免許合宿紀行 11日目 「笑わない教習生」
2時限目(9時20分~10時10分)
学科教習第2段階14
項目14 交通事故のとき
項目15 自動車の所有者等の心得と保険制度
「交通事故のとき」では、運転者、被害者、第三者、それぞれの立場で交通事故に遭遇した時の対応についての教習が行われた。
「自動車の所有者などの心得と保険制度」では、自動車の登録と検査と管理について、自動車保険についての教習が行われた。
運転には、直接関係のない教習ではあったが、強く印象に残っている。
それは、教本に載せられた遺書のせいである。
飲酒運転をし、人を殺し、そして、死んだ男の妻が、保険に入っていなかったがために、 慰謝料を払えず、被害者の遺族に償うために、子供と共に死を選ぶ。
そんな、愚かで哀しい物語が、載せられていた。
そんなわけがない。
そう一笑に付したいところだが、そうできないことが、ただ不快だった。
交通事故を起こし人を殺してしまった時には、強制保険である自賠責保険だけでは、助からない。
死亡事故時の自賠責保険の限度額は3,000万円であり、一方で損害賠償として請求される額は最低でも1億円以上が相場であるからだ。
任意保険に加入していなければ、重大な交通事故を起こした瞬間に、人生は狂う。
裕福でなければ、借金に苦しみながら、人生を送ることになる。
だが、一方で、任意保険の加入率は、7割前後だという。
保険屋というのは、人の不安につけ込み、金を集め、いざという時には、 態度を豹変させ、あれこれと難癖をつけて、金を払わない詐欺師同然の者達であり、 そんな連中に金を渡したくないという心理は理解できなくもない。
だが、視点を変えれば、任意保険に加入しないという考えはありえなくなる。
任意保険は、自身が助かるためだけに加入するものではない。
加害者となった時、被害者を助けるためには加入するものだ。
交通事故の被害者となった時、加害者が保険に入っていなければ、被害者は補償を受け取ることができない。
金だけで解決する問題ばかりではない。
だが、それでも、金は絶対に必要なのだ。
だから、金がないなら車に乗るべきではないと、強く言いたい。
ただ一方で、制度のあり方にも疑問を感じざるを得ない。
社会保障として、任意保険を強制すべきか、それが出来ないのであれば、 死亡事故、重大な後遺症を残す事故に限っては、自賠責保険の保障限度額を引き上げるべきではないのか?
諸外国とは比較にならないほどに、自動車に重い税を課す一方で、 交通事故の被害者に対する救済は、運転者の良心と民間の保険会社に依存しているというのは、先進国として如何なものだろうか?
3時限目(10時20分~11時10分)
技能教習第2段階【7時限目】【複数人】
項目9 駐・停車
免許合宿11日目、第2段階の技能教習7時限目にして、ついに教官以外の人間を乗せて、路上に出ることとなった。
指示された地点まで車を運転する。
教官の指示に従い車を安全に駐車させる。
次の教習生と運転を換わる。
これが路上での駐停車を課題とした、この時限の教習の流れである。
一番槍を任されるという名誉を賜り、それらしく無難にこなした。
車両感覚が解っていない自覚があったので、駐車時には、寄せないようにして寄せた。 結果、やはり、寄せられていなかった。
教習全体の感想はとても楽であった。
考えてみれば、いや考えるまでもないことだ。
1台の教習車を3人で共有すれば、1人の運転時間が短くなるのは自明だ。
1時限は、50分。
これは絶対不変の原則であり、覆らない。
15分、長くても20分、運転すれば、あとは事故が起こらないことを祈りながら座っているだけでいい。
後ろの2人が気になることは、全くと言っていいくらいになかった。
他人が気にならない。
他人を気にしない。
良くも悪くも、それについては、自信があった。
4時限目(11時20分~12時10分)
学科教習第2段階15
項目16 経路の設計
「経路の設計」では、地図の読み方、経路設計の方法、案内標識、道を間違えた時の対応、二輪車のツーリングについての教習が行われた。
行ったことのない場所に行く時には、事前に経路を確認してから出発すべきである。
というのが、教習の主旨であった。
カーナビやスマートフォンが普及した近年、経路を調べることは易しくはなったが、その重要性が変わったわけではない。
手軽さを過信し、出発の日の朝になるまで道を調べないよりも、 出発の日の前日、或いは、それよりも前に、道を調べておくべきであることは、言うまでもない。
ただ、何れにせよ、人が考える必要性がなくなってきているというのが現実であろう。
出発地点と到着地点を選択すれば、システムが経路を教えてくれる。
それは往々にして最適であるが故に、抗えない。
感心させられる一方で、悔しさ、或いは、不安を覚えることもある。
現代において、紙の地図の必要性を感じている人はどれだけいるのだろうか?
地図を確かめる機会は、圧倒的に多くなった。
だが、それはスマートフォンの普及によってなされたものであり、眼にしているのはディスプレイに表示されたデジタルな地図だ。
例えば、災害が起きて、通信が機能しなくなったらどうするのか?
経路の検索はできないし、そもそも、地図さえも表示されなくなる。
ふと、そんなことを考えるのだ。
私もまた、スマートフォンの地図機能に依存している人間だ。
だが、多くの人と違っているだろうことは、オフラインであっても、地図が使えるようにしてあるところだ。
地図はローカルに保存したものを使い、経路情報もまた必要に応じて、ファイルに出力して保存している。
私がはじめてパソコンに触れたのは中学一年の頃だった。
当時は、繋がっていることが当たり前の時代ではなかった。
そも、パソコンが一家に一台あるという時代でさえなかった。
DOS/Vから、Windowsへ。
ISDNから、ADSLへ。
パソコンとインターネットが、急速に成長し、普及していく過程を思春期に体験することができた幸運な世代だ。
だからかどうかは解らないが、私は、スタンドアローンで機能しないサービスが好きではない。
依存する一方で、信頼してはいない。
私は、それが技術に対しての正しい姿勢であると信じている。
午前の教習が終わると、昨日と同様、ホテルへと戻った。
宿泊するホテルに他の教習生を送る予定はないということだったが、今日だけはと寄り道をしてもらった。
運転手の方には、感謝の言葉しかない。
夏休みの繁忙期は、自動車学校と松江市内に点在するホテルの間を10往復する日もある。
ふと、先日、運転手の方から聞いた言葉が思い出された。
送迎バスには、他にも教習生が乗っている。
1人であったことはない。
誰かのついでに送ってもらっていることは確かだが、それでも、遠慮すべきことはある。
そう考え反省した。
とはいえだ。
それでも、優先すべきは、教習である。
技能教習のために心を安らげておくことは、私にとっては、必要なことだった。
誰もいない密室へと帰り、心を休ませることは、どうしようもなく必要なことだと感じていた。
だから、今日だけは、この一時を謳歌した。
7時限目(14時20分~15時10分)
技能教習第2段階【8時限目】
項目4 進路変更
項目6 交差点の通行
項目8 道路及び交通の状況に合わせた運転
教官はよく喋る人であった。
教官に応える形で、世間話をしながら、教習車を走らせていると、口を動かしながらも、集中できている自身に気付かされる。
隣に、如何にも、不機嫌そうにしている人が座っているより、よほど冷静に運転ができた。
気を緩めないように、それだけを肝に銘じ、走らせた。
陸橋を渡り、そして、警戒すべきであると教わったパチンコ店と駐車場の間を慎重に抜ける。
感情的になると人は前しか見えなくなる。
それを証明するように、パチンコ店から出てくる人は、例外なくと言いたくなるほどに無防備な人ばかりだった。
周囲を確かめてから、道路に入るのではなく、道路に入ってから、周囲を確かめる。
興行施設の近くを通る時は、気を引き締めようと、そう考えた。
自動車学校へと帰り、方向転換と縦列駐車の練習をした。
どちらも、それなりにうまくいった。
だが、それはたまたまだ。
10回やって10回できなければ、できるようになったとは言えない。
そこまで感覚は掴めていない。
9時限目(16時20分~17時10分)
学科教習第2段階16
項目17 高速道路での運転
「高速道路での運転」では、高速道路とは何か、通行できない車、速度車間距離、通行区分、禁止事項、故障時の措置、 高速道路を利用する上での心得、高速道路の走行方法についの教習が行われた。
知っていることばかりではあった。
だが、知っているだけでは意味がない。
結局のところ、高速道路を走るという経験をしていかなければ、どうしようもない。
そう強く感じさせられながらも、高速道路を走りたくないという気持ちは強く、ただため息が出た。
高速道路より、一般道路の方が、事故率は高い。
それでも、高速道路はできれば走りたくない。
時速100km/hというのは、人間が制御し続けられる速度ではないというのが、私の考えだからだ。
10時限目(17時20分~18時10分)
技能教習第2段階【9時限目】
技能教習第2段階項目4 進路変更
技能教習第2段階項目8 道路及び交通の状況に合わせた運転
北コースを走った。
夕暮れ時ではあったが、まだ暮れる気配はなく、教習が終わるまで、視界は良好であった。
ただ、時折射し込む西陽が、煩わしく感じられた。
帰宅ラッシュ時であったため、道路の流れは緩やかだった。
辛かったという印象も、楽だったという印象もない。
速度が出せなかったと事で、すべての指定地点を周ることは出来なかったが、そんなことは、どうでもいいことだった。
事故を起こさずに、自動車学校へと帰る。
それ以外に、重要な事はない。
だから、冷静に集中した。
急いでさえいなければ、道路が混雑していても、頭に血が上ることはない。
何事も気の持ちようであると、あらためて、実感した。
11時限目(18時20分~19時10分)
学科教習第2段階5
項目4 死角と運転
「死角と運転」では、二輪車からの見え方、四輪車からの見え方、死角、防衛的運転方法、運転者間の意思疎通についての教習が行われた。
歩行者は、命を賭けて、道路へと飛び出してくる。
自転車、二輪車は、命を賭けて、自動車の左をすり抜けようとする。
四輪車は、命を賭けて、携帯で通話しながら、運転する。
大型車は、命を賭けて、過積載のトラックを徹夜で運転する。
道路とは、そんな魑魅魍魎が跋扈する生と死の間であり、一瞬足りとも気を抜けば、破滅が襲ってくる。
はっきり言えば、自動車を運転しないことが、最も効果的な自衛手段である。
だが、そうできない時は、
死角がある場所では、何が起きてもいいように、速度を落とし、ブレーキに足をかけておく。
そして、他の車両とは車間距離を空けて、極力近づかない。
などを心がけつつ、神に祈るしかない。
歩行者を信頼しないこと、自転車を信頼しないこと、自動車を信頼しないこと、そして、自身を信頼しないこと。
要点をまとめると、こうなってしまった。
仮運転免許を取得し、路上を走ることにも慣れを感じ始めてきたが、それでも、自動車というものに対する不信は根強い。
運転を学び、運転を経験し、運転を知った。
だからこそ、その危うさに憂慮せざるを得ない。
我ながら、病的である。
だが、それはそれでいいのだと、そう考えている。
自動車は信頼すべきものではない。
運転免許を取得した現在でも、この考えは変わってはいない。
■本日の支出
野菜ジュース
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