僕らのこと 記者倶楽部のおしごと(2/2)
(承前)
そして現在、わたしの隣には会長がいる。まだ、夢の続きを見ているかのよう。
"それ、デートだと思っていいのかな"――会長はそう言ったけれど、実のところ、わたしは今日のことをどう捉えたらいいか判断しかねている。別に会長と付き合ってるわけじゃないし、好きだと言われたわけでもない。まずは友達からお願いします、ってところなのかな。
わたしの格好を見て、学校とちょっと雰囲気が違うね、と会長は微笑みながら言った。
う。やばいかも、と動揺する。気合いを入れて張り切りすぎたかもしれない。幼なじみの男子二人とか、女子同士で休日に会うときなんかは、こんなに頑張ったりしない。今日はお姉ちゃんに服のアドバイスを貰って、マスカラも貸してもらったのだ。
「え、えっと、変ですかね?」
「ああごめん、可愛いねって言いたかったんだ」
「か、かわ……っ」
不意打ちに、ぼっと頬が熱くなる。可愛いなんて、今までの人生で数えるほどしか言われたことがない(※親兄姉からを除く)。わたしなんかより数段可愛い人をたくさん知っているはずの人に、そんな言葉をかけられたら、どうしていいか分からなくなってしまう。
畳みかけるように言葉が連なる。
「服も可愛くて、似合ってるよ。あと、なんか俺とペアルックっぽいよね」
「え……ペア……?」
「うん。二人とも上が白いシャツかブラウスだし、下はデニムだし」
わたしははっとして自分と会長の格好を交互に見やった。本当だ、示し合わせたみたいに揃っている。まずい、だだ被り。
「すみませんっ、今すぐ帰って着替えてきますね!」
「いや、いいよいいよ! 俺、そういうの嫌いじゃないし」
会長に手首を掴まれ、引き留められた。彼に触れられたところだけ、熱を持ったように肌が熱くなる。
うん、わたしはちょっと落ち着いた方がいい。
ふー、と深呼吸してから改めて会長に向き直ると、微笑ましいものを見ている目がそこにはあった。まるで、自分の尻尾を追いかけ回して転げる子犬に向ける視線のような、あたたかく優しい目だ。
そうして会長がわたしへ、何かを受けとる時みたいに、掌を上にして右手を差し出す。
「落ち着いた? それじゃ……はい」
わたしは思わず目を見張り、そこに差しのべられた掌を眺める。何かを促されているようだけど、それが何なのか分からなかった。
何だろう。何を求められているのだろう。
「えっと、わたし、何か会長に借りてましたっけ?」
内心焦りつつ、小首を傾げながら尋ねると、会長は軽くぷっと噴きだした。本当に、心底愉快だという様子で。
そして、両目を細めて、
「いや……手をね、繋ぎたいなあと思って」
わたしはえ! と素っ頓狂な驚きの声を上げ、わたわたと手をからだの前で振り回した。
あまりにも予想外だ。だって、それじゃ、まるで。
「って、手とかだって、デートみたいじゃないですか……っ」
顔が絶対に真っ赤になっている自信があった。
手を繋ぐなんて、会長はいいのだろうか。周りにたくさん人がいるこんなところで、うちの高校の生徒が何人もいたって全くおかしくないここで、わたしなんかに手を差し出して。休日が明けたら、きっと学校で噂が立つに決まってる。わたしは構わないけれど、会長は嫌じゃないのかな。相手が、わたしなんかで。
会長は少しだけ首をひねり、口元は弓形にする。
「俺はそのつもりで来てたんだけどな」
ちょっぴり、いたずらっぽい口調だった。
息が詰まった。どきどきしすぎて、こんなの心臓に悪い。咄嗟に言葉が出てこず、もにょもにょと言いよどんでいると、会長は眉根を軽く寄せて寂しげに微笑んだ。
「もしかして今日のこと、無理に付き合わせたかな。俺が先輩だから、断りにくかった?」
「いえそんな……っ、そもそもわたしが言い出したんだし、そんなことないです……!」
「じゃあ、いい?」
静かな、けれど確たる意志を感じる問い。
