免許合宿紀行 8日目 「蹴りたい背中」

1時限目(8時20分~9時10分)

技能教習第1段階 【14時限目】

項目12 通行位置の選択と進路変更(復習)

項目17 交差点の通行(左折)(復習)

項目18 交差点の通行(右折)(復習)


半クラッチの感覚を掴んだ。

大きく一歩、前に進むことが出来た。

それは事実だ。


だが、まだ理解しただけだ。

理解し、実践し、研磨する。

でなければ、真に身についたとは言えない。


加えて言えば、半クラッチは、一要素にすぎない。

半クラッチが出来れば、運転が完璧になるかといえば、そうではない。

だからこそ、半クラッチを完全に理解していなくても、誤魔化し誤魔化し、教習を進めることが出来たとも言える。


つまりは、まだまだだということだ。


とはいえ、苦手が一つなくなれば、そこに振っていた意識を、他に振ることができる。

これは大きい。


足元ばかりを意識することがなくなり、ハンドル操作や周囲確認により気を配れるようになった。

その結果、気付くことに遅れて焦ることが少なくなった。


かなり良くなったと、幾度となく縁があった教官から、言葉をかけられる。

嬉しくはあるが、一方で、恨みがましい気持ちもあった。


それでも、教えられたことはある。

私の覚えが悪かったせいでもある。


だから、ありがとうございますと、笑顔で応えた。


4時限目(11時20分~12時10分)

技能教習第1段階 【15時限目】

項目23 教習効果の確認(みきわめ)


技能教習第1段階15時限目には、みきわめが待ち受けている。


みきわめとは、つまり、修了検定の模擬試験である。

修了検定とは、つまり、仮運転免許実技試験である。

つまり、仮運転免許実技試験の模擬試験である。


みきわめで合格印を貰わなければ、明日予定されている修了検定を受験することができない。

であれば、緊張もする。

緊張せざるを得ない。


不安要素がなくなり、運転に慣れはじめたと感じ始めていた。

だから、ただの教習であるなら、これほどに緊張はしなかっただろう。

上達していく喜びを噛み締めながら、時間を過ごせばいい。


だが、みきわめは試験である。

まだ実力が足りない気がしてならなかった。

だから、怯え竦んだ。


こういう時に限って、待たされるものである。

1時限目の技能教習が終わってから、4時限目のみきわめまで、空白の時間がぽっかりとあいていた。

悶々として、何も手に付かない。

待つだけの時間は、ただ、ひたすらに苦痛だった。


チャイムが鳴り、年輩の教官に名を呼ばれ、ようやく、みきわめがはじまった。

教官の指示を聞き、指示されたとおりに教習コースを走った。

大きな失敗はなかった。

だが、それだけだった。

我ながら、余裕のない、危なげある運転だった。


みきわめが終わり、教習車のエンジンを切った後に、教官に指示されたことは、その時の私にとっては実に意外なことであった。


教官の指示とは、教習コースを記憶しておけということである。


2番を左折し、次は、7番を左折して、その次は、5番を右折する。

そんな風に、何処を通るかを記憶しておけという意味ではない。


みきわめと同様に、修了検定も走行中に教官から、コースの指示があるので、何処を通るか記憶しておくことは、 無意味ではないにしても、絶対に必要なことではない。


2番を左折と言われたら、どの地点で車線を変更するか、どの地点で合図を出すか、それを記憶しておけということだった。

教習手帳には、教習コース図が載っており、 そこには、各交差点で、右折、左折をする時に、車線変更する位置、合図を出す位置が詳細に書かれていた。


確かに、記憶しておけば、間違いはない。

考えることも、判断することもなく、憶えている通りに操作するだけで正しい運転ができる。


しかし、記憶しろと指示されるということは、裏を返せば、判断ができていないということに他ならない。

技量が不足している教習生に対しての苦肉の策であり、修了検定の趣旨を歪めるものであるようにも考えられた。


教習コースの中ではいい。

だが、走ったことのない道を走る時には、言うまでもなく、通じない作法である。

言わば、修了検定に合格するためだけの裏技であろう。


果たしてそれでいいのか?

