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「――予測をはるかに上回る、凄まじい精神力の持ち主ですな…」

 池田博士は、驚嘆を禁じ得ずに、寺垣にそう言った。

 やや興奮気味なのがよくわかる。分析結果の記された資料データを持つ手にも、知らず力が入っているようだ。

 当然だろう。忌まわしき脱走者が、素晴らしい研究対象となって眼の前に現れたのだから。

 寺垣は、そんな池田を冷ややかな眼で見つめていた。

「通常ならば、如何いかな魔装兵といえども、あの状態で即座に蘇生するなどあり得ない筈です」

「しかし、現実にはそれが起こり得てしまったわけだ」

 池田の興奮など、大した興味も湧かぬのか、寺垣の声はあくまでも冷静だ。

「それで、次はどうするのだ? 計画を変更するのかね」

「いいえ。予定通り、牙狼連合の方々に、奴の相手をしていただきます」

「――勝てるのかね?」

 寺垣は、薄い笑みを口許にたたえながら訊いた。

「勝てるかも知れません」

「ほお」

 そのような応えがあろうとは、少し意外だったようである。寺垣は少し驚いていた。

「奴は今、単に生き延びたという状態にあります。彼らが奴を発見し、攻撃を加えるまでに、奴がどれほど体力の回復が出来ているのか。それが勝敗を、いや生死をわけることとなりましょうな」

「ふむ」

「よしんば、牙狼連合が奴を殺せなかったとしても、それはそれで、さらなるデータの収集になりますから、我々としては結果がどうなろうとも、決して不利益にはならないのですよ」

 池田が、狂ったような笑い声を立てる。

 自分のつくったモノが、自分を殺しに来る。

 それを認識したせいだろうか、池田の中で、何かが狂い始めているような気が、寺垣にはした。

 人間ひとの生命を操ることに何の痛痒も覚えない人間――そういう人間でなければ、『ノウド』にあって人間改造の研究など出来なしないのだ。ある意味、そんな彼らこそ、すでに人間ではないのかも知れない。

「そのデータを、どう活用する気だ?」

「決まっております。奴の鎧を破壊するための策を練り、奴を殺すための鎧を造るのですよ」

 池田は、ひぇっひぇっと笑った。

「楽しみですなぁ、寺垣様」


 早坂順弥は、このとき死にかけていた。

 街外れに廃ビルを見つけ、何とかそこに身を潜ませたものの、ケガの回復が思わしくないのだ。血を流しすぎ、体力を失いすぎたためだ。

 このままでは、死ぬ――。

 何度か、意識が途切れかけた。

 それを、何とかこれまでくい止めていたのは、「死んでたまるか」という感情に他ならなかった。

 しかし、身体が冷えていく感覚とともに、手足も動かなくなると、順弥の意識は暗黒の奥深くに落ち込んでいくのだった。

 そして――


 誰かが泣いているのが聞こえた。

 誰が泣いている?

 ああ。あれは、俺だ。

 早坂順弥は夢を見ていた。

 俺が、泣いているんだ。

 幼い頃の順弥がいた。

 膝小僧をすりむいて、泣いている。

 そして、早坂京子がいた。

 数年前の彼女だ。その彼女を、順弥は「お姉ちゃん」と呼んで泣き喚いていた。

「よしよし、もう泣かないの。――いいね、順弥」

 姉が、優しい笑顔で順弥を慰める。

 順弥の知らない京子。

 順弥の知らない夢――それは現実?

 これは、京子と融合したために、彼女の記憶を夢としてみているのか。それとも、融合によって、順弥の喪われた記憶の再生が誘発され、混乱を来しているのか。

 夢が変わった。

 海へ泳ぎに行っているようだ。

 水着姿の京子。順弥は浮き輪にしがみついて、京子についていこうと必死だ。浜辺のパラソルには両親の姿――顔はよく見えない。

 そのとき、ひときわ大きな波がうねった。

 不安。

 ぐうっと盛り上がる海面に、順弥の浮き輪が木の葉のように翻弄される。

 何故か、京子たちは気づかない。

 姉さんと叫んだ瞬間、幼い順弥は空中に放り投げられていた。

 遥か眼下に海面を見たとき、順弥は落下の恐怖を前に、あっと眼を閉じていた。

「――!?」

 しかし、いつまで経っても落下の衝撃が順弥に襲いかかって来ない。

 そして、静寂。

 恐る恐る眼を開けた順弥の眼前に、いや周囲に広がっていたのは、漆黒の宇宙――。

 これは――!?

 まったき静寂。

 微かに輝くは、無数の星辰か。

 上下も左右もわからない。

 何故、いま自分がここにいるのか、それすらもわからなかった。

 しかし、今までの夢となんら接合性、整合性が見出せぬのに、それを不思議とも思わない。

 だが、恐怖はあった。

 暗闇と無音に対する恐怖――それは、人間としての根源の感情だ。

 順弥は、思わず叫び声を上げていた。

 腹の底、心の深奥からの叫びであった。

 それなのに――

 ああ、その震える魂の叫びすらも、宇宙の静寂に吸い込まれて何も聞こえない。

 瞬間、ある言葉が脳裡に浮かび上がった。

 死。

 その恐怖。

 俺は誰だ?

 俺は何のために生まれて来た?

 ここで死ぬためか。

 違う。誓った筈だ。

 俺は、必ず生き延びてみせると。

 俺は、姉さんの分まで生きるのだ。

 姉さんの見たかったものを見、聞きたかったものを聞く。それが、姉さんを殺し、喰った俺の、せめてもの償いなのだ。

 ならば、こんな所で死ぬ筈がない。

 何故なら、これは夢だからだ。

 俺の心の奥底にあった恐怖、そして罪の意識が生み出した悪夢に過ぎないのだ。

 そのとき、順弥のいる宇宙に彼方から光が射し込み、その光が二重の螺旋となって順弥を包み込んだ。

 暖かく、優しい光であった。

 そして、早坂順弥は目覚めた。

 ――

 ぼんやりと辺りを見まわす。

 辺りは、すでに闇が支配していた。

 どうやら、数時間近く意識を失っていたらしい。

 なんだ――?

 何かを感じた。そしてそれが、目覚めた直後、初めて感じた具体的な思考であった。

 瞬時にして、自分を見つめる「眼」に気づいたのである。

 見られている。

 そう感じ取った順弥は、とっさに辺りに鋭い視線を飛ばす。

 同時に気配を探るが、半径五〇メートル以内にはいないようだ。

 魔装戦士たちの眼や耳などの五感は、常人の数十倍にまで高められており、暗闇や深い海の底でも、遠くを見、わずかな音を拾うこともできる。

 その五感――超感覚を加えた六感をもってすれば、敵の居所などたちどころに察知できるのだった。

 果たして、敵はいた。

 順弥のいる廃ビルから離れること、ざっと三〇〇メートル。

 高層マンション屋上の避雷針に一人、月光を背負って立っている。

 そいつが、どうやら見張り役のようだ。

 そして、そのマンションから少し離れたところに、公園だろうか、そこに二〇〇近い気配がある。

 魔装戦士の集団だ。

 来い、ということか――。

 奴等も、俺が気づいていることをすでに察知している筈だ。それなのに、何もしかけてこないところを見ると、待っていると考えるべきだ。

 順弥は、深く息を吐いた。

 眼を、その気配の方へ向ける。

「いいだろう」

 順弥は声に出して、そう呟いた。

 それは、決意の顕れ。

 順弥は、魔装鎧を身にまとって廃ビルを出た。

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