――会長、意外と肉食系だったんだ……。
普段とのギャップにどきまぎしながら、わたしは震える喉を押さえつけ、はい、と弱々しく返事をした。まともに彼の顔は見られなかった。これ以上ときめいたら、死んじゃいそうだったから。
会長の右手がそっと伸びてきて、わたしの手をふわりと掬い取った。それがとても大切なものにする仕草に思えて、心臓がきゅう、と切なく痛んだ。
歩きだす前に、ふと会長がそれからさ、と呟く。
無意識に、ずいぶん高い位置にある彼の顔を見上げる。
「いま学校関係ないし、会長って呼ばれるのはちょっと、抵抗あるんだよね」
「あ、それもそうですよね。えーとじゃあ、九条先輩……?」
「いや、
何秒か、絶句する。その提案の破壊力に、もちろんです……、とか細い声で返すのが精いっぱいだった。
わたしの小ぶりな手は、彼の掌にすっぽりと簡単に収まった。バスケをやっているからかもしれないけど、思いのほか厚くて男らしい手だった。彼のそのままの体温が、直接わたしに伝わってくる。
手が汗でべたべたしてたりしませんように、とわたしはそれだけを願った。
* * * *
空は見事な晴天だが、俺の心では嵐が吹き荒れている。
もはや、世界が憎かった。かなり凄惨なしかめっ面をしていたのか、前方から歩いてきた何人かが、ぎょっとして俺に道を譲った。
視界の中には、仲良く手を繋いで歩く未咲と九条の姿がある。完全に、どこからどう見ても立派なカップルだ。
だがそんなことも、幼なじみの浮かれた姿の前ではどうでもよい些事だった。
「軽々しく手とか繋いでんじゃねーよ……気安く名前で呼んでんじゃねーよ……爽やかすぎてムカつく……」
「"それは俺だけの特権だ"って言いたい?」
「は? 別に……俺のはそんなんじゃねえし……手を繋いでるっつーか、無理やり引っ張り回されてるだけだし」
「そうだよねえ、龍介のは牛とか馬が
「例えがひでぇんだよ」
輝はだいぶ失礼なことをさらりと口にする。
二人が歩いていく先は、複合ビルが何棟も並ぶ、市内一栄えていると言っていい一帯だ。ビルにはシネコンも入っているから、そこに向かうのに違いない。
とりあえず、男二人が連れだって来るような場所ではないので、俺たち男二人組はなんとなく浮いている。周りはカップルか、夫婦(と子供)か、女子同士のグループがほとんどだ。
「俺ら、ちょっと目立ってるよな。もし見つかったらなんて言おう」
ぼそぼそした俺の呟きにも、輝は
「そうだねえ、昨日龍介の誕生日だったから、僕がプレゼントを選びにきたとでも言えばいいんじゃない」
「なんで男が男にプレゼントなんか選ぶんだよ。彼氏か」
「なら腕でも組む? 雰囲気出るように」
「ふざけんな」
ぴしゃりとはねつけると、輝はジョークだよジョーク、と言いつつ肩をすくめた。
確かにそうすれば雰囲気は出るかもしれないが、あらぬ誤解を受けるのはまっぴらだ。もしそんな場面を未咲に見られたら、と思うとぞっとしない。あいつのことだから、"わたしは、恋愛って自由だと思うし!"とか平気で言ってきそうだ。そうなれば、俺はもう立ち直れない。
「そういや、あいつらが映画観てるあいだどうすんだ? 暇だろ」
「うん、暇だから映画観よう。同じやつ」
「マジで?」
「マジで」
輝の返答は軽やかだったが、俺の気持ちは石を投げこまれたように重くなった。何が悲しくて、休日に男二人で映画を観なくてはいけないのか。
案の定、先行する二人が行き着いた場所はシネコンだった。未咲と九条が、照明を絞ったシネコンのチケット売り場へと吸い込まれていく。
しばし間をおき、タイミングを見計らって俺たちも続いた。スクリーンは既に開場していて、二人の姿はチケット売り場からは消えている。
輝が俺を振り返り見る。
「龍介、映画始まる前にトイレ行っておく?」
「あー、そうするわ」
「じゃあ行ってらっしゃい」
