免許合宿紀行 12日目 「臨床真理」

2時限目(9時20分~10時10分)

学科教習第2段階6

項目5 適性検査結果に基づく行動分析


「適性検査結果に基づく行動分析」では、運転と性格、運転適性検査と結果の活用についての教習が行われた。


つまりは、合宿2日目に行われた"OD式安全性テスト"の受診結果に基づいて、 自身がどのような運転をする傾向にあるかを直視し、それをもって運転を改善させるといった趣旨の教習だった。


  A B C D E

5 ○ ○  ○  ×  × 

4 ○  ○  ○  ×  × 

3 ○  ○  ○  ×  × 

2 ▲ ▲ ▲ ■  ■ 

1 ▲ ▲ ▲ ■  ■ 

○ 安全運転タイプ

× 重大事故傾向タイプ

▲ 貰い事故傾向タイプ

■ 事故違反多発傾向タイプ


"OD式安全性テスト"では、AからEまでの5段階で評価される安全運転度、5から1までの5段階で評価される運転適性度、 この2つの基準の組み合わせに準じて、4分類25通りの評価が受診者に下される。


「A-5」から「C-3」の範囲が、心身ともに運転に適性のある"安全運転タイプ"、

「A-2」から「C-1」の範囲が、安全運転への意識は高いが、運転技術が低い"貰い事故傾向タイプ"、

「D-5」から「E-3」の範囲が、運転技術は高いが、安全運転への意識が低い"重大事故傾向タイプ"、

「D-2」から「E-1」の範囲が、安全運転への意識も、運転技術も低い"事故違反多発傾向タイプ"。


分類は、上記の通りであるが、 ただし、「C-5」から「C-3」、「A-3」から「C-3」の範囲は、隣接する分類の傾向を併せ持っている可能性があるとのことだ。


「A-5」が最も高い評価であり、"安全運転タイプ"に分類される。

「E-1」が最も低い評価であり、"事故違反多発傾向タイプ"に分類される。

「C-3」は高くもないが低くもない評価であり、"安全運転タイプ"に分類されるが、 隣接する"貰い事故傾向タイプ"、"重大事故傾向タイプ"の運転傾向を併せ持っている可能性がある。


私に下された評価は、「C-3」であった。

同じ問題を2度解くというミスをしたことが悔やまれたが、そういったミスをしてしまう人間であるということが織り込まれた上で、 この評価が下されたと考え受け入れることにした。


運動機能7項、健康度・成熟度3項、性格特性5項、運転マナー1項、上記16項に分けて、詳細な診断が記述されており、 悪い結果が出ていたのは、"運動機能(運動のための心の働き)"における、"注意力"と"動作の安定性"であり、 どちらも、5段階評価でD判定であった。


まわりのわずかな変化にも気がつき、細かいことにも気がくばれるかが、この検査でいうところの"注意力"であり、 仕事のやり方にムラがなく、調子のよいときと、悪いときの差が少ないのが、この検査でいうところの"動作の安定性"だそうである。


前者は几帳面であることを自負する自身としては、やや意外であったが、 後者に関しては、考え至るところもあったので、あらためて、自覚しておくことにした。


総合診断には、心配症で動揺しやすく、動作や速さにムラがあるといったことが、書かれていた。


知ったようなことをと、ちょっとむかっとしたが、つまり、そういうところに気をつけろということなのだろう。

教官に何かを言われると、動揺して運転に出るという事実を踏まえれば、成程、かなり的を射ている。


まずはそういった判定が出たことを事実として受け入れ、 受け入れた上で、肯定するか否定するか、冷静に分析する。


肯定するのであれば、正そうと意識し、 否定するのであれば、行動を以って違っていることを示す。


現代社会においては、学業の成績が評価されることはよくあるが、人としての性質を評価されることは、中々ないことである。


ただ、下らないと破り捨ててしまうのは、勿体ない。

折角である。

ただ運転のためではなく、人として成長するための材料の一つとして、参考にさせてもうことにした。



3時限目(10時20分~11時10分)