この自動車学校は大丈夫なのか?

一瞬、不信感が芽生えた。


だが、その一方で、ふと、不信を払拭する考えに至る。

記憶して道を走ることは、ままある。

それは間違いない。

自宅周辺の道路などが、最たるものだ。


道と、その道に適した走り方を記憶するということは、正しい運転への近道であることは、否定できない。

大切なのは、正しく運転することであり、手段は問われない。

記憶して運転しているか、判断して運転しているか、事故を起こさなければ、どちらでもいい。

それが、真理である。


技量を試すという修了検定の趣旨には反しているのかもしれない。

いや、道を記憶して運転できるということも技量であると考えられる。

であれば、記憶して運転することを経験しておくことは、意味のないことではない。


あれやこれやと、理屈をこね回して、自身を頷かせ、合格印をありがたく賜った。


正々堂々と、教習コースを記憶し、修了検定に挑む。

そう決めた。

決めたからには、やる。


はやく教えて欲しかったという気持ちはあるが、時間は前にしか進まない。

ただ、記憶することに専念する。


瞳を瞑れば、教習コースを走ることができた。

運転席からの視点で再生される流れていく風景。

我ながら驚きである。

記憶しているものである。


教習手帳に書かれている、合図の時期と照らし合わせ、再現し、記憶し、刷り込んでいく。

どうにかなりそうだった。

そう確信した。


頭を使うと、お腹がすくし、お腹がすいていれば、頭を使えない。

そんなわけで、昼食を食べることにした。


自動車学校の食堂を利用するのは、合宿8日目にして、初めてのことだった。

基本的に、11時から14時までの間は、自動車学校にいなかったため、 12時から13時までしか、開いていない食堂を利用することができなかった。


昼食の料金は、自動車学校の食堂を利用することを前提に、合宿費に含まれているため、 勿体なくはあったが、自由な時間には代えられるものではない。


初めての食堂利用で頼んだカレーの感想は、普通であった。

まずくもないし、おいしくもない。

おばちゃんが銀色の袋を掴む姿を目撃した瞬間に、期待することをやめていたので、特に落ち込んでいたりはしない。


しかし、レトルトカレーは、何故こう、例外なく、酸っぱさがあるのだろうか?

私は、レトルトカレーが好きではない。

そして、それは、レトルトカレー特有の酸っぱさが原因である。


カップヌードルカレー味には、酸っぱさがない。

であれば、酸っぱくないレトルトカレーもできそうなものだが、できないのだろうか?


保存可能期間を伸ばすために、やむを得ないのか?

或いは、レトルトカレーを製造しているメーカーは、この酸っぱさが美味しいと感じていて、敢えて、酸っぱくしているのだろうか?


後者であれば、是非、酸っぱくないレトルトカレーを世に出して、消費者にその是非を問いて欲しいものである。

尚、売れなくても、責任は取らない。


7時限目(14時20分~15時10分)