輝の提案に従い、用を済ませて戻ってくると、にこやかな笑みをたたえながら、チケットと二対のドリンク、ポップコーンをトレイに乗せた彼が待っていた。
「はい、チケット買っておいたよ。ドリンクは同じやつ、ポップコーンはキャラメルとチーズとどっちがいい?」
「……チーズ」
「だよね。はい」
「お前……彼氏力高ぇな……」
「そう?」
紙のカップを受け取りながら、半ば呆れて言う。対する輝の顔はまんざらでもなさそうだった。その顔やめろ。
俺と輝はシアターへと足を向ける。そういえば、尾行するのにここが一番の難関なのではないか。もし二人に見つかったら言い逃れもできまい。偶然に来たにしてはできすぎだ。俺たちが仮にカップルだったとしても。はあ。言ってて寒い。
「なんか、中に入るときに見つかりそうじゃね? 大丈夫なのかよ」
「一人ずつ別れよう。目の前の人の後ろに着いていって。なるべく目立たないように」
「不安だな……」
「堂々としてて。人間の意識は動く最初のものに集中する傾向があるから。大丈夫、けっこうばれないよ」
まるで何回も経験があるかのように輝が言うので、俺はうへえとげんなりしてみせた。
輝の言葉通り、俺たちは発見されることもないまま、無事に席にたどり着いた。やがて場内の照度がじわっと下がり、騒々しい効果音に彩られためまぐるしい宣伝映像のあと、映画本編が始まる。それからニ時間は特にすることもないので、スクリーンを見つめ続け、時おりドリンクを含み、ポップコーンを咀嚼した。
映画は面白かった。感動さえした。長大なエンドロールをぼんやり眺めながら、この気持ちのまま帰れたらいいのに、と思った。
* * * *
映画は面白かった。心の底から感動もした。割と涙腺が緩いタイプであるわたしは、途中からえぐえぐと泣きじゃくっていた。あいにく拭うものを持ち合わせていなかったけれど、会長が隣からそっとハンカチを手渡してくれ、事なきを得た。
映画館から出ると、きゅうう、とわたしのおなかが鳴る。もう、会長といる時くらい自重してよ、わたしのおなか。
会長が軽やかに笑い、左腕をかざしてそこにある時計を見る。
「ちょうどお昼時だね。何か一緒に食べようか」
「あ、わたし、何も考えてなくて――」
「いや、大丈夫だよ。未咲さんは、ご飯ものかそれ以外だったらどっちがいい?」
「えーと、ご飯もの以外、ですかね」
「それじゃあ、イタリアンはどうかな。この近くにイル・ソーレってお店とか、駅前のビバーチェってお店があるんだけど」
「イタリアン! いいですね」
「俺はビバーチェの方が色々選べるからいいかなと思ってるんだけど、未咲さんおなかぺこぺこ? ちょっと歩ける?」
「歩けます! 鍛えてるんで」
小さくガッツポーズをしながら首を縦に振る。ちょっとずれた返答になった気がするけど、会長がふふっと微笑んでくれたので結果オーライだ。
ビバーチェは初めて入るお店だった。こじゃれた雰囲気で、あまり馴染みがない空気が漂っていた。夜になったら、お酒とおつまみ的な料理が出てくるお店なんだろう。カップルが来そう、という感想を抱いたとき、そうだ、わたしたちも正真正銘のカップルなんだ、と思い至って、一人で勝手に赤面した。
慣れない場にいるせいで、動きがぎこちなくなり、メニューを決めるのにも時間がかかってしまう。普段、龍介を付き合わせてラーメンや丼ものばかり食べているツケだ。それでも会長は、嫌な顔ひとつせず待ってくれた。なんて紳士。なんて心の広さ。
運ばれてきたスープパスタの器を見て、反射的に少なっ、と声に出してしまいそうになったが、そこは我慢、がまん。何せ憧れの会長の前なのだ。スプーンの上で頑張ってフォークをくるくる回し、一口をいつもの三分の一くらいに抑えて口に運ぶ。龍介や輝が相手ならもりもりむしゃむしゃと食べるところだが、どうしてもおしとやかにしないと、という意識がはたらく。
会長が手慣れた様子でピザを切り分けながら、口を開いた。