【10時限目】【AT】【複数人】

技能教習第2段階項目4 進路変更

技能教習第2段階項目15 特別項目


複数人教習は楽。

そういう意識があったおかげで、教習前もそれほど緊張することはなかった。

やはり、苦手意識を持たないことが、何よりも重要なことであるようだ。


山道の走行を経験すること、AT車とMT車のエンジンブレーキの効きの違いを体感すること、 これらが、この教習の課題であった。


順番はどこでもいいと言ったところ、またしても、最初に運転をすることになった。

願ってもないことであるが、どうにも、後ろ暗い気持ちにもなる。


何故なら、都合のいいことしかないからだ。

幾度となく走っている教習所周辺の道を運転することになるため、失敗が少ない。

また、教習所周辺の道は、卒業検定のコースともなるので、練習になる。

緊張を強いられる時間は少なくなり、他人の運転に酔ってしまった時の心配もなくなる。


とはいえ、他人の心配ができるほど余裕があるわけでもない。

ありがたく、運転をさせてもらった。


教官の指示に従って、憶えのある道を走り、そして、憶えのない道を走る。

AT車には、やはり、違和感を覚えた。

ギアが自動で切り換わるため、一定の速度を維持することがMT車より難しい。

一方で、シフト操作がないため、前方には集中できた。

そういう意味では、安全な車なのだろう。


風景は緑色に変わり始め、それから間もなく、道路は傾斜を始めた。

山道を走らせていく。

勾配がそれほどきつくなかったからか、アクセルが重くなったとは、あまり感じなかった。

登りから、下りへと入り、エンジンブレーキを使うように、教官に指示される。

シフトレバーをDからD3、D3からD2へと順に切り換える。

D3では、あまりエンジンブレーキの効力を体感できなかったが、D2では、エンジンブレーキの効力をしっかりと体感できた。

だが、あまりに効き過ぎていると感じたので、すぐにD3へと戻した。

D1に入れたら、どうなるか試しておくべきだったと後に省みるのだが、その時はそこまで頭は回らなかった。


視界は良好で、道幅も広い。

走りやすい道だったこともあって、特に何も起きず、何も起こさず、山道を下ることができた。


下りきると、教習車を路肩に停めるように指示されたので、それなりに寄せて、ハザードを出した。

そこで、教習は終わった。

あとは、祈りながら、座っているだけである。


自動車学校へと戻り、一緒に教習を受けた2人と一言二言、言葉を交わし、そして、別れた。


2人とは、シミュレーターや複数人教習で、何度か一緒になっていた。

学科教習の時に、隣りに座ったり、食事をしたり、空き時間に談笑したり、 そんなことをするほど仲が良いわけではないが、 それでも、教習で一緒になった時は、一言二言、言葉を交わすように心がけていた。


そうしておけば、次の教習で一緒になった時も、微妙な空気にならない。

小さなことだが、大切なことだ。


3時限目(11時20分~12時10分)

学科教習第2段階7

項目6 人間の能力と運転


「人間の能力と運転」では、運転の要素である認知、判断、操作と、それに影響をおよぼす要因についての教習が行われた。


運転とは、認知、判断、操作の繰り返しであること、人間の能力には限界があること、 飲酒、疲労、緊張、憂鬱などの要因によって、人間の能力は減じるとこと、これらがこの教習の要点であった。


