、そう呟いた。
それは、決意の顕れ。
順弥は、魔装鎧を身にまとって廃ビルを出た。
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