10

 空が、嚇々と燃えていた。

 爆発炎上したマンションの一室からのびた炎が、夜空を真っ赤に染め上げているのだ。

 その炎の舌を、早坂順弥は数キロ離れた小高い丘の頂上から見つめていた。

 マンションの炎は、じきに消し止められよう。消防車のサイレン音が聞こえて来た。誰かが通報したのだろう。だが、俺の、この心の中に燃えさかる炎を消すことは、誰にも出来はしない。

 順弥は、自分の腕の中で眠る美しい女に眼をやった。

 早坂京子。

 何度悔やんでも、悔やみきれないものが、彼女の死にはあった。

 このとき、まだ順弥は魔装を解除していない。漆黒の鎧に身を包まれたまま、順弥は愛する女の死体を抱きしめているのだった。

 京子の眼は閉じられて、心なしか安らいでいるように思われた。

 無惨にも喰われ、犯された肢体。その生々しい傷痕を見るたびに、悔しさが心にあふれ、涙となってこぼれ落ちる。

 順弥は、兜の奥で泣きながら、京子の死体を抱く腕に力を込めた。

「姉さん…」

 順弥が、京子に話しかける。

「姉さんを、このまま独りにはさせないよ。僕と…僕と、ずっと一緒にいて欲しいんだ…」

 涙が、冷たく固くなった京子の頬で弾ける。

「僕の、この呪わしい鎧には、あらゆるものを吸収し、自分おのれのものにする能力ちからがある…」

 そのとき、順弥の鎧に水滴が落ちた。

 雨が降り始めたのだ。

 天を厚く覆い隠す雲から、今、雨が蕭々とこぼれ落ちる。

 雨は勢いを増し、そして街は、鈍色のベールに包まれていった。

「――だから、姉さん…」

 優しく、囁きかける。

「僕たちは、一つになるんだ…」

 そのとき、京子の死体が、徐々に順弥の鎧の中に沈み始めた。

 同化だ。鎧が、その吸収能力を発揮して、京子を取り込み出したのである。

「僕には、今までの記憶おもいでが何一つない。だから、姉さん。姉さんの思い出を僕にちょうだい。楽しかったこと、悲しかったこと。今までの姉さんの全てを、僕にちょうだい。そうすることで、僕は人間になれる気がするんだ」

 すでに、京子の身体は半分以上が鎧に呑まれつつあった。

 京子の血や肉が、順弥の体内を駆けめぐる。と同時に、凄まじい量の記憶が、脳裡に怒濤のように流れ込んで来た。

「――奴等『ノウド』との戦い、いや、殺し合いで、僕が人間としての心を失わなくちゃならないときがいつか来るだろう。そのときに、姉さんの心が、僕を人間につなぎ止めてくれる。そんな気がするんだ…」