如何にして、事故を起こさないように運転をするか、知っておくべきこと、心がけるべきことを教えられた。


自動車が危険な道具であるのは、不完全な人間が操るものだからである。

運転者は、まず自身が不完全な存在であることを強く自覚すべきである。

あらためて、そう考えさせられた。


午前の教習が全て終わり、昼休みに入ったが、ホテルに戻ることはしなかった。

もしかしたら、他にホテルに戻る教習生がいたかもしれないが、昨日、今日だけはとお願いした以上、それを尋ねること自体、気が引けた。


とりあえず、食堂で昼食を食べた。

食べたのは、きのこ牛丼。

しめじの食感と煮こまれた牛肉の味わいが絶妙で、中々に美味しかった。

牛丼チェーンの商品開発担当者がいるなら、是非商品化の検討を勧めたい。


昼頃の待合室は、椅子取り合戦の様相を呈する。

人が多すぎて、誰かに話しかけるという状況ではない。


隣いいかな、などと話しかけて、一緒に食事を食べながら、知り合いになるというのは、伝統的であり、効果的な手法であるが、 それを実行するには、都合よく席が空いていなければならない。

そして、都合よくは、いかないものである。


そんなわけで、適当に食事を終わらせると、全てを忘れて、逃亡することにした。

受付で自転車の鍵を借り、駐輪場ありへと向かう。 自動車学校の裏手にある小山へと行くことにした。

小山の上には公園があり、そこで静かに昼寝をしようという考えであった。


自動車学校を出て、間もなく、坂道に入った。

勾配は、それほどでもなかったが、自動車学校で貸し出している自転車は、 普通のシティサイクルであり、それ相応に重く、軽やかに坂道を駆けて行くことはできなかった。

坂を登っていると、自転車の性能に助けられていたことを、強く実感させられる。


小山の上にある公園には、人の気配は全くなかった。

辺鄙な場所である。

奇妙なことではない。


公園には、慰霊塔が立てられていた。

戦争で亡くなった兵士たちの霊を慰めるためのものらしい。

慰霊塔には、水が入ったペットボトルが供えられていた。

まだ新しい。

近隣で暮らす方が、定期的に供えに来ているのだろう。

手を合わせてから、近くのベンチで休むことにした。


空は青く、風は快い。

横になり、瞳を瞑り、心を鎮めた。


7時限目(14時20分~15時10分)

【11時限目】南

技能教習第2段階項目8 道路及び交通の状況に合わせた運転


技能教習前の緊張を紛らわせるために講じられたのは、スマートフォンで動画を観て気を紛らせるとい方法だった。

最初は、音楽を聞こうとしたのだが、音だけではなく、映像があったほうが、より効果が期待できると考えたため、動画となった。


動画を観ると言っても、テレビ番組、映画、アニメを鑑賞するわけではない。

観るのは、MADと称される動画だ。


MADを一言で説明するなら、映画作品のコマーシャルのようなものである。

ただし、あくまで、ようなものであり、コマーシャルではない。


コマーシャル映像の制作における規制を無視し、映像の時間、ネタバレを顧みず、 作品で描かれる印象的なシーン、衝撃的なシーン、感動的なシーン、芸術的なシーン、それらを遠慮なく切り抜き、 音楽に合わせて繋ぎ合わせたものがMADである。


コマーシャルは、作品を観たことがない人に向けてつくるものだが、 MADは、多くの場合、作品を観たことがあるファンに向けてつくられている。


作品を観てみたいと感じさせるためのものではなく、 観たことのある作品の名シーンを集めたダイジェストとして楽しむために、つくられているものが多いというのが印象である。


MADについては、否定も肯定もしないではなく、否定も肯定もする。

ただ、著作権についての問題など、長くなるので、詳しくは書かない。


何れにせよ、MADを観ることでもたらされる一つの効果は、認めている。

その効果とは、心を奮い立たせる効果である。


一時期、自転車のプロを志し、室内練習をしていた時にもよく、MADを利用していた。

90秒間のスプリントをする時に、MADを再生し、その苦しみを麻痺させていた。


そんな効果があるのか、疑問に感じられる方もいるだろう。

例えば、新作のSFアクション映画のコマーシャルを映画館で観た時のことを、そして、その時、何を考えていたかを思い返してしてみて欲しい。


何も考えられず、ただ胸の鼓動を強めながら、映像を追っていた。

そういう人が多いのではないだろうか?