「この前未咲さんから貰ったペンケース、毎日使ってるよ。すごく便利で、気に入ってる」
はたと目の前の整った顔を見る。
ペンケースというのは、前にわたしが会長にプレゼントした、ファスナーを開けると自立させることができるという一品だ。
嬉しかった。使っているのみならず、気に入ってくれているなんて。
「本当ですか? 嬉しいです! あれ実は、幼なじみの奴と選んだんですよー」
あ、しまった。つい、言わなくていい事実まで伝えてしまった。
会長の手の動きがふ、と止まる。目が少しだけ細められ、笑みが若干減ったように見えた。
「幼なじみって、もしかすると茅ヶ崎くんかな」
「あれ、龍介のこと知って――」
「うん。前、新聞部の取材を受けたから。……未咲さんは、茅ヶ崎くんと仲がいいんだね」
会長はなぜか、遠いものに向ける目でわたしを見ていた。
フォークを一旦テーブルに戻し、体の前で掌を左右に振る。
「いやいや! 全然仲良くなんてないですよ。家が近くて、昔からよくつるんでただけですし。会ったら喧嘩ばっかりしてますし」
「そっか……」
会長は一応頷いて笑みを浮かべるが、それはどこか取り繕った笑顔にも見えた。
たまに勘違いされるが、わたしと龍介は彼氏彼女の関係なんかじゃ全くない。わたしたちのあいだには、本当に何の特別な感情もないのだ。
あの日、あいつが関係をこじらせてしまったせいで。
その日のことを、わたしははっきり覚えている。あれは中学一年の夏祭りの夜だった。
龍介が人混みの中で気分が悪そうにしていた。わたしは彼を休憩場所に連れ出し、二人して休んでいたところ、急にあいつが"龍介くんって呼ばないで"と言い放って、駆け足で帰ってしまったのだ。何に腹を立てたのだか、未だに見当がついていない。わたしはびっくりし、龍介を怒らせてしまったと思い、訳が分からず大泣きしながら家に帰った。お姉ちゃんとお兄ちゃんが、泣きじゃくるわたしを見て目を丸くしていた。
お姉ちゃんは、"大丈夫、龍くんは優しいから許してくれるよ"と言ってなだめてくれた。
次の日、そろそろと龍介の家に謝りに行ったら、のっそり出てきた龍介は居心地が悪そうな顔をしていた。"悪いのは俺なんだ、悪かった"と逆に謝られたけれど、一度も目を合わせてくれなかったし、一人称が"僕"から"俺"に急に変わっていて驚いた。
それからというもの、龍介はわたしに対して突き放すような態度を取るようになった。はじめは困惑するばかりだったわたしも、だんだん彼の理由不明な言動にちょっとした憤りを抱くようになり、そっちがそうならわたしも、と龍介に刺々しく当たるようになって今に至る。魚心あれば水心ありというやつである。違うか。売り言葉に買い言葉というやつである。それも違うか。
そんなことがあっても、わたしがあいつの近くにいて何やかや世話を焼いているのは、ひとえにわたしのお情けというものだ。わたしってば、なんて優しいの。
「あいつは、わたしがいないと駄目なんです」
ちょっと胸を反らしながら言うと、会長がいいなあ……と小さく呟く。
「え?」
「いや、独り言だよ」
誤魔化すように破顔するその表情には、わずかながら寂しさが滲んでいた。
* * * *
二人が店内に消えていくのを見送って、俺はひそかに安堵した。というのも、これで彼らの会話を聞き続けなくて済むからだ。未咲と九条の仲良さげなやりとりを耳に入れているのは、精神的にかなり辛いものがあった。感情への負荷が大きすぎる。
ふーっと詰めていた息を吐き出す。いくら読唇術が使える輝といえども、姿が見えなければ会話も追えまい。
と高をくくっていたのだが、輝はこれ見よがしに鞄からイヤホンを取り出すと、いそいそと耳に装着してみせた。
「何してんだよ」
「二人の会話を聴いてるんだよ」
「はあ? どうやって」
「昨日の夜、未咲の家に行ってさ、集音機を渡してきたんだよ。恋愛成就の御守りの中に仕込んでね。しっかり鞄に入れて持ってきてくれたみたい。はっきり聴こえるよ」