仮免許学科模擬試験【10回目】


49点。

合格点である。

惜しくも50点を逃したが、さして、落胆はない。

何事においても、完璧とは難しいものであると知っていた。


下がっていないことこそが重要である。


席を立ち、教官に解答用紙を提出する。

ついでに、11時限目にも予定されている仮免許学科模擬試験を欠席したいという希望を伝え、あっさり認められる。


優等生とは得をするものである。

優越などはない。

あったのは諦観である。

ただの免許の学科試験であることは解っているし、技能においては劣等生であることも解っている。

ただ、これがあらゆる事柄においても、共通するこの社会の真理であると、あらためて自覚していた。


線路から外れた身だからこそ強く実感する。


優れていると認められれば認められるほどに、人は時間的な余裕を与えられる。

そして、その時間的な余裕を利用し、優れているとされる者は、学び、遊び、休み、劣っているとされる者との差を広げていく。


だから、一度ついてしまった差は、瞬く間に広っていく。

その差を埋めるには、途方もない努力か、天性の才能か、或いは、運が必要となる。


如何に王道を歩むかで決まる。

それがこの社会の構造である。


一度、道から外れてしまえば、置き去りにされる。

道に戻っても、追いつくことはできない。

それが理だ。


だから、人は必死になる。

だから、人は諦める。

だから、人は縋り付く。


だが、少なくとも、私にとっては、どうでもいいことだ。

私は、ただ違う道を歩き、ただ違う場所へ至りたいのだ。

だから、歩き続けている。

歩き続けなければ、辿り着くことはできない。

だから、いつか、至れると信じて、歩き続けている。


愚かなのだろう。

だが、それでいい。


振り返れば、踏み外した場所は既に遠く、遥か彼方だ。

戻ることなどできはしない。

だが、戻れなくていい。


自分で道を選び歩いてきた結果だ。

後悔はしない。

絶望もしない。

痛みも、苦しみも、哀しみも、全てを受け入れられる。

自分のものだ。


だが、一時だけ、休ませて欲しい。

今はただ、手に入れた自由を謳歌する。

そのために、此処にいる。

此処に来た。


ホテルに戻り、自転車に跨り、街へと出た。


旅人はいい。

気楽だ。

自由だ。

自由はいいものだ。

そのはずだ。

それなのに、自由を縛るものと出会い、喜び、楽しんでいる。

奇妙なことだ。

皮肉な話だ。


矛盾を笑いながら、自転車を走らせる。

遠出をする予定はない。

幾度となく走った道を辿り、松江城の北、塩見縄出地区へと抜ける。

そこから少し走り、その西端にある和風建築然とした木造の平屋の門の前で、自転車を止めた。


自由を縛る"吉田くん"を撮影し、入館料を支払って、中へと入る。

ここ"小泉八雲記念館"は、その名の通り、文筆家小泉八雲に関わる収蔵品を展示する資料館である。


館内一面に展示された縁の品々と共に、小泉八雲の人生が紹介されていた。

松江歴史館、松江ホーランエンヤ伝承館と同様に、映像展示があり、ギリシャから、フランス、アメリカ、そして、日本へと渡り、 記者、教師をしながら、執筆を続けたラフカディオ・ハーンこと、小泉八雲の道行きを描いた映像が上映されていた。


お土産コーナーでは、小泉八雲の著作などが販売されていたのだが、その中で、特に気になったのは、 『小泉八雲の『怪談』で英語を学ぶ』と題された一冊だった。


英語を勉強していたこともあり、興味を惹かれていた。

手に取り、中を改め、購入を決意し、そして、冷静に考え棚へと戻した。


旅行中である。荷物が増えるのは困る。

それにゆっくりと読む時間もない。

なので、家に帰ってから、"Amazon"で購入することにした。


小泉八雲記念館を出て、隣接する小泉八雲旧家へと赴く。

屋敷に入ると、高い文机があり、そこに座り執筆に勤しんだという小泉八雲の日々に想いを馳せた。

著書で紹介されている屋敷の様子と、現実の屋敷の様子を比較していると、 読んでいるそれが、正に写実的に描かれた文章と言うべきものであることに気付かされる。

その卓越した技量に感嘆し、尊敬した。


小泉八雲旧家を出て、背伸びをする。

松江城周辺にある「吉田くんと巡る怪談の地ラリー」のチェックポイントは、これで全て制覇してしまった。

自由になっていた。

行く宛を失っていた。


ホテルの部屋に戻るには、まだ早い。

仕方がないので、宛てどなく彷徨うことにした。


松江城の敷地内を通る遊歩道を北から南へと走り、県庁の駐車場へと抜ける。

商店が立ち並ぶ地域へと移動し、面白そうな店を探した。


とりあえずと、やや高級そうな宝石店に立ち寄ってみることにした。

ただ冷やかすために入ったわけではない。


島根出雲の名産とされる碧玉の勾玉を見て行きたかった。


こういう店に入る時に注意すべきは、侮られないことである。

背中を伸ばし堂々と歩き、店員の視線を意に介さず、自身のペースで良さそうな商品を探すこと、 話しかけられても挙動不審にならないこと、 たまに意味もなく時刻を確認して、腕時計をつけているとアピールすること、などがポイントである。