 やがて――

 降りしきる雨の中、京子の身体は完全に魔装鎧に吸収され、順弥と京子は一つになった。

「僕は…獣にはなりたくない…」


 寺垣は、ふんと鼻を鳴らして、読んでいた新聞を無造作に折りたたみ、マホガニーのデスクに放り投げた。

 その部屋には、寺垣の他に三人の人間がいた。

 魔装鎧『巨人』型をまとう大竹と、津田由紀、そして彼ら魔装兵団を設計した科学者池田である。

 このとき由紀は、失った右手首に義手を装着し、黒色の革手袋で覆い隠していた。

 その由紀の眼が、ふと新聞に注がれる。

 乱雑に折りたたまれた新聞の片隅に、その記事が小さく掲載されているのが眼に止まった。

「――死んだと思うかね?」

 由紀の注意がその記事に向けられたと知って、寺垣が意地悪く訊いた。

『昨夜二〇時頃、高層マンションの一室で、ガス爆発。死者一名。幸い隣室への被害はなし。尚、焼死体で発見されたのは、早坂京子さん(二三歳)と断定云々』

 そう記事には書かれてあった。

 本当だろうか。

「嘘だよ。でっち上げだ。この事故を報道する可能性のある全てのメディア、マスコミに力をかけて、内容を捏造させたのだよ」

「何故です」

 と由紀。

「早坂京子といったか、その女。その女の死体は、実際は部屋にはなかったのだ」

「なかった?」

「そうだ。考えられるのは一つ。一〇五号が爆発の瞬間に、死体もろとも室外に脱出していた」

「そんな!? 信じられません!?」

「死体は、爆発の炎で燃え尽きたとは考えられませんか」

 これは大竹だ。

「そう思うかね。忘れたのか。奴が、『鳥人』の君よりもすぐれた反応速度を持っていたことを」

「あっ!?」

 由紀の顔色が変わる。

 そうだった。奴は、私よりも素早く動けたのだ。忘れていたわけではない。いや、忘れられるものか。

 由紀が、ぐっと義手の右手を握りしめる。

 あの瞬間の恐怖と痛みがよみがえる。

 ただ、信じられなかったのだ。認めたくなかったのだ。

「奴――一〇五号のデータは素晴らしいです。と同時に恐ろしくもあります」

 池田が、震える声でそう告げた。

 恐怖か、それとも歓喜か。

「一〇五号は、偶然にして出来た最高傑作なのかも知れません」

 池田が何気なく口にしたその言葉が、由紀と大竹の心を激しく揺さぶる。

 最高傑作だと?

 ふざけるなよ、出来損ないが!

「――では、奴は生きていると?」

 由紀が、そのさざ波をおさえようとぎゅっと手を握りつつ、そう訊いた。

「まさか、君は、あの程度で奴を始末できたと思っているのかね」

「い、いえ…」

 死ぬものか。

 死んでもらっては困るのだ。

 復讐を、この手で果たすまではな。

 それは、大竹とて同じであった。

 必ず、この手でぶち殺してくれる!

 寺垣は、そんな二人の表情を見て、ニヤリと笑った。そして、チェアーの背もたれに背中をあずけると、

「恐らく、いや確実に一〇五号は生きている。生きて、体力の回復を図っていることだろう。そして奴は、必ずここに来る」

「――!?」

「それはそうだろう。奴のここには――」

 寺垣が、右手の人差し指でこめかみを軽く二度叩いた。

「我々や、この教会のデータが組み込まれているのだぞ。奴は必ず来るさ」

 寺垣の言葉に、大竹の喉がごくりと鳴る。

 あの夜の光景が、一瞬眼の前に浮かび上がったのだ。

 あの、狂喜と血と悲鳴の惨劇…。

「恐ろしいのか、大竹?」

 嗤いながら、寺垣が言う。

「い、いえ。――それで、我々はどうすればいいのですか」

「うむ。そのときの対処法だが――」

 寺垣が、チェアーをきぃと鳴らして、池田を見やった。

「それについては、提案があります」

「何なりと、ドクター」

 池田は、咳払いを一つして、こう告げた。

「データを取ってみたいのです」

「ほお?」

 その言葉に、寺垣の口許が、ニッと歪む。

「もはや、我々の手許にあるデータでは、奴の全てを推し測ることは不可能です」

「そのためのデータ更新か。――それで、どうするのだ」

「奴を――一〇五号を、殺す気で攻撃していただきたいのです」

「お…」

「お言葉ですが、ドクター」

 何か言いかける由紀を制して、大竹が池田に詰め寄る。

「我々は常に、奴を殺す気でおります」

「こいつは失敬」

 ヒッヒッと笑い、

「わしの意図するところが、上手く伝わらなんだらしい。――わしが言いたかったのは、一人ないし少数で奴に攻撃を加えるのではなく、十数名、いや何十名もの多人数で奴に襲いかかってもらいたいのだよ」