「嘘だろ……」
軽くウィンクまで飛ばす輝とは対照的に、俺は眉間を押さえた。盗聴までお手のものとは。こいつ犯罪者予備軍なんじゃないか。どこまで鬼畜なんだよ。
しかも、これはイヤホンをシェアして着けろという流れなのではないのか。周りでは普通に人が行き交っているというのに。拷問以外の何物でもない。
「俺は聴かないからな」
先手を打って拒否すると、意外にも輝はそうだね、と素直に聞き入れた。
「龍介は聴かない方がいいかもねぇ」
「どういう意味だよそれ……」
輝の口元に意味深な微笑みが浮く。夏の真昼間だというのに、背筋に冷たいものが走った。
* * * *
店から一歩出ると、熱気に全身を包まれる。それでも、太陽は南を過ぎ、西へ傾きはじめている。色々話をしながら食べていたから、時刻はもうニ時に迫っていた。
パスタは魚介の旨味が濃厚で美味しかったし、会長から一切れ貰ったピザもバジルが新鮮で美味しかった。さすが、会長の見立ては間違いない。
映画を観るという目的は達したので、今日のデートはこれで終わりだろうか。名残惜しい気持ちとともに、横目で彼を見やる。まだ、会長と一緒にいたい。
わたしのそんな思いを察したのか、彼は再びわたしの手を取り、きゅっと握ってきた。
「俺、まだ未咲さんといたいんだけど、いいかな」
言葉は形がないのに、会長のそれは、わたしの心臓をしっかりと掴んでくる。
火照った顔を悟られないように、爪先を見ながらこくこくと頷き返した。
「はい、あの、わたしも悟さんといたいです……」
「ほんと? 嬉しいな。じゃあ、一緒に服でも見ようか。未咲さんがどんな服好きなのか知りたいし」
「えっ……」
なんという直球。わたしのストライクゾーン、そのど真ん中のストレート。
会長はいたずらっ子みたいな目をして、わたしの顔を覗きこんでいた。
もう、この人は、わたしをどれだけどきどきさせたら気が済むのだろうか。
「駄目かな?」
「ぜ、全然、駄目じゃないです、わたしも悟さんの好きな服知りたいですしっ」
「よし、それじゃ行こうか」
好きな人に手を引かれて歩く。このシチュエーションで舞い上がらない方がおかしい。自分がかわいい女の子になった気分だった。
たくさんテナントが入った複合ビルで、会長に服を見繕ってもらう。彼が"これ、似合うんじゃない?"と示す服は、ふわふわした感じの、いつもわたしが選ばない印象のものだった。わたしって、会長からはこういうイメージで見られているんだろうか。ちょっと意外。
「あれ、九条じゃん」
唐突に、二人きりの楽しいひとときが破られる。
会長は振り向いて、ああ、と応えるが、わたしは声をかけてきた人に見覚えがなかった。
もしかすると会長よりも背が高い、高校生であろう男子。細く剃った眉に、親の仇かというほどにつんつん逆立てた髪。爬虫類を思わせる鋭いまなざしが、無遠慮にわたしを射抜いていた。
その爬虫類男子の腕に、女の人がしなだれかかっている。豊かな巻き毛で、ついでに胸の谷間も豊かだ。スタイルの良さを誇示するような、布面積の小さい服を恥ずかしげもなく着こなしている。化粧が濃いから年上にも見えるけど、わたしと同い年くらいかもしれない。
ジン、と会長が爬虫類男に呼びかける。
「偶然だな。お前も来てたのか」
「おう。九条もデートか? やっと彼女つくる気になったのか」
「つくる、って言い方は好きじゃないんだけど……」
会長が苦笑いする。じろじろと舐めまわすような視線から逃れようと、わたしは半ば会長の影に隠れていた。どうも相手は苦手な部類の人達だ。
引っ込むわたしとは反対に、胸元
「えー、あたしそっちの彼の方がタイプなんだけど。ねえそこの隣のコ、交換しない?」
な、なんてことを言うのだ。確かに会長は完全無欠の爽やかイケメンだし、元気だけが取り柄のわたしは全然釣り合わないかもだけど、あなたみたいな派手な美女の方がお似合いなのかもしれないけど、絶対に交換なんか応じてやらない。