魅せる映像作品には、時間を忘れさせる力がある。

心を奮い立たせる力がある。


"サブリミナル"など、現実に規制されている映像表現もある。

視覚と聴覚からもたらされる情報には、それだけの力がある。


信じろとは言わない。

信じるも信じないも貴方の自由だ。

ただ、私はそう考えている。


さて、映画、アニメ、ゲームなど、MADはジャンルを問わずつくられているが、この時、観たのはアニメのMADであった。


現在の状況を想定し、MADを探してみたところ、 ロボットの操縦が苦手だった主人公が、ふとしたことをきっかけに操縦のコツを掴み、 最終的には、人類を救うために宇宙で戦うことになるといったアニメのMADと巡り合うことができた。


ちなみに、このアニメを制作したのは、最終人型決戦兵器が使徒と称される謎の存在と戦うといったアニメを制作したことで 知られるスタジオである。


ちなみに、私は『新世紀エヴァンゲリオン』は、地上波の初回放送から観ていたが、あまり好きではない。


人類を救うために戦うロボットの操縦と、8千万人以上が免許を所有する自動車の運転、

スケールはまるで違うが、そういったことはひとまず忘れることにした。


他にも、ドリルを武器に生き抜くために戦う者達の姿を描いたロボットアニメのMAD、ボクシングアニメの世界王者戦のMADなどを、 繰り返し再生した。


ちなみに、群馬県の峠でドリフトを繰り返すアニメのMADもあったが、全く観る気は起きなかった。

嫌いな作品というわけではないが、観てはならない気がした。


MADの効果は抜群だった。

怯え竦んでいた心は闘志に充たされていた。

緊張などない。

ただ感動に震えていた。


さて、結果、教習がどうなったかについてだが、上手くはいかなかった。


AT車を乗ったことで感覚が狂っていたからか、教官が不機嫌そうにしていたからか、或いは、両方かは解らないが、

なめらかに運転することができなかった。


教習前の緊張を忘れさせる効果はあっても、運転を上手くする効果はない。

言うまでもないことだが、そういうことだ。


8時限目(15時20分~16時10分)

学科教習第2段階8

項目7 車に働く自然の力と運転


「車に働く自然の力と運転」では、慣性の法則と摩擦抵抗、車の停止距離、タイヤロックとアンチロックブレーキシステム、 荷物の積み方、カーブと坂道の運転、二輪車の特性、衝突時の速度と衝撃力、交通公害についての教習が行われた。


大教室で受講した最後の学科教習であったが、特に印象に残っていることはない。

教習は静かに続けられ、そして、何事もなく終わった。


ここで学科教習全体の総評を述べておきたい。


学科教習を受講してきた中で解ったことは、自動車と言う道具をあまりに知らな過ぎるということだった。


知らなければ道具を正しく使うことなどできはしない。

学科教習は、ただ学科試験に合格するために受講するものではなく、 安全に運転をするために必要不可欠なものである。

事あるごとに、繰り返してきたのは、事あるごとに、そう意識させられきたからである。


教習の方法について、言うべきことはない。

ただ、その先進性に感心させられた。

デジタルデータ化した教本をスクリーンに写し、要点を指し示しながら解説を行っていくという手法は、 効率的で解りやすいものだった。


折々に再生されるビデオの映像は、やや時代を感じさせるものであったが、 伝えられるメッセージは、色褪せたものではなかった。

自動車、運転、そして、人間、何れにしても、ここ10年では、未だ革新的な変化を遂げてはいないということなのだろう。


学科教習を担当した教官に、不快感を感じさせるような人物はいなかった。

小学校、中学校、高等学校、大学校、何れにおいても、攻撃的な教員と少なからず出会ってきたが、 この自動車学校には、そのような人物はいなかった。


一方で、熱さを感じさせるな教官、車が好きだということを感じさせる教官などがいて 彼らの教習からは、伝えようという気持ちが強く感じられた。


学科教習を受け持っている教官は、技能教習においても教えることが上手いという印象を受けた。

学科教習も、技能教習も、共に人に伝える能力が求められる。

そう考えれば、それは自然なことなのかもしれない。


教官の実体験に即して語られる経験談は、興味深く、強く記憶に残っている。

教本に書いてあることも重要であるが、現実の体験はそれ以上に貴重なもので、強く気をつけようという意識を刻みつけてくれる。


ただ教本を読み上げるだけの教習ではなく、その教官にしかできない教習を受講できたことに感謝したい。


9時限目(16時20分~17時10分)