「極限状態に置くということか」

 と寺垣。

「左様で。そして、これが第一段階」

「第一段階?」

 由紀が眉宇をひそめる。

「そして、そこで得たデータをもとに対処法を考慮し、新たに攻撃を加えて殺す。これが第二段階」

「なるほど。二段構えということか」

 寺垣の言葉に、池田は、はいと頷いた。

「いいだろう。――で、誰が奴に攻撃を加えるのだ?」

「それについても、一計がございます」

 池田は、自分の考えた案を、まるで酔っているかのように、恍惚としながら話し出した。

 全ては、一〇五号――あの怪物のせいだ。

 あれを切り刻み、新たな叡知を得ることを夢見ているのだ。

 由紀や大竹には、そんな池田が、見るもおぞましい汚物のように思えた。

 そして池田の案は採用され、あとは、一〇五号の到着を待つのみとなった。


 その日、早坂順弥は、あの夜、京子と初めて出会った公園にいた。

 京子の死から、すでに三日が経過している。しかし、依然として悔恨は消えなかった。

 あの雨の夜、僕がここに来なければ…。

 いくら悔いても、京子が戻ってくることはない。それをわかっていても悔やんでしまう。

 それが、人間の心なのだろうか。

 弱くも素晴らしい人の心…。

「…姉さん…」

 呟いたあと、哀しみから顔を上げた順弥に、少年特有の明るさはなかった。

「――行こう」

 少年は公園を出た。

 すれ違う人々が足を止め、思わず振り返り、その恐ろしさ、そのあふれる鬼気に身をふるわせるほど、順弥は凄絶な表情かおをしていた。

 殺してやる――。

 奴等は、俺から大切なものを全て奪い去っていった。

 記憶を、人の心を、そして、愛する姉さんを…。

 許さない。決して許しはしない。

 必ず、一人残らず奴等をみなごろしにしてやる。


 順弥は、自分の脳に埋め込まれた記憶データが教え導く通りに電車を乗りつぎ、バスに乗り、そして数時間後、その街に足を踏み入れた。

 そこが、何処の何という街なのか、順弥にはわからない。興味のないことだからだ。

 少年の目指すのはただ一つ。

 奴等――『ノウド』の教会。

 悪魔の絵と彫像に囲まれ、妖しげな呪文の呟きの中、禁断の密儀に触れ、世界を支配しようとする奴等がいる。

 そいつを、叩き潰してやる。

 だが、決して世界を救うためにではない。

 世界にいつの日か羽ばたくことを夢見、毎日を精一杯生きてきた女がいた。

 輝いていた女性だった。

 奴等『ノウド』を潰すのは、生命と夢を奪われたその女のため。

 やってやる。

 その決意に順弥の眼が輝きを放ったとき、バネが何かを高速で射ち出す音が、連続して少年の耳に届いた。

「――!?」

 驚愕は一瞬。

 そして、想像を絶する激しい痛みが全身に突き刺さった!

 順弥は、通行人の多数いる街の大通りで、全身に二〇本近い鋼鉄の矢を受けて、絶叫していた。

「ぎゃあああああ!?」

 しかもその矢は、普通ただの矢ではなかった。

 それは、先端の尖った細長い筒状のもので、そこから血が噴水のように噴き出し、辺りを血の海に変えていく。

 ともすれば途切れてしまいそうな意識を必死につなぎとめながら、順弥は全身に突き刺さった矢を引き抜こうと手を動かした。

 血で滑って上手く掴めないが、四度目に何とか左腕に刺さった一本を掴むことが出来た。

 力まかせに引っ張る。

 瞬間、文字通り、身のちぎれるような痛みがそこから疾り抜けた!

 どうやら矢の尖端部分に、釣り針のかえしのようなものが取りつけられているらしい。それが肉に喰い込んで激痛を呼ぶのだ。

 だが、だからといって、このまま放っておいたら、出血多量で生命に危険が迫るかも知れない。

 たとえ全体量の九割以上の血を失っても、順弥は死ぬことはない。しかし、それはただ「生きている」に過ぎないのだ。

 だから、順弥はその激痛に耐えながらも、左腕の矢を引き抜きにかかった。

 ミチ…ミチッ!

 肉のちぎれる音がして、順弥は声にならない絶叫を放った。

 そして、矢は引き抜かれた。

 やはり、尖端にかえしが三つもついていて、そこに順弥のちぎれた肉片が血にまみれてこびりついていた。

 そして、順弥は気を失って、おのれの血の海の中に倒れ伏した。


「…な、なんて子なの…。あの矢を、引き抜くなんて…」

 その様子を、物陰に身を潜めて眺めていた津田由紀は、驚愕と感嘆を隠しきれずに、そう呻いた。

「でも――ねぇ、順弥君、これで終わりなの? 私を殺しに来るんじゃなかったの?」

 一人の少年が、突如路上で全身に十数本の矢を受け、血まみれになって昏倒したというのに、誰一人として少年を助けようとする者はなかった。

 それどころか、気絶した順弥を取り囲んで、ニヤニヤと笑っているのである。

「こんな所で死ぬんじゃないわよ、順弥君。あなたには、これからいくつもの地獄が待っているのよ。それら全てを乗り越えて、私の所にいらっしゃい。――私が、必ず殺してあげるから」