言い返そうとすると、す、と会長がわたしを庇うように腕を伸ばした。
毅然とした面持ちで、顎をぐいっと持ち上げる。
「悪いけど、彼女は俺が無理を言って付き合ってもらってるんだ。遠慮してくれないかな」
「悟さん、無理なんてそんな」
「いいから」
きっぱりした声音。眼の光も強い。
守ってもらってる、と分かって、またしても心臓が早鐘を打ち始めた。
つまんなあい、と不平を垂れる女の人の腕に、ジンと呼ばれた男子が自分の腕を絡ませる。
「そーそ、今日は俺で我慢しろよ。ほら、行こうぜ」
「ま、いいけどさー」
「じゃーな九条、邪魔して悪かった」
にやりという笑いを残して、二人は風みたいにさっさと人混みに紛れていく。
わたしはしばらく何も言えず、彼らが消えていった先をぼんやりと眺めていた。爬虫類男の、わたしを値踏みするような眼光が、目に焼きついたままだった。
「えっと、今の人って」
「ごめんね、びっくりしたよね。あいつ、男バスの主将だよ。
「……そんな人と、仲いいんですか」
「んーまあ、同じ部活だし、見た目ほど悪い奴じゃないんだよ。信じられないかもしれないけど」
うん、信じられない。あれは絶対に見下した顔だった。なんでこんな平凡すぎる女が、会長の隣にいるのかって。
考えてたら腹が立ってきたけど、やめよう、きりがないんだし、と開き直る。誰がわたしをちんちくりんだと思おうが、それが何だっていうのだ。会長がわたしの隣でいいと言ってくれるなら、それでいいじゃないか。
気を取り直して、ふんっと気合いを入れる。我ながら可愛いげがない所作だったけど、会長は優しげな瞳でわたしを見つめていた。
その後、見繕った服を買ってくれるという会長の申し出に、ものすごい勢いで辞退することになったのだが、一度決めたら意外に曲がらない会長に根負けして、わたしが折れるのが先だった。
太陽が西に傾いて、空を赤く染めている。
まだ暑いけれど、そんなのが気にならないくらい、幸せな気分だった。こんな満ち足りた気持ちになるのはいつぶりか、ちょっと分からないほど。
駅までの距離がもったいないなくて、わざとゆっくり歩く。会長が、疲れた?、と気遣わしげに尋ねてくれる。少し、と答えると、ちょっと休んでいこうか、とちょうどよく現れた公園の入り口へと導かれた。
公園の遊具も、砂場も、噴水も、木の葉も、ベンチも、会長だって、茜色に染まっている。
ジージーという油蝉の鳴き声に、もう
買ってもらった洋服の袋を膝の上に乗せ、憧れの人とベンチに腰かける。そうだ、まだお礼を伝えてないんだった。
「あのっ、今日はありがとうございました。ほんとに楽しかったです。あと服も買ってもらっちゃって……なんだかすみません」
「そんな、いいのに。たくさん着てくれたら嬉しいな」
「はい、いっぱい着ます!」
「それ着た未咲さんと、またどこか行きたいな」
「え……」
驚いて、思わず目を見張る。会長はすべてを包むような笑顔を浮かべていた。見間違いでなければ、それは愛おしいものを見る表情だった。
きゅ、と両拳を握る。次が、あるってことだろうか。期待してもいいのだろうか。でも、その前に。
まだ言ってもらえてない言葉がある。
会長は、わたしをどう思っているのだろうか。
「あの……今日ずっと訊きたかったんですけど」
手に汗が滲む。体が震えそうになる。でも、これを訊かなきゃ帰れない。意を決する。
「なに?」
「えと、悟さん、は……あのですね……」
「うん」
「あの、わたしのこと……す、好きなんですか……?」
ああ。言ってしまった。
言葉にしたのは自分なのに、思わずぎゅっと目を瞑っていた。全身が心臓になったみたいに、血流の音だけが大きく耳に響く。
会長が、体の正面をわたしに向ける気配がした。すっ、と吸う息の音が聞こえる。そして。
「好きだよ」