【11時限目】【AT】【複数人】

技能教習第2段階項目13 危険を予測した運転


この教習の趣旨は、教習生が互いの運転の良い点、悪い点を探し、それを参考にしあうということであった。


運転席においては、複数人で行われる他の教習とやるべきことは変わらない。

事故を起こさないように、運転する。

それだけだ。

ただ、技能教習の後に、互いの運転の問題点を指摘しあうという時間が1時限設けられており、 そのために、後部座席に座った時に、ただ祈っているだけではなく、他の教習生の運転を、しっかりと観ておく必要があった。


例によって、最初に運転することとなり、自動車学校から発進させた。

まず、結果を言えば、運転はかなり上手くいかなかった。


AT車に乗せられ、MT車に乗せられ、そして、AT車に乗せられたり、 教習が始まる前に、いらいらしていますと無表情で主張する50歳台の教官から、ちくりと言われたり、 教習生の2人組が若いカップルだったり、 そういった要因もあったが、それは手助けをしてくれただけで遠因でしかない。


運転をぼろぼろにしたのは、自身の運転に他ならない。

自動車学校の前にある道路で、右を意識するあまり、電信柱と接触しそうになり、教官に叱責された。


それが心を激しく動揺させた。

やってしまったという気持ちでいっぱいになり、先述した要因と絡まり合い、集中をかき乱した。


さらに、クラッチレバーがないことが、混乱を加速させた。

常ならば、クラッチ操作に傾けられていた、やり場のない意識は、接触の怯えから、辺りの確認へと過度に流れ込んだ。


良いことのようだが、そうではない。

過ぎたるは及ばざるが如し。

気はそぞろであり、やたらと首は動かしているが、視てはいない。

視えてはいるが、視てはいない。


気を鎮めようとするが、どうにもならない。

気がつけば、制限速度時速40kmの道路を時速45kmで走っていた。

同じ感覚でアクセルを踏んでいても、AT車は、気がつけば速度が上がっている。


教官に指摘され、さらに動揺する。

不条理だと嘆いても始まらない。


事故だけは起こさないように、とにかく、そう意識して走ることだけに全てを費やした。


たっぷりと走ってから、ようやく、車を停めるように指示が出され、最後に、お約束のように、もっと寄せるようにと指摘された。


運転席から降りて、深くため息をついた。

安堵と憂鬱、両方が入り交じっていた。


異様に長い20分だった。

50分、運転するより、消耗していた。


これで終わり、座っていれば終わる。

そうであれば、心は解放された。

が、そうはならない。


他の複数人教習なら、そうだが、今回だけは違う。

反省会が待っている。


10時限目(17時20分~18時10分)