 眼前で展開される凄絶な光景に、由紀は身を震わせていた。

 恐怖、狂気、歓喜、悦楽――さまざまな感情がないまぜになって、渦を巻いているのだ。

 そのとき、気絶した順弥を取り囲むように立っていた通行人たちの中から、サラリーマン風の若い男が順弥のそばへ動いた。

 少年の背中に突き刺さった矢に足をかけ、顔に狂気の笑みをこびりつかせて、その矢を順弥の体内へさらにねじ込んでいった。

 凄まじい痛みが全身を疾り抜け、順弥は暗黒の底から強引に引き戻された。

「…きさまら…。貴様等も…『ノウド』なのか…」

 順弥は、血の海に惨めにも這いつくばりながらも、眼だけを動かしてそいつを睨み、そう呻いた。

 呻いて、大量の血を吐いた。

 そいつが、再び足で矢を体内にねじ込んだのだ。

「そうだよ、一〇五号」

 そいつは、嗤いながら言った。

「貴様が生き延びることはわかっていた。そして、この『ノウド』の支配する街に、やがて姿を現すであろうこともな」

 そいつらが、イヤな笑い声を立てた。

 順弥は、その笑いが気に入らなかった。

 カンにさわる、神経を逆撫でする笑いだ。

 止めてやる。

 

 そう思った。それに『ノウド』なら容赦する必要はない。

 順弥は血の海の中に立ち上がり、殺気を込めてそいつらを睨みつけた。

「――死ねよ、お前ら」

 一瞬後、順弥は魔装鎧を着装していた。

 咆哮。

 少年の背後に暗黒の穴が生じ、地獄の業火がそいつらを次々に舐めていく。

 あわてて鎧を召喚する者もいたが、順弥がそいつの脇を走り抜けた瞬間、無数の強烈なかまいたちによって、いくつもの肉片に切り刻まれていった。

 何十人、何百人の人間が、烈風と炎によって生命を落としていく。

 このときまさに、地上に地獄が現出していたのである!

 順弥の意識は、血を流しすぎたせいか、それとも怒りに身を任せたためか、鎧がつかさどる破壊の意志に呑まれつつあった。

 自分が、自分こそが悪魔になった気がした。

 しかし、止まらなかった。

 いや、止められなかったのだ。

 どんなに、人々の叫び声が耳をつんざいても。

 どんなに、人々の血が己が視界をふさごうとも。

 しかしそのとき、順弥の視界の隅に、一つの見知った顔が映った。

 それが、順弥に鎧の制御を取り戻させたと言ってもいい。

 思わず、少年は立ち止まっていた。

 その顔を見たと思った場所に首をめぐらせ、探す。

 いなかった。

「――姉さん!?」

 そう、今順弥が見つめている電柱のそばに、確かに早坂京子が立って、無表情な眼で自分を見つめていたのだ。

「馬鹿な…」

 だが、順弥は吐き捨てるように呻いた。

 どうかしている。

 早坂京子は死んだのだ。殺されて、冷たくなって、いま俺とともに在る。

 眼の錯覚だ。決まっている。

「疲れているんだろう」

 今は、とにかく人目につかない場所に身を隠し、体力の回復を図るのだ。

 再び走り出そうとしたとき、順弥は、無数の群衆が敵意を剥き出しにして、いつの間にか周囲を取り囲んでいることに気づいた。

 しかし、順弥の鎧のパワーに恐れをなしているのか、遠巻きにしているだけで近づこうとはしない。

 順弥が一歩踏み出すと、人々の輪も一歩下がる。

 差は狭まらないが、決して広がることもない。

「どけよ」

 順弥の声が鎧を通して響いたとき、人々はビクンと身体を震え上がらせた。

 凄まじいまでの殺気。

 恐ろしいまでの眼光

 やがて、人々は少年の進みゆく先に路を開け、そして孤高の戦士は疲れきった身体を何処かへと運び去っていった…。

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