目を開ける。彼のどこまでも真剣な顔を見る。今日のこれまでのどきどきがまるで助走にすぎなかったように、心臓が壊れそうなほど脈打っていた。
会長の視線はまっすぐで、ひりひりと痛いくらいで、こんなに熱量を持った瞳をわたしは見たことがなかった。熱のこもった視線に射抜かれて、身動きができない。
「未咲さん」
彼の手が、厚くて熱い手が、わたしの頬と肩に触れる。そっと、彼の方へと引き寄せられる。
会長の顔が傾ぐ。
あ、もしかして、もしかしなくても、これって。
* * * *
どうしたらいいのか分からない。本当に今日、来なければよかった。これを絶望というのか。
ビルから出てきた二人はそのまま帰るのかと思ったら、ドラマに出てきそうな夕陽に染まる公園で、ベンチに座って何事か話しはじめた。どこからどう見ても、ひねくれた俺の頭でいくら穿った見方をしようとしても、いい雰囲気としか形容できなかった。
そしてあろうことか、九条は未咲の頬に手を添え、顔を寄せたのだ。
あらー、と輝は能天気に驚く。俺は危うく叫び出しそうになった。
公園だぞ! 外だぞ!? 俺たちが見てるんだぞ!
未咲は硬直したように、されるがままになっている。
無理だ。こんな場面、見届けられるわけがない。
俺は失意のうちに、ふいっと目を逸らした。
* * * *
ぼんやりしたまま、家のドアを開ける。
ただいまも言わずに玄関を行き過ぎたら、みーちゃんデートどうだったのー?、とお姉ちゃんに尋ねられたけれど、うん、と曖昧な返答をぽいと投げ、二階の自室にそのまま向かう。
この日のためにようく吟味して選んだ格好のまま、ベッドにどさっと横たわる。いつも変わらぬ優しい柔らかさが、ダイブした体全体を受け止めてくれる。
ついさっき。
会長からのキス。まだ頬に、手の熱さが残っているよう。
そう、まだついさっきなのだ。
わたしが避けてしまったのは。
「ごめんなさいっ」
体をひねって、腕で壁を作るようにする。恐る恐る会長の様子をうかがうと、彼はきょとんとしていた。真ん丸な両目。少し開いた口。何も言わなくても、予想外だ、と感じているのが分かる。彼の戸惑いがひしひしと伝わってくる。
わたしは泣きたくなってしまった。
「あ……すみません、わたし……」
「いや――俺の方こそごめん。急だったね」
「いえ、そんな……」
「えっと……」
「…………」
居心地の悪い沈黙。
幸せな気分が一転して、すごく気まずい雰囲気になってしまった。全部、わたしのせいだ。そのあと駅まで送ってもらうあいだ、まともな会話はできなかった。会長の声色は優しかったけど、その気遣いがむしろ、わたしの胸にちくちく刺さった。
なぜあのとき、避けてしまったのか。
怖い、という感情が、心の奥から湧きあがってきたのだ。それは理性ではなんともならない、本能的な感情だった。こちらのテリトリーに深く踏み込まれるのが、どうしてだか恐ろしかったのだ。
会長と楽しくお喋りしたり、一緒に同じものを観たり、食べたり、選んだりするのはとても楽しい。それらの行為は、わたしをあたたかい幸福に包んでくれる。けれど、会長に抱き寄せられたり、キスしたり、それ以上のことをするのは、それは――。
それは、なんだか、違う。
「なんで……? 悟さんのこと、ちゃんと好きなのに……」
ひとりでに涙が出てくる。
――会長に、女として見られるのが、気持ちわる、かった。
どうして、違う、嫌、と思ってしまうんだろう。嫌だなんて思いたくない。そう思えば思うほど、負の感情が膨れ上がってくるようで、恐怖に絡め取られそうになる。
自分で自分が分からない。わたしを想ってくれる会長に、心底申し訳なかった。間抜けな顔のウサギの抱き枕をぎゅっと抱きしめ、ふかふかの体に顔を埋めて、込み上がってくる嗚咽を殺した。
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