学科教習第2段階1 項目1 危険予測ディスカッション


自動車学校に戻ってまずしたことは、同乗した2人の教習生に謝ることだった。

怖い思いをさせて申し訳ない。

そう謝った。


それから、休憩時間を挟んで、反省会が行われた。

「危険予測ディスカッション」は、いつも学科教習が行われている大教室ではなく、広くもなく狭くもない一室で行われた。

室内にいるのは、私を含めて4名。

前の時限に行われた技能教習で、同じ教習車に乗った教官と教習生である。


私の後に運転した2人は、共に丁寧で安定した運転をした。

男性の方は、特に言うことがないほど完璧だった。

女性の方は、狭い道でもアクセルを踏んでいくという印象を受けたが、それでも、破綻はなく、何か言うほどのことはなかった。

順に、問題点を指摘するように促され、そのように答えた。


問題点を探し、指摘するのが、同乗者の務めなのだが、何も言えることがないくらいに、2人の運転はうまかった。

教官の意見も同様であった。


一方で、私に対しての評価は厳しいものだった。

だが、それが現実だ。

問題点の指摘は、素直に参考にさせてもらうことにした。


乗り慣れたMT車であれば、こんなことにはならなかった。

今回は特に上手く運転できなかった。

などと、子供じみたことを言っても惨めなだけであるし、そも、むらがある事自体が問題なのだ。


指摘されたことは解っていた。

だが、自身で理解していることと、他人から指摘されることでは、やはり重みが違う。

同乗していて怖かったという言葉は、胸に響いた。


問題点の相互指摘が終わった後は、 運転手視点のビデオ映像を利用して、現在の状況から、どのような危険な状況が発生するかを予測するといった教習が行われた。


何が起こるかを的中させることではなく、どれだけ多くの危険な状況を想定できるかが重要ということで、 教習生3人で、とにかく、想定されうる危険を挙げていった。


危険を予測できた問題、危険を予測できなかった問題、それぞれあったが、 何れにせよ、想定できない状況とは、起こるものであるということを教えられた。


JAFセーフティシアター

http://safe-drive.jp/


上記は、ロードサービスなどを行っている"日本自動車連盟(JAF)"が、運営するウェブサイトであり、 事故に至る寸前、或いは、事故に至った瞬間の状況を記録したドライブレコーダーの動画を数多く公開している。



教習所で使われた教材とは違うものだが、事故へと至る過程を、運転手視点の映像から、擬似的に体験しておくことは、 危険を回避するための助けになる。


運転者は、或いは、これから運転免許を取ろうと考えている者は、観ておくべきものであると考えたので、 ここで紹介しておく。


教習が終わると、会釈をしてから、2時限の間、教習を共にした2人と別れた。

1人になり、ため息をついてから、大きく背伸びをした。


長い1日は終わり、そして、長かった4日間が終わった。

朝から夜まで、10時間近くの拘束時間が続いた免許合宿の山場は、今日で終わる。

そして、免許合宿の終わりも、すぐそこまで来ている。


送迎バスが松江市市街地の中央にかかる橋を渡る時、暮れていく陽が視えた。

仄暗くにじむ川の水面を橙に染める白く眩しい夕陽。

それは、美しい光景だった。


ホテルのレストランで黄昏れながら、焼き鯖定食を待っていると、 ふと、隣の方から声が聞こえてきた。


憶えのある3人組が、フロントを覗き込み、ざわめいていた。


「お兄ちゃんじゃね?」


フロントの方に視線をやると、その言葉に合点がいった。

なるほど、お兄ちゃんである。


元第66代横綱"若乃花 勝"の姿がそこにはあった。

どうやら、旅番組の収録で松江へと立ち寄ったのだが、宿が見つからずに困っているという様子だった。


相撲は、高校生時代、テレビ朝日で『大相撲ダイジェスト』がまだ放送していた頃からのファンであった。

第68代横綱"朝青龍明徳"が引退したことを機に、相撲を熱心に観ることはなくなったが、 同年代の平均値よりは相撲に興味があると断言できる。


ただ、サインをお願いしにいくことはなかった。

好きとか嫌いとか、そういうことではない。

スタッフに囲まれていて、そういう空気ではなかったこともそうだが、 若乃花 勝という芸能人のことは知っていても、若乃花 勝という力士はよく知らなかった。

それが全てだった。


焼き鯖定食が配膳されると、ロビーから視線を戻し、黙々と脂ののった鯖をつついた。


しかし、思いがけないことは、起こるもので、それは楽しかった。


■本日のチェックポイント

なし


■本日の支出

野菜ジュース

120円


合計

120円

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