最近は、腕時計をしていない若者が多い。

そのおかげか、若者の場合、腕時計をしているだけで、まともであると判断してくれることが多い。

つけている腕時計が高そうであればあるほどいい、というのは言うまでもないことだ。

ちなみに、私はまだ若者のつもりである。


それと、靴がぼろぼろだと、何をしても意味が無いことは、覚えておくべきだろう。

尚、この話は、ただの若者の戯言であるので、真に受けるも、真に受けるも大人の判断でお願いしたい。


ざっと店内を歩いてから、店員に話しかけ、予算を伝え、在庫がある勾玉をみせてもらった。

何が違うのか、どういうものに高い値がつくのか、値段と外観を比較しながら学び、それとなく相場を把握した。


やはり、素人目であっても、いいなと感じられるものは高い。

安いものは、薄かったり、小さかったり、どうにも頼りない印象を受ける。

掘り出し物とは、なかなか無いものである。


しかし、流石は天然の宝石、同じものは一つとしてない。

並べ、比べ、選ぶ。

それが実に面白い。


一つ、気になる石があったが、それもまた、それなりに高価であった。

一期一会と囁く悪魔を祓い、お礼を言って、店を出た。


背伸びをして、ほっと息をついた。

背伸びをし過ぎた。


それから、近くにあった"カラコロ工房"という、複合商業施設を訪ねた。

宿泊しているホテルからも近く、夜間ライトアップされる特徴的な建物が気になってはいたのだが、 どうにも気持ちと時間が噛み合わず、訪れる機会を探っていた。


複合商業施設といっても、ショッピングモールのような大規模なものではない。

とはいえ、小規模というほど、小規模でもない。


キルト、レザー、ビーズ、シルバー、ストラップなどの手造りのオリジナルアクセサリーを扱う工房を中心に、 カフェやベーカーリーをはじめとする飲食店が集まった小規模と中規模の中間にある、観光施設とでも言えば良いだろうか?

とにかく、そんな感じの施設である。


特徴的な建物は、旧日本銀行松江支店の本館であったそうで、 館内に足を踏み入れれば、大正浪漫という言葉を連想させるレトロでモダンな空気を感じさせてくれる。


館内を歩いていると、大きめの"吉田くん"と遭遇した。

飾られていたり、売られていたり、吉田くんは松江市内のそこら中に潜伏している。

流石は、"しまねSuper大使"である。

島根県に観光に来て、吉田くんと出会わない人はいないだろう。


アクセサリーに興味はない。

身体に何かをつけるのは、どうにも好きではない。

ただ面白い小物は好きだったので、何かないだろうかと幾つか工房を回ってみた。


工房と工房を繋ぐ廊下には、アクセサリー製作教室の参加者を募集するチラシが貼られていた。

こういった催しは、頻繁に開かれているらしく、観光だけではなく、地域交流にも一役買っているようだ。


上から下へ、館内をふらふらと巡り、それから、地下へと足を運んだ。

人気のない廊下を抜け、薄暗い階段を降り、

そして、待ち受けていた、厚く巨大な金属扉と対面する。


地下には、旧日本銀行の金庫室が待ち受けていた。


金庫室の扉は、立派というより、威容というべきが相応しい代物だった。

ここまで厚くしなくてもいいだろうと、呆れるくらいぶ厚い鉄の扉があり、 そして、その先には、寂しくなるくらいに広い金庫室があった。


コピー用紙のように積み重ねられた札束、材木のごとく組み重ねられた金塊。

金庫室として利用されていた時代は、さぞ壮観であっただろう。

などと、バブリーな妄想にひたり、やや空しくなって、金庫室を出た。


地上に戻ると良い時間になっていた。


空腹感に急かされ、カラコロ工房を後にした。

何を食べるか、既に決まっていた。

真っ直ぐ、ホテルへと戻り、レストランに入った。


座り慣れたテレビの近くにある席に腰を下ろし、焼き鯖定食を頼んだ。


■本日の消費■

小泉八雲記念館

小泉八雲旧居


入館料240円


■本日のチェックポイント■

⑨小泉八雲記念館

小泉八雲旧居

カラコロ